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旦那様、不意打ちです

「すまない、寝惚けていた。だから、そんな端っこに逃げなくとも、同じ事をするつもりはないのだが」


 暫くすると旦那様も漸く起きて下さったらしく、私の太腿に頭を預けていた事に僅かに瞠目こそしましたが、大した驚きは見せません。平然と「何か柔らかいと思ったらお前か」と宣う旦那様に、私の心臓のどきどきも再来です。


 あまりに胸が痛くて体も燃えそうなくらいに熱くて、旦那様から解放された瞬間にベッドから降りて部屋の隅に移動してしまった私。恥ずかしくて頬を両手で押さえて遠目に旦那様を窺って、最初の台詞が旦那様の口から飛び出たのです。


「……触る度にああいった反応をされても困るのだが」

「も、申し訳ありません……過剰に反応してしまいました」


 個人的には過剰ではないのですが、旦那様にとっては触る度に気を失ったり逃げられたりしては堪ったものではないと思うのです。

 旦那様が私の事を『妻』として認識しているのかは分かりませんが、曲がりなりにも数ヵ月は同じ屋根の下で暮らしてきた女が一々触った程度で大袈裟な反応をするのは、変に取られてしまうでしょう。


 未だに胸の奥で暴れる心臓を押さえ付けつつ、よろよろとふらつきながらベッドに近寄る私。旦那様はベッドから降りて服装の乱れを整えているのですが、そのお姿は色っぽく、寝顔の時とは違った美しさがあって直視出来ません。


 目まで覆いそうな私に、旦那様は訝る、というか不可解なものを見たような眼差しです。


「……お前は人に触られるのが嫌なのか?」


 旦那様、ちょっと違います。旦那様のような綺麗なお方に急に触られたり接近されたりするのに、戸惑うというかどきどきしてしまうのです。

 アマーリエ様やホルスト様に抱き締められても落ち着くだけですが、先程のように旦那様と密着すると羞恥が押し寄せてきて息切れでもしてしまいそうになるというか。


「きゅ、急に、旦那様に、抱き締められるのは……その、恥ずかしいです。男性にそういった事をされる事が、ないので」


 なので、出来れば前置きをして触れて欲しいです……そう懇願に近い形で申すと、旦那様は得心がいったのか、それともそこに興味がなかったのか「そうか、分かった」とあっさり承諾。


「触れる事が嫌でないならば幸いだ。これから幾らでも触るからな」

「えっ」

「研究するにあたって、お前の肉体に触れないで調べ尽くすというのは不可能だ。どうしても接触はするからな」

「そ、そうですよね」


 そうでした、私は研究対象になったの、でしたよね。

 なので、観察されるし、場合によっては実験という事も有り得る訳で。その度に気を失ったり旦那様を拒んだりしたら実験に支障が出ます。検査とかも、するのでしょうし……触れられる事には慣れるべき、なのでしょうけど。


「無論、父上母上から無理はさせるなと厳命されているので、無理を強いるつもりはない。何か嫌な事があれば遠慮なく言ってくれ」


 旦那様も悪魔ではないので、ちゃんと私を気遣った言葉を下さいます。それだけで少しだけ胸がほっとしてしまうのは、旦那様が決して悪い人ではないと実感していたからでしょう。


「い、嫌だなんて……その、研究対象になれたなら、光栄です……」

「そうか? それなら良かった。仕事場の奴等はどいつもこいつも私が調べようとしたら嫌がるぐらいだからな。私が調べるとねちっこいとか何もかも暴かれそうだから怖いだのうるさいんだ。私はただ気になった事を全て明かそうとしただけなのだが」


 どうしましょう、急に嫌な予感がしてきました。


「……ああ、お前は程々にするぞ。やり過ぎても父上母上がうるさいからな。気にはなるのだが……私も命が惜しい」


 表情の変化に気付いた旦那様が慌てて付け足したのですが、その言葉には引っ掛かりを覚えてしまいます。

 何故、アマーリエ様やホルスト様がうるさかったら、命の危険に晒されるのでしょうか。勿論比喩表現だとは思うのですが、それにしてはやけに確信しているというか、染々と言ったというか。


 もう少しで首を傾げる動作をしようとした私に、旦那様が私の疑問に気付いてくださったので、何だか気まずそうに咳払いを一つ。


「お前は知らないのだな、いや知らない方が身の為なのだが。父上母上は怒らせるととても怖い。お前は気に入られているようだから、お前を傷付けようものなら烈火の如く怒り出すだろう」

「そ、そうですか……想像がつきません、アマーリエ様もホルスト様も、とてもお優しいです。私なんかに、こんなに心を砕いて下さりますし」

「それは気に入られているからだろう。両親は、自分が受け入れられない相手には辛辣だからな」

「そう、なのですか……?」


 そう言われても、実感は湧きません。顔合わせの時から随分と好意的で、嫁に来た時には既に今のような優しく慈愛溢れる笑顔を見せて下さっていましたから。辛辣なアマーリエ様やホルスト様なんて、とてもではないですが想像出来ません。


「父上母上が気に入るなんて、余程お前は心根が素直なのだな」

「え?」

「そもそも父上母上が私に嫁を貰えと言ってくるのだから、それもそうだが。父上母上は、人を見る目に優れている。以前から私に結婚しろと口煩かったのだが、決して相手を押し付けては来なかった。そんな両親が縁談を持ってきたのだから、お前の人柄が何かしらあの二人に気に入られたのだろう」

「お、大袈裟です、私はそんな大層な人間では」


 私はただ、両親達が決めるままに、嫁いできただけなのです。アマーリエ様やホルスト様に気に入られたのはとても光栄な事ですが、偶々気に入って貰えただけで、私には旦那様が言う程人格者ではありません。

 私にだって負の感情はありますし、情けない事に自分の意思を強く言えない弱い人間です。ただ流されるままに生きてきた、意思の薄弱な人間なのに。


「だが気に入られたのは事実だ。そもそもお前は人を偽る程度胸はないように見える。というよりは、嘘は付けなさそうな気弱さだ。演技とも思えない」

「……わ、私が旦那様やアマーリエ様、ホルスト様を偽ると……?」


 もしかしたら、旦那様が近付かれなかったのは、研究第一というのに加えて、演技だと疑われていたから……? だから、顔をお見かけしても無視されたり、そもそも話し掛けて貰えなかったのでしょうか。家に入った異分子を、警戒していたから……?


