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第五章 第二の事件

 彼は賞賛の中にいた。たった今演技が終了し、彼は大きく息を弾ませながらも優雅に礼をする。

 拍手が一層大きくなった。

 改心の出来だったと自分でも思う。昨日の演技は二度もジャンプに失敗し、良い点は取れなかったが、今日のフリーの演技ではそれを挽回することが出来たようだ。メダル圏内は外れていたが、十位以内には入れたかもしれないと、彼は思った。

 客席から投げられる花束やぬいぐるみをいくつか拾うと、彼はリンクの外へ行き、コーチと抱き合った。

 コーチとは彼が小学生の頃からの付き合いだ。このオリンピックの舞台に立つ為に、幾度と無く厳しい態度を取ってきたコーチも、今は満面の笑みを浮かべている。

 採点を待つ間、コーチと小声で交わした会話を今でも良く憶えている。

『ノンちゃんが家でテレビを見ているはずだ。手を振ってやってくれ』

 ノンちゃんとは彼のコーチの一人娘で、離婚した妻に引き取られているはずだ。彼はコーチに言われるまま、声には出さず『ノンちゃん』と口を動かして、手を振った。

 コーチは妻と別れてからも、娘とはよく会っていた。事あるごとに娘の話題になるのはコーチの悪い癖だ。彼が東京から北海道へ行くことになった時、コーチは大好きな娘が渋るのも聞かず、自分についてきてくれた。そのおかげで今の自分があるのだと彼は思っていた。オリンピックの最年少選手として出場した彼の順位は7位入賞となったが、コーチはこう言って励ましてくれた。まだ十五歳だ。これからいくらでものびる。四年後は必ずメダルを持って帰ろう。そう彼に言ってくれた。

 その時のコーチの笑顔を、彼は今でもはっきりと思い出せる。思い出すたびに、彼は胸が痛くなる。もう見ることの出来ない、コーチの笑顔……。

 そのコーチの笑顔が遺影に変わった。いつの間にか彼は古い寺の前に立っていた。そこにはお焼香をする為の長い列が出来ている。小雨が音も立てず降り続く。

 彼は急に寒気を感じて身を縮めた。先程まで寺の前に列をつくる喪服姿の人々を眺めていた。その目線が下がり、いつの間にか彼は車椅子の上にいた。彼は思った。そうだ。葬式の日。自分は車椅子でこの場所へ来たのだ。

 また夢を見ているのだろうかと、彼は思った。最近何故こんな夢ばかり見るのだろうか。

 そんな疑問を感じながら、彼はこの次に起こることを考えていた。

 彼の後ろでは父が車椅子を押している。その横で母が、自分に傘をさしかけてくれていた。それでも、小雨は彼の手に当たり体温を奪っていく。悴んだ指が痛かった。

『待ってください』

 寺を後にする彼らに声をかけたのは、自分と同じ年頃の少女だった。紺色の制服のスカートが、彼の前で揺れてとまった。彼は俯いていた為、彼女の顔は見えなかった。少女は彼らの前で頭を下げたようだ。

『寒い中、父の為にありがとうございました』

 その言葉で、彼女が亡くなったコーチの娘だという事が分かった。コーチがノンちゃんと呼んで可愛がっていた、コーチ自慢の娘。彼女が今、自分の前にいる。何だか変な気分だった。こんな場所でなければ、彼も素直に会えたことを喜べただろう。

 今がコーチの葬式でさえなければ……。

 コーチが生きてさえいれば……。

『私、あなたに伝えたい事があったの』

 彼女は彼にそう告げた。だが彼は顔を上げなかった。上げられなかったのだ。コーチの死に、自分が深く関わっていたから。

『お父さんが亡くなる前にこう言ったの、自分が死んでも、必ず二人の夢を実現させてくれって。お父さん……、実の娘が目の前にいるのに、あなたのことだけ言って死んじゃった……。でも、それもお父さんらしいと思って、私それだけ、どうしても伝えたかったの』

 二人の夢……。もう一度オリンピックへ出場し、今度こそ金色に輝くメダルを取ろう。そう言っていたコーチの顔が頭に浮かんで消えた。

 彼はすうっと息を吸い込むと少しだけ視線を上げて彼女に言った。

『約束するよ。二人の夢は必ず実現させる』

 小さな声だったが、彼女はちゃんと聞き取ってくれたようだ。彼の目に映る彼女の口元が、笑みを形作った。だが彼女の頬に涙の後を見つけて、彼はまた視線を下げる。

『早くケガを治して、また、前みたいに滑って。お父さんが大好きだったあなたの演技を、また私に見せてね』

 そう言って彼女は去って行った。このとき彼は知らなかったのだ、自分がもう二度とスケートが出来ない体になっていたことを……




 木曜日の朝は曇り空だった。天気で気分が左右されるなんてことはありえないと豪語する高橋空は、開け放った教室のドアの前で、思い切り顔を顰めた。

 教室の空気が異様に重いのだ。教室にはクラスの半分以下の人数しかいなかった。だがその中で、いち早く空の存在に気づいたクラスメートの女子たちが、あからさまに顔を顰めて何か小声で囁きあっている。

