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旦那様と愛称

 旦那様は、接触方法を変えるべきだと仰いましたし、私も一応は承諾致しました。旦那様に触れられる事自体は、好きですし……普通の触れ方なら良かったのです。拒む道理がありません。

 ……拒むつもりは、ないけれど……恥ずかしくないとは、言っていないのです。


「だ、旦那様、その……もう少し、体を離して、頂けませんか」


 寝る前恒例のスキンシップ……というか旦那様の検証なのですが、今回は私の心拍数が如何にして増えるかという実験も兼ねているらしく、旦那様はやけに積極的に触れてくるのです。

 私の事を抱き締めて、体をぺたぺた。流石に胸は遠慮させて頂きましたが、旦那様はじゃあ他の部位ならと背中をぺたぺた、二の腕をふにふに、太腿をむにむに。二の腕は色々な意味で止めて欲しかったのですが、旦那様は気にせず私のあちこちに触れていくのです。


 ……正直、こんな事されれば誰でもどきどきすると思うのですが。私は旦那様にされるから余計にどきどきしていますけど。


「嫌か? 寝る時はどちらにせよ腕に収まって貰うから変わりないと思うのだが」

「い、嫌ではなくて、恥ずかしい、のです」

「ほう、では心拍数は上がっているのだな。肌の触れ合いはやはり効果的という事か。接触が有効なら進んで触れるべきだと思うのだが」


 旦那様には私のこの羞恥に染まった顔を理解して下さらないので、あくまで検証の観点からの御言葉。確かに、理論的には肌が直接触れた方が、とても効率は良いと思うのです。

 ですが、幾ら夫婦とは言え、肉体関係など全く、これっぽっちも、微塵もなかった私達に、素肌での触れ合いは鬼門なのです。抱き締められるだけで恥ずかしいというのに、肌を晒せなど、どうして出来ましょうか。


「思ったのだが、お前の着る寝間着は肌が見えないものしか着ないな。布地が少ない方が触れやすいのだが」

「ぬっ、布地が少ない……!? 無理、無理です!」

「しかし、こんなに布に覆われていると、吸収効率も悪くなると思うのだが」

「効率が良くても恥ずかしいです!」

「何故恥ずかしがるのだ。見る人間など私しか居るまい。恥ずかしがる事はないと思うのだが」


 旦那様に見られるからこそ恥ずかしいのに、旦那様には分かって頂けません。旦那様にとって衣服などそう気にする要素ではないのでしょうが、私としては羞恥が押し寄せるのです。

 ……私に傷さえなければ、私は旦那様の望むような、薄い布地の寝間着を着られたのでしょうか。いえ、この傷がなければ私は魔力に目覚めなかったでしょうから、そんな仮定は無意味なのです。


「せめてもう少し肌が出ていれば直接取り込めると思うのだが……。掌と顔と僅かな首元、脚先しか出ていないだろう。これでは中々触れにくい」


 旦那様にとって私の寝間着は不都合なようです。肌を晒すのは私としては恥ずかしいので、長い袖に足元まで覆う長さの寝間着なのです。

 ……多分、旦那様としてはネグリジェのような丈の短く袖のほぼない寝間着が望ましいのでしょうが……あれは流石に、無理です。綺麗な女性が着るからこそ似合うのであり、あのような服装、私のような傷がある人間には到底似合いません。


「思ったのだが、下着で寝れば問題はない気がするのだが」


 大有りです旦那様。


「お前の心配するような事はないぞ。私はあくまで検証が目的なのであって、お前に何ら危害を加えるつもりはないぞ。お前に手出しするつもりは一切ない」


 ……きっぱり断言した旦那様ですが、本当に私の心を挫くのがお上手と言うか……いえ、わざとではありませんし、私が勝手に凹んでいるだけなのですけど……女性として魅力の欠片もないと言われているようで、とても複雑です。

 確かに、この傷で塗り替えられている以上、女性としての魅力には期待出来ないですが。


 旦那様の提案には首をぶんぶん振って断固拒否の姿勢を取るので、旦那様は少し残念そうだったものの「お前が嫌がるなら止めておこう」とあっさり引いて下さいました。これで通されたらどうしようかと。傷を見せたくはありませんし……。


