旦那様と街にお出掛けです
「エルネスタ、用意は出来たか」
治癒術の理論をコルネリウス様に学びながらの生活ですが、漸くと言っていいのか、ロルフ様のお休みの日がやって参りました。
そう、約束の、お出掛けの日です。
先日のお出掛け自体は忌まわしいという訳でもないですが、落ちて心配と迷惑をかけてしまったあの失態は出来れば忘れたい出来事。あれ以来ロルフ様とお出掛けはしていないのですが、今日はロルフ様の提案で街に出掛ける事となりました。
アマーリエ様達には今日になって言ったのですが、言った途端に嬉しそうに笑って生き生きとした眼差しでアマーリエ様は私を引っ張って自室に、ロルフ様はホルスト様とコルネリウス様に引き摺られて何かを言い聞かされていました。
私はアマーリエ様に連れられておめかしの準備をされていたので、よく分かりませんけど。
今回は街に出掛けるのですが、あまり良い格好をしていっても色々厄介事を引き寄せるので、今回は前回より大人しめの配色で肌も出ないブラウスとロングスカートなので一安心です。
そしてお出掛けの時間となったのですが……何というか、隣を歩くであろう私がみずぼらしくなるくらいに、ロルフ様は格好良いと言いますか……街を歩くので堅苦しさはないような服なのに、それでも隠しきれない気品が溢れていると言いますか。
つまり、改めてロルフ様に見とれてしまった、と言えば良いでしょうか。
「……エルネスタ?」
「は、はい、大丈夫です」
反応が遅れてしまって、再び声をかけられて慌ててこくこくと頷いてはロルフ様をちらり。……いつも見ているのに、やっぱり二人でお出掛けとなると意識してしまって仕方ありません。
頬紅を塗っている訳でもないのに、きっと私の頬は赤らんでいる事でしょう。
「今回こそしっかりエスコートしなよ、今回は特に人が居るんだから」
「エルネスタはアマーリエみたいに自衛出来る能力はないんだから、ちゃんと守ってあげるんだよ」
「あなた、私はか弱くないと言いたいのかしら」
「充分強いだろう」
皆様から声を掛けられるのですが、……何というか、貧弱で申し訳ないというか……。
私なんて治癒術がちょっとばかり使えるくらいで、戦闘能力は一切ないひ弱な小娘なのです。もし何かあっても対抗出来ませんし、ロルフ様には頼りきりになるしか他なく、非常に面倒をお掛けする事になりそう。
「ロルフ、エルちゃんの手を離しちゃ駄目よ?」
「分かっています。……エルネスタは、軽くて何処かに飛ばされてしまいそうなので、しっかり掴んでおきます」
「人間はそんな簡単に飛ばされたりしませんよ……?」
「人混みに流されてはぐれそうではあるけどね」
う、それは否定出来ません。
そもそも人混みはあまり得意ではないのです、あまり人の視線を感じるのが苦手なので……。でも、ロルフ様とお出掛け出来るのは嬉しいですし、娯楽として街に出るのは初めてなので、楽しみでもあります。
……ま、迷子にならないようにしなくては。私なんて良いカモだと思うのです、行方知れずになったら皆様に迷惑かけてしまいますし……。
「まあ休日にあんまり言うのも悪いし、一つだけ。楽しんでおいで、二人共」
最後はコルネリウス様に纏められて、私達は街へ向かう事となりました。
馬車で市街地まで出るのですが、何というか密室で二人きりというのはちょっぴり緊張してしまいます。普段寝る時はくっついておきながら今更何だ、という話なのですが、ちょっと緊張感が違うのです。
隣に腰掛けたロルフ様は、ずっと手を繋いで下さっています。言い付けを律儀に守っているのでしょうが、まだ街に着いてすらいませんよ……?
「私、街に遊びに行くの、初めてです」
手を繋いだまま沈黙の状態というのも気恥ずかしいので、何か話題を……と自分の中を探した結果、今回のお出掛けについてというのが無難なのでそのはなしをする事にしました。
「……外に行かなかったのか」
「遊びというか散策の意味で街を出歩くのは初めてです。アマーリエ様と一度服は買いに来ましたけど、後は出なかったので……」
基本的に食材は仕入れてもらってますし、私自身は市に出る必要もないです。アマーリエ様やホルスト様は市に出たり街を散策しているのですが、私は基本的に家でお留守番です。
ああいえ、閉じ込められているとかではなく、私が単に人混みがあまり得意でないというのと、外に出るという事にあまり意味を感じられなかった……というのも変ですが、特に必要と思わなかったのです。
「……ずっと家に居たのか」
「ええ」
「……外に出たいとか、思わなかったのか」
「何で出たいと思うのですか?」
ロルフ様は不思議そう、というか疑るような眼差しで此方を見詰めてくるので、ちょっと居心地が悪いですが……本当に、出たいとかそういう欲求はなかったのです。勿論、ロルフ様に連れ出して貰えるのは嬉しいですけど。
「退屈とか、思わなかったのか?」
「いえ? アマーリエ様やホルスト様とお話しするの楽しかったですし、読書とか刺繍してましたので……。それに、私家に居るの慣れてますから」
「……引きこもっていたのか」
「た、単刀直入ですね……まあ似たような状態です」
ひ、引きこもりと言われると何だか不名誉なのですが、事実家に居ただけなので否定は出来ません。
私は基本的に家に居ますし、街に出掛ける事はありません。
それを退屈だと思った事がないのは、実家での暮らしに慣れているのと、アマーリエ様達が気に掛けてお話ししてくれたりお茶を淹れてくれたり、最近ではコルネリウス様の講義もあったりするから。とても退屈だなんて思えませんよ。