 感じ悪いなと空が思った時、女子の一人が教室の端の一番後ろの席で、机に突っ伏している男子生徒の元へ足早にかけていく。その男子生徒の周りには数人のクラスメートが立っており、いつもとは違う冷ややかな視線を空に浴びせた。確かあの席は久保の席だったはずだ。空はそんなことを考えながら、ただならぬ空気の教室へ入ることも出来ずに、入り口の前でつっ立っていた。

「おおい、なにやってんねん。はよ入れや」

 後ろから空に声をかけてきたのは、どう考えても紫藤海に他ならない。

「紫藤」

 振り向いた空の顔に、紫藤は顔を顰める。

「なんや、何かあったんか」

 よほど悲壮な顔でもしていたのか、空の表情を見ただけで、何かを察してくれたらしい。だが、説明しようにも、空も何が何だが分からないのだ。

 ガタン、と教室の端で音がした。見ると、机に突っ伏していたはずの久保が顔を上げてこちらを睨んでいる。どうしたというのだろう。つい昨日まで親しく話していた久保が、怒りを露に空を睨んでくるのだ。

「なんだよ、どうしたんだよ。久保。皆も」

 だが空の問いに答える者は無く、久保は机を避けながら一心不乱に空の前まで来ると、空の胸倉をいきなり掴んだ。

「お、おい、久保。いきなりなにするんや」

 驚きの声を上げる海には目もくれず、久保は空に怒鳴った。

「なんで、あんなことしやがったんだ。ええ? なんであんな惨いことが出来るんだよ」

 そう言って久保は胸倉を掴んだまま、空を揺さぶり机に向かって突き飛ばす。

 空はその勢いのまま、机にぶつかり尻餅をつく。けたたましい音を立てて机も一緒になって転がった。女生徒の悲鳴が起こる。

 空には何がどうなっているのか全く検討がつかなかった。ただ呆然と、荒い息を繰り返している久保を見上げた。

「何か言うことはないのかよ」

 もう一度怒鳴る久保に、空も怒鳴り返した。

「あるわけねーだろ、何が何だか分かんねぇのに、何を言えっていうんだよ」

 急に怒りが込み上げてきた。何故学校へ来て早々、突き飛ばされなきゃならないんだ。何も悪いことなどしていないのに。こんな理不尽な事はない。

「しらばっくれやがって、お前がやったのは分かってるんだよ」

 久保が苦々しげに吐き捨てた。空はそんな久保を見つめ、眉を顰める。何が起こったというのだろう。久保の話は脈絡が無くて、こっちはさっぱり分からない。

 空たちの近くで唖然としていた海が、我に返った様に久保の肩に手を置いた。

「お、おい、久保。一体何があったんや」

「何があったかだって? そんなのコイツに聞けよ」

「俺は何も知らねぇっつってるだろ」

 空を示す久保に、空が吠えるように言って久保を睨む。

「なあ、そんなピリピリせんとさ、ちょっと落ち着いて話してくれや。こっちは何がなにやら分からへんねん」

 力を込めて久保の肩を握りながら、海がそう久保に訴える。久保はそんな海に目を向け、苦しそうに顔を歪めた。

「こ、こいつが、トロ吉やカメ子を殺しやがったんだ」

 殺したとは穏やかではない。指をさされた空は訝しい表情を作る。海は眉間に皺をよせ、久保に聞いた。

「トロ吉とカメ子って誰のことや」

 だが久保は、空を見る目に力を込めたかと思うと、未だに立ち上がっていなかった空に殴りかかろうとした。それは誰の目にも明らかで、慌てて海はそれを止めにかかる。だが他のクラスメート達は、誰一人として海に手を貸そうとはしなかった。

