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旦那様の好物(本番)

 約束通り、翌日の夕御飯をクリームシチューにしたのですが……旦那様がクリームシチューがあると分かっていたのか、いつもよりかなり早い時間に帰って来ました。いつもより急いだのか、心なしか服が乱れています。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「……ただいま」


 お迎えして挨拶して、ちゃんと返事が来る事にも漸く慣れて来ました。こうしていると本当に夫婦のように見えるのではないでしょうか。いえ、夫婦のではあるのですけど。

 帰って来て早々に私をちょっぴり切なげな眼差しで見て幾分そわそわした様子の旦那様。……本当に、楽しみにしていらっしゃったのですね。


「出来立てですよ」


 そんな旦那様が何だか微笑ましくて声を殺して笑ってしまったのですが、旦那様には気付かれてしまったらしく少しだけ瞳が細まります。怒ったとかではなく、ちょっと不貞腐れたような色合いの瞳。

 ……馬鹿にした訳じゃなくて、可愛らしいな、と思っただけなんです。旦那様が拘るのはクリームシチューと研究だけですし、好きなものを食べる時にくらい素直に喜んで頂きたいです。


「用意致しますので、食卓にどうぞ。私はよそって来ますね」

「ああ」


 ちゃんとアマーリエ様に教わった通りに作りましたし、アマーリエ様にもばっちりお墨付きを頂きました。旦那様が、喜んでくれると良いのですが。




 私達も食事はまだだったので、旦那様も加わって四人での食事です。夫婦で対面するように席に着くのですが、旦那様は目の前に置かれた食器、というかクリームシチューの入ったスープボウルを凝視しています。


 今回のクリームシチューは人参だけ少し小さめにして味を染み込ませています。この間のポトフを食べる様子を見ていたら人参で微妙に眉が動いたので、恐らく人参が苦手なのでしょう。人参だけ特別にちょっと味を長く染み込ませています。

 お気に召すと良いのですが。


 アマーリエ様とホルスト様も、笑顔ですが旦那様を窺っています。二人が一番旦那様のクリームシチュー好きを分かっていらっしゃるのです。旦那様の反応が気になるのでしょう。


 旦那様はじっとクリームシチューを見た後、スプーンを手に取り静かに口に運びます。


「……どう、ですか?」


 ただ無言で咀嚼を繰り返す旦那様。沈黙に耐えきれずに問い掛けると、旦那様はちらりと此方を見たものの何も言わず、黙々とシチューを口に運んでいきます。

 ……美味しいのか美味しくないのか言葉で表して欲しいのですが……取り敢えず、食べられなくはない、というのは確かみたいです。


 私は食べる事も忘れて旦那様を見守っていると、旦那様はあっという間に注がれた分は平らげてしまいました。結構多かったと思うのですが……。

 感想は言わない旦那様を見ていると、ふと空になった皿を手に取り、私に差し出してきます。


「……お代わり」


 あ、と思った瞬間には、旦那様は少しだけ瞳を歓喜に揺らしじっとこっちを見てくるのです。眼差しは、期待が宿っていて。


「はい、ただいまお持ちしますね」


 どうやら、合格点は貰えたようです。

 ついつい頬が緩んでしまうのを自覚しながらも、私は旦那様からスープボウルを受け取っては少しだけ弾んだ足取りでキッチンに向かいました。




 旦那様はクリームシチューを食べてご満悦なようです。

 何とお代わり含めて三杯も平らげてしまいました。あの細い体の何処に入っているんだろうと疑問なのですが、好きなものは別腹みたいです。所作こそ気品に溢れたものでしたが、結構な勢いで食べ進めていましたし。


 まさか旦那様がこんなにも食べるとは思わなくて呆気に取られてしまいました。ホルスト様やアマーリエ様はやっぱりかと言わんばかりの眼差しですが、微笑ましそうです。アマーリエ様と視線が合うとウィンクで良かったわね、と言われて、私も微笑み返しては旦那様の食事を静かに見守りました。


「……旦那様はクリームシチューが本当にお好きなのですね。あんなに食べるなんて」


 あまりの食べっぷりに、寝室でもつい話題にしてしまう程です。


「……好きなものを食べるのはおかしい事か?」

「いえ、作った甲斐があったな、と。喜んで頂けたなら、作り手冥利に尽きます」


 責めていないのにちょっと不満げになった旦那様に微笑むと、少しだけ旦那様も眼差しを和らげます。

 ……あんなに食べてくれるなら、また今度作りましょう。アマーリエ様やホルスト様に飽きられない程度に、ではありますが。旦那様が喜んで下さるお顔を見られるだけで、私は満足かもしれません。


