旦那様に注ぐのは光と涙
結果として、本当に簡潔に申しますと、誠に残念ながら、私は魔術を使えませんでした。
取り敢えず基本的な四大属性である火水土風、派生の氷と雷まで試してみたのですが……もう何というか、全く結果が出ないのです。
幾度となく書き写し目で見て覚えた術式を思い浮かべて教わった通りに魔力を通したにも関わらず、駄目だった。
コルネリウス様の用意したコップに水一滴も注げなかったし、コルネリウス様が用意した水を温くする事もままならず、土を隆起させる事も出来なければそよ風を吹かす事すら出来ませんでした。言わずもがな、水を冷やす事もささやかな電気を起こす事も出来ません。幾度繰り返しても、結果は変わりませんでした。
もう此所まで来ると才能がないのではと笑えてくるのですが、眉を下げて笑うとコルネリウス様が慌てて「まだ悲観するのは早いから」とかロルフ様が「泣かずとも可能性はあるぞ」と慰めてくるので、余程酷い顔をしているのかもしれません。
大丈夫です、泣いてないです。正直こうなる事を予想していなかった訳ではないので。使えるんじゃないかと期待こそしていましたが、やっぱり私には荷が重すぎたみたいです。
「エルちゃんの術式記憶に不備があった? いやそれは何度もテストしてるからない筈だし」
「魔力が通っていない訳でもないと思うのですが。少なくとも、滞っているようなものは感じませんでした。あくまで外部からの感覚ですが……」
「魔力が足りなかったという訳でもなさそうなんだけど……まさか本当に魔術を使えない性質とか……? でも結論付けるにはまだ材料が足りないし、もしそうだったとしてもそれはあまりにも……」
私を気遣ってか、二人は小声で議論しているのですが、流石に聞こえます。
……この様子だと、私は本当に魔術を使えないのかもしれません。覚えた術式を思い浮かべて必死に試すのに、何一つ起こらない。コルネリウス様やロルフ様に助けて貰った時間も、時間を見つけては勉強に励んだ事も、全て水泡に帰すのでしょうか
それも、仕方ない事なのかもしれませんけど……それでも、ロルフ様と同じ世界を見て、分かち合ってみたかった。出来る事なら、もっと役に立ちたかったのに。
「エルネスタ、手を貸せ」
「え?」
「手を握ったまま、もう一度魔術を使ってくれないか。流れを確かめたい」
それで原因が特定出来るか、私には分からないのですが……ロルフ様が言うならと手を握って、躊躇いつつももう一度魔術を発動させようと式を思い描きます。
目に見えて分かりやすく、小規模なら殆ど危険性のない氷属性の術式を選択しては魔力を注ぎ込み……そして、式が完成して漸く現実の法則へと影響しようとして……不発に終わります。
……やっぱり発動しません。式が間違っている、とは思わないのですが。
「……術式自体は間違っていないとは思う。となると感覚の問題か? 取り敢えず式に通して発動するまでの感覚に慣れがないのかもしれんな。私が試すから、その感覚を感じ取ってくれ」
失敗した理由を考えては改善してくれようとするロルフ様には、本当に感謝の気持ちで一杯です。
ロルフ様は手を繋いだまま、少し意識を魔術へと集中させます。手を繋いだ場所から、何となくですが魔力の流れも感じて……。
「良いか、感覚を覚えてくれ。……いくぞ」
ロルフ様が実践してくれるのだから、ちゃんと感じ取らなくては。
そう思いロルフ様の魔力に私の魔力を重ねるように繋げて、感覚だけでも理解させて貰おうと魔力の流れに神経を尖らせます。一度理解してしまえば使えるのかも、しれません。なんて、淡い期待ですが。
ロルフ様も私の考えを理解しているのか、感じ取れるように幾分ゆっくりとした流れで術式に魔力を通していき、そして完成したのを見計らって発動させて……。
ごす、と、そんな音。
音の意味が分からず一瞬固まってしまったのですが、その音の意味は直ぐに目の前の光景によって理解させられます。
「……おい、ロルフ。こんな大きいの出してどうするんだ」
ロルフ様は、私と同じ氷魔術を使った筈です。そして、それは正しい。
ですが、想定外だったのは、その氷が人程の大きさを持って庭の地面に突き刺さっている事でしょうか。
これにはコルネリウス様も驚いたようで、突如庭に現れた氷柱を眺めては犯人に呆れたような声を投げています。
私の隣のロルフ様は、ただ突き刺さり冷気を放つ氷塊に視線を移しては渋い顔。
「……違う、私は掌大の物を出そうとしたし魔力はそれだけしか使っていないです。……エルネスタ、何をした?」
「え? ……えと、その、流れを感じようと、ロルフ様に……」
「確かにお前の魔力は感じた。だが、これは……」
現れる筈がなかったサイズの、氷柱。
しかしそれは私達に存在を示すよう、日光を照り返しては冷気と共に主張してきます。
何故、意図せぬ規模の魔術が……?
