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旦那様は我が儘を言って欲しいそうです

 ロルフ様の天然で思わせ振りな言葉から立ち直るのにちょっぴり時間がかかったかったものの、漸く元通り……より顔はまだ赤いままですが、何とか普通に接する事が出来る程度には戻りました。


 ロルフ様は暫くぷるぷる体を震わせていた私を不思議がっていましたが、羞恥に耐え見上げたらちょっぴり満足そうな顔。何故そこでご満悦になるのかは分かりませんが、褒める事が出来たと喜んでいるのかもしれません。


 気を取り直し、街を歩く事に。

 ロルフ様は私の手を掴んで連れ歩くのですが、やっぱりちょっと気後れしてしまってやや後ろを歩く私。ロルフ様は当然それに気付いて「隣に立てば良いだろう」とわざと歩みを遅めて、隣に並んでくれます。


 離さない、としっかり握られた掌、触れ合う肩や腕。普段あれだけ触れ合っているというのに、まだ慣れないし、寧ろ、今の状態にとても胸がどきどきするのです。


 いつまで経っても、ロルフ様には驚かされて、ときめかされて、感情を振り回されて。

 今日だって、ロルフ様で胸が一杯になってしまいました。ただロルフ様は私を慰めたかっただけでしょうけど、それでも……私にとって、ロルフ様のお言葉は、恥ずかしくも、嬉しくあったのです。


 ……可愛いって、言われただけで、こんなにも……じんわりと熱が溶け込んで頬を温めるなんて、思ってもいませんでした。

 認めて貰える、よく思って貰える、それだけで私は幸せです。自惚れる訳にはいきませんが、やっぱり女心としては好きな殿方に可愛いと言われて喜ばない訳がありません。


「……エル」

「はい、何でしょうか?」


 羞恥も歓喜も混ぜて一つになったような、何とも言えない擽ったさのある感情のままに隣を歩く私に、ロルフ様は少し窺うように問い掛けてきます。


「何か買うものはあるだろうか」

「買うものですか?」


 そういえば街に来てただぶらぶらするよりは何かついでに買い物をするのが良いかな、と思って、今必要としているものを頭の中で思い浮かべてみましょう。


 私が買うもの。


 服……は別に欲しいと思わないのでなし、装飾品は論外。雑貨は特に必要としてませんし消耗品も予備がある。本はまだ読んでないものが家に沢山ありますし、コルネリウス様も必要な魔術書は持っているので有り難くそれを使わせて頂いております。


 あと必要なものと言えば衣食住の食ですが、今日は外で食べておいでという事なのでその言葉に甘えるとして、保管庫にはまだ野菜はありましたし、基本的にアマーリエ様が定期的に仕入れているので私がわざわざ買い足す必要もありません。


 ……よく考えてみれば、別に買うものとかないですね?


「ええと、ないですね」

「……ないのか」

「特にないですよ?」


 だって私が必要とするものって限られてますし、その全ては事足りていて特に今買わなければならないものなんてありません。欲がないのではなく、必要がないのです。

 それに、アマーリエ様には「欲しいものはロルフにおねだりして良いわよ」と言われているとはいえ、ロルフ様のお給金を私の為に使って頂くなど勿体なさ過ぎます。


「……そういうものなのだろうか?」

「よく分かりませんけど、私はこれといって買う必要のあるものはないです」

「女は装飾品や服などを欲しがるものだと思っていたのだが」

「私が綺麗な服やアクセサリーを身に付けた所で、似合いませんし。折角綺麗なんですから、もっと相応しい人が身に付けるべきだと思いませんか?」


 綺麗な服も、きらきらした装飾品も、もっと素敵な人が着けてこそ真価を発揮します。私が着けた所で映えるとはとても思いません。


「……お前は何処までも卑屈なのだな。お前に似合うものもあるだろう」

「ありがとうございます。でも、気後れしてしまうので良いです。私には、これがあるので充分です」


 私が身に付ける装飾品など、髪を結うリボンと、ロルフ様があの時は致し方なくはめて下さった結婚指輪だけです。


 結婚指輪は、シンプルなデザインの白銀に輝く指輪。

 多分結婚前は私と親しくなっていた訳ではありませんし興味は然程抱かれてなかったのでアマーリエ様とホルスト様が用意したんだろうなあ、とは思いますが、これが私とロルフ様を繋ぐただ一つの証でもあります。……ロルフ様は、着けて下さってないですけど。


