旦那様のお誘い
ロルフ様は週に一度は家に居るのですが、大概は研究室にこもりきりです。ただ、最近は魔力増幅の事もあって私を側に置いての作業になったりする事もあったり。
今日は集まりが悪かったので遅めの朝食という事で一家が食卓に集まっています。因みにクリームシチューは無理でしたがクリームスープはあるのでロルフ様、ちょっぴり機嫌が良いです。
「エルネスタ、良いか?」
全員が平らげて私とアマーリエ様は食器を下げる最中だったのですが、何だか少し言いにくそうな様子のロルフ様に手を止めます。
どうかしたのでしょうか、スープはお代わりしたから満足だと思ったのですけど……。
「何ですか?」
「出掛けるぞ」
「……はい?」
……ええと、出掛けるとは?
「今日は休みだ。だから、出掛ける」
ロルフ様、それだけ言って腕組したまま待機してます。お返事待ちらしく、じーっと此方を見ています。
そんなロルフ様に、アマーリエ様まで手を止めてロルフ様を凝視。ただ、私が戸惑いなのに対してアマーリエ様は妙ににこにこ……いえ、にまにましていらっしゃるというか。
気付けばホルスト様とコルネリウス様もロルフ様を見ては何だか生暖かい眼差し。ロルフ様はやりにくそうに少し眉を寄せはしましたが、私に対する視線は柔らか……いえ、微妙に堅いですね。
「……ええと、何でですか? あ、何か必要なものがありましたか? それなら業者の方にお願いして……」
「違う」
「あ、市場にでも行くのでしょうか。それならコートをお持ちしますね、お見送りの支度も……」
「違う」
「では、何でですか……?」
急に出掛ける、と言われましても、私にどうしろというのでしょうか。ロルフ様が私にして欲しい事なんて、精々見送りか研究室の片付けだと思うのですけど……。
旦那様は時折言葉が足りない時があるので、出来れば最後まで言って欲しいのですけど……。
頭に疑問ばかりが浮かぶ私なのですが、きょとんとしているとそれまで黙っていたコルネリウス様が沈黙に耐えきれなくなったように吹き出してしまいました。
「ぷっ、はは、ほらロルフ、君がいつも素っ気なくしてるからこうなるんじゃないのかな」
「……兄上は黙って下さい」
「いやいや、これは黙ってたら駄目だろう。ほら、エルちゃんにちゃんと伝えなよ」
「ロルフってば、素直に一緒に出掛けたいって言えば良いでしょう」
コルネリウス様とアマーリエ様につつかれる形のロルフ様は不機嫌そうで……、……あれ? 今、一緒に出掛けるって。
「え、あ、あの、ロルフ様? 今の、お誘いなのですか……?」
「……出掛けたくないなら、良いが」
そんなまさか、と確認するとそのまさか。ロルフ様はからかわれて微妙に表情を歪めていますが、ゆっくりと頷いては「どうする」と私の返事を求めました。
……え、ろ、ロルフ様と、お出掛け……? 今までお仕事以外外に行かないロルフ様が? 私の事を気にせず研究に没頭していたロルフ様が?
……私と、お出掛けしたい、と?
