旦那様の検証の結果
旦那様と手を繋いで寝るようになって、一ヵ月が経ちました。長かったようで、短かったこの日々。途中から旦那様のわんこな一面を知ってしまったり、抱き締められたり、週一で頬にキスされる事になったりと、何だかとても濃密な一ヶ月だったと思います。
旦那様にスキンシップされるのは嫌いではないですし、寧ろ嬉しいのですが……肝心の旦那様はそのような意味を持って触れてくる訳ではないので、何とも複雑な気持ちですが。
「旦那様、魔力の方はどうでしょうか。本当に増えていますか?」
キリが良かった事もあり、そろそろ結果を聞いても良いかと思ったので旦那様に問い掛けます。
……本当は、少し聞くのが怖かったりするのです、もしもそんな能力がなかったのだったら、私は旦那様にとって価値のない存在になってしまいますから。クリームシチュー製造機でも良いですけど、私に何か価値を見出だして欲しいのです。
今日はお休みだったらしく、研究室に向かおうとしていた旦那様。
私の問い掛けに暫し考え込んだ後「ついてこい」と一言だけ言って、私の手を取って引っ張ります。ついてこい、というよりは連行の形なのですが、不満もないのでそのまま旦那様の後ろを歩きます。
手を繋ぐ事にも、慣れてしまいました。いえ、どきどきしないと言ったら嘘になるのですが……旦那様の体温は胸の高鳴りと共に落ち着くものなのだと、覚えてしまったのです。矛盾していますけど……。
大きな掌がしっかりと私の掌を握ってくれて、離さないようにしてくれる。……この手は、いつか振りほどかれるようになってしまうのでしょうか。
少しだけ後ろ向きになってしまった事を反省しつつ、旦那様に着いていくと……久し振りの自宅の研究室。相変わらず資料が散乱しているので、もうこれは旦那様監修の下整理整頓するべきなのでは。
「此処に座ってくれ」
資料の山を乗り越え、端に置いてあったソファを指差す旦那様。言われた通りに……ええと、資料置いてあるのですが。
退けて良いのでしょうか、と戸惑うと遅れて気付いたらしい旦那様がせっせか資料を退かしてはもう一度指で示します。……本当にお片付けした方が良いのでは。
旦那様に今度提案しようと心に決めた私ですが、旦那様が隣に腰掛けるので少しだけびっくり。……距離が、近い。腕が触れ合う距離で、その腕は資料を数枚掴んでおります。
「これは私の総魔力の推移をグラフにして記した物だ。測り方はある魔術一つ分を一とし何発撃てるか、という原始的なものだが……」
「……もしかして、毎日空になるまで魔術を使っていたのですか?」
「そうなるな。別にそこまで手間ではないぞ、目に見えて成果が出ていたからな。寧ろ此処まではっきりした結果が出たのだから面白くて仕方ない」
面白くて仕方ないと言う割に表情が変わらないのは、相変わらずと言うか。クリームシチューじゃないと心が動かされないのでしょうか、いえ、単に脳内で喜びを処理して表情には出さないだけなのかもしれません。
「結論から先に言うが、お前の魔力は確かに私の魔力に影響を及ぼしている。お前に触れる前より飛躍的に伸びている。既に成長限界に達していた筈の魔力が、こんなにも伸びるとは思っていなかった」
「旦那様は嬉しいのですか?」
「嬉しいも何も、これは普通では有り得ない事であり、魔力が伸びるという事は魔導師にとって生命線が長くなったのと同義だ。魔力だけは己が身の資質に依存するものであり、外的要素で伸びるものではなかった。成長によって増加する量に限りはあるし、成人すれば伸びは終わる。それだけはどうにもならない事実だった。それを覆してお前の魔力は私の魔力を高めてくれているのだぞ? これがどれだけ素晴らしい事か、理解して欲しい。嬉しくない訳がないだろう。お前はとても革命的な能力を持っているのだ、誇ると良い」
顔にはあまりでていませんが、ちゃんと喜んで下さっていたらしく、いつもより饒舌な旦那様。瞳が生き生きとしているのは、命を懸けている研究に関する事だからでしょう。
興奮気味に捲し立てる旦那様に、私もそれなら良かったとやんわり微笑みます。
どうやら、私はお役に立てていたようです。私としては、あまり実感がないのですが。
……何故ならば、自身には全く影響がないからです。
「……誇れ、と言われましても、特段何かしたつもりはありませんでしたし……私自身の身に変化は起きていないので」
「お前自身に増えた様子はないからな。あくまで他者にのみ影響がある、という事なのだろう。父上母上に影響がないのを考えると、条件があるのだろうか」
他の人間にも触れさせるべきだろうか、と口許に手を添えて思案する旦那様。
「今度本格的にお前を研究所で調べた方が良いのではと思うのだが……お前の能力自体はあまり知られたくない。何処で良からぬ人間の耳に入るか分からぬからな」
「でも、旦那様にしか効かないのでは……?」
