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旦那様と熱と一つの出来事

 帰還を急いだのか、来る時の半分の時間で屋敷に戻った私達。

 顔を真っ青にして毛布にくるまった状態の私がロルフ様に抱えられていたという状態を、出迎えたアマーリエ様が見て目を剥いてしまいます。それから凄い形相で問い詰めて来たので、私も思考が覚束ないながらもロルフ様は悪くない、と主張しておきました。

 ロルフ様は全部責任を被ろうとするのですが、そんなのは、駄目です。


 それから魔術で手早くお湯を浴槽に張って貰って、一人で入浴です。

 本当はアマーリエ様が付き添うと言い張ったのですが、どうしても……人には見られたくなかった。倒れるかもしれないと分かっていたのに自分の我が儘を優先してしまったのです。……ごめんなさいアマーリエ様、アマーリエ様にも、見せられないのです。


 何とか風呂場で失神する事はなくお風呂から上がり、しっかりと拭いて着替えたら湯冷めしない内にと待ち構えていたロルフ様にベッドまで搬送されてしまいました。

 水分も取って、ベッドに寝かされて。冷えきっていた体は温かくなったものの、寧ろそれ以上に熱くなっていました。きっと、冷えた体が熱を作ろうと過剰に反応してしまったのでしょう。

 

 はあ、と吐き出す息は熱くて、心臓はどっ、どっ、と強く、そして早く脈打っては全身にくまなく熱を広げていました。


「……エル、大丈夫か」


 旦那様もとても心配そうな声音。重たかった瞼に仕事をさせると、声音の通りの表情をしたロルフ様が、私の事を覗き込んでいます。

 大きな掌は額に乗せて私の熱を計っているようで、頬が引きつるように目の辺りを圧迫する形で吊り上がっていました。……ロルフ様の手ですら、ぬるいのは……相当に私が熱を溜め込んでいるのでしょう。


「……ろるふ、さま」


 図らずも甘えたような舌足らずになっているのは、熱で頭がぼーっとして、上手く言葉を紡げないから。

 触れた手の温もりすら、もう自分のものと区別が付かない程。私が急速にロルフ様に熱を移しては掌を温めているのです。先程とは、真逆。


「すまない。……私のせいだな」

「……そんなこと、ないです……」

「お前が風邪を引いてしまったのは、私のせいだ。……すまない」


 ロルフ様は、悪くないのに、な。


 けれどそれは言葉という形を取る事なく、ただ熱い息となって吐き出されるだけ。ひゅう、と掠れた息になってしまったのは、体が弱ったのと、罪悪感が私の胸を締め付けていくから。


 生々しい脈動を感じながらロルフ様を見上げるのですが、ロルフ様は私の力ない視線に悲しそうに眉を下げてしまわれます。ああ、心配させたかった訳ではないのに。


「……エル、他にして欲しい事は、ないだろうか」

「……ろるふ、さまに……?」

「ああ。私に出来る事なら、何でもしよう」


 せめて、心だけでも元気付けようとしてくれたのでしょう。

 気遣わしげな視線が降り注ぎ、そっと撫でるように額に貼り付いた前髪を払ってくれます。


 ……ロルフ様に、して欲しい事。


 そんなの恐れ多い、と普段の私が頭の中で喚くのですが、その私は熱の波に押し流されて、今溺れるように思考の海に漂うのは、一つの願い。

 本当なら、口にしてはならないもの。いつもなら、我が儘を言ってはならないと口に出す前に棄却するもの。


 でも、緩んだ思考が、熱で随分と鳴りを潜めた制止の意思を振り切って、口を衝いて出たのです。


「……ぎゅっとして……」


 目を丸くするロルフ様。

 自分でも驚く程に甘えたような声を出してしまって、後悔したのは一瞬。ロルフ様がとても柔らかい顔して私の頭を撫でてきたので、心地好さと許されたような感覚に後悔も何もかも吹き飛ばされてしまいます。


