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旦那様は床と仲が良いらしいです

 旦那様は、お休みの日でも研究に明け暮れています。果たしてそれをお休みと言って良いものか分かりませんが、兎に角研究研究研究時々ご飯と睡眠、といった所で、常に家にある研究用の一室にこもりきりです。


 日光に当たらないと体に悪いと思うし休養も大切だと思うのですが、旦那様は研究中に口出しされるされる事を厭うので、私からはとてもではないですが言えません。妻ならば夫を気遣って苦言を呈するのも妻の役目だとは思うのですが、私からは、怖くて言えません。


 今日もまた、家で研究室にこもっています。何をしているのか、私には分かりませんがとても熱中している事には間違いありません。


「エルネスタ、良いかい?」


 アマーリエ様には歩み寄って欲しいと言われましたが、どう近付いて良いのかも分からず戸惑っていた私。そんな矢先、旦那様のお父様、つまり私の義父であるホルスト様が声をかけて下さいました。

 手には、小荷物。


「これをロルフに渡して欲しいんだ。研究所からの届きものでね」

「私が、ですか?」

「ロルフと話すきっかけがなくて困ってるんじゃないかと思ってね」


 気さくな笑みを浮かべては私に小包を手渡すホルスト様。アマーリエ様もホルスト様も、嫁いできた私に優しく接してくれて、本当に頭が上がらないです。


「これをきっかけに会話をしてご覧。仏頂面だけど怖い男ではないから」


 頭をぽんぽん、と軽く撫でたホルスト様は私に任せるとリビングを出ていってしまって。……勇気を出して話し掛けるべきなのでしょうが……やはり、いつも無表情で物静かな旦那様に自ら話しかけるというのは、些かハードルが高く思えてしまうのです。

 普通の夫婦なら当たり前に出来る事が出来ないというのは、名前ばかりの夫婦だからというのもありますが、私が臆病だからというのもあるでしょう。……素っ気なくされるだけで悲しくなってしまう、弱い心の持ち主だから。


 それでも旦那様にこの箱を届けないといけないのには代わりはなくて、きっかけを下さったホルスト様の心遣いに感謝しつつ、私は旦那様の研究室に向かいます。

 家に居る時は専ら此処にこもっている研究室の扉は、特別製なのかやけに頑丈そうな扉で……威圧感となって私の前に立ちはだかっていました。思わず回れ右をしてしまいそうになりましたが、問題を先のばしにするだけだと思い留まり、ゆっくりと、手を伸ばします。


「旦那様、エルネスタです。旦那様に届いた荷物を持って参りました」


 ノックして、扉の外から声を掛けるのですが、緊張のあまり上擦ってしまいました。声が裏返らなかっただけましではありますが、恥ずかしくて一人頬を染めてしまいます。


 中に居るであろう旦那様は、沈黙したまま。

 忙しいのかと数十秒程待ったのですが、一向にお返事がないまま。もしかしたら聞こえていなかったのかと再度声を掛けてみるものの、やはり返事はありません。

 どうしたのでしょうか……恐らく、というかほぼ十中八九此方にいらっしゃる筈です。今日屋敷で旦那様の姿をお見掛けする事なんてなかったですし、研究所に閉じ籠って研究に専念しているのだとばかり思っていたのですが……。


 居ない、となると、せめて小包だけでもお届けしなければなりません。本当は直接渡すのが礼儀なのですが……旦那様にとって私の存在が不愉快でないとも限らないので、そっと置いておくだけの方が無難なのかもしれませんね。


「……失礼致します」


 そっと扉を開けて……それから、中の雑多な様子に、つい目を丸くしてしまいました。

 研究室というのはてっきり整然と片付いて冷たい雰囲気のある場所だと思っていたのですが、この部屋はそうではなく……というよりは、こう言っては失礼なのですが、実に……だらしないお部屋というか。

 テーブルの上に散乱する紙束や本。それからよく分からない器具が所狭しと並ぶ棚。床ですら何やら文字が書き殴られた紙が落ちているのです。私の目から見れば決して、研究するに最適な空間とは良い難いのですが。


 ですが旦那様の支配する空間に文句を付ける訳にもいきません。

 カーテンが閉められているのでやや薄暗い部屋を、なるべく資料を踏んづけないように気を付けて、静かに歩いて……ぐに、と、何かとても柔らかな物を踏んづけてしまいました。


 本にしては柔らかく、そして紙にしてはやけに分厚い。というか、肉の塊を脚の裏で潰したような、そんな感覚。

 無償に嫌な予感がして……ちらり、と下を見ると、自分が土台にするように、多分一番踏んでしまったら大事になる存在が、転がっていて。


「……っ!?」


 思わず飛びずさった、のも失敗でした。

 爪先で着地した時に、床に散乱していた研究の資料か何かが着地点にあって……バランスを保てず、つるん、と前のめりに転んでしまいました。更なる着地点は、何故か床に転がっている、旦那様。


 まあ、結果は火を見るより明らかで。


 ぐえ、とくぐもった声が旦那様から零れて、びくりと体が跳ねます。まるで陸に打ち上げられた魚が今際の際に力の限り跳ねた旦那様、次の瞬間にはばたりと力尽きたみたいに四肢を投げ出してしまいました。

 私は旦那様がクッションになって痛くはないのですが、旦那様を下敷きにしてしまったという方が問題です。どうしましょう、こ、これでは、わ、私が殺してしまった事に……!?


