旦那様、私は一杯一杯です
研究に付き合う、というのがどういう事か分かりませんでしたが、私のせいで壊れてしまったというならば私が責任を持って旦那様の研究に役に立たねばなりません。
……旦那様は怒ってはいないようで、寧ろ、ほんのり上機嫌に見えるのは気のせいでしょうか。
「……あの、旦那様。私は何をすれば宜しいのでしょうか……?」
私に出来る事ならなんなりと、と肩を縮めて恐る恐る窺うのですが、旦那様はその一言に難しい顔。
「何を、と言われると難しいな。そもそも壊れる要因は物理的なものでなく、恐らく魔術的な物であったと考えられる。だがお前は魔力こそあるが、微弱だ。お前程度の魔力で壊れるとは全く思わないのだが、しかしあれは魔力反応があり、何かの現象が起こり壊れたものだと推測している。魔力過多なら崩壊するが、真っ二つとなるとまた魔力過多による物質の耐用魔力量の限界突破の変形や発熱、崩壊いずれとも違うから、」
「あ、あの、難しい事を言われると、その、分からないのですが……」
「簡潔に言うと、魔力による現象で割れたものだとは分かるが、何故起こったか見当が付かないからお前を調べたい、と言っている」
「研究に付き合えというのは……?」
「お前の体を調べてみるのが手っ取り早そうだ」
……成る程、つまり私はあの石を壊してしまったせいで観察対象兼研究対象になった、という事ですか。
何というか、旦那様らしい気がします。私自身に興味を抱いた訳ではなくて、私が起こしたらしい事に興味があるから、その為に肉体を調べたい、という事ですよね?
「体を調べる……というのは、その、体にナイフを入れたりとか……」
「人間を切り刻む程悪趣味ではないし、した所で詳しく調べる設備もない。単に、あの現象を再現出来るか実験したり、意図的に現象を引き起こせるかという事を確認するだけだ」
私を何だと思っている、と不服そうな旦那様の視線が刺さり、堪らず「申し訳ありません」と声が尻すぼみになりながらも謝罪すると、旦那様は嘆息。
旦那様はあまり感情表現が豊かではないのですが、今は呆れ、に近い感情を抱いている、らしいです。
余計な事を喋ると旦那様の御不興を買ってしまいそうで、私は旦那様の視線を受けて縮こまるのみです。それに、あまり旦那様と話した事がないから、何を話せばよいのか分かりません。
ちらりと顔色を窺うと、まさかの旦那様も同じように此方に視線を向けています。ただ、観察する……というか、検分するような眼差し。私の顔をじろりと見て、私が思わず身を竦ませると眉根を寄せては別の場所の観察に移っているみたいです。
動くな、という事なのでしょうか。取り敢えず大人しく視線を受け止めて瞳を閉じては旦那様の探求欲が落ち着くまで待機するのですが、ふと、しっかりした感触が掌に触れて。
「……こうして触れてみる分に、特に変わった様子はないのだが……本当に心当たりはないのか」
自分の心臓の安寧の為にもゆっくりと瞳に仕事をさせると、旦那様が私の掌を持ち上げて、片手は軽く包んでもう片手は指先を確かめるように摘まんでいました。
旦那様が、私に触れているのです。
「だ、旦那様……?」
初めて、旦那様自ら私に触れたのです。いえ、先程の石破壊事件の時もありますので二度目になりますが、旦那様が私に自分の意思で触れるなんて。
結婚してから一切私とは接触しようとせず、お姿だけ見掛けていた時からは、考えられない事。私も自ら声を掛けたり、況してや触れようとなんて考えなかったのに……あっさりと、触れてきて。
感触を刻み込むように細かく指をにぎにぎとしては「特に変わったもののない指だな」と当たり前の感想を口にする旦那様。
……旦那様の掌は、男性の硬さがある、大きなもの。逞しくはありませんが比較的長身ではある旦那様は、掌もやはり男性らしくて……触れられると、どきどきしてしまいます。
傷のせいであまり人と、特に男性とは関わる事のなかった私にとって、幾ら結婚しているとはいえ、こうして手を握られるというのは、心臓によろしくありません。
先程からどきどきと胸の奥が平常より早い鼓動を刻んでいて、身体中に巡る血管その物が熱くなったような錯覚すら覚えてしまいます。大袈裟かもしれませんが、とても綺麗な、それも名義上ではありますが旦那様に触られるという事が、私には良くも悪くも負担になってしまうのです。
「……顔が赤いが、熱でも出たのか。先程の後遺症が出てきたのかもしれないな。まず流れる魔力の変移と熱を計って……」
こんな時でもマイペースな旦那様は、私の頬に表れた赤みを先程の現象のせいだと勘繰ったらしく、旦那様は私の額に自分のものをくっつけて、熱を比べています。
ぷしゅう、と気の抜けたような音がしたのは、気のせいではないでしょう。
「……おい? エルネスタ?」
私に蒸気口があれば勢いよく湯気が出ていたでしょう。
急接近に、今日の色々な出来事による衝撃も重なって、私の頭が沸騰しまい……冷却を欲した頭は、私の思考を中断させてしまったのです。
最後に、戸惑う旦那様が視界の端に見えて……ご迷惑ばかりかけて申し訳ないという気持ちが一瞬だけ浮かんでは、それも白い光に呑まれていきました。