 なんやねん、一体。海はわけがわからないまでも、何とか久保の腕を引く。だが、もちろん久保は抵抗する。久保が腕を振るい、海もまた久保に突き飛ばされてしまった。

 派手な音を立てて机にぶつかった海を見て、空の堪忍袋の緒が切れた。

「てっめー。何すんだよ」

 怒鳴って立ち上がると、久保に掴みかかる。またもや女生徒から幾つかの悲鳴が漏れた。

「おい、やめろや」

 慌てて起き上がって止めに入ろうとした海より早く、二人の間に割って入った人物がいた。

 春名だ。ノンフレームの眼鏡をかけた顔に珍しく、不機嫌そうな表情が浮かんでいる。

「何やってるんだ。お前らは」

 二人を引き剥がして、二人をきつい目で睨んだ。それだけで、空はびくりとして戦意を消失してしまう。それは久保も同様だったらしく、両の腕を下ろし、うなだれてしまった。だが久保はすぐさまキッと顔を上げ、空に指を突きつけた。

「こいつが悪いんだよ。こいつが。こいつがカメ子やトロ吉たちを殺したんだ。殺したんだよ……」

 そう言った久保の目から、涙が溢れてきた。立っていられないというように、久保は膝を抱えて座り込んでしまう。

 そんな久保を見下ろし、春名は呟く。

「カメ子とトロ吉って確か……」

 その呟きが聞えたらしい。久保がそうだよと、嗚咽の合間に口を開く。春名は先を続けた。

「学校で飼ってるウサギの名前だったな」

 空はこんな時ではあるが、思わずつっこみたくなった。なんでウサギの名前がカメなんだ。

「ウサギが殺されたのか?」

 もう、久保は話せないと見てとったのだろう。春名は成り行きを教室の隅で眺めていたクラスメートに声をかける。クラスメートの一人、久保と仲がいい三宅が頷いて口を開く。

「そうなんだ。オレも久保に教えてもらったんだけど、久保が朝ウサギの餌をやりに飼育小屋へ行ったら、ウサギが無残に殺されていたらしいんだ。この間の教室みたいに、ウサギ小屋が殺されたウサギの血で赤黒く染まっていたらしい」

 空はその情景を思い浮かべて、背筋を寒くさせる。だが、それと自分と何の関係があるのか。

「ちょっと待て、何でそれが俺のせいになってるんだよ。ウサギ小屋なんて行ってないぞ、俺」

 空はそう怒鳴っていた。クラス中の視線が空に集まる。辺りは騒然となった。ふと気づくと教室の入り口付近にも野次馬がいる。

「でも、久保が見つけたんだよ。ウサギ小屋の中にお前の生徒手帳が落ちていたのを」

 三宅の声に空は戸口向けていた視線を逸らし、三宅に顔を向ける。

「生徒手帳だぁ? 生徒手帳ならずっとポケットに……あれ」

 空は生徒手帳を探すべくポケットに手を突っ込んだが、目的の物は何処にも無い。

「うそ、無い。何で……」

 空の慌てた声に、久保が泣きはらした目を向ける。

「お前が落としたんだよ。カメ子たちを殺した時にな」

「だから俺じゃねーって言ってるだろう」

「お前が言ってたんじゃないか。小動物が嫌いだって、だからって殺さなくても」

「違う、嫌いじゃなくて、苦手だって言ったんだよ。それにいくら嫌いだからって、なんで俺がウサギを殺さなきゃならないんだよ」

「だからそれは小動物が嫌いだから」

「だから嫌いって言ったんじゃなくて、苦手って言ったんだって」

 会話がループしている。そのことに気づいた空は、久保に反論した後黙り込んだ。

 いつの間にかなくなっていた生徒手帳のせいで、厄介なことに巻き込まれてしまった。そもそもいつ生徒手帳がなくなったのだろう。まさか生徒手帳が歩いてウサギ小屋に行ったわけでもあるまいし。

「生徒手帳なら僕が持ってた」

 空と久保を交互に見ながら、そう言ったのは春名だった。空と久保、そしてことの成り行きを見ていたクラスメートや野次馬達が、いっせいに春名に注目する。

「何だって?」

「だから、高橋の生徒手帳だったら昨日の放課後まで僕が持ってたんだよ」

「な、何でだよ」

 生徒手帳を落とした憶えがない空には思ってもいない言葉だった。皆が注目する中、春名は堂々と言葉を続ける。

「委員会に行く途中で、高田先生に会って渡されたんだよ。高橋は更衣室に生徒手帳を落としていたんだ」

「ええ? 俺全然気づいてなかった」

「お前慌てとったもんなぁ。あん時」

 海がそう茶化すように言う。空は頭を掻いた。確かにあの時は大きすぎる体操服を早く脱ぎたくて、急いでいたけど。まさか生徒手帳を落としていたなんて。しかもそれに気づかなかったなんて、自分の注意力散漫さに腹が立つ。気づいていれば、こんな言いがかりを受けずにすんだはずだ。しかも生徒手帳には、大切にしていた写真が挟んであったのに。

