女嫌いの理由
「エル、良いか?」
ロルフ様のお休みの日は基本的にロルフ様は研究室にこもる事が多いのですが、私が怪我をしてしまったからこの休みは私に付きっきりでした。
けど怪我も治り明日から仕事という事で、ロルフ様も私にずっと引っ付いていなくても大丈夫です、と進言したのですが……午後のロルフ様も、私と一緒に居る事を選ばれました。
「何ですか、ロルフ様」
「確かめたい事があるのだが……」
「私に出来る事があればなんなりと。どうしましたか?」
まだ心配なのか私に付き添うロルフ様に何とも言えない擽ったさを感じつつ、ロルフ様の気になる事を問い掛けると、ロルフ様は此方を見ては少し考えるような仕草。
「エルは、本当に魔術が使えないのだろうか」
そして、告げられた言葉に私は言葉を詰まらせてしまいます。
魔術を使えるか否か。
これは、魔導師にとって非常に重要な事です。自分の配偶者に才能がなければ、生まれてくる子の才能が危ぶまれるからです。幸いな事に私は別の才能を見出だされ、そのままロルフ様のお側に置いて貰っていますが……。
私が魔術を使えるかと言えば、恐らく限りなく否に近いです。
そもそも魔術がどういったものか理解していませんし、魔力も魔導師のように満ち溢れてはいません。魔術を行使出来る程、内側にエネルギーがないと思うのです。
そもそもあったなら、私も大きくなってから一度見てもらった時に才能があると言われるかと思います。それがなかったから、私は自分でも才能がないと思っているのですが……。
「残念ながら、魔術を使う程の魔力がないと思うのですが……」
「いや、なくはないんだ。そう捨てたものではないのだぞ。ただ、お前の魔力の波動は特徴的でな、普通扱うのに向く属性がある筈なんだが、それがないようだ。……それが全ての魔術に適性がないという事なのか、分からない。それを確かめたいんだ」
私の魔力には、普通人にある筈の得意属性の傾向……言ってしまえば癖がないそうです。測定石で測った時も、普通は色となって表れる筈が何にも出なかったのです。
魔力がない訳ではないけれど、何に向いているのか分からない。色で例えるなら透明なのだろう、そう言われてしまいました。
その透明は、全ての色を弾くのか、それとも全ての色に染まりやすいのか、それがロルフ様には気になるみたいです。
「……でも、魔術なんて使い方が分からないですし……」
「簡単な魔術であれば、私が教えれば使えなくもないだろう。魔術を使おうとする事が大事なのだ、魔力の反応を見たいからな」
「は、はい……」
ロルフ様は、やる気満々です。つまり、これは決定事項、という事なのでしょう。
本当に出来るのかと不安になりながらも、私はロルフ様に促されるままに魔術のお勉強をする事になりました。
「では初歩の初歩でいこう。失敗しても良いように、安全なものからだな。術式は簡易式で良いか。エル、この紙に描かれている式を覚えてくれ」
暫くロルフ様がお部屋から居なくなり、帰って来たと思ったら一枚の紙を手渡して来ます。
これが何なのか、流石に分かりはするのですが……この描かれている内容についてはさっぱり分かりません。二重円の中に幾何学的な模様が描かれ、所々線に沿うように明らかにこの国の公用語ではなさそうな言語で単語が添えられていたり。
これで簡易式、というのですから簡略化していないものはどれだけ情報が詰め込まれているのかと恐ろしくなります。
「……これが簡易ですか」
「本来もっと細かいのだが、今回は魔導師を志す者のスタート地点として結果を出す事を優先したものを選んだ。大丈夫だ、これくらいならお前でも覚えられる筈だ」
ロルフ様の期待が大き過ぎて応えられる気がしません。いえ、やる前から諦めるのは良くないので、努力は致しますが……。
「……ロルフ様は、もっと細かいものを覚えているのですね」
「ん? ああ、魔導師は多重術式の魔術を使えて当然だからな。式も一つのこれは息をするようなものだぞ」
「……が、頑張ります……」
ロルフ様の頭には何が詰まっているのか。きっと私には理解の及ばないものだらけなのでしょう。
これが簡単と言えるロルフ様は、多分、いえ絶対に天才と呼ばれる部類の方です。天才な上に努力を欠かさないロルフ様は魔導師の鑑なのだと思いますが、その基準を凡庸以下の私に適用されても困ると言いますか……。
……私、ロルフ様の期待に応えられない気がしてきましたよ……?
