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旦那様はずるいです

 コルネリウス様には「ロルフは多分、自室のバルコニーから空でも見ているんじゃないのかな」という一言で、小走りでロルフ様のお姿を探します。


 外の空気を吸うなら外に行くと思ったのですが、コルネリウス様は「ロルフ様の自室」と断言したので、その言葉を信じて、ロルフ様のお部屋を訪れると……奥には普段カーテンで隠されている場所が開かれ、小さなバルコニーが見えています。

 そして、手すりに体重を掛けるように、ロルフ様が寄り掛かっていて。


「……ロルフ様」


 夫婦とはいえ勝手にロルフ様の寝室に入って良いものか悩みましたが、踏み出さない事には始まらないので、散乱する資料を避けながら、バルコニーに近付きます。

 当然、扉の音と足音、声まで掛けているので私が部屋に入った事も当然気付いているでしょう。ロルフ様は、振り返りはしなかったものの、僅かに肩を揺らしました。


「一人にしろと言ったのが分からないのか」

「……ご、ごめんなさい……」


 思ったよりも強張った声が返ってきて、堪らず身を縮めてしまって。

 どうしましょう、やっぱりそっとしておいた方が良かったのかな、なんて少しばかりの後悔をして……それから、遅れてロルフ様が振り返った事に、気付きます。


 ロルフ様の鋭い鳶色の眼差しに射抜かれ、体が縮み上がっては怒られるのではないかという恐怖に震えてしまって。

 そんな私に、今度はロルフ様が慌てたように視線を和らげては眉を下げて、少し困ったような顔を作り上げるのです。


「……すまない、当たってしまった。お前は悪くない、怖がらないでくれ」

「い、いえ……」


 怯える小動物にも等しい私の姿が哀れになったのでしょう、ロルフ様は先程の声が嘘のような、角を取って柔らかくしたような優しい声で私を宥めます。……私が宥められてどうするのでしょうか、苛立っていたのは、ロルフ様なのに。


 遠慮がちにロルフ様を見ると、ロルフ様はコルネリウス様と会話していた時のような、明確な渋面ではありません。寧ろ、此方を気遣うようにほんのりと窺うような眼差しを送ってきていました。

 ……私が思っているより、ロルフ様は怒ってないみたいです。……で、でも、コルネリウス様に言われた事を実行するには、ちょっと躊躇いがあるというか。


「……ろ、ロルフ様、その、お願いが、あるのですが」

「何だ」

「あ、頭を……な、撫でて、下さい」


 やはり一度逡巡したものの、意を決してどもりながらも小さな『おねだり』をすると……ロルフ様は面食らったように、綺麗な鳶色の双眸を、見開いて。


「……さっき兄上に撫でられただろう」

「……そ、それはそうなのですが……私は、ロルフ様が、良いです」


 とても恥ずかしい事を言わされている自覚はあるのですが、頭を撫でてというのは指示であっても、ロルフ様が良いというのは、あくまで私の意思です。


 コルネリウス様の撫で方は子供をあやすようで、それでいて甘えさせるように優しいもの。……コルネリウス様の方が撫で方はお上手ですけど、それでも私は……たどたどしくて、少し乱暴でも確かめるように触れる、ロルフ様の方が良いのです。

 私にとって、ロルフ様が触れるのが、一番嬉しいから。


 そんな気持ちを眼差しに込めて、少し離れた位置から懇願するようにロルフ様を見詰めると……ふっと、和らぐ表情。


「……此方においで」


 いつになく優しく甘い響きに一瞬身を強張らせたものの、乞われるままにロルフ様の所まで歩み寄って……そして、ロルフ様の手に引かれ、いとも簡単に腕の中に収まるのです。

 私からすれば大きな体にすっぽりとくるまれ、それから密着するように、空気の隙間すら許さないように、私をぴったりと抱き締め離しません。顔は胸に埋める形となっているのですが……いつもより少しだけ、ロルフ様の鼓動が早い気がする、なんて……きっと、気のせいです。


「これがしっくりくるな」

「は、はい……」


 どうやら、ロルフ様にとってこの触れ方が一番、お気に入りみたいです。

 此処から頭をなぜり。

 手付きは、いつもより慎重で、優しい。壊れやすい細工物に触れるような、そんな躊躇いさえあるような、そっと柔らかな触れ方。普段するような、無遠慮とも言えるものとは、全く違うのです。


 変化が顕著で、そして唐突過ぎて、何でこんなにもロルフ様が優しいのか分かりません。……少なくとも、機嫌が戻ったのは分かりますけど。寧ろ上機嫌です。


「……あ、の。その……ロルフ様」

「何だ?」

「何で、そんなに……その、苛立ってらっしゃったの、ですか」

「……そう言われてもな、自分でも分からない。ただ、兄上がお前に触るのは、癪に障った」


 どうしたのだろうな、と他人事のように呟くロルフ様なのですが、……今、ロルフ様、とんでもない事を言った気がしたのですが。

 ……コルネリウス様が、私に触るのは、嫌だ。それはまるで、……ロルフ様が、コルネリウス様に嫉妬したみたいだ、なんて。な、何て、ある筈がないですよね。だって、たかが撫でられたぐらいですし、今までそんな事なかったのですから。


 でも、あの時の……コルネリウス様を見る顔は、とても、面白くなさそうで。あれが、その、妬いた……とかだったら、説明はつくのですけど。い、いけませんよね、こんな思い上がりも甚だしい。

 ……でも、問うくらい、バチは当たりませんよね……?