「い、行きます、行かせて下さいっ」
気付けば声を跳ねさせて承諾していて、逆に誘って下さったロルフ様がびっくりなさっていました。しまった、と肩を縮めて自分の態度を恥じると、アマーリエ様達は今度は私に微笑ましそうな眼差し。
む、むず痒いです、視線が。何でそんなに皆さん私の事をにやにやと見てくるのでしょうか。そりゃあ、ついはしゃいでしまいましたけど……。
うう、と呻いた私に、アマーリエ様は「そうだわ」と言わんばかりに笑みを輝かせ……な、何だか変な予感がするのですが。
「あらあら。じゃあしっかりおめかししないと」
「……え?」
「さ、折角だしとびきり可愛らしくしましょうか」
「い、いえ、そこまでは」
「……ロルフを見直させてみない?」
最後のは、私にだけ聞こえる声で。
思わず体を揺らしてしまった私にアマーリエ様は人懐っこい笑みに色香を少し混ぜ「私に任せなさい」と囁くのです。魔性のアマーリエ様の言葉に自然と頷いていて、私はアマーリエ様に連行される形でお部屋に連れていかれるのでした。
傷は見せたくないので着替えだけは断固手伝いを拒否して、選んで貰った服を身に纏い、髪やお化粧もされるがまま。
普段そこまでめかしこむ事がないので、アマーリエ様に何をされているのか最早分かりません。取り敢えず髪を弄られたりされたのは分かります。鏡でアマーリエ様の作業を見ていましたが、編み込みをしたりしていて何が何だか分からないという、女として恥ずべき事態です。
い、一応、普段でも手入れや必要なお化粧はしていたのですよ? ただ、アマーリエ様のように、色々ととても細かい事まではしなかっただけで。
そして数十分(で終わったアマーリエ様の手腕に拍手喝采を送りたいです)の後、私は再びロルフ様達の元に戻ります。といっても、玄関で待っていたみたいで、待たせてしまって申し訳ないのです。
男性陣からの視線が突き刺さるので、なんというか、居心地が悪いです。
「……に、似合わないなら、そうと言って下されば」
分かっているのです、普段の質素なワンピースならともかく、女性らしい柔らかな印象を抱かせるふんわりとしたワンピースにカーディガン。色だって白とパステルピンクを貴重とした組み合わせ。裾にはフリルもあしらわれて、なんというかとても女性らしさを全面に押し出した格好なのです。
普段はあまり飾り気のないものを着ますし、フリルとかレースがふんだんにあしらわれたものは気後れしてしまって着ませんし……。
「……似合わないとは言っていないが」
「何にも言わないなら似合ってないも同義だよ、ロルフ」
「女心が分かってないねえロルフも。エルちゃんをもっと褒めてやりなよ。こんなに可愛いのに」
「い、いえ、良いのです。こんな服、私には実際似合いませんし……」
逆に皆様の同情的な眼差しが辛いです。そんな慰めずとも、私は平気なのですが……。
「ロルフが凹ませた」
「何故私なのだ……?」
「そりゃあねえ」
「い、いえっ、ロルフ様のせいじゃないです! そ、それに、褒めて貰えるなんて最初から思ってませんでしたから!」
だってロルフ様は、服装なんかに拘らないですからアマーリエ様のお言葉に乗った形ですが、最初から元々そんなに期待してはいませんでした。ロルフ様が見掛けを褒めるなど滅多にない事ですし、寧ろ褒めて貰えるとほんの少しでも思った私がおこがましいのです。
だから大丈夫ですよ、と笑うのですが、何故か皆さんは沈黙してしまいました。あとコルネリウス様は後ろ手でロルフ様殴ってます。見えてますからコルネリウス様。駄目です、暴力は良くないです。
「……日頃の扱いが分かるねえ」
「女心をもうちょっと勉強するべきじゃないかな」
「ロルフ、エルちゃん悲しませちゃ駄目よ?」
「み、皆してロルフ様を責めては駄目です。私なら大丈夫ですから」
別に気にしてませんから。今までだってそんな気にした事ないですし、皆さんが責める程でもないのですよ。その、私が恥ずかしいだけですし。それに勝手に残念がっただけで、ロルフ様は何ら悪くありませんから。
大丈夫ですよ、と繰り返し主張して微笑むのですが、アマーリエ様達は何か考え込んだような表情。……さっきから地味にロルフ様の爪先を踏んでいらっしゃるコルネリウス様は、今回ばかりは少々ロルフ様への当たりが強い気がするのですが……?