 ただそれは多分研究の邪魔になるから仕舞っているだけでしょう、それか存在を忘れているか。


 別にそれを嘆くつもりはありません。こうして一緒の時間を過ごして頂けるだけで、充分に幸せですし結婚して良かったと思えるのですから。


 そっと薬指に身に付けた白銀を指先で撫でると、ロルフ様はその指輪を凝視します。


「……今更後悔するとは」

「え?」

「いや、お前に自信を持たせる為にももっと華やかな指輪を選んでやれば良かったのではないかと思ってな。私としてはこのシンプルなものは首から提げやすいのだが……」


 そう言って自身のシャツの襟元に手を入れ、指に引っ掛けて出したのは、銀色の鎖。

 陽光を受けて繊細に輝く細目のチェーンには私が今指にはめているものと全く同じものが通されていて、ロルフ様がチェーンを揺らすとシャラリと音をたてて僅かに揺れます。


 ……ロルフ様は存在を忘れてしまっていたと思っていた、結婚指輪が、そこにはあって。


「……指輪、着けて下さっていたのですか……?」

「結婚しているのだから持ち歩くだろう。流石に研究や実験の際に傷付いても困るから首から提げているが」

「……家でも?」

「ああ、癖でな。大切にはしているぞ?」

「こ、これを選んだのは」

「私だ。あの頃はお前と親しくなかったとはいえ、夫である私が選ぶべきだろうと言われてな。あまり邪魔にならないシンプルなデザインにしたのだが、気に入らなかっただろうか」


 ……ああ、ロルフ様からの初めての贈り物は、花ではなくて指輪だったんだ……。

 ロルフ様が選んでくれて、ロルフ様もペンダントにして、身に付けていてくれた。それだけで、こうも嬉しいなんて。


「あ、あの、お願いがあるのですが」

「なんだ?」

「……その、今日一日だけ……ゆ、指に着けて貰っては、駄目でしょうか」


 今日だけ……少しの我が儘を言っても許されるでしょうか。

 お互いに指輪をつけて寄り添って歩きたい、ただそれだけですが……私にとっては、とても大きな事。同じ指輪を身に付けて過ごす、というのは、とても夫婦らしく見えるのではないか、そう思ってしまったのです。


「指にか?」

「……はい」

「それくらいなら構わないが……てっきりもっと要求があるのかと」

「いえ、これで満足です」


 私にとって、煌めく宝石のあしらわれた装飾品より、何よりこの指輪が誇らしいし貴重だと思っています。結婚指輪、なのですから。

 ……こうしていたら、周りにも夫婦に見えるでしょうか。ロルフ様の妻である私は冴えない女で申し訳ない限りですが……今日くらい、妻として一緒に時を過ごしても、良いでしょうか。


 不思議そうに私を窺いつつもチェーンから指輪を外して左手の薬指に着けるロルフ様。

 ……自己満足だとは分かっていますが、やっぱり、嬉しいです。ロルフ様の手にも同じものがあるだけで、満足してしまいますね。ロルフ様に意図も伝えず身に付けさせるなんて浅ましいかもしれませんが、今日だけは、許して下さい。


 ついつい口許が綻んでしまった私に、ロルフ様はより不思議そうな顔をしたものの……満足そうに笑った私の頭を撫でて、また手を繋ぎ直します。

 先程より、私達の距離は近付いていました。




 私のお買い物はなし、という事で自分では納得しているのですが、ロルフ様は些か不満そう。それは置いておくにしても、結局これからどうしようか、という問題になったのです。

 装飾品や服は私が望まないから見に行かなくても良い、となると、ロルフ様の当てはなくなったようで行き先に困り出しました。……多分コルネリウス様が入れ知恵していたのではないかと思ったり。


「私の欲しいものはありませんし、気遣って頂かなくても大丈夫ですよ。ロルフ様が欲しいものがあるならそちらに行くべきだと思いますし、私も付いていきます」

「そういう訳ではないのだが……」


 やや困惑を強めながらも首を振ったロルフ様。

 街にお出掛けすると言い出したのはロルフ様ですし、てっきり何か用事があってついでに私を街に誘ったのだと思ったのですが……違ったみたいです。


 ロルフ様としては、どうやら私の気分転換で行きたい所に連れていってあげたかった、みたいなのですが……肝心の私が特に行きたい所も欲しいものもないから、目的地を設定出来ないで困ってるのでしょう。


「……どうしましょうか?」

「どうしようか」

「私、この街の事よく知りませんし……何があるのか知らないので、ちょっと行く宛は思い付かないです」

「……ふむ。困ったな」

「困りましたね」


 立ち止まってはお互いに唸るしかありません。

 せめて私が何か欲するものがあれば良いのでしょうが、ロルフ様のお金で買って頂くのは申し訳ないですしそもそも欲しいものがない。

 私が街を知っていたなら案内とかあったのでしょうが、当たり前ですが出歩く事のない私よりロルフ様の方が絶対に詳しいですし。私のこの街の構造とか店の事殆ど知らないので……。