「……し、嫉妬、……とかでは、ないですよね……?」

「嫉妬……か」

「その、う、自惚れてすみません。妬いたりとか、ないですよね」


 恐る恐る見上げたら真顔のロルフ様が居て、やっぱり言わない方がと後悔です。

 それでも、ロルフ様は不愉快そうという訳ではなくて、ただ、考え込むようにじっと此方を見ては抱擁を強くします。


「……妬いたらどうなるのだ?」

「えっ? ど、どうなると言われましても……」

「そもそも妬くという感情が分からない」


 ……そ、そこからですか、ロルフ様。

 研究第一であんまり人付き合いをして来なかったと伺っていますが、その弊害が今とても分かりやすい形でまた一つ顕現しましたよ。……嫉妬を知らない、なんて。


 普通、誰しも少なからず覚える感情の筈なのです。

 それが、恋愛感情でなくても……そう、たとえば、自分よりも優秀な人が居れば、その才能を羨んだり。身近にコルネリウス様が居るのですから、その感情が生まれてもおかしくはなかったのに。

 ……もしかして、ロルフ様はなりふり構わず前を見て研究ばかりしていたから、他人の事なんか気にしなかったのかも、しれませんけど。


「え、ええと……やっぱり良いです、説明してたらとても恥ずかしいし自惚れなので……!」

「気になるのだが」

「い、良いです、気にしなくて」

「……気になるのだが」


 じいっと、見られて……そのまま黙っておける程、私の心は強くないと言いますか。


「う、えっと……嫉妬っていうのは、色々種類がありますけど……こう、胸がモヤモヤいらいらする、とか……」

「……モヤモヤか」

「は、はい」

「……そうか」


 どう説明して良いのかも分からなくて随分と曖昧なものになってしまい、聞いたロルフ様は微妙に眉を寄せては「ふむ」と一言だけ。

 そしてそれから沈黙が訪れてしまって、何とも居た堪れないのです。さ、流石に、私のせいで妬いたりとか、ないですよね。妬く理由がないですし。


「……ご、ごめんなさい、とても自惚れだと私でも思います……」

「……嫉妬は」

「え?」

「嫉妬というのは、駄目な事なのだろうか」

「だ、駄目……とかは、思わないですけど、過度なのは、お互いに良くないと思います」


 嫉妬して、周り全てを敵視して手に納めんと相手を束縛するのは、お互いにとって良くないです。でも、ほんの少しの嫉妬は、相手の気持ちが自分に向いているのだと確認出来るから、それまで否定するつもりはありません。


「……ではこの感情を嫉妬と仮定して、この感情は許される程度のものなのだろうか」

「……ゆ、許すも何も、誰も怒ってないと思うのですけど……」

「そうか。どちらにせよ、お前が側に居ればそんな事も起こらないだろうから問題ない」

「えっ」


 ……本当に、妬いていた……なんて、まさか、ないですよね?

 そして、それ以上に……私が側に居たら妬く(仮)事なんて起こらない、って。い、一緒に居て欲しい、という事なのでしょうか。ロルフ様がそういう事を言うのは、魔力増幅の為、ですよね?

 好意的に思ってくれていても、それはあくまで、研究対象として、そして一緒に暮らす家族……として、な筈なのです。嫉妬する要素なんて、ありはしない筈なのに。


 じゃあどうして、こんなにも、ロルフ様は……私に、拘ってくれるのでしょうか。


「……どうした?」

「い、いえ、何でもないですっ」


 不思議そうなロルフ様には首を振って、そのままロルフ様の胸元に顔を埋めて顔に表れた感情ごと覆い隠します。


 ロルフ様は無意識に思わせ振りな言葉を吐いて、どきどきさせて、ずるい。ただ一緒に暮らすだけの存在なのに。 私の事を好いてくれる筈がないのに。そんな事一言も言わないから、有り得ないのに。


 希望だけちらつかされて、私はロルフ様の掌の上でくるくると踊ってしまうのです。本人が意図してなくたって、いつも私はロルフ様に転がされているのです。受け身も取れないまま、ころころずっと転がされて、胸が痛い。

 ロルフ様に近付けば近付く程、胸が焦がされる。


 後ろ向きに考えてしまえばちくんと痛む胸に、私は静かに痛みを奥に押し留めては、今だけは期待に浸ってしまえとロルフ様にくっついたまま瞳を閉じました。

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