「だ、旦那様、気をお確かに! 死なないで下さい!」

「……ぅぐ、これしきの事では死なないが……」


 必死に揺すって気付けをすると、意識は確かだったようで唸るような声を上げて、よろよろと体を起こす旦那様。ああ、良かったと安堵するのですが……これからの事を想像すると、血の気も顔から失せていきます。

 私はあろう事か、旦那様の研究室に本人が居るにも関わらず無断で入って、足蹴にして、下敷きにして……とんでもない事をしてしまいました。旦那様は線の細い方なので、私のような女の体重を勢い付けて叩き付けてしまえば重大なダメージを負ってしまうかもしれません。


 どうしましょう、と震えた私に、旦那様は初めて私の事を正面から見詰めて来ます。

 旦那様は、とても繊細な顔立ちの方です。やや中性的で、体格も細身。

 さらさらとした亜麻色の髪やきりっとした鳶色の瞳といい、とても整った顔立ちはしていらっしゃるので、化粧を施せば女としても通用しそうな美貌なのです。私のせいで鼻を打ったらしくて赤くなっているのが、非常に申し訳ないです。


「……エルネスタ、か? お前がどうして此処に……」

「そ、の。旦那様に、届け物を預かって参りました……あっ、」


 端整だからこそ酷薄な印象を抱かせる面差しの旦那様にしげしげと見詰められ、私は慌てて釈明をすべく経緯をお話ししようとして……先程まで手にしていた筈の小包が手から消えている事に今更気付きました。

 行方を慌てて探すと、転んだ拍子に落としてしまったのか床に転がっていて、しまったと急いで拾うのですが、やはり旦那様は落としてしまった事に眉をひそめています。


「そ、の……私の不注意で、落としてしまいました。本当に、申し訳ございません」

「……構わない、大方私につまづいたのだろう。怪我はないか」

「えっ」


 だ、旦那様が、私の心配を……? 旦那様と殆ど会話もしないというのに、何で。

 その疑問は旦那様の口から直接「父上母上がお前を気に入ってるから怪我させたらうるさい」と身も蓋もない事情を説明され、私はがっかりするというよりはやっぱり旦那様は私に興味なんかなかったのですね、と納得してしまいました。


 旦那様は研究以外興味を示さないと分かっておりますので、がっかりする事もないでしょう。それが当然なのですから。


「私は、大丈夫です。けど、箱の中身が……」


 中身が壊れていたらどうしよう、という不安に襲われる私に、旦那様は私が膝の上に乗せた包みをそのまま開いて。

 中に入っていたのは、掌に簡単に収まる程の、球状の石。傷は、見た所無さそうです。


「……割れてはいないから問題ない」

「……良かった……」


 もし壊れてしまったら、どう謝罪をしたら良いものか。少なくとも私は旦那様に顔向け出来なくなります、旦那様の命の次に大切な研究の道具なのに壊してしまったという事で……。


 ほ、と今度こそ安堵に吐息を零すのですが、事態は旦那様がその球体を手を伸ばした時に起こりました。


 旦那様がその球体を懐にしまおうと手を伸ばし、私も膝にある球体を旦那様に手渡そうと掌に載せて……そして、旦那様が球体を握ろうと私の掌に指先を触れさせて掴んだ瞬間、パキッ、と、乾燥したような音が響いたのです。

 え、とあまりに突然の事で瞠目するしかない私、ゆっくりと石に視線を落として……。


「……真っ二つに割れただと?」


 旦那様の呆然とした声。

 ……そう、綺麗なまんまるの石が、綺麗に半分に割れていて。

 先程まで傷ひとつなかった筈なのに、突然ぴったり二等分したかのように半分に割れてしまったのです。頭の中が真っ白になってしまい、謝る言葉すらもたついて出てきません。


 旦那様は二つに別れた石を見て「おかしい、これは頑丈だった筈」「何かの外的要因で割れたのか」「それとも割れる事に意味があるのか」「これは魔力過多で……?」なんて小声でぶつぶつ言っているのですが、間違いなくこれは怒られるパターンだと勝手にじわりと涙が滲んでしまいます。

 そんな私を見て、旦那様は暫し黙考した後、一言。


「これを壊した責任は取って貰おう、研究に付き合え」


 私は、これからどうすれば良いのでしょうか。

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