「……ロルフ、ちゃんとエスコートはお願いするよ。本当に、頼むから、泣かせたりはしないでくれよ? 可愛い義妹が心配なんだよ、ただでさえ君は言葉が足りないし唐突だから……」
「……兄上は随分とエルネスタの肩を持つのですね」
「可愛い妹だからね」
私は実は妹が欲しかったんだと胸を張りながら仰るコルネリウス様に、若干白けたような眼差しを送っているロルフ様。……な、仲が良いのですけど、偶に何故かぎすぎすしている時ありますよね、二人。
「何にせよ、女の子は丁重に扱うものだよ。良いね?」
「……分かっています」
コルネリウス様の神妙な顔に、ロルフ様も此処は真面目に頷きます。
別に多少乱雑でも大丈夫なのですが……今更言っても頷いてはくれなさそうなので、私はただ二人のやり取りを見守るだけでした。
「あの、ロルフ様、どうして急にお出掛けだなんて」
ロルフ様に手を引かれて馬車に乗ったのは良いのですが、行き先などは全く分かりません。ただ出掛けるとだけ言われたので、それに従ったまでの事です。
……ロルフ様と一緒にお出掛けなんて初めてで、緊張してしまいますね。ロルフ様と並んで外を歩いた事なんて、式で一度だけでしたから。それも、ロルフ様は此方を見ているようで見ていませんでした。私の事は、親から命じられた妻という認識だったでしょう。
それが今では研究の一貫とはいえ毎日触れ合って、こうして休日に外出するようになるなんて……当時の自分からは想像も出来ないと思います。
でも、どうして思い立ったのかはさっぱりなのです。
「……お前が」
「え?」
「お前が側に居てくれるだけで良いと言ったのだろう。……研究室でずっと作業していても、お前は面白くないかと思って」
ロルフ様の呟くような言葉に、私は思わず目を丸くしてしまいます。
「……その、覚えていて、叶えてくれようとしたのですか……?」
あんな、他愛もない会話だったのに。ただ今だけで幸せだと言ったつもりだったのに。……ロルフ様は、覚えていて……小さな、願いとも呼べないそれを、拾い上げてくれたのですね。
「……駄目だったか?」
「……いえ、嬉しいです」
ロルフ様のその気遣いだけで、私は充分に幸せです。その上で一緒の時間を過ごしてくれるのですから、もう、文句など微塵もありません。
ロルフ様は私がふやけた笑みを浮かべると、何だか少し困ったように眉をほんのりぴくりと動かした後「そうか」と一言だけ。
何かしてしまったのでしょうか、ご不興を買ったのでは……と眉を下げたら、ロルフ様が頬を手の甲ですりすりしてきたので、気にしないでくれという事なのでしょうか。……というかロルフ様、私の事を小動物か何かかと思ってないか不安なのですが。
「……因みにこれは何処に向かっているのですか?」
「……泉だ」
「泉、ですか?」
意外な目的地と言いますか、てっきり何処か街に行くのだとばかり……。いえ、街の賑やかさは苦手な所がありますから、自然と触れ合う、という事なら私も歓迎です。
「ああ。空気が綺麗で静かな場所だぞ」
「……だから本を持ってきたのですね」
旦那様は自然の中で寛ぐつもりだったのか、しっかりと毛布や下に敷く布、本などをバスケットに詰めて持ち込んでいます。こんな時でもしっかり魔術書を持ってきている辺り、旦那様らしいとも思いますけど。
「……駄目だったか?」
「いえ、ロルフ様のお側なら嬉しいです」
これは嘘偽りない本音です。お役に立てて、側で触れる事を許して頂けるだけで、私は満足です。……あまり多くを望んでも手に入らない事を知っていますので。
「でも、そうなるとめかしこんだ意味もないですね」
お洒落は気分の問題ですし女の戦闘装備とも呼ばれますが、戦う相手自体が居ないですね。ロルフ様は気にしないでしょうし、他の誰かが見る訳でもないので、特におめかしする意味がなかったと思います。
ロルフ様も特に興味はなかったようなので、別に余所行きの格好なんてしなくても良かったのでは、とか、これはアマーリエ様には内緒ですけど。いえ、厚意は嬉しいのですけど、意味がなかったかな、なんて。
肩を竦めて苦笑するのですが、ロルフ様はそんな私に不思議そうな表情を見せるのです。
「……そうか? 私は、お前はそういう服装が似合うと思うのだが」
「……え?」
「誰も似合わないとは言っていないだろう。母上達が煩かったからあそこで言うのは気が引けた。……どうした」
……っろ、ロルフ様は、不意打ちがお上手すぎると言いますか……っ!
何でこの、馬車で隣り合った二人きりの逃げ場のない状態で言うのですか。……ちゃんと、ロルフ様も、見てくれていたのですね。どうしましょう、とても……嬉しい。
心臓が痛くなるような激しい鼓動を産み出す羞恥ではなく、ふぅわりと登り詰めてしまいそうな、高揚感のある気恥ずかしさ。勿論嫌な感覚ではなく、しっとりと熱していくような、緩やかだけどとてもとろけてしまいそうな熱が、胸の奥を満たしていくのです。
……ロルフ様は、ずるいです。ちょっと褒めただけで、こんなにも心を揺さぶれるなんて。
「……ありがとう、ございます」
これだけで、一日分の幸せを使い果たした気分です。
つい浮かれてしまって、でも調子に乗ると良くないのでただ頬に浮かび上がる熱と胸を占める幸福感のままにロルフ様に微笑みかけると……少しだけ、呆気に取られたような表情をするロルフ様です。
「どうかしましたか?」
「……いや、何でもない」
首を傾げても、ロルフ様はその表情の意味を教えてくれる事はありませんでした。