「……そうか。入るぞ」

「……ん」


 毛布にに隙間風が入って少し寒くて、それから次の瞬間にはぴとりと体にくっつくようにぬるくて引き締まったものが絡めるように抱き締めて来るのです。


 ふわりと香ったのは、いつも感じていた清潔感のある香り。毎日のように嗅いでいる筈なのに、いつもより、不思議と安心感が胸を撫でていきます。

 心なしか、鼓動も暴れるようなものから、とくとくと波が引いていくように落ち着いていって。


 そっと背中に手が回って、私の体はロルフ様とくっついて、熱を分かち合うようにぴとりと寄り添います。もう片手で私の熱を吸い取るように片手の掌を合わせて絡めては、小さく「すっかり温まったな」と一言。


「……ろるふさまのねつ、うつっちゃいましたね……ろるふさま、ぬるい……」

「そうだな……お前は、熱い」


 泉のほとりで手を繋いだ時とは真逆の結果に、ロルフ様はうっすらと苦笑。その眼差しはとても温かく、労りの感情に満ちています。子供を見守るような眼差しにも似ていましたが、……それでも、良いです。心地好くて、うっとりとしてしまいそうなくらいに、落ち着くのです。


「……エル」

「……ん……」


 熱は、引きません。

 けれど、寒気を伴うような熱ではなく、芯からゆっくりと溶けていきそうな、心地の良い熱に。隣に、ロルフ様が居るからなのでしょうか。私はとても単純な女なのかもしれません。


 頭がぼーっとして、それからうっとりとした心地好さが眠気のうとうとに変化していきます。

 体が休養を欲しているのは、どうしようもなくて……意識の端から崩れていくように、睡魔が侵食してくるのです。


 瞼が落ちかかった私に、ロルフ様はそっと髪を梳いては子供をあやすように優しく触れました。


「……エル、風邪がどうやったら早く治るのか、兄上に聞いた。……薬と安静、それから……人に移すのが、良いそうだ」

「……うつす……?」

「……エル、薬を飲ませてやるから、瞳を閉じていると良い」

「……はぃ」


 サイドテーブルに置きっぱなしだった、飲み薬。私が横になっていたから起こして飲まそうとして、そのままだったのでしょう。


 ロルフ様は小瓶に入ったそれを手に取ったのですが、私がつい「にがい……?」と聞いてしまって笑われてしまいました。大丈夫だから、と頭をぽんぽんとされる私は、とても幼く写っている事でしょう。


 少し体を起こした方が良いと思ったのですが、もう力もなくて言われた通りにする私。瞳を閉じて、薬が流れ込んでくるのを待ちます。苦くない事を祈るのは、許して欲しいというか。


 静かに待っていると、ふと唇に、柔らかいものが触れて、唇が少しだけ開けられてはほんのり苦いものが流れ込んで来ます。

 瓶、こんなに柔らかかった……? と疑問には思ったものの、それよりも薬はやっぱりちょっと苦くて、きゅっと眉を寄せると近くで喉を鳴らして笑う音。


 唇からそれが離れたのでぼんやり目を開けると、文字通り目と鼻の先にはロルフ様が居て、何か近いな、とかぼんやりした思考がロルフ様の姿を捉えて緩やかに流れます。

 ……何で、こんなに近いのでしょうか。熱を、計る為?


 ロルフ様はそんな首を傾げては呆けている私にふっと眉を下げて仄かに笑みを形作り、「おやすみ、エル」と囁いてはそのまま横になって抱き締めるのです。

 やんわりと、そして有無を言わさぬ言葉に、早く寝て治さなきゃなんて遅れて思考が回ったのと、そもそも体が眠りたがっていたのもあり、私はロルフ様の腕の中であっさりと眠りに落ちていきました。




 朝起きると、薬のお陰もあるのでしょうが、熱も引いてスッキリな状態です。

 ちょっと汗を掻いていたので洗い流したいと思えるくらいには元気に回復しています。昨日はもう何もする気が起きなかったし、何も出来る気もしませんでしたから。


 体調不良なのにこんなにも安らかに眠れたのは、初めてかもしれません。……私が傷を負ってからは、両親や兄姉もよそよそしく腫れ物を触るような扱いでしたから。だから、辛い時にずっと寄り添ってくれたのは、ロルフ様が初めてです。