「……ああ、そういう事か」
首を傾げるというよりは想定外で怪訝な顔をするしかなかった私達ですが、黙考の後、ロルフ様は合点がいったと言わんばかりの声。
「だからお前自身は魔術を使えないのか」
「……つ、使えない、のですか……?」
「恐らく、お前の魔力自体は魔術に適さないんだ。だからこその干渉能力のようだ。魔力の性質がそもそも魔術を撃つ事に向いていないのだろう」
「……魔術が使えない魔力、ですか」
「あくまでお前の魔力は、他者への影響しか出来ない。魔力自体を底上げする事、そして、直接術者に介入して魔術の威力を増大させる事が出来るのだと思う。だからこそ先程の魔術の威力は意図しないものとなったし、私自身の消費は変わらなかった。つまりエルネスタの魔力はあくまで増幅能力が主で……いや待てよ、あくまで魔力増幅などは性質の一つで、本来は他者への干渉なら……いや待て、増幅自体が先に来て干渉能力は結果的に付随されたものか……?」
「あ、あの、ロルフ様」
どんどん饒舌に、というか私に語りかけているのか独り言なのかすら分からなくなってきました。
「兄上、光属性のものをエルネスタに教えていますか」
「……一応は教えてるけど……まさか」
「あれは基本的に生命力に干渉しているものでしょう。もしエルネスタの魔力の干渉能力が魔力だけでなく生命力にも及ぼすならば、応用も効くかもしれない。思えばエルネスタが魔力を得たとおぼしききっかけからして、有り得なくもないと思うのです。魔力とは生命力のようなものです、生き残る為に増幅させようとしていたなら、もしや」
ちらり、と私を見るロルフ様。
……私が魔力を得たであろう、一つのきっかけ。
大きな傷を負い、そしてその傷によって生存本能が働き、魔力に目覚めた。ロルフ様はその魔力によって生き長らえたと考えているのでしょうが……そもそも、何故魔力によって生き長らえたか。
もしかしたら、自身に対し無意識に、生命力を増幅させていたから……?
「問題は発動したとして魔力増幅のように私だけにしか効果がないのか、私以外にそれが効果が現れるかどうかという問題なのだが、これは後に試してみれば良い。兎に角、検証してみないと仮説がどうなるか分からない。ひとまずは、仮説が正しいかだ」
一つ咳払いをしたロルフ様は、真剣な表情で私の手を改めて握り直します。
「エルネスタ、ちょっと使ってみてくれないか」
「……ひ、光属性、ですか。覚えては、いますけど、光属性を扱えるのは稀有なのですよね……?」
「お前が使えないとも限らないだろう、ならば試してみてくれ」
結果が目に見えて分かる属性の魔術しか使っていないですが、一応、理論だけは光魔術……つまり治癒術の事も、理解しています。
けれど、光魔術を使えるというのは稀な事だと聞かされ、私も使える訳がないと最初から可能性を除外していました。そもそも他の比較的容易な魔術すら使えないのに、治癒という他者への干渉が出来る訳がないと思っていたのです。
でも、ロルフ様はやけに確信を持ったように、私に治癒術を望むのです。……その期待には応えたいと思うけれど、私が出来るのかという不安、そして、治癒対象がないから、どうして良いのか分かりません。
「ああ、治すものがないな、ならばこれで良いだろうか」
ロルフ様も私の考えている事が分かったのでしょう。使う相手が居ない、と。
だから、ロルフ様は一度手を離して片腕の袖を捲り、指の軽い一振り。それだけで、あまり日に焼けていない、けれど不健康ではない程度の色合いの肌が切れて、そこからとろりと赤色の液体が滲んで。
……は、と息を詰まらせると、まるでそれを合図としたかのように、たらたらと腕の形に沿うように赤色が流れていくのです。白い肌に生々しく映える紅は、止まる事なく流れては地面を一滴、二滴、と次々に斑にしていく。
膝から崩れそうになって、それでも堪えて震える体のままにロルフ様の傷を凝視して。
「思ったよりも出たな。まあ治せなくても直ぐに治るから大丈夫だぞ」
「……、……っ、」
……何で、こんな事。私の為? 違う、私のせい。私の力を確かめる為に、ロルフ様はこんな事をして……傷付いた。傷付けた。
一気に流れ込んでくる様々な感情に、脳を直接揺さぶられるような、感覚。立っていられなくなりそうで、でも崩れ落ちる訳にもいきません。ロルフ様を治さなきゃ、私のせいで、わざわざ怪我をして……っ!
