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おにいちゃんのお節介

基本的にエルネスタの一人称でお話は進みますが今回は三人称です。

 コルネリウスにとって、弟の嫁であるエルネスタは、貴重な存在だった。


 古代魔術の研究に腐心し、日々研究に明け暮れる弟に出来た、妻という存在。一人として想いを通わせる事なく特定の相手を作る事のなかったコルネリウスにとって、妻という存在はとても珍しく、そして異質な物だったのだ。




 式の為だけに他国から呼び戻されて帰って来た彼が初めてエルネスタを見た時は、これから弟夫婦は上手くやっていけるのだろうかと心配した。

 弟のロルフは妻に興味を抱かず、式ですらただ与えられた役割をこなしているに過ぎなかったからである。その横で肌を出さないドレスを身に纏う、まだ成人して間もないであろう幼さの残る少女は寂しげに瞳を伏せていたのだから、コルネリウスの心配も尤もだろう。


 ロルフは、女が苦手だ。

 かといってそれは男好きに走らせるという訳でもない。そもそも人嫌いの気があったロルフは、余程認めた相手でなければ側には置かない。家柄や血、そしてその容姿に目が眩んで近付いてくる人間が大の苦手なのだ。自分を馬鹿にしてくる人間ならば、余計に。


 母であるアマーリエに認められたらしいその少女がロルフの事を貶したりわざわざ取り入ろうとするとは思えなかったが、人嫌いのロルフが妻となった少女にどう接するか、式の態度を見れば自明の理。

 コルネリウスは正式に家に帰った時の冷えきった空気を想像しては、溜め息を零した。




 しかし、その想像は良い意味で裏切られた。


 家に帰って初めて会った、弟の妻は、決して暗い表情はしていなかった。あの時見た、寂しそうな顔をした花嫁はそこには居なかったのだ。それどころか、無愛想な弟の本質を見抜いて慕うような表情を見せてすらいる。


 これはコルネリウスにとっても、そしてロルフにとっても僥倖でしかなかった。

 ロルフ自身が、エルネスタの事を気に入っているような素振りを見せたのだから。


 ロルフの人嫌いをよく知っているコルネリウスにとって、エルネスタの存在はそれだけで重要なものとなった。今まで他者を寄せ付けなかったあのロルフが、自ら触れてほのかに執着までしている節を見せたのだから、それも当然だろう。

 あのロルフが、女嫌いでどんな美女にも靡こうとしなかったあのロルフが、自ら触れる事を望んだのだから。


 それは、ロルフが変わる兆しだった。


 それからロルフがエルネスタに拘る理由を聞いて呆れたり感心したりしたものの、結局ロルフ自身がエルネスタを気に入っているのだとも分かったから、コルネリウスとしては安堵するしかない。

 長らく人を寄せ付けずに居た漸く弟に春が訪れるかもしれない、そう考えれば切っ掛けなんて些細なもので、これからゆっくりと弟の胸に灯った想いを育んでいったら良いだろう、そう思ったのだ。あの穏やかで心優しい少女と、時間をかけてでも愛し合ってくれたら、そう期待したのだ。


「ロルフ、ちょっとそこに座りなさい」


 が、流石にその相手に対する態度にいただけないものがあったので、コルネリウスは女心を一つも分かっていない弟を自室へと呼び出した。


 コルネリウスに呼び出される覚えが本人としてはなかったのだろう、ロルフは実に不思議そうな顔をして素直に出頭してきた。その様子にコルネリウスは頭を抱えそうになったものの、自分がしっかりせねばロルフは指摘した所で頓珍漢な考えに至りそうなので、改めて気を持ち直す。


 何故呼び出したのかちっとも分かっていなさそうなロルフを一人がけのソファに座らせ、それから自分はその目の前に立って見下ろす立ち位置に。威圧感を与えるくらいがこの鈍い弟に丁度良いのだ。


「呼び出して何の用ですか、兄上」

「色々聞きたい事があるんだよ。とても大切な事なんだ」

「……何ですか?」


 真剣な顔をして問えば、当然ロルフも真剣な顔に。

 そういう素直な所は好ましいが、コルネリウスの表情を読めるなら何故エルネスタの表情から感情を察せないのか甚だ疑問である。エルネスタは、見るからに悄気ていたというのに。


