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女心は難しいそうです

 ……ロルフ様に、キスされた。正しくは、口移しされた。


 意識が半ば朦朧とした状態でされていたから、その時は理解をしていませんでしたし何ら問題とは思っていなかったのですが……何をされたか、正確に理解してからは、ベッドをのたうち回りそうな衝動に駆られる羽目になりまはさた。

 はしたないと分かっているので暴れたりはしないものの、その分羞恥が内側に留められぐるぐると胸の奥でとぐろを巻いては占拠するので堪ったものではありません。


 そう、あ、あれはただ薬を飲ませたかっただけ、つまり治療に準ずるものなのです。ロルフ様にとってあれには何ら意味はありません。私だけ意識してどうするのですか、ただの唇の触れ合いを……ううう。


「……エル、寝ていなくて良いのか」


 上半身を起こしたまま頭を抱えていると、トレイを手にしたロルフ様が戻ってきます。

 トレイの上には、温かそうなスープ。病み上がりの私を気遣ってくれたのか、アマーリエ様が作って下さったであろう朝食は、とろみのあるスープです。わざわざ朝からコーンポタージュを作って下さるなんて。


 とてもありがたく、気持ちも温かくなるのですが……そ、それよりも、ロルフ様のき、キスの方がですね、気になるというか。

 でも、聞くのは恥ずかしすぎて……。


 ロルフ様は私がちらちら様子を窺っている事には気付いているらしく不思議そうな顔はしていましたが、特にそれ以上の変化はありません。気にせずスープを差し出しては「食べられそうか?」と聞いてくるので、ロルフ様はやっぱりこういう感情の機微には疎いのですよね。


 ううむ、と少し唸ってしまったものの、ふわりと鼻先を擽るほんのり甘い香りに食欲を刺激され、取り敢えずロルフ様へのこの何とも言い難い感情の整理は後回しにして体に栄養を与える事にしました。


 頂きます、と言ってスープマグを受け取ろうとしたのですが……先にとスプーンを握ろうとしては力が入らず危うく落としそうになって、ロルフ様に回収されてしまいます。

 ……半日寝込んだだけなのに、こんなに衰えているなんて。いえ、多分ロルフ様に握られ続けて居たからまだ微妙に力が入らないというか。


「……大丈夫か?」

「い、いえ、大丈夫です、その、偶々で……」

「偶々でスプーンを落とす訳がないだろう。貸せ」


 貸せ、というよりは先にロルフ様が回収していたのですが、ひとまず受け取る事を諦めてロルフ様の動向を見守れば、ロルフ様はスープマグを手にしたまま私の側に来るようにベッドに上がって。


「口を開けろ」


 実に端的に、命令形で私に指示を出すのです。

 反射的に口を開けると、ロルフ様はそのままスープマグごと私の口に近付けて、スプーンでとろりとした不透明の淡い黄色のスープを掬い、そのまま口に突っ込みます。


 舌に広がるのは、甘さの強いとうもろこしの味。手間を掛けて作ってくれているのは分かりますし、流石アマーリエ様というお味なのですが、そういう問題ではなくてですね。


 何故、ロルフ様に食べさせられているのでしょうか。


「……どうだ?」

「お、美味しい、です」

「そうか。母上も喜ぶ」


 ほ、と安堵した表情のロルフ様に見とれてしまって、ついぽかんと口を開けたままの私。それを催促だと思ったらしく、次の一口を注がれて、何も出来ません。

 ……ロルフ様に、あーんされている、とか、考えただけで恥ずかしいのですが……っ。


 少し物申したくても味を楽しんで飲み込んでは口を開けたら、またスプーンで流し込まれるのです。う、とロルフ様を見上げると……き、気のせいか何だか楽しそうな気がするのですが……!? 面白がってませんか!?


 最早鳥の餌付け状態と化しているのは分かっているのですが、厚意なので断ったりなどは出来ません。ロルフ様がしたくてしているならそれで……と思ってしまった私が居ます。


「美味しかったか?」


 問い掛けに、美味しかったのは確かなのでこくこくと頷くと、頭を撫でられます。……とても、子供扱いされている気がするのですが……?