最早反射に近い反応でロルフ様の傷口に手を翳して、一ヶ月詰め込み続けた術式の中で、尤も縁がないだろうと思っていた、人を癒すという魔術よりも難度の高い術式を記憶から引き出します。
これまでずっと繰り返し覚え続けてきた術式は、鮮明に思い浮かぶ。ロルフ様を助けなくては、その一心が要らないものを全て排除して、思考は驚く程クリアになって、やるべき事、そしてどうしたら良いかが直ぐに頭の中に浮かびます。
何もなかったように、傷付く前の肌に。傷なんてなかった、あの傷はあるべきではない。……傷付く前の肌に、戻れば良い。
その一心で術式に魔力を流し込んで、元通りになれと念じて……。
そして、堅く目を閉じて祈ると、掌に温かな感覚。
陽光に手を翳したように、柔らかく穏やかな温もりが、掌全体に現れて。
ゆっくりと目を開けると血の流れは止まっていて、私は袖が汚れる事も構わずにその血を拭うと、願った通り何事もなかったかのように、時を巻き戻したかのように、変わらぬ肌があるのです。
その事実を確認して、虚脱感と安堵感が混じった脱力感が体を襲い、ふらついた所でロルフ様に受け止められました。
僅かに鉄の匂いがしたけれど、それは紛れもなくロルフ様の香りで……安心感が湧くと同時に、内側から燃えるような、感情も湧き出るのです。
どうして、あんな事をしたのか。理屈は分かるけど、そうじゃないんです。何で、あんな危ない事をしたの。どうして、痛かった筈なのに、何で……っ!
「……やはり想像は正しかったか。これでまたお前の魔力が一つ説明、」
「……ろ、るふさまの、ばかっ!」
そして昂った感情は、抑えきれる筈もなく、口から勝手に零れ出ます。駄目だと理性が制止するよりも先に溢れてしまって、もう、止められない。
ロルフ様は私の口から罵倒が出て来てしまった事に大層驚いているようでしたが、私の顔を見ては体を硬直させます。抱き付いたまま顔を上げ、鋭く視線を走らせて睨み付けると……ロルフ様は、とても居心地悪そうな表情に変わりました。
「何でこんな事するんですか! 怪我したら痛いのに!」
「い、いや、私の体なのだからお前が気にする事では」
「気にしますっ、ロルフ様のばか! こんな事してまで自分の事なんて知りたくありません! ロルフ様が私の為に傷付くくらいなら魔術なんて使えなくたって良いのに……っ!」
じわりと視界が滲んで、勝手に熱が目尻から零れていきます。
それが涙だと気付いたのは少し後で、でも止められっこなくて、ただロルフ様の胸元に縋り付いては顔をくしゃりと歪め、自分でも酷い顔だと思いながらもロルフ様に咎める視線を送り続けます。
怒るのは身勝手だと分かっていても、止められない。私のせいで怪我させたという事が悔しくて、そんな手段を取ったロルフ様に、そして取らせてしまった自分に、憤っているのです。
ロルフ様が怪我するくらいなら私は魔術なんて要りません、私はロルフ様に傷付いて貰う為に、魔術を学んだのではないのです。結果的には役に立つどころか逆に迷惑をかけて、怪我までさせてしまって。
それが、何よりも嫌で仕方ない。
「……なーかせた」
「あ、兄上」
「これはロルフが悪いからね。よりによってエルちゃんに、目の前で自身を傷付ける所見せて治させるってどうかと思うのだけど」
「し、しかし、あれが一番手っ取り早く」
「そういう問題じゃないからね。……ロルフ、責任取って泣き止ませなよ。自業自得だからね」
様子を見ていたコルネリウス様は、私が涙を落とし続けるのを見ては同情的な声。
ぎゅうっとロルフ様の胸の辺りの布地を掴んで行き場のない感情に耐える私に「存分に怒って良いよ。この馬鹿は魔術に関しては本当になりふり構わないから、一回本気で止めないと繰り返すだろうし」と言って、この場を去っていきました。
取り残された私達。ロルフ様は、とてもおろおろと私を見ては眉を下げるのです。それが困惑だとは、分かるけれど……自分のした事に問題があるとは思っていない、気がして。
「……ロルフ様のばか、ばか……」
「す、すまない」
「もし治せなかったら、どうするつもりだったんですかっ! 使えるか分からないのに何で傷付こうとするんですか!」
「それは放っておけば」
「……ロルフ様のばか……っ」
分かってません、ロルフ様の馬鹿。もし加減に失敗して、もっと大きな傷になってしまったらどうするつもりだったんですか。放っておいても治らない傷だったらどうするつもりだったんですか。治せない程のものだったらどうするつもりだったんですか。治せなかったら、放置するなんて、そんなの駄目です。
ぐずぐずと鼻を鳴らして目元を擦っていると、とても狼狽えたようなロルフ様。泣き濡れた頬のままに見上げると、思いきり眉を下げて罪悪感で一杯の顔が視界に写ります。
「わ、分かった、私が悪かった。二度とこのような真似はしないから、泣き止んでくれ」
「……本当にですか……?」
「約束する」
「……約束、破りませんか?」
「約束するし破らないから、泣き止んでくれ。お前の泣き顔は見たくないのだ」
まだ止まらない涙を、目尻に口付けて掬い取っていくロルフ様は、嘘をついている様子もありません。そもそも、ロルフ様は正直で嘘はつかない方なので、約束したら守って下さるでしょう。
「……ロルフ様が泣かせたのです」
「そうだ、私が悪かった。……もうこんな真似はしない」
だから、泣かないでくれ。
静かに、そして優しく囁かれて、私はロルフ様の胸元に顔を埋めて涙と嗚咽が止まるまで、ただロルフ様の厚意に甘えてそのまま抱き締めて貰い続けました。