 しかし、ロルフに察しろというのも無理があった事も、分かっている。絶望的なまでに女心に鈍いのも、エルネスタ自体がその感情を口にしようとしないのも理解している。だからこそ、どうしようもなく二人は擦れ違っているのだが。


 正直呼び出して説教をかます事もお節介なのではと思ったものの、ロルフには一度自分の心と向き合って貰うべきだと思い直し、そのまま真面目に此方を見上げるロルフに視線を返す。


「私から聞くのも卑怯だと思うし、正直聞いていいのかも分からないんだが……ロルフは、エルちゃんの事をどう思っているのかな」

「エルネスタ、ですか?」

「ああ。エルちゃんもお前と接するようになって結構経っただろう? どう思う?」


 いきなり好きかと聞かれても困るだろうし、かといって先程の事を叱った所でロルフには理解出来ないだろう。頭は良い癖に他人の思考は考える事が出来ないという典型例である。

 ならば今ロルフにとってエルネスタはどういう存在なのか、そう聞くのが筋であろう。


「どう、と言われましても……何とも……」

「真面目に答える気あんのかお前」

「……兄上、口調」

「おっといけね」


 いつもの柔らかい口調が取れてしまった事には頬を掻いて反省……した振り。

 普段こそ穏やかで且つ軽い言動をしているが、コルネリウス自体は見た目の優男のような風貌と軽薄な言動に反して結構に情に厚く、そして何も知らないエルネスタが思うより口も荒かったりする。


「……で、本当に何にも思わないのかい?」

「どう思っている、と言われましても、そのどうの意味が分からないので答えようがないのですが」

「面倒臭いな君は。全部私に言わせるのか」

「兄上が抽象的な質問をするのも悪いかと」

「頼むから全部言わせるな」


 どうして言いたい事を察してくれないんだ、とコルネリウスは再び頭を抱えそうになったものの、堪えては非常に鈍い弟に視線を送る。


「……あー、じゃあこうしよう。ロルフはエルちゃんの事、好きか嫌いかで言えば?」

「……好きか嫌いか、ですか。好ましいとは思いますが」


 よし、と内心拳を握ったコルネリウス。

 そこは自覚しているのだな、と安堵したのは良いものの、果たしてこのドが付く程疎く、そして恋愛感情については幼いと言える弟がそれ以上の感情を抱けて理解出来るか、といった不安もよぎる。


 弟は、ちゃんと好きという感情を理解出来るのだろうか。というかそもそも性欲があるかどうか心配なレベルで研究一筋にロルフは生きてきたので、コルネリウスとしては好きという感情を自覚出来るかすら危ういとすら思っていたりする。


「じゃあキスしたいとか思うか?」

「それはまあ」

「そ、そうか、それなら……」

「エルネスタと口付けると、とても魔力が増えるのです。効率的で、」

「お前がそんなだからエルちゃんが常に自信持てないんだろうがこの馬鹿!」


 絶対にそれを本人に言っているだろう、と堪らず目の前にあった頭をついはたいてしまったコルネリウスは、今度こそ弟の鈍さに比喩表現でなく頭を抱える羽目となった。


 世界の何処に、自分の妻に「研究に効率が良いからキスしたい」と宣う夫が居るだろうか。そんな事を言われれば確実に妻であるエルネスタは拒むだろうし、その後一人気弱そうな笑みを泣き笑いにするのも想像が付く。

 あまり長い期間過ごした訳ではないが、普段の言動からエルネスタがどう考えるかくらいは分かる。だからこそ、エルネスタには同情もするしロルフを叱ったりするのだが。


「兄上、暴力に訴えるのは止めて下さい」

「君は口で言っても分からないやつだからな」

「分かりますよ失礼な。何故、エルネスタが自信を持てないのですか」


 分かってねえ、と思わず小さく呟いてしまったコルネリウスは、頭を掻きながら頓珍漢な、しかし真面目なロルフを見ては深く溜め息をついた。


「それを私の口から言うのは卑怯だと思うから言えないんだよ。本来は鈍いお前が自分で気付くべき事だ」


 答えを言ってしまうのは簡単だろう。

 だが、それを言うにはエルネスタ自身の許可が要る。あくまでお節介でロルフに諫言しているのであり、エルネスタはこのように知らないところで言われる事を望まない筈だ。寧ろ全て言えば何故言ったのですか、と咎められる事だろう。