「だったら、何で春名が持っているはずの生徒手帳が、ウサギ小屋にあったんだ」

 春名の言葉に驚いて、すっかり涙の止まった久保がそう言った。

「それは分からない。委員会が終わって気がついたら、生徒手帳が無くなっていたんだ」

「無くなってた? 本当はお前が殺したんじゃないのか」

 凄む久保に春名は恐れた様子もなく告げた。

「いや、僕はやってないよ。どういう経緯で高橋の生徒手帳がウサギ小屋にあったのかは分からないけど、犯人は高橋ではないと思う」

 淡々と告げる春名に、久保はまたもや涙の浮かび上がった目を眇めた。

「じゃあ、一体犯人は誰なんだよ。カメ子、トロ吉……」

 久保の悲しみにくれる声が教室に響いた。

 その時校内放送が流れ、久保の鳴き声を一時消した。

『一年二組高橋。一年二組の高橋。至急校長室へ来なさい』

 学年主任の声だ。空はつい縋るように近くにいた春名に目を向ける。春名はその視線を受けたからかは分からないが、空にこう言った。

「僕も一緒に行くよ。どうせ、ウサギ殺しのことを聞かれるんだろう。きっと先生達も高橋がやったんだって思ってる」

「俺はやってない」

 思わず怒鳴った空に、春名は表情一つ動かさずに頷く。

「ああ、分かってる。弁明する為にも、僕の証言が必要だろう」

 春名の言葉に、空もようやく納得する。春名は空を助けようとしてくれているのだ。先ほども、クラスの皆に宣言するようにあんなこと言う必要はなかったのだ。黙っていれば、空の生徒手帳を春名が持っていたことなんて誰にも知られずにすんだ。自分が不利になるのを承知で、春名は皆に聞えるように言ったのだろう。

「ありがとう、春名」

 教室を出て少ししたところで、空はそう口を開いた。少し後ろを歩いていた春名にも声は届いたのだろう。後ろから声が聞こえた。

「別に。僕が高橋の生徒手帳を持っていたのは、高田先生が知っているし遅かれ早かれ、僕にも疑惑は向くよ。その前の教室の事件も僕は疑われているみたいだし」

「え? そうなのか。なんで」

 驚いて空は春名と並んで歩くべく、足を止めて春名が追いつくのを待つ。

「僕がカギをなくしたと言ったから」

「それで何で春名が犯人になるんだよ」

「鍵をなくしたのは嘘で、鍵を持っていた僕が、夜に教室に忍び込んでペンキをぶちまけた」

「何で春名がそんなことしなきゃなんないんだよ」

「……鬱憤晴らし?」

「何? お前なんか鬱憤たまってんの」

 少し背の高い春名の顔を覗きこむようにすると、春名は顔を顰める。

「別に、先生達がそう思ってるだけだよ」

「なんで先生がそう思うんだ」

「うるさい」

 春名がそう凄んだので、空は黙った。朝礼が始まることを告げる本礼が校舎に響く。おかげで、廊下や階段に人はいない。一階まで下り、職員室の奥にある校長室の前に着いた。

「行くぞ」

 春名がドアをノックすると、ドアの向こうから入出を許可する短い返事が聞えた。




「じゃ、話してもらうで校長室であった事」

 放課後。空と春名は掃除も終わり、人気の無くなった教室いた。海が二人に、校長室での話を聞きたいとせがみ、一人のけものなんて寂しいわと駄々をこねたのだ。海は一度言い出すと聞かず、空も春名も仕方なく海に校長室でのことを話し始めた。


 校長室では担任の黒田と学年主任が壁際に控えており、重厚なデスクの前には校長が一人静かに座っていた。

 担任の黒田は、春名まで一緒にいたことに驚きすぐに教室へ帰るように言ったが、春名はそれを拒否した。春名は空が呼ばれた理由に、自分が関係していると主張した。

 空はそれをはらはらと見ていたが、春名は動じた風も無く、退出する気配も見せない。校長は諦めて話しを進めることにしたらしい。空に生徒手帳を見せ、君のだねと確かめた。

 手渡された生徒手帳は所々に赤黒いしみがついている。これはもしかしたら殺されたウサギの血かもしれない。そう思うと空は生徒手帳を放り出したくなった。だが生徒手帳に挟んでいた写真のことが気がかりで、空はそっと生徒手帳を開く。生徒手帳の見開きのページは学生証になっており、そこには確かに空の顔写真がついていたが、挟んでいた写真はなかった。