 ロルフ様はロルフ様で私の望みを当てにしていたらしく、私が何も望まないので逆に困っているみたいです。


 早くも街に出て行き詰まる夫婦二人というのは、傍から見たら奇妙な光景のように思えます。


「……すまない」


 何か良さそうな行き先は、と悩んでいた私ですが、唐突にロルフ様が謝ってくるものですから、面食らって思わずロルフ様を凝視してしまいます。


「な、何でロルフ様が謝るのですか?」

「……お前を楽しませようと思ったのだが、上手くいかない」


 街に誘ったロルフ様は、私の事を気遣っていてくれたみたいで……立ち往生するこの状態に、申し訳なさそうに眉を下げております。

 やや悄然とした面持ちで謝罪してくるロルフ様に、私としては申し出だけでも嬉しいのでロルフ様が罪悪感を感じる必要ないのに、といった気持ちなのです。お気持ちだけでもとても嬉しいので、ロルフ様が悪いとか全く思っていません。


「い、いえ、私はロルフ様と歩くだけで楽しいですから」

「……本当にか?」

「はい」

「……見て回るだけでも楽しいのか?」

「はい。一緒に居るだけで楽しいと、前にもお伝えしたと思うのですが……」


 何度も言っていますが、私はロルフ様と共に過ごすだけで充分に幸福感を覚えるのです。その場所は二の次で、一緒に居られたら、それだけで満足しているのです。

 極論、家でも良かった訳です。いえ、お出掛けのお誘いは心踊りましたし、ロルフ様が私を思っての事で普段より倍は嬉しいのですが。


 だから気にしないで下さい、とロルフ様がやや落ち込んでいるのを見て本心で微笑んだのですが、何故かロルフ様は安堵するというよりは悩ましげに瞳を眇めてしまいます。


「……何というか、お前はお金がかからない女なのだな。女というのはこういった外出でものをねだるのだとばかり」

「とんでもない、私がロルフ様にものをねだるなんて……。それに、先程我が儘を言ってしまいましたし」

「……指輪をつけろというのが我が儘なら、世の女は強欲な人間だらけだと思うのだが?」

「私なりに我が儘を言ったつもりなのですが……」

「もっと我が儘を言ってくれ。お前はいつも遠慮ばかりだろう、我慢するのは良くないと思うぞ」

「が、我慢だなんて……私は、本当に満足しているのです」


 ロルフ様には絶対に言えないただ一つの願い以外は、私は本当に満足しているのです。

 優しい義両親に義兄、素敵な旦那様。家族で取る温かい食事に、旦那様と一緒に過ごす時間。旦那様のお役に立てて、求められて、家族として扱って貰える。


 私の事を腫れ物扱いされないだけで充分なのに、これ以上ロルフ様に何かを求めるなんて、そんなの、我が儘過ぎます。


「……何というか、その辺りお前は可愛げがないのだな」

「えっ、ご、ごめんなさい……」

「違う、責めたのではなくて……多少我が儘を言ってくれた方が、私も安心するというか。お前は欲がなさすぎて、些か不安になる。これは家族全員が心配している事なのだぞ」

「アマーリエ様達も、ですか?」

「もっと甘えれば良い、と皆言っている。それとも、私達では甘えられない程頼りないという事なのだろうか」

「そ、そんな事ありません!」

「ならばもっと頼ると良い。私ばかりお前に願いを聞き届けて貰っているのだ、お前も願いを言うべきだろう」


 もっと言えば良い、そう仰るロルフ様。

 嬉しい反面、一体これ以上何を望めば良いのだろうと悩んでしまうのが本音です。だって、こうして出掛けてくれて、寝る時は増幅効果の為とはいえ抱き締めて下さって、優しい言葉を掛けて下さるのです。

 それだけで、本当に充分なのですが……。


「本当に、お気持ちだけでも嬉しいです。ありがとうございます。私は、ロルフ様のお側に居るだけで幸せですよ」

「それは、本心か」

「はい」


 それに嘘はありません。隣に居る事を許して頂けるだけで、私は充分に幸せを感じています。


「……私は、お前に笑って欲しいだけなのだが」

「え?」

「いや、良い。……行こうか」


 笑って欲しい。……私、ちゃんと笑っているのに、何故、そんな事を言われるのでしょうか。本当に嬉しくて幸せだと感じているから笑っているのに、ロルフ様にはそう見えていないのでしょうか……?

 頬に触れても、ちゃんと笑っている。引きつってなんていませんし、いつもの微笑みなのに。……何で、ロルフ様はそんな事を言ったのでしょうか。


 戸惑う私に、ロルフ様はただ少し寂しそうに微かに笑って、私の手を引いては歩みを再開しました。

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