「その、半袖と膝丈くらいまででしたら……」

「本当か!」

「え、ええ。そこまでしか、流石に、肌は……」

「そうか、楽しみにしておこう」


 やけに食い付かれたのですが、その興味が検証に有効だからというものなのでとても複雑です。楽しみにするのも、肌での接触でどれだけ効率よく増やせるか楽しみという事でしょうし、素直に喜べません。

 ただ、旦那様が喜ぶならそれで良いのかもしれません。旦那様が喜んで下さる事が、私の喜びなのです。旦那様が少しでも笑って下さるなら、それで良いのです。


 良い子だ、と抱き締められながら頭を撫でられたので、旦那様は私の事を子供に思っているのではないかと偶に心配になるのですが……。


「……エルネスタ」


 耳元で旦那様の声が聞こえて、思わずびくりと肩を上げた私に、旦那様は目を丸くして此方を覗き込みます。び、びっくりしたし、旦那様の甘めの低音がすっと奥に入り込んで、不意を突かれて良くも悪くもぞわっとしたというか。


「……おお、耳元で囁くとどきどきするのだな? 耳が有効という事か」

「そ、それは勘弁してください……」

「エルネスタ」

「んっ……だ、旦那様、擽ったいですから」


 旦那様は良い事を知った、と言わんばかりに耳元でわざと息を掛けるように囁くのです。あまり名前で呼ばれる事がない身としては、旦那様の声が耳元で私の名を呼ぶだけで、心臓がどきりと跳ねてしまいます。


 今回ばかりはわざとしているそうで、旦那様は少しだけ楽しそうに私の名前を呼んでいらっしゃいます。呼ぶだけで心拍数が上がっていくのですから、旦那様としては楽しいでしょう。旦那様、そこは無邪気ですけど、此方としてはある意味質が悪いです……!


「……思ったのだが、名前が長くないか?」


 そしてどきどきしている所に水を差してくる旦那様です。


「そう、ですか?」

「五文字は長い、面倒だ」

「面倒って……アマーリエ様もですよ?」

「母上は母上だ」

「……そうですか」


 母上でも四文字だと思うのですが、旦那様にとって五文字と四文字では大きな隔たりがあるそうです。

 名前を面倒と言われたのは複雑なのですが、旦那様としては時間のロスを避けたいのかもしれません。……いえ、単に長い名前が面倒なだけな気がするのですけどね。もっと長い名前だと確実に呼ぶのを面倒がりそうです。


 何とも旦那様らしい、と苦笑いするしかない私ですが、ふと旦那様の唇がもう一度耳元に近付いて……。


「……エル」

「ひゃい!」


 そっと囁かれた言葉に、今度は声が裏返ってしまいました。

 い、い、今何て呼びました? 私の事、エルって……い、いえ、エルは愛称なので間違いも問題もないですけど、旦那様が私の事を、愛称で呼ぶ、とか……!


 基本親しみを込めて呼ばれる愛称なので、旦那様から呼ばれるなんて、思ってなくて。両親にも他人行儀に呼ばれていたので、最初アマーリエ様から呼ばれた時は、本当に嬉しくて涙ぐんでしまったのですが……旦那様に呼ばれると、感動とか以前に、心臓が急発進したようにいきなり高鳴って、胸が苦しい。


「な、な、何ですか……?」

「エル」


 もう一度呼ばれて、また不規則に跳ねる鼓動。

 旦那様の声で呼ばれるのは、本当に駄目です……! と、とても心臓に悪くて、息が詰まりそうになります。

 顔だって酸欠みたいに赤くなっていると思うのですが、旦那様はそんな私を見て瞳をぱちくりと瞬かせた後、少しだけふっと眼差しを和らげたのです。


 ……あ、と思った時には、頭がくらりとして、旦那様の胸の中に崩れていました。旦那様の破壊力、恐ろしい。


「……っ、だ、旦那様、」

「……お前はこの呼ばれ方の方が鼓動が早まるのだな?」

「……そ、そんな事は」


 此処で認めてしまえば確実に繰り返されるので、嬉しくとも心臓的には大打撃なので力なく首を振るのですが、旦那様はじいっと此方を見下ろすのです。


「エル、素直に申告してくれ、検証に必要だ」

「え、……うぅ……だ、旦那様が愛称で呼んで下さるのは、嬉しいです……」


 鳶色の瞳に真っ直ぐ見詰められて、偽れる筈がありません。

 更なる羞恥に頭から湯気でも出そうな私、旦那様の視線に逃げ場などなくて、旦那様の胸に顔を埋めてせめてもの視線をガードです。ただ、この体勢だと旦那様の引き締まった胸の感触や香りがダイレクトに伝わってくるので、少し失敗だったかもしれません。