 きっと、ロルフ様が居たから、こんなにも安心して寝られたのでしょう。


「……ロルフ様……」

「起きたか」


 そっと囁いたつもりだったのに、本人は起きていたのか何て事のないように返事をしてくるので、私の心臓は飛び上がりそうです。昨日あれだけ負担を掛けたというのに、また負担を掛けてどうするのですか私。

 一瞬息が詰まりそうになったものの、平静を装って顔を上げると、抱き締めたままの体勢のロルフ様が私の事をじいっと見詰めているのです。……いつから、起きていたのでしょうか。


「……どうした。もっと抱き締めて欲しいのか」

「……そういう事言わないで下さい」


 き、昨日のは頭がぼーっとしてて、甘えてしまっただけなのです。蒸し返さないで下さい、自分でも子供のようだと恥じているのですから。


「返答も明瞭、魔力状態も落ち着いた、体温も下がっている。回復したな」


 私ごと抱き起こしたロルフ様、私の体をぺたぺたと触りつつそう評価したので、随分とご心配をお掛けしてしまった事に申し訳なさを感じつつも、何だか触り方が以前より遠慮なくなっているような気がして首を傾げてしまいそうです。

 あと……少しだけ、前よりも、優しくなってる? いえ、ロルフ様は元々分かりにくいだけで優しい方なのですが……雰囲気が、更に軟化したというか。病人だったから気遣ってくれたのでしょうか。


「ええと、ありがとうございます、ロルフ様。その、ご迷惑を……」

「迷惑など掛けられた覚えがないから気にするな」

「……はい」


 面倒だと思っていない、と主張するようにごく普通の表情のロルフ様。……ありがとうございます、ロルフ様。


 これ以上お礼を言っても「礼を言われる覚えもない」と言われそうなので、ただ感謝の気持ちを乗せて静かに微笑み返しました。


 ロルフ様はそれだけで満足したのか、くしゃりと私の頭を撫でて、それからベッドから降りては「腹は空いてるか」との一言。

 こくりと頷けば私の分を用意してくれるらしくて、時計をちらりと見ては「母上ももう起きているだろう」との呟きです。……ロルフ様が作れるとは思っていないので想定内ですけど。


 それでも気遣ってくれるのは、嬉しい。また緩む頬。


「ああ、エル、報告なんだが」

「……何ですか?」


 部屋を後にしようとしたロルフ様が、振り返って。


「思ったより粘膜接触は効くな、驚いた」

「……え?」


 ……粘膜接触?


「では、私は朝食を母上に頼んでくる。……ゆっくり休むとよい」


 ロルフ様は私が言葉の意味を噛み砕こうとしているのを見て、少しだけ頬を緩めてお部屋を出ていきました。


 ……待って下さい。粘膜接触? 何を? え、何を、いつ?

 粘膜接触、というのは、……唇?


 そういえば昨日、薬を飲んだ時に柔らかいものが触れたような……?


 ロルフ様の言葉を正確に理解した瞬間、一気に疑問がほどけては羞恥が襲い掛かり、口から勝手に唸るような声を上げてしまいました。


 つ、つまり、粘膜接触、というのは、薬を流し込んだ時に口付けたという事ですよね……!? 瓶にしては温かくて柔らかかったとは思いましたけど、直接口に含んで流し込んだのですか……っ!?


「ロルフ様……っ!」


 殆ど意識なかった時に、き、き、キスしてたなんて……っ。何にも言わないロルフ様もロルフ様です、いえ結局こうして婉曲的には言っていますけど!

 幾ら、人助けの為だからって……く、口移しとか……!


 その時の光景を考えただけで頬が炙られたような熱を持ってしまい、私は体調不良とは別の理由で全身回る熱に呻く事になりました。

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