 そう考えると、悲しくて。

 じわり、と目の奥が熱くなる感覚。涙は零れはしませんが、いつもより瞳を分厚く覆ってきます。あくまで可能性だと分かっていても、そう思われていたらどうしようという気持ちが心を染めていくのです。


「……違う、疑っていた訳ではない。泣かれると困る」


 旦那様は私の情けない顔に気付いたのか、幾分早口で説明。

 ぱちり、と瞬いた私に、何とも言えないというか、苦慮したような表情で繊細な髪を掻き上げた旦那様。


「……先に言っておくが、私はこういう性格だ。思った事は我慢しないし、言い方はよくきついと言われる。悪意あってこのような喋り方をしているのではないと了承してくれるか。傷付けたい訳ではない」

「は、はい……それは、存じております。ただ……その、周りにそういう方が居なかったから、慣れなくて……」


 旦那様が悪い訳ではないのです、全て私の心が弱いからであって、決して旦那様に非はありません。


「慣れて貰わねば困る。触ったり言葉を交わしただけで泣かれても堪らないからな」

「……申し訳ありません」

「謝られても困るのだが。お前は臆病な性分なのだな、全て自分が悪いと思うのは、見てて愉快なものではない」


 サクっ、と、私の弱点を貫いていく言の葉。

 説明された通り、旦那様は悪気もないですし、事実を仰っているのも重々承知しています。此処まで突き刺さるのは、私がそれを認めて恥じているから。

 本当に旦那様は、真っ直ぐな御方だと、思い知らされるのです。薄く艶やかな唇から放たれる言葉は、全て本音であり本質を見抜いたもの。飾り気のない言葉は、だからこそ鋭く研ぎ澄まされているのでしょう。


 刺された私は肺が空気を失ったように息を詰まらせ、それから、じくりと広がる胸の痛みを堪えようと唇を噛み締めます。

 暴言ではないけれど、人の顔色を窺って生きてきた私には、少々痛い。旦那様が正しいからこそ、こんなにも痛いのです。


「理由もなく自分を卑下するのは褒められた事ではない。少なくともお前に悪い部分はないのだから、もっと堂々とするべきでないのか」

「……はい」


 努力、します。

 そう掠れた声で返事をして視線に耐えられず下向いてしまった私のつむじに、旦那様のやや戸惑ったような吐息がかかります。思ったよりも、距離は近いようで、旦那様の靴の爪先が視界に映りました。


「エルネスタ」

「はい」

「顔を上げろ。俯いていては、お前の小さな体は更に小さく見えて仕方がない。胸を張れ」


 言われた通りにおずおず、と顔を上げた私に、旦那様は酷く戸惑った顔ながら、励ますようにそう声をかけてくれて。

 す、と掌を私の顔の前に翳したものだから、よく分からなくて少しだけ涙で歪んだ視界のままに旦那様を捉えると……旦那様は、私に分かりやすく握り拳を作ります。


 殴られる、と少ない情報ではそう判断するしかなくて、衝撃に耐えようときゅっと瞳を閉じて……そして、訪れた衝撃。


 但し、それは衝撃というには弱々しい、光を伴った風が頬を軽く撫でただけのもので。

 ぽん、と、何とも軽い音。空気が勢いよく抜けたような、拍子抜けするくらいに軽い音が、耳朶を擽ります。……旦那様の鉄槌が此方に向けられた事ではないのは、明らかです。


 恐る恐る目を開けると……目の前に揺れる、小さな淡いイエローの花弁。ふわりと香るのは優しくて甘い匂い。知らない、お花。


「……あの……?」


 何で、花?


「……女は花が好きだと聞いた。これでは駄目だったか?」

「い、いえ、花は好きですが……」

「そうか、ならば良かった。これをやろう」


 いえ、何故手品のように何処からともなく花を出して手渡そうとするのでしょうか。しかもむんずと掴んだ状態で。茎の部分を掴んでは目の前に突き付けられて、涙も引っ込んでしまいました。

 困惑したままに両手でお花を受け取ると、少しほっとしたような旦那様。……もしかして、私を元気付けようとしてくれたのでしょうか。


 よくよく旦那様を見れば、少しだけ眉を下げて気遣わしげに此方を窺っているのです。……心配、してくれたのでしょうか。


「……ありがとう、ございます」


 何だか、おかしくて……ふっと口許を緩めると、旦那様は軽く瞠目。首を傾げると、旦那様は私の顔をまじまじと見上げて、一言。


「お前はそういう顔をした方が似合うな」


 さらりと気障な台詞を言われて、一気に頬に集まってくる熱。あ、う、と意味のない言葉を口から零すと、旦那様は不思議そうに首を傾げるのです。


 ……研究に情熱を注ぐ、研究命な旦那様だからこそ、こういう時の一言はとてつもなく響いてしまうのだと、思い知らされました。胸の痛みが吹っ飛んで、いえ別の痛みになりました。こういうのをときめいたというのかもしれません。


 そして僭越ながら旦那様に言いたい事があるのですが、女性に花を贈る時は根っこを切り落としてからの方が良いと思います。

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