皆様が構ってくれますし、家事もある。時間が余ればこの家には魔術書以外にも様々な本がありますのでそれを読んだり、数少ない特技でもある刺繍をしたりと、特につまらないと感じる事はないのです。
少なくとも、実家で過ごしていた頃より居心地も良くて楽しい日々を送っています。
「ええと、慣れてるから大丈夫ですよ。実家でも家に居るのが基本でしたから。私が外に出掛けると、あまり家族に良い顔はされないので」
基本的にとろ臭くてその上普通死に絶えるであろう大きな傷を負って何故か生きている私は、家族から腫れ物扱いされていたし、というか邪魔者だったのです。
商家の娘なのに計算は遅く人付き合いも苦手、三女だから家を継ぐ訳でもない、かといって傷があるから嫁の貰い手も居ない。非常に厄介な物件だったのではないでしょうか。
だから与えられたお部屋でひっそり大人しくしているのが一番波風立てないで平和で、私も気味悪がられるよりずっとマシだったのです。幸い、売られたり追い出されたりはありませんでしたから。
ロルフ様とのご縁がなければ今頃どうなっていたのかと想像すると恐ろしいのですが、今は充分幸せなので実家での事はあまり考えないようにはしているのです。
そんな訳で私が家に居るのは実家での習慣が染み付いているのもあるのですが、ロルフ様はそれを知ってか知らずか、渋い顔……というか、若干、怒っていらっしゃるような。
「えっ、あの、大丈夫ですよ。そんなに辛くなかったですし、そもそも私もあまり人目に付きたくなかったというか、都合良かったのです。ご、穀潰しだったのは否定しませんけど……」
私自身他人が苦手でしたし、家に居る事が悪い事だなんて思ってません。ただ飯食らいの私を抱えた父様母様にとっては、頭が痛かったのでしょうけど。
なので、婚姻の申し出は両親にとって願ってもない事だったと思います。喜んで送り出しましたから。……仕方ないとはいえ、少し悲しいものもありましたけど。
ロルフ様は心配してくださったのかもしれませんが、私としては全然大丈夫です。慣れてますし、寧ろ好都合だったのですから。
そういうつもりで平気だと言ったつもりなのですが、ロルフ様はますます眉を寄せてしまうのです。
「……お前の両親に一度ちゃんと会ってみたいものだな」
「あ、あの、大丈夫ですよ? その、私も悪いので……それに、兄姉も多かったですし、末子な上不出来な私を可愛がるとかは元々なかったですから。ロルフ様が、お、怒るとか……しなくても大丈夫です」
「怒ってなどいない」
「ご、ごめんなさい、ロルフ様が私の為に怒るなんて言ってしまって……おこがましいですよね」
「だから何故そこで卑屈になるのだお前は」
ロルフ様に注意されてびくりと肩を震わせてしまったのですが、ロルフ様はそんな私を見て溜め息とも言い難い重めの吐息を零します。
「……訂正する。怒ってはいないが、お前の今までの環境を考えるの苦いものがある」
「そ、そんな、ロルフ様が気にする事では」
「そうだな。だから、私はお前を返すつもりはない」
「え?」
「実家に戻らなければお前が粗末に扱われる事もないだろう。返さなければ気にする必要もない」
……返すつもりがない、って……ロルフ様は、私に執着をしてくれて、いるのですね。
それが魔力の性質なのか、私自身なのか……願わくば両者が嬉しいですけど、それを期待してしまうのは我が儘でしょう。でも、ロルフ様は私の事を、大切にしてくれているのだけは、間違いがありません。
「それとも、実家に帰りたいだろうか」
「いっ、いえ! ロルフ様と一緒に居たいです……っ」
「なら、実家は気にする事はない。うちを実家だと思っておけ」
「……はいっ」
……どうしましょう、とても、嬉しい。
ロルフ様も、ちゃんと家族の一員として認めてくれていたのだと、改めて分かって……。私の居場所は此処にあるんだ、そう思わせてくれるのが、とても嬉しくて仕方ありません。
側に居ても、良いんだ。
ロルフ様の言葉はじんわりと胸に染み込んで、温もりを巡らせていく。
どうしたら、この喜びをロルフ様に伝えられるでしょうか。
「ロルフ様、ありがとうございます」
「……礼を言われる事でもないと思うのだが」
「いえ、本当に、嬉しいので」
「……家族なら一緒に居て当たり前だと思うのだが」
「家族と思って頂けた事が嬉しいです。側に居ても良いって、凄く嬉しいです」
「……私は何だと思われていたのだ? 追い払ったり追い出したりする程非情な人間ではないのだが……」
「そ、そこは疑ってませんから」
違うのです、ただ、家族だからって側に居ていい顔をされない事なんて沢山あったから、余計にロルフ様の言葉が嬉しいのです。
そう呟くと、ロルフ様は急に難しい顔をして考え込むように顎に手を添えては「よくそんな家庭でこう育ったな」と何故か頭を撫でられました。……私にとっては当たり前の事だったのですが、ロルフ様には違うみたいです。
そうですよね、アマーリエ様もホルスト様も、優しい方ですから。両親のような利益主義という訳でもありませんし……ああいう温かい家庭って、凄く憧れで。
だからこそ、その家族の一員にして頂けたのは、とても嬉しいし、有り難いのです。
「……お前を見ていると、色々考えさせられるな」
小さな呟きに、その色々とは何だろう……とは思ったものの、ロルフ様がそれ以上口を開く事もなかったので、私もただ黙っておく事にしました。
手は、今まで以上に強く繋がれています。