 昔、というには最近ですが、前よりも遥かに充足感のある生活になってきている事を自覚しているので、……これ以上は望まないようにしよう、とも思っています。

 私の意思を旦那様に押し付けるのは嫌ですので、我が儘とかは言うつもりもありません。旦那様には、研究に集中して頂きたいですから。


 そんな事をひっそりと誓う私に、旦那様は私をじっと見ては、少しだけ悩ましげに此方を見て……。


「エルネスタ」


 名前を呼ばれて旦那様にしっかり視線を合わせると、……旦那様は、何を思ったのか私を、また抱き締めて。


 ひゅ、と思わず止まりかけた心臓。昨日に引き続きの抱擁だったので、意味こそ理解して体が火照るのですが、気を失ったり頭が沸騰しそうとかそんな感覚はありません。

 ただ、戸惑いと羞恥がごちゃ混ぜになって思考に水を差してくるのです。何で、と頭の中で疑問がくるりくるりと踊り、旦那様の感触と風呂上がりの香りに脳髄が痺れてしまいそう。


 どっ、どっと心臓がこれでもかと音を立てて、今にも操縦から離れてしまいそうになって……。


 そして、昨日の感触が、再来するのです。


 ぷる、と少し芯のある柔らかさが頬に押し当てられて、今度こそ私は思考を一瞬中断して、あまりの事に口をぱくぱくと開閉させるしかありません。


 き、昨日はまだキスされた理由も分からなくはないのです、旦那様は機嫌が直ると唆されただけ、機嫌も直ってくれるだろうと実行しただけなのです。人を疑わなかった旦那様の純粋さが見付かりましたし、キス自体は旦那様がしたくてした訳じゃなかったのだと理解出来ました。


 なのに、何で、また頬に口付けを……っ!?


 酸欠の魚のように口をただ開閉する私に、旦那様は此方をじっと覗き込んできて。見つめる瞳は熱っぽく、またも心臓に大打撃です。

 何で、そんな眼差しで私を見るのでしょうか。旦那様、理由を教えて下さい。じゃなきゃ私は、胸が苦しくて、熱で心臓が溶けてしまいそうです。


 私の表情を確認した旦那様は、ゆっくりと唇を開き。


「……クリームシチュー、また明日も作ってくれるか?」


 旦那様、味を占めないで下さい。


「……その、旦那様、頬にキスしたらクリームシチューにして貰えると思っちゃ駄目です」

「……駄目か」


 しゅん、と眉を下げて分かりやすく落胆した旦那様。

 ……ええと、つまり、旦那様は昨日のキスからクリームシチューを作って貰えるのだと思ったのですね。いえ、確かにきっかけではありましたが、キスしたからクリームシチューを作った訳ではないのですが……!?


 だから興味のなかった事をしたのですね、と納得すると共に、結構私も落胆です。……旦那様、そういう所は子供のようです。つまりご機嫌取りしたのですね、いえ、良いですけど……どきどきも引っ込みましたよ。


 はあ、と思わず口から溜め息として出てしまった私に、懇願した旦那様は少し寂しそうに此方を見てくるのです。どれだけクリームシチューが食べたかったのですか旦那様。


「だ、駄目です。せめて一週間に一回です」

「……言質は取ったぞ」


 旦那様の期待全てを打ち砕くのも悪いので、譲歩して旦那様に提案すると、旦那様はそれで納得して下さったらしく。じいっと私を見て「私は記憶力があるからな。約束は忘れないでくれ」と地味に念押しされました。

 取り敢えず、旦那様の優先順位もクリームシチュー>キスという事は思い知らされましたね。


 あまりの旦那様の唐突な行動に戸惑いこそしましたが、好きなものには一直線らしい旦那様に可愛らしい人だ、という感情を抱いたのも確かです。怒ったり、呆れたりはしません。

 分かりましたと頷く私に旦那様が嬉しそうに目元を緩める、その姿が見れただけでも良かったかもしれません。


 私も旦那様に弱いのは自覚しつつ、旦那様の望みを叶えるだけで充分満足なので今更何か言う必要もない、とただ旦那様を見て微笑みました。




 という訳で毎日の習慣とは別に、一週間に一回の頬にキスという習慣が加わりました。頬にキスされたら旦那様がクリームシチューを食べたいという合図なので、頬に口付けられた翌日は夕食をクリームシチューにする、なんて不文律が出来上がったのです。


 ……そんな事しなくてもクリームシチューは作るのですが……ちょっとだけずるいですけど、何も言わないでおきました。これくらいは、きっと……許してくれる、筈です。

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