「詳しく検証しないと分からない。もし、その条件が人為的に満たせるのであれば、お前は魔力持ちにとって喉から手が出る程欲しい存在となるだろう。触れるだけで魔力が増えるのだから。多少強引にでもお前を確保しようとする人間も現れる筈だ」
「……強引にでも、というのは……」
「分かりやすく言えば、拉致監禁される恐れがあるという事だ。その後のお前の身の安全はある程度保証されるだろうが、どう扱われるかなど犯人次第だ。お前を使って金を取ろうとする者も居るかもしれないし、人体実験をする者やお前の尊厳を踏みにじる者も居るかもしれない」
ひゅ、と息を飲む私に、旦那様はただ静かに私を見詰めます。
……私は、恵まれていたのかもしれません。旦那様にこの力を発見して貰って、大切にしてもらって。旦那様は私の体をどうにでも出来る立場であるけれど、決して私に実験などの強制はしなかった。
触れては来たけれど、優しかったし、旦那様に他意はなかった。痛くされた事も、手荒に扱われた事もありません。
旦那様だから、私は日々を穏やかに過ごせているのです。
「……そんなの嫌です、私は旦那様のお側に居たい、です」
「私もお前を手放すつもりはない。父上母上も、お前の事を気に入っているのだ」
お前に何かあれば烈火の如く怒り狂うだろう、と真顔で言い切った旦那様に、少しだけ胸が軽くなって微笑みます。
たとえ私が旦那様にとって利用価値があるという基準で大切にされているとしても、旦那様が求めてくれているという事だけで充分です。私にとって、旦那様は……大切な、旦那様なのですから。
「そんなに心配する事はない。私以外知る人間は居ない、父上母上は何か感付いているかもしれないが、他言してお前に災いが降り掛かると少し考えれば分かるだろうから言わないだろう」
だからそう怖がる事はない、と手を握る旦那様。……いつの間にか、手が震えていたのですね。旦那様は、そんな私を励ますつもりで手を包んでくれたのでしょう。
旦那様は基本的にクールで壊滅的に女心が分かっていらっしゃらない方ですが……心根は優しい方だと、今まで過ごして来た時間の中で、よく理解しています。でなければ、こんな事しないですから。
温かな旦那様の掌の感触に、胸はどきどきはしません。ただ、穏やかでひたすらに凪いだ感覚があるだけ。旦那様のお陰で、怖さも全て消えていきました。
「話題を変えよう。……それで、魔力の増加量の推移についてなのだが」
私が落ち着いたのを感じ取ったのか、ゆっくりと手を離してはまた研究のお話に戻る旦那様。温もりが失われていくのは、残念で……つい顔に出てしまったらしく、旦那様がやや呆気に取られたような表情で「触れていた方が良いのか」と首を捻っています。
い、いけません、私が名残惜しそうにしてどうするのですか。旦那様に触れられて戸惑っていたのは私の方でしょうに。旦那様が驚くのも無理はないでしょう。……私から求めてしまうのは、良くないのに。旦那様の厚意に甘えすぎてはいけません。
大丈夫ですと微笑むと「そうか」と一言だけ。そこで追及して欲しかったなんて、私の我が儘なのです。旦那様はただ慰めただけで、それ以上はする必要がないのですから。
「魔力は増えたのは間違いない。記録を取っていたのだが、最初は急勾配を描くように増えていた、だが少しずつ上昇は緩やかなものになっていった。増幅限界があるのかと思っていたのだが、そうではないらしい」
「そうではない、とは?」
「……お前のクリームシチューを食べる日の前日は、増加量が多いのだ」
「は、はあ……クリームシチューの前の日、ですか?」
何故、クリームシチューなのでしょうか。クリームシチューは恐らく関係ないと思うのですが……?
「その事から考察したのだが……エルネスタ、良いか?」
「え?」
旦那様のこの前振りは、触れるぞという合図。
一体何をするつもりなのか、と思考を掠めた瞬間には、私は旦那様に抱き締めて頬に口付けられていました。そう、クリームシチューを作って欲しいというサインの時みたいに。
寝室でもなく、夜でもなく、そして旦那様のおねだりタイムでもない。それなのに頬にキスされて、数回経験しているとはいえ私の頭は一瞬フリーズしてしまいました。
「どうやら接触面積や接触部位によって、魔力の増加に違いが出るようだ。それから、お前の心拍数によって魔力の増幅効果も変わるらしい。今は平常より早く心臓が脈打っているだろう」
旦那様は自身の言葉が本当に正しいか確かめるように、私の体を引き寄せていた腕の片方を動かし、そして……掌を、心臓の上に。
女子は特に脂肪で守られている、その部位を旦那様は平然と、触れて。
悲鳴こそ出ませんでしたが、もう旦那様の行動が予想外すぎて私の頭が追い付きません。確かに私の心拍数を確かめるなら、そこに触れた方が確実だとは思いますけども……!