努力は、しました。ロルフ様の為なら、とロルフ様に意味を聞きながら理解をしようと必死に術式の意味を捉え頭に刻み込もうと頑張りました。
けど、一朝一夕でどうにかなるなんて甘いものではなかったのです。
数時間ロルフ様の指導の下頑張ってみましたが、進歩という進歩が見られません。そもそも魔導師にとっての魔術言語自体理解していないので、術式に含まれる指示語などの意味から分からないのです。
こんな時に自分の理解力のなさとどんくささが呪わしくなります。ただでさえあまり頭は良くないのに、発想力すらないのですから。
羞恥とは別の意味で頭から湯気が出そうな勢いの私を気遣ってくれたらしいロルフ様、少し心配そうに此方を覗き込んで来ます。
「……休憩するか? 今すぐ魔術を使えるようになるとは思っていなかったし、何も今日中に使えなくても良いのだが」
「が、頑張ります……」
「……無理はしなくて良い。お前は頭を使う作業が苦手なのだな」
いえ、確かにそうですから否定は出来ませんけども。
ロルフ様と違って頭の出来も悪いですし、回転も遅いですから。実家でも計算とか苦手で怒られた挙げ句見放されましたから。
本当に、役に立たない女なのです、私は。
けどロルフ様に言われると衝撃もひとしおというか、かなり凹みます。
そりゃあ、ロルフ様は何でもこなしちゃう頭の良い方ですから、それに比べれば私は馬鹿でしかないのですが……。
「ば、馬鹿にしたとかそういう訳ではないのだぞ? お前はただ、時間をかけて理解していくタイプなのだと……」
「……はい」
ロルフ様のフォローが身に染みます。
でも時間かけても理解出来る気がしないのです、ロルフ様。本当にこれ入門編なのでしょうか。単語の意味や模様の意味からしてちんぷんかんぷんなのですが。そこから習うような初心者コースはないのでしょうか。
肩を落として不甲斐なさを痛感する私に、ロルフ様は少し狼狽えたご様子。いえ、ロルフ様が悪い訳ではないのですよ、私の理解力がないだけで……。
そもそも魔術の名家に嫁ぐのであれば、もっと勉強しておくべきだったのです。自分の不勉強さをロルフ様のせいにしてはなりません。私が至らなかっただけなのです。
「はは、エルちゃんは魔術の勉強かい?」
はあ、と不甲斐なさに大きな溜め息をついた私なのですが、その瞬間に扉が開いてコルネリウス様が平然と入ってきます。
……ノックなしというのもどうかと思うのですが、もしかしたらコルネリウス様はロルフ様のしたい事を察知して訪ねてきてくれたのかもしれません。
「コルネリウス様」
「やあエルちゃん、難航気味みたいだね。ロルフの過酷な教えに追い付けないかい?」
「そこまで厳しくしてませんが」
「君は他人にも自分の基準を当て嵌めがちだからね。エルちゃんは初心者なんだからゆっくり教えてあげなよ」
……コルネリウス様が天から差し伸べられた救いの手のように見えてしまいます。いえ、ロルフ様の教えが悪い訳じゃなく私の理解力の問題なのですけど……。
「急にどうしたんだい、魔術なんて」
「エルネスタに魔術を使わせて魔力の反応を見ようと思って」
「成る程ねえ」
ロルフ様に与えられた参考書の前でうんうん唸る私を見て肩を竦めるコルネリウス様。心なしか同情的な眼差しです。
「石には反応しなかったので、何に適性を持っているのかも分からないのです。性質としては増幅、とだけ」
「増幅、ね。試してみないと分からないけど、あんまり魔術そのものを撃つのには向いてないんじゃないかな」
「それは思ったのですが……調査するにも検証しなくては」
「まあ私には増幅を体感した事がないのだけど……魔力の増幅なら、そもそも他者の魔力に介入しているという事だね。なら、その性質は覆しようがないと思うんだよね。その魔力の性質が他者の魔力に影響を及ぼし、自分には無効という事なら、そもそも自身の内側で構築する魔術も意味をなさないのではないかな。少なくとも攻撃的な物は使えないと思うのだけど……」
「それも考えたのですが……やはり検証しなくては分からないかと思って」
