旦那様とお出掛け
馬車に乗って緩やかに移動ですが、旦那様とゆったり会話が出来たのでちっとも苦ではありませんでした。寧ろ、流れていく景色を楽しみながら穏やかに会話を楽しめたので、良かったと言えましょう。
徐々に緑が豊かになる景色を見て頬を緩めていた私に、ロルフ様は何だか少しだけ微笑ましそうな眼差しを送ってきます。
……そんなに珍しがっていたでしょうか。確かに、嫁ぐ前も家にこもりがちというか、あまり外には出して貰えなかったので、物珍しさは感じていましたけども。両親は、傷持ちの私が外に出掛ける事を喜びませんでしたから。
やがて馬車は止まり、バスケットを持ったロルフ様に手を引かれて外に出ると……一面に、青々しい草木。屋敷の周りも割と自然がある方だとは思っていたのですが、やはり天然のものとは訳が違います。
力強く大地に根を張った木々、覆い茂る生命に満ち溢れた若々しい草花、吹き抜ける風に乗って香る自然の青い匂い。奥には、ロルフ様の仰っていた泉が視認出来ました。
「……綺麗……」
「此処は中々人が来ない穴場だ。静かで人気がないから、此処なら落ち着けるだろう」
何度も訪れた事があるようで、ロルフ様は慣れた様子で手を引きます。
足元には気を付けろ、此処に石があるぞ、と服に合わせて少し履き慣れない靴を履いた私を気遣って声を掛けて下さるロルフ様は、やはり、優しい。無愛想というか表情の変化が分かりにくいから、お手伝いさんなんかには怖がられていますけど……本当は不器用だけどとても優しい方なんだって、分かります。
「此所はよく、魔術の練習に使っていた」
「そうなのですか?」
「ああ。……ほら、あそこだ。うっかりあの岩を削ってしまってな」
旦那様が視線で示す先には、明らかに人の手が加わったようにまっ平らな部分が出来上がっている岩があります。……うっかりでいとも容易く削れるものなのですね、岩って。
「本当だ、綺麗に削れてテーブルにでも出来そうですね」
「そうだな。兄上がよくあそこでおやつを持ってきて食べながら泉に石を投げ込んでいた。泉で水遊びもしたな」
「ふふ、昔はやんちゃさんだったのですね」
今では二人とも走り回ったりする事はまずない……いえコルネリウス様はよく外出しては変なお土産を持って帰って来るそうなので、案外行動派みたいです。
ロルフ様もコルネリウス様と幼い頃は此処で遊んだり修練を詰んでいたのだと考えると、とても愛着が湧きますね。
「……やんちゃのつもりはなかったのだが。……エル、来い」
「はい」
ロルフ様はやんちゃという言葉にはちょっぴり不服そうだったものの、直ぐに気を取り直して泉の側にあった木の近くまで連れていきます。
側の泉自体は、浅そう。膝下くらいの深さでしょうか、透明な水が魚の泳ぎにゆらりと揺れていて、何度も穏やかな光景です。木の葉の影を写した水面は美しく、陽光と相まってとても神秘的な景色に見えました。
ロルフ様はバスケットから準備万端だったが故にある、持参した敷き布を木の根に気を付けながら敷き、私にそこに座らせるのです。そして、ロルフ様はその隣に。
クッションがなくて長時間座ると少しお尻が痛くなりそうではありますが、水辺の側にある木の陰に座って、こうして静かに時間を共有するというのは……とても、心の栄養になりそう。
息を深く吸い込めば、染み渡るような澄んだ空気が肺に流れ込んでは内側を清めていくような感覚すら覚えてしまいます。
連れてきたロルフ様は有言実行と本を読み始めたので、私も隣でロルフ様と本をいったりきたりの視線で追いながら自然の空気に触れてのほほんとしていると、ふとロルフ様と視線が合いました。というかロルフ様が此方を見てきたので当たり前に合うのですけど。
「……一つ良いか」
「何ですか?」
「本当に、何もしなくて良いのか」
「え?」
「その、私が本を読んで隣にいるだけ、というのは、退屈ではないのか」
……成る程、ロルフ様は私が手持ち無沙汰にしてる事を気になさったみたいです。
「そんな、これだけで充分に満足です」
ロルフ様は退屈とか勘違いしているかもしれませんが、元々私はこういうゆったりした時間が好きですし、それに……ロルフ様の隣で、こうして穏やかに時を過ごせるだけで、充分に満足なのです。
「……物好きだな」
「そうかもしれませんね。でも、こんな物好きは一人だけで良いと思いますよ」
……物好きであっても、良いです。いっそ、私だけなら良いのです。あなたの隣に居て幸せを感じられる人が、私だけなら良いのに。そうしたら……駄目ですね、我が儘を言っては。研究対象として求めてもらえるだけでも、満足しなくては。
「……エル」
「はい?」
「……いや、何でもない。寒ければ此方に寄ると良い」
「……はい」
今日のロルフ様は、何か言いたい事を我慢しているのでしょうか。何だか、少しだけ挙動不審と言いますか……口を動かしては、途中で言葉にするのを止めている、そんな感じがするのです。
どうかしたのでしょうか、と首を傾げても言うつもりはないらしくて、代わりに自分と私の間にある少し空いてしまった空間の地面をぽんぽんと叩いて来い、と言うのです。
よ、寄り添っても良いという事なのでしょうか……?
ロルフ様の反応を窺いながらおずおず、と出来ていた空間を詰めるように体を横にずらし、ロルフ様に肩が触れてしまいそうなくらいの距離に。……いつも抱き締められたりされていますけど、何だか、不思議と恥ずかしさは変わりません。
出先でくっつく、という行為だからでしょうか。
ちら、とロルフ様を窺うと、ロルフ様は何でもなさそうな顔をしていて、それでいて私を気遣うように毛布を肩からかけてくれて、ついでに自分もと一緒に入ってくるのです。
なのでロルフ様も暖を取る為に「もっと近寄れ」と囁くから、ぽふっと顔が赤くなるのを自覚しつつももう少し距離を詰めて……。
「お前は手先が冷たいな。顔は直ぐ赤くなる癖に」
「ろ、ロルフ様、の、せいです」
「そうか。……私の体温が移れば良い」
元から高い体温ではないので、ロルフ様は掌が触れると擽ったそうに瞳を細めて、それからきゅっと私の掌を上から覆って、指を絡めてしっかりと握りしめてくれました。
……あ、と息を漏らすと、ロルフ様は何でもなさそうに首を傾げて、やっぱり意識するのは私だけだな、とちょっと寂しくはなりましたが……それでも、嬉しさの方が勝ってしまいます。
細いと言っても私よりも一回りは太くて骨張った指。この指に触れられるだけでどきどきしてしまうのは、もう性分なので仕方ないです。今の安心感とドキドキを両立する感覚なんて、説明が出来ませんが……私がロルフ様に触れられて嬉しいという事だけは、伝わってくれると良いのですが。
胸の高鳴りを押さえ付けながら、私はロルフ様の腕に頭を預けて、瞳を閉じました。少しくらいなら許されますよね、と、ロルフ様には声に出さずに問い掛けながら。