 それに、エルネスタの自信がないのは、エルネスタ本人が抱える問題と、ロルフ自身の鈍さと無遠慮さが合わさったせいである。片方が解決したところで綺麗に結び付く訳でもない。

 きっかけにはなるかもしれないが、正直なところロルフは残念な鈍さでエルネスタは奥手で引っ込み思案。そう簡単には上手くいかないだろうとすら予想していた。


 期待はするが過度な期待は禁物。

 女心を理解しろというのも厳しいロルフにはそういう評価しか出来なかったのだが、意外な事に、ロルフはコルネリウスの言葉に少し困ったように眉を下げたのだ。


「……エルネスタは、いつも頼りなさそうで控え目に笑います。明るい顔をした方が、似合うのに」

「……こればかりは本人の気質だからどうしようもね」

「それは、自信がないからでしょうか」

「そうだろうね」

「何故自信を持てないのですか。あれ程稀有な能力があるならもっと胸を張っても良いと思うのですが……」

「……君がそんなだからいつまで経ってもあの子が心から笑えないんだよ」


 ロルフが気に掛けているのは、分かる。

 けれど、能力だけ見られれば、エルネスタ本人が自信を持つ日など来ないだろう。全て能力ありきで見られてると思ってしまうのだから。

 ロルフ自身がエルネスタ自身の事を好ましく思い肯定しなければ、エルネスタはあのまま能力で求められていると思ったままだろう。


「……私のせいだと言うのですか」

「君のせいだけじゃないね。環境と、そもそもエルちゃん自体にも問題を抱えてるからややこしい事になってんだよ。取り敢えず言えるのは、ロルフが変わらないとエルちゃん自体は変われないよ。心に刻み込まれてるからね」


 コルネリウスも、アマーリエから聞いている、エルネスタ自身のコンプレックス。

 体に抱えた傷と、実家での扱いからくる、自己評価の低さ。そこから来る「こんな私だから愛される筈がない」という固定観念がロルフの鈍さと嫌な方向で噛み合ってしまい、今に至るのだ。


 それをどうにかしようと思うなら、まずロルフからその固定観念を打ち砕かないとならないのだが……当分期待出来そうにないな、というのがコルネリウスの評価だった。

 少なくとも、今のままだったら。妻として、いや女として意識していないこの状態だったならば。


「……どう、変われば良いのですか」

「自分で考えなよそれくらい。女心が分からないロルフ君」

「分からないから聞いてるんですが」

「自分で追い求める努力をなさい。……といっても、君はそれだけだと辿り着けなさそうだから、助言はするよ」


 エルネスタに肩入れしすぎなのも自覚はしていたものの、結局は弟の幸せの為だから仕方ないだろう。

 答えを言ってしまうと二人の為にならないので、コルネリウスは暫し考えた後、慎重に言葉を選んではロルフに一つのアドバイスを落とす。


「エルちゃんは過剰に自分を下に見る傾向がある。それは分かるね?」

「……はい」

「それが何でなのか、考えてご覧よ」

「何でなのか……」

「何故エルちゃんが卑屈なのか。そこを考えれば、ロルフがするべき事も分かるんじゃないのかな」


 コルネリウスがアマーリエから聞いたように、ロルフ自体もエルネスタの体や家での扱いをそれとなく知っているだろう。エルネスタが実家での事を言うとは思わないし恐らくある程度は隠している筈だ。何事もなかったように、いつもの儚い笑顔を浮かべて。


 そこから来る歪んだ部分に気付けたなら、正面から受け入れる事が出来たなら、きっと上手くいくだろう。ロルフが傷を気にするなど、コルネリウスにはとても思えない。ぶっちゃけロルフはあまり容貌の美しさに価値を見出だしていないのだから。


「まあそれくらいかな。……今回はロルフがエルちゃんを悪く思ってないと確認出来たから良いか」


 思わず漏れた本音だったが、それに反応したのは少し眉を寄せたロルフ。


「何故私がエルネスタを嫌わねばならないのですか。エルネスタは確かに卑屈かもしれませんし自信がないように見えますけど、悪い娘ではないです。寧ろ性根は真っ直ぐだ。私の研究に嫌とも一言も言わずに付き合ってくれる、私の夢を馬鹿にしない、珍しくて心優しい娘です。悪く思う訳がないでしょう」