 私の一口一口が小さいのを知っているロルフ様は少しずつ食べさせてくれたので噎せたりする事はありませんでしたが、思ったよりも時間がかかってしまいました。

 労るというよりはあやすように頭をぽんぽんするロルフ様。いつもより、ゆっくりとした時間が流れています。休日の分を取り戻すかのように。


 ……あれ?


「……あ、あのですね、ロルフ様」

「なんだ?」

「お、お仕事はどうなさったのでしょうか」


 その、当たり前なのですが、ロルフ様は忙しく、休日もあまり取りません。私が居るからちゃんと週一では家で休む期間を設けているのですが、それでも普通の人よりは少ないです。家でも研究してるから、尚更。

 ……昨日は、休日。休日の翌日は、当然お仕事の日です。それなのに、ロルフ様は何故この時間も家に居てゆったりしているのでしょうか。


「今日、お仕事では……」

「ああ、休んだ」

「休ん……へっ!?」


 さらりと言われた言葉に唖然としたのは、仕方のない事だと思います。

 あの、ロルフ様が。研究ばかりしているロルフ様が。まず研究優先するロルフ様が。


「脚を挫いたから不自由しているだろう。私が世話をしようと思ってな」

「ろ、ロルフ様が心血注いでいた仕事を、や、休む……!?」


 確かに脚を挫いてしまったので、足首を回そうとすると痛いです。でも、別に折ったとかそこまででもないですし、大人しくしておけば一週間もしない内に治ると思わしきもので。

 だから、ロルフ様もそんなに気にしないというか、てっきり熱に気を取られて忘れていたものかと、ばかり。


 衝撃に目を白黒とさせる私に、ロルフ様は深々と溜め息。


「……如何に私が仕事だけだと思われていたか分かるな。確かに、今までは家庭を省みる事はなかったが……」

「い、いえ、その、本当に、驚いてしまって。だって、ロルフ様の生き甲斐ですよね……?」

「……仕事人間、というのは否定しないが、私とて血の通った人間だぞ。怪我人を放置してまで仕事をしようとは思わない」


 そこまで私は非情な人間に見えるのか、というやや途方に暮れたような呟きには全力で首を振って否定です。


「そうじゃなくて、私なんかに貴重な休みを割いて頂くのは……と、思って。その、自業自得ですし……」

「私が結局驚かせたのがそもそも悪かったと言っているだろう。あと、私はお前をお前なんかと蔑んだ覚えはない。お前はその癖を止めろ」

「で、でも……」

「私に責任があるし、私が悪いと言っているのだからそれで良いのだ。それと、私にとってのお前の価値を決めるのは私だ。良いな?」

「は、はい……」


 有無を言わさぬ口調だったのも、私の為なのでしょう。私がいつまでもうじうじしてるから、それを吹き飛ばすように、強く言ってくれたみたいです。

 その効果は抜群で、まだ残っていた罪悪感も掻き消されるように霧散しました。……代わりに、胸はじわりと熱を増やしてしまいましたけど。


 ロルフ様にとっての私の価値。きっと、それは研究対象としてのものなのでしょうけど……それでも、価値を見いだしてくれているのは、純粋に嬉しいです。側に居て良い理由があるのなら、嬉しい。