二人は何だか難しいお話をしていますが、取り敢えずロルフ様としては魔術を覚えさせて試したいという事です。……覚えられても何も成果を残せず結果として使えないというものだけ残ったら、本当にこれ徒労ですよね……頑張りますけど。
「まあ検証するのは良いんだけど、素人のエルちゃんに直ぐに直ぐ魔術を覚えろってのも無理があると思うんだよね」
「それは承知しています。だから、時間をかけて覚えてもらおうと」
「……ロルフ、エルちゃんの性格を考えてご覧? ロルフの為なら、って無理して覚えようとすると思わないかい?」
「……う」
ちらり、と此方を見たコルネリウス様は、何でそこまで見抜いているのでしょうか。
いえ、ロルフ様には分からないようにするつもりだったのです。ロルフ様に心配をかけるのも申し訳なかったですし、私が出来ないのですから出来るまではちゃんと習得に励まなければ、期待を持って教えて下さるロルフ様に悪いですし……。
指摘は正しかったのですが、出来れば言わないで欲しかった。ああほら、ロルフ様がちょっと申し訳なさそうな顔をしてしまいました。
「……エルネスタ、無理だけはするな。魔術は難しいし、最初は一人でするものでもない」
「君は勝手に練習してたけどねえ」
「兄上だってそうでしょう」
「まあそうだけど」
やはり、幼い頃から魔術に触れた来たお二方は自分で学んで実践しているのですね。誰かに教えて貰って学ぶような私とは大違いです。
「……まあ一人で無理させるのも悪いし、暫く暇な私が面倒を見るよ」
「い、良いのですか……?」
「うん、暇だし」
それで良いのですかコルネリウス様。
「兄上、そろそろ働くなり番を見付けるなりしないと母上が怒りますよ」
「番って……動物じゃないんだから。やっぱりちゃんと相手探しはしたいよね?」
「え、ええと」
……私は、ロルフ様が良いから、その、現状で満足しているのですが……。決められた結婚とはいえ、私は貰ってくれたロルフ様にとても感謝していますし、ロルフ様の事をお慕いしています。真っ直ぐで綺麗な志を持った、ロルフ様を。
言い淀んだ理由を分かっているらしいコルネリウス様は「おっといけない」とわざとらしく肩を竦め、おどけるような笑み。
「はは、返答に困るかな。エルちゃんは今で良いもんね」
ロルフ様の前ではからかわないで欲しいのに……コルネリウス様は意地悪です。
「私も今で良いですよ」
「え?」
今、何て?
ぽかん、と口を開けて固まってしまった私。ロルフ様は何て事のなさそうな表情。
「エルネスタは一々私に何かしようとして来ません。それだけでも充分ありがたいですし、媚を売らないから気楽です。結婚前に家柄と魔力に寄ってきた女は、視界の端にうろつかれて本当に邪魔でしたから」
……あ、そういう事ですか。そうですよね、……邪魔じゃないから、丁度良いんですよね。
別に側に居たいとか、そういうものじゃないですよね。
「ま、まあ、ほら、今までロルフに近付いてくるのはその血が欲しい子達ばかりだからね」
「正直近付いてきて研究の邪魔をしてくる女は邪魔です、目障りですし。今でも結婚したのに疑ったり愛人でも良いからだの、邪魔な事この上ないのです」
「ま、まあまあ、そんな事言わないの。ほら、エルちゃんはそんな事ないだろう?」
「そんな事をする人間なら側に置きません」
コルネリウス様は必死にフォローして下さっているのですが、ロルフ様の言葉一つ一つが胸に突き刺さります。
私に言われた訳じゃないと分かっていても、もしかしたらロルフ様の気を害していたら、と思ってしまって。
……ロルフ様は、構われるのがお嫌い、なのですね。私も気を付けなくては。ロルフ様の邪魔になったり、気を煩わせる事のないようにしなくては。ロルフ様の研究室とかにお邪魔しても駄目ですよね、研究の邪魔をしてしまいますし……。
「……ロルフ、ちょーっとお茶を淹れてきてくれるかな?」
思考が沈みかけた私を気にしたのか、コルネリウス様は急に笑顔を作ってはロルフ様の肩を掴み、にこっと視線で行ってこいと促します。
席を外せ、と言外に言っているようですが、ロルフ様には伝わってませんよコルネリウス様。何で私が、という顔をロルフ様がしてらっしゃいます。
「あ、わ、私が行きますから」
「私はロルフが淹れたお茶が飲みたいんだ。良いね?」