「……何でそれをエルちゃんに直接言わないんだ……っ」


 こいつは馬鹿か、何故その褒め言葉を本人に言わない。呆れ果てて物が言えない。


 取り敢えず言われなくてはロルフの評価など知る由もないであろうエルネスタに同情したコルネリウスは、明らかに賛辞の出し所を間違えた弟の頭を数発はたいておいた。


「痛いです」

「……はー。……ロルフ、君はそれなりにエルちゃんが好きなんだよね?」


 最早世話のかかりすぎる弟に頭痛でも起こるのではないかと心配したコルネリウスだったが、何とかそれだけは聞いておきたい。

 間違いなく、好意的には思っている。それが異性のものかは別として。異性として好きだったなら話は早いのだが、ロルフだからそれは期待していなかったりする。


「好ましいとは思っています」

「こう、さ。……可愛いとか、抱き締めたいとかもっと色々したいとか、ない訳?」


 隣に年頃の少女……とはいっても成人(十五歳)はしているが、そんな若々しく可愛らしい妻が居て、好きに触れても良いという状態にも関わらず、ロルフは異性として意識はしていないらしい。嘆かわしい、とコルネリウスが実際に嘆く程だ。


 エルネスタは目を瞠るような見掛けではないが、あどけない容貌は可愛らしいし、成長すればもっと綺麗になるような少女だ。俯きがちでおどおどとした様子がやや暗い雰囲気を出しているが、自信を持って本来の笑顔を取り戻したなら、さぞ輝く子だろう。

 だからこそ現状はとても勿体ないし、早く心からの笑顔を引き出してやれと、コルネリウスはロルフに念じているのだが。


「……可愛い、ですか。確かにエルネスタはどちらかといえば幼い顔立ちなので、可愛い分類に入るのではないでしょうか。抱き締めたい、というのは毎日抱き締めてるので……」

「……そこはしっかり触ってるんだね」

「柔らかくて良い匂いがして触り心地が良いですから。体は腕に収まる程小さいのに、どこも柔らかくて抱き締め心地は良いです」


 しれっと、無意識にのろけ擬きを披露したロルフを一瞬どつこうかと思ったコルネリウスは何とかこらえ、少し唇を噛み締める。


 自分が特定の相手を作る事を避けてきたとはいえ、弟に結婚を先にされ、恐らく本人は無自覚というか気にせず可愛らしい年下の嫁さんと触れ合っている、というのは何というか男として負けた気分である。応援するのとは別でちょっと悔しかったりするのだ。

 肝心のロルフの心が伴っていない事がエルネスタにとって災難ではあるが。


「自慢か」

「何故自慢しなければならないのですか。普通の事でしょう」

「……そうだよね、私の嫁はこんなにも可愛いんだぞとかそういう感情はないよね君には」

「エルネスタを見せびらかすのは自殺行為です。能力を知られても困るので」


 違う、そうじゃないんだ、とは思ったものの、ロルフに突っ込みを入れるのも今更だったので、コルネリウスは黙る事にしておいた。決して可愛らしい奥さんに触れ放題なロルフが羨ましかったからではない。


 ひとまずロルフには注意をしておいた、後は本人次第だろう……そう考えて、招いた時より頭が重たさを感じているのを自覚しつつ、コルネリウスはロルフを追い払う事にした。

 呼び出しておいて帰れと言うのも悪かったが、ロルフのせいで幾分か疲れてしまったので、もう早く戻ってエルちゃんを抱き締めてこいよ……という指示を出したのだ。ロルフは訳が分からなそうながらも頷いたので、恐らく数分後にはエルネスタが戸惑う事だろう。


 はあ、と溜め息をつきつつ背中を向けるロルフを眺めるコルネリウスだが、ふと、ロルフが扉を開けた時に振り返るので、首を傾げる。


 まだ何か気になる事があるのだろうか、そう思って口を開こうとした所、先に唇を動かしたのはロルフの方だった。


「エルネスタですが、抱き締めた時に見せる恥じらいの表情は、悪くないと思います」

「……は」

「あれを見るのは私だけで良いとは、思います」


 それだけ去り際に言って、ロルフは扉の向こうに背を消した。


「……何だかんだかなり気に入って、拙いながらも独占欲持ってるんじゃないか」


 取り残されたコルネリウスは、ちょっと弟の事が分からなくなった。

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