「……そうか。では、今度からエルと呼ぼう」

「……っ」

「しかし、あまり言い過ぎてもお前は慣れてしまうか……そうだ、私達だけの時には愛称で呼ぼう。その方が新鮮さがあるだろう」

「……そ、そんな事しなくても……」

「エル」

「ひゃい!」


 またも耳元で囁かれて、私は飛び起きるように旦那様の胸から顔を上げるのですが、抱擁自体は続いているので後退りは出来ません。

 私の反応に旦那様は少しだけ驚いていましたが、やはり良いものを見付けた、といった眼差しに変わるから、本当に質が悪いです。……だって、こうなったら、旦那様は寝る前に囁いて心拍数を上げようとしてくるでしょうし……。


「耳元で囁くと存外お前は動揺するらしいな」


 なんで私だけ振り回されているんでしょうか。旦那様は、何にも思ってなさそうなのに。いつもそうです、旦那様は私の事を意識して下さらないのです。

 それが旦那様だと分かっていても……寂しい。私から望むのはおこがましいとは、理解していますけど。


 私も旦那様の事を名前で呼んだなら、少しは……何か、感じてくれるでしょうか。


「……ろ、ろるふ様」


 おずおず、と上擦った声で旦那様の名前を呼ぶと、旦那様は瞳を大きく二回程瞬かせます。


「……わ、私も、お名前でお呼び致します」

「それは構わないが」


 ……期待に反して、いえ、やはりというか、旦那様は平然としたご様子。寧ろ、私の方が旦那様を呼ぶ事に羞恥を覚えてしまいます。旦那様の名前を呼ぶなんて恐れ多いですし、恥ずかしい。


「……ろるふ、様」

「何故舌足らずなのだ、呼びにくい名前でもないだろう」

「は、恥ずかしいのです」

「何故だ?」

「今まで、旦那様って呼んでいました、し……その、慣れないのです」

「ではもっと呼べば慣れるのではないか? 呼んでみろ」


 む、無茶を言っていませんか旦那様!

 ただでさえ一回名前を呼ぶだけで覚悟が必要だというのに、そ、そんな、慣れるまで呼ぶ、だなんて。


「む、無理です、恥ずかしいです」

「呼ぶと決めたのはお前だろう、エル」

「そ、そうですけど……!」

「ほら、呼んでみろ」


 旦那様に逃がさまいと背中に手を回わされて顔を近付けられるので、ほ、本当に心臓に悪いです。旦那様にはそういう意図などないのでしょうが、恥ずかしい……何で、こんなにどきどきしているのに、旦那様には私の一欠片分すら意識して貰えないのでしょうか。


 じ、と視線を集中的に受けて、これは逃げられないと悟って……ゆっくりと息を吸い込み、慎重に言葉を紡ぎます。


「ろ、ろるふ様」

「まだ舌が回っていない」

「ロルフ、様……?」

「疑問系にする必要はないだろう」

「ロ、ロルフ様」

「言い淀んだぞ」

「ロルフ様っ」

「もう一度」

「ロルフ様……っ」


 何度もリテイクを受けて、その度に羞恥を感じながらしどろもどろになりながらも旦那様の名前を必死に呼ぶと、やっとの事で旦那様的合格点が貰えたのか、頭をぽんぽん。

 ぅ、と恐る恐る見上げて……やっぱり、見なければ良かったかもしれません。あんな、柔らかい顔をしているなんて。


「悪くないな」


 旦那様は、ずるいお人です。……私ばかり、どきどきしてます……。


「エル、そろそろ寝ようか。あまり夜更かしは良くない」

「……はい」


 旦那様の呼び掛けに、私は少しだけ上擦った声で返事をして……それから、旦那様に促されるまま横になりました。


「おやすみなさい、ろ、ロルフ様」

「おやすみ、エル」


 当然ながらそのまま抱き締められて寝る訳で、ある意味で旦那様の掌の上で踊る形で、どきどきしながらやがて眠りに落ちていきました。

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