「分かったなら良い。……調子はどうだ?」


 ロルフ様の言葉を胸に刻みながら頷いた私に、ロルフ様は満足そうに鼻を鳴らして、頭をぽんぽんからの額に掌を当ててきます。

 半日とはいえ寝込んでしまったので、その辺りも気掛かりだったのでしょう。ロルフ様の目の前で泉に落ちましたからね。


「ね、熱はすっかり引きました」

「そうか、薬が効いたのだな」

「く、薬……あ、あの、ロルフ様」

「何だ」

「あ、あの時、ロルフ様、く、薬を……」

「ああ、口移ししたな。移らなかったが、治ったなら問題ないだろう」


 薬、という単語に過剰反応してしまったのですが、ロルフ様は平然としたお顔です。……唇を介しての薬液の投与、という認識なのでしょうね、間違いなく。


「……っ、ろ、ロルフ様、ああいう事するのは、その、初めて、とか」

「そうだが」

「はっ、初めてをあんな事に使っちゃ駄目です! 勿体ない!」


 いつかはロルフ様と、とは思っていましたけど、まさか口移しの為にするなんて。しかも、ロルフ様何とも思っていらっしゃらないようですし。

 ……そりゃあ、ロルフ様にとっては私は女性として思ってないのかもしれないですし、仕方ない事。

 特別なのは私にとってで、ロルフ様にとっては単なる医療行為のようなものです。この感情をロルフ様に共有して貰おうというのがそもそもの間違いだとは、分かっているのです、けど。


「勿体ないと言われても……ではお前は有効的な初めての使い方をしたのか?」

「……っ、……わ、私もあれが初めてでしたけど……っ」

「では痛み分けという形で良いのでは? そもそもどんな事をすれば有意義な初めてとやらになるのだ。お前にとって薬の摂取の補助で実に有効的なものだと思ったのだが」

「……もう良いです……」


 ロルフ様に言ってもご理解頂けないのは、承知しています。そして説明しても理解の範疇外だ、とか女とはややこしい生き物だな、という返事がくる事も経験で分かっているので、これ以上説明したりはしません。それこそ無意味ですので。

 初めての口付けくらい大切にしたかった、というのは私の身勝手な思いです。ロルフ様に強要してはなりません。


 ただ、いつの間にかされていた事に落胆を覚えてしまって吐息を零すと、ロルフ様は何だか微妙な顔。


「落胆するくらいならもう一度すればよいのではないか」

「しっ、しません!」


 やり直せるものでもありませんし、どちらにせよ機会は失われてしまったのです。それに、ロルフ様が私を乞い口付けるという事にはならないので、そもそも代わりになる事でもありません。


「そうか、口惜しいな」

「え?」

「実に柔らかくて触れ心地は良かったのだが。お前の唇は甘いのだな、薬の後の口直しになった」

「えっ、は、ええ……っ!?」

「それに、魔力増加が著しい。あれ程増えたのは想定外だった。もう一度試しても良いだろうか」


 何だか凄い事を言われた上にまた、き、キスしても良いかって……!?


「だっ、だだだだ駄目です! そ、そんなの駄目!」

「一度してしまえば何度しようが変わらないと思うのだが」

「変わります! 大いに変わりますから!」


 ロルフ様には何て事のないものなのでしょうが、私にとっては一大事なのです。

 幾ら抱き締められる事に慣れてきたからとはいえ、キス、は、そう簡単に出来るものでも軽々しくして良いものでもありません! 私達は、好き合っている訳でもないのに……っ。……自分で言ってて泣きそうになりますけど。


 勢いよく首と手を振って拒否のポーズを取る私に、ロルフ様は何だか名残惜しそう。それが、検証出来なかったから、というものなのは、言われなくとも分かります。


「そうか。……そんなに嫌なら良いのだが」

「い、嫌というかですね、羞恥とか、その他諸々が……。ロルフ様はもう少し女心を勉強した方が良いと思うのです」

「それは、指南書があるものなのだろうか」

「……ないと思います」

「なのに勉強をしろと言うのか」

「……いえ……良いです……」


 ……確かに、ロルフ様は明確な基準もないのに理解しろと言われても出来ないかと思います。恋愛をした事がないのに、女心と言われても、困りますよね。私も男心は分かりませんし……。


「分からないのだからどうしようもないだろう。私はお前を見て学ぶしかない。つまり何事も経験というものなのだ」

「そ、それは、そうですけど」

「そうだろう? だから、私を止めるなど出来まい」

「……そうですね」

「そうだ」


 やや自信ありげに断言するロルフ様に、私はこれからもロルフ様に振り回されるのだな、と予感めいたものを感じてしまうのですが、それが嫌ではない私が居てどうしたものかと小さく吐息を零しました。

 ……惚れた弱味というか、ロルフ様の事を拒める筈がないんですよね、私に。


「……程々にして下さいね」


 だから、私は希望を口にするだけにしておきました。

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