 空が確かに自分の物だと答える。黒田が何か言いたそうな顔になったが、春名がそれを制するように教室で話したことを教師達に告げた。すぐに体育教師の高田が呼ばれ、春名の言葉を裏付けた。


 空はあらかた話終わると、急に眉を寄せ声をあげた。

「でも、校長たち春名のことを疑わしいみたいに言い出すんだぜ。俺頭来て怒鳴っちゃったよ」

 空はその時の事を思い出して、机をドンっと拳で叩いた。

「なんて怒鳴ったんや」

 海が好奇心にかられた目を空に向ける。

「春名が犯人な訳ねぇだろ。頭固いな。犯人だったらわざわざ自分が不利になる発言するわけねぇだろって」

「ふむふむ。さすが高橋。男らしいやん」

「何が男らしいだ。校長達の印象を悪くするような発言して」

 褒めるようなことを言った海に、春名が眼鏡の奥から鋭い目を向ける。空はそんな春名に反発する。

「何だよ、悪いかよ。頭にきたんだからしょうがないだろ」

 その言葉に春名は苦笑を漏らした。

「見た目と違って本当に短気だな。高橋は」

 春名が表情を崩すのは珍しい。空は一瞬返答に詰まったが、春名の言葉に引っかかりを覚える。

「お、おう。……って見た目と違ってってどういう意味だよ」

「そら、言葉のまんまとちゃうか。おまえぱっと見、なんやぬいぐるみみたいに可愛い印象やもん」

 ぬいぐるみときたか。空は大いにむくれた。自分の容姿が可愛いと人に思われるのは知っている。背も低いし、男にしては大きな目をしているし。少し前まではよく少女に間違われた。だからといって空はその事実を容認しているわけではない。カッコいい男になりたいと日々思っている。そのため空は、人に可愛いと言われるのが頗る嫌なのだ。

「誰がぬいぐるみだ。人をオモチャにしやがって。俺は可愛いって言われるのが一番嫌いだ」

「そんなん知ってるわ」

 海はそうあっさりと頷いた。空はだったら言うなと唇を尖らせる。そんな様子も人からみたら可愛く見えるのだということに、空は気づいていなかった。

「はいはい、話しが違う方向へ向かってるやん。あかんで空。話し逸らしたら」

 そう言って、海はにやりと笑う。その笑顔の意味が分からず空は内心首を傾げたが、春名は海の笑顔の意味が分かったようだ。

 少し引きつったような声で、春名は海に向かって言った。

「……今の、洒落のつもりか?」

「へ? 何のことだよ」

 空が春名の言葉に、声をあげる。だが、海は大きく頷いた。

「おう。思いっきりシャレやん。なんや高橋分からへんかったんか」

「だから、いつシャレなんて言ったんだよ」

 短気な空が少し怒鳴るように言うと、海は情けないと言うように首を横に振る。

「だからやな。もう一回いうで、あかんで空、話し逸らしたら。ここ、分る? 名前の空と逸らしたらの逸らとをかけたんや」

 ふふふ、と笑う海に空は声をあげた。

「わっかんねーよ。そんなの」

「低レベル」

 空の反論の後すぐに、春名がそうコメントを出した。海は二人の言葉に、がっくりとうなだれてしまう。

「ガーン。低レベルって言われてもうた。あかん。関西人がこんなことでは、あかんわ」

 海はあかんあかんと繰り返している。空と春名は顔を見合わせた。

「どうしよう。紫藤が壊れた」

「いつものことだろう」

 春名が容赦ない言葉を吐くと、すかさず海がつっこみを入れる。

「何でやねん。俺はいつも壊れてへんわ」

「まあまあ、本当に話しがずれてるから」

「そやな。で、どうするんや? これから」

 あっさりと空の言葉に同意した海が、春名に話を向ける。

「そうだな……どうしようかな」

 顎に手を当てて考えるように目を伏せた春名の横で、空が声を上げた。

「調べようぜ、俺たちで。絶対犯人捕まえよう」

「どうやって」

 意気揚々と言い切った空に対し、春名の反応は冷たい。だが空は気にした様子も無く、不敵な笑顔を作った。そして春名の肩に手を置く。

「それを考えるのはお前の仕事。お前頭良いんだから、簡単だろう。よっしゃ。やるぞ」

 そう言った空の目は燃えている。これは本気で事件を調べる気だ。春名と海は顔を見合わせて、溜息を吐いた。

 ウサギの小屋に空の生徒手帳が落ちていたのは、明らかに事実だ。何者かが空に罪を着せようとしたということだろう。そして、その手帳を持っていた春名も疑われている。この状況では空の言うとおり、自分達で疑いを晴らす以外、道はないのかもしれなかった。

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