旦那様はまず何とも思っていないのと理解していますし、旦那様になら良いかななんて思ってしまう私なので嫌悪感など一切ないですが、羞恥はそれとは別です。
旦那様の掌が触れていると思うだけで、心臓がおかしくなりそうなのです。まさか旦那様、わざと心拍数を増やそうとしているのでは……。
「結論なのだが、魔力は増えている。効率よく増やすならば、接触方法を変えるべきだ。刺激が効くらしい。つまり、手を繋ぐだけでは刺激にはならなくなっているので、私達は寝る時に別の手段で触れ合う必要がある」
「……べ、別の方向で、ですか……?」
「そこで聞きたいのだが、お前は何をしたら心拍数が増えるのだ?」
今まさに心拍数は増えています、旦那様。寧ろこれのせいで心拍数はおかしな事になっています。
「……そ、それを言ったら実行しますよね……?」
「問題あるだろうか」
い、言えません、確実に言えません。言ったら触られてしまいます。遠慮なく触られてしまいます。旦那様が生真面目な顔をしながら触ってくるのを受け入れるのには、流石にかなりの抵抗があります。
嫌ではありませんけど、許してしまえば再現なく触ってくる気がするのです。旦那様はいやらしい事目的ではないとは理解しているのですけど、とても、とても私の心臓的には宜しくありません。
「……は、恥ずかしい、の、ですが」
「……嫌なら止めるが」
「い、嫌とかじゃなくてですね、心臓が持たないです……!」
「大丈夫だ、人間はそれくらいでは死なないだろう」
旦那様が他人事過ぎてどうしたら良いのか分かりません。
旦那様は男性ですし気にはしないでしょうが、私が気にするのです。幾ら夫婦とはいえ、というか夫だからこそ触られるのは恥ずかしいというか。何で旦那様はこの辺りの羞恥をアマーリエ様のお腹の中に忘れてきたんですか……!
「……旦那様は、……どきどきとか、したりしないのですか……?」
「私がか?」
「私を抱き締めたり、頬に口付けたりして、何とも思わないのですか」
せめて少しくらい何か思う事はないのですか、と半ば諦めつつも問うと、旦那様はふむ、と考えるような仕草。
「心臓がどうにかなる、といった感覚は覚えたことがないが。感想としては、お前は小さくて柔らかくて抱き締め心地は良い、くらいだろうか。とても良い匂いがして、美味しそうだとは思う」
「た、食べられません!」
「私もそういう趣味はないが」
やっぱり旦那様には羞恥とか情緒が少しばかり足りないと思うのです……!
「……旦那様、お願いですから、あまり無理だけは……」
「これからは負担がない程度に、積極的に触れていきたいと思っているのだが。駄目か?」
「……だ、駄目という訳では……」
しゅん、とちょっとしょげた旦那様に、私は弱いです。
嫌とも駄目とも言うつもりはありません。ただ、私が恥ずかしくて耐えられるか分からないだけで……嫌ではないですし。寧ろ、触れてくれるのは、嬉しいのです。ただ、常識的な範囲で、ですが。
「なら良いだろう。また、方法を考えてみる。ひとまずは夜抱き締めて寝るので良いだろうか」
「……は、はい……」
「キスをしたらクリームシチューは……」
「それはなりません」
旦那様、どうしてお話の締めにクリームシチューを持ってくるのですか。
「そうか。だが、一週間に一回の楽しみがあると仕事にもより張りが出るから、これくらいが良いのかもしれない」
てっきり、かなり落胆するのかと思いましたが……旦那様は、そうがっかりした様子もありません。
確かに何事も過剰なのは良くないですが、旦那様のあの様子だと毎日クリームシチューでも飽きなさそうなのに。
「同僚に『奧さんの手料理が待ってるお前は生き生きしすぎて気持ち悪い』と言われてな。毎日食べたら大変な事になりそうだ」
「……同僚の方は、随分とはっきり意見を仰るのですね……?」
「ウチの研究室に意見を言わない奴など居ないぞ。全員個性的だと思う」
「……旦那様も充分個性的かと……」
「そうか?」
意外だ、と言わんばかりの表情に、やはり本人は意識してなかったのですね……と苦笑い。
敢えて言いますが、旦那様もかなり個性的な部類に入ると思います。旦那様自身は口数は多くありませんけど、研究に一途過ぎて寝食を忘れるところとか(今はそこまででもないそうです)研究の事になると饒舌なところとか、異性に無頓着なところとか……かなり、個性的だと思うのですが。
「……私が個性的なら、あれらは何なのだろうな」
そんなに個性的なのですか、同僚さん達。
「まあ、その内行く機会もあるだろう。その時に改めて紹介しよう、あいつらも私の妻に興味津々だった」
……あ、と言葉が漏れてしまいます。
今、旦那様は私の妻って、言って。
確かに名目上はそうですけど……まさか旦那様の口から、聞けるなんて。
「どうした?」
「い、いえ、何でもありません」
これだけで上機嫌になってしまう私はとても単純です。
旦那様は私の表情が急に明るくなった事に訝る様子でしたが、私は曖昧に笑って誤魔化しました。