「よ、よく分かりませんが、分かりました。期待はしないで下さいね」
コルネリウス様の笑顔に気圧されたらしいロルフ様、あんまり意味を分かっていなさそうですが頷いてお部屋を出ていかれました。
二人になったところで、コルネリウス様の深い溜め息。
「あー、エルちゃん? あれは気にしなくて良いから。ロルフ、ちょっと面倒な女の子に付き纏われたり色々あって、ほんと、辟易してるんだ。さっき女って言ったけど、研究を邪魔するなら男女関係なく鬱陶しがるから」
「だ、大丈夫ですよ。分かってます」
「そうかい?」
私の事を気に掛けて下さっているのは明確なので、私は心配をかけてしまったのだと自分の態度に反省しつつ、ロルフ様の事を思い出しては細く溜め息。
……ロルフ様、綺麗で家柄も良くて優秀な魔導師だから、言い寄られるのも当たり前ですよね。そんな中私が妻の座に収まったのが異例なのです。
もしこれで私がロルフ様に積極的に話し掛けたものなら、きっと私は鬱陶しがられて遠ざけられていたでしょう。そもそも、結婚当初は存在を殆ど無視されていましたから。興味のきの字もなかったですし。
そう考えれば進歩ではありますが、これ以上はロルフ様の干渉されたくない領域になるかもしれません。気をつけなくては、ロルフ様の気分を害してしまいます。
「兎に角、私もロルフ様の邪魔をしないように気を付けます」
「や、ロルフはエルちゃんの事を邪険に扱ったりはしないから」
「分かっていますけど、邪魔になるのは嫌ですから……」
「邪魔だなんて思ったりしないから大丈夫だよ」
「そうだと良いのですけど」
そもそも、私がロルフ様のお休みの日の貴重なお時間を奪うのは邪魔ではないのでしょうか。ロルフ様はそんな事言いませんけど、……もしかしたら、面倒臭がっているかもしれないですよね。妻のご機嫌取りをしているだけかもしれませんし。
「それにほら、邪魔に思うなら一緒に寝たり過ごしたりしないから」
「……ロルフ様が一緒に過ごしてくれるのは、この身に宿る魔力のお陰です。それくらい分からない程馬鹿ではありませんよ。偶々、私が持っていた魔力のお陰で、お側に置いて貰ってるだけですから。現に、最初は私なんかに興味を示さなかったでしょう?」
たとえ邪魔だと思われていなくても、私の側に居るのは魔力の恩恵を受ける為です。触れるのは、魔力を増やす為。ロルフ様だって、そう仰いました。
詰まる所、ロルフ様は私の魔力に価値を見出だしていて、私は付属物みたいなものなんじゃないかな、と思っています。
勿論私の中身も見て下さっているのでしょうが、あくまでロルフ様にとってはこの身に宿る魔力の方が優先事項です。
だから、私達はコルネリウス様の思うような、甘い関係ではないのです。弟夫妻が愛し合っていないのはコルネリウス様にとって辛いのかもしれませんが、こればかりはどうしようもないですし……。
「……ロルフのあほ……」
「そんな事はありません。そもそも、そうなるのは当たり前ですよ、コルネリウス様。ロルフ様にとって、私は親に宛がわれた妻ってだけですから」
好きで結婚した訳ではないのです、だから、優しく接してくれて、比較的好意的に思って頂けるだけでも、充分に私は幸せ者です。
コルネリウス様が心配するような事はありませんよ、と微笑んで、私は立ち上がります。
もう、脚は痛くない、一人で立てます。ロルフ様に甘えてばかりではいられません。
「私、ロルフ様のお手伝いしてきますね。ロルフ様、お茶淹れるの苦手みたいですから」
「エルちゃん」
「大丈夫です。私、今のままで幸せなんですよ、コルネリウス様。ロルフ様、優しいですから。いつまでも甘えていたいくらいです」
ロルフ様のお役に立てればそれで良いのです。高望みなんてしては、叶わなかった時が辛いですから。
固まってしまったコルネリウス様にそれだけ言って、私は部屋を後にします。ロルフ様は、きっとお茶を上手く入れられなくて戸惑っているでしょう。別に私は気にしてなかったから、コルネリウス様も私に任せて下されば良かったのに。
困ったように一人で笑って、私はキッチンに向かいました。
ロルフ様を手伝って淹れたお茶は、酷く苦かったように、思えます。




