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第三章 赤い教室

 見上げると綺麗な青空で、見える範囲に雲はない。清々しい春の陽気に、高橋空は心躍らせ登校した。下駄箱で靴を履き替え、職員室の前を通った時である。クラス委員長の春名光の後姿を発見した。そのせいで昨日の怒りが戻ってくる。せっかく良い気分だったのに台無しだ。

「おいっ、春名」

 空は春名を指差すと、大声をあげた。その声で春名は後ろを振り向き、空に目をとめたようである。空は春名に駆け寄って、開口一番こう言った。

「お前、よくもノコノコ俺の前に姿を現したな。どういう神経してんだよ」

 近くにいた生徒達が何事かと空と春名を見比べる。だが、空は興奮していて気づかない。春名は疲れた様に溜息を吐いた。

「どういう神経って……。学校なんだからいて当たり前だろ。お前こそ、なんでそんなに朝からテンション高いんだ」

 そうかえされると思っていなかった空は、一瞬言葉に詰まった。犬のように低く唸る。

 二人は一緒に階段を上りながら、言い争いを続けた。

 教室のある四階まで続いた二人の言い争いは、教室の方から走ってきた副委員長の朝倉によって止められた。

「あ、春名君。大変、大変なのよ」

 走ってきた勢いをとめきれず、突っ込んできた朝倉は、その勢いのまま春名の腕を掴んだ。

「大変なの。大変なのよ」

 それしか言わない朝倉に、春名が聞いた。

「何が大変なんだ? それと……手、痛いんだけど」

 春名の言葉に、朝倉は自分がかなりの力で春名の腕を掴んでいることに気づいたらしい。驚いた顔をして頬を染める。だが気を取り直したように顔を上げ、口を開いた。

「ごめんなさい。それより、大変なの。教室が真っ赤なの」

「教室が真っ赤? 何だそれ。どういうことだよ」

 今まで黙っていた空が朝倉に聞く。朝倉はその声で、初めて空が春名の横にいたことに気づいたらしい。

「あら、高橋いたの……あ、紫藤も」

「おーす。おはよう」

 空はその声に振り返る。紫藤海がこちらに近づいてきた。

「何や、朝倉。朝から春名にアプローチか」

 ニヤニヤ笑いながら言われた言葉に、朝倉は顔を顰めた。朝倉は海の言葉を無視して、春名を促す。

「とにかく来て。あんたたちも」

 そう言った朝倉は教室に向って走り出す。空たちは顔を見合わせたが、すぐに後を追った。

 教室の前にはクラスメート達はもちろん、他のクラスの生徒までが、教室の入り口付近に集まっている。皆教室の中を覗き込んでいるが、中に入る様子はない。

「何だよ。どうしたんだよ」

 空は仲の良いクラスメートの久保を見つけ、声をかけた。

 だが久保は無言で空の背を押すと、教室の中が見える位置まで押しやった。教室の入り口まで来た空は、まずいつもとは違う臭いをかいで顔を顰めた。くさい。だが嗅いだ事のある臭いだ。

 そして横の人に押されながらもう一歩踏み出した空が見たのは、朝倉の言葉通りの光景だった。

「真っ赤だ……」

 空はそう呟いた。床も、椅子も、机も、赤くなっている。壁の一部や白かったカーテンも、その被害を受けていた。まるで大量の血が飛び散ったようだ。

 一体誰がこんな事……。

「酷いな……」

 いつの間にか横にいた春名が呟く。空は春名を見た。春名は眼鏡の奥の瞳を細め、教室を凝視している。空ももう一度、視線を教室に戻した。

 一瞬本当に血かと思ったが、よく考えればそんなわけがない。血なら乾けばもっと赤黒くなるだろう。それに教室の床の殆どが、赤くなっているのだ。こんな大量の血をばらまけるはずがない。それこそ大量殺戮でも犯さなければ無理だろう。

 教室にぶちまけられた色は鮮やかな赤い色。そして、この鼻を突くような臭いには覚えがあった。

「コレはアレやな。ペンキやな。酷い臭いや」

 春名とは逆隣から、関西弁が聞こえた。空はそちらに顔を向け、話しかけた。

「誰がこんなこと……」

「おいお前ら。そこで何をしている」

 背後から聞えた声に口をつぐんで、空は振り返る。担任の黒田が、こちらに向かって来る姿が見えた。空たちを押しのけ、黒田は教室の中を見て息を飲んだ。黒田は不機嫌な顔を、近くにいた春名に向ける。

「春名。コレはどういうことだ」

「分かりません」

 黒田の怒気のある問いに、春名はそっけなく答えた。それに怒りをつのらせたのか、黒田は顔を紅潮させる。

「この教室の有様は何だ。え? 春名」

 半ば怒鳴る様に言った黒田に、春名は恐れる風もなく簡潔に答えた。

「僕には分かりません。さっき教室に着いたばかりなので」

 黒田はフンと鼻を鳴らす。

「春名。確か一昨日教室の鍵をなくしたんだったな。そのせいじゃないのか? コレは」

 春名は黙って担任教師を見返す。

「何故黙っている。もしかして鍵をなくしたと言っていたのは嘘で、本当はお前がやったんじゃないだろうな」

 余りの言われように、返す言葉を失ったのだろうか。春名は何も言わない。そんな春名を押しのけるようにして、空は黒田にくってかかった。

「先生! そんな訳ないじゃないですか。春名は俺たちと一緒にさっき教室に着いたばかりだし、昨日は俺たちより早く帰ってるんですよ。そもそも、春名がこんなことするわけないじゃないですか。クラス委員長なのに」

 大声を張り上げた空の横から、海も教師に言う。

「そうですよ先生。とりあえず今やらなあかんのは犯人捜しやなくて、この教室をどうにかすることちゃいますか」

 空と海の言葉に、黒田は押し黙った。

 その時、廊下の向こうから新たな声が教師を呼んだ。

「黒田先生。山下先生が呼んでます」

「ああ、坂木」

 空たちの視線を浴びながら、空たちと同じ制服に身を包んだ長身の少年がこちらに近づいてくる。

 空はその人物を知らなかったが、その人物が三年生であることは分かった。制服のネクタイが、三年生の学年色である緑色をしていたからだ。ちなみに二年生は赤、空たち一年生は青色のネクタイである。

 長身の少年は黒田の前まで来ると、穏やかな笑みを浮かべた。

「山下先生から伝言です。今から緊急の職員会議を開くから、すぐに職員室に戻るようにとのことです。この教室は使えないので生徒は視聴覚室で自習させるように言われました。僕が教室の鍵預かってきましたから、皆を連れて行きますよ」

「ああ。悪いな坂木。後頼む」

 そう言って黒田は空たちを見向きもせず、そそくさと職員室へ向かった。

 空は傍らにいる海の制服の裾を掴んで、引っ張った。

「なあ。あの人誰?」

 小声で言った空に、海は呆れたように小声で返した。

「はあ? 坂木先輩やろ、生徒会長の。入学式のとき前出て喋っとったやん」

「そうだっけ?」

 空は顔を坂木の方へ向け、首を捻った。入学式の間中、眠くてあまり内容は覚えていないのだ。坂木のことが記憶に無いのも仕方がないだろう。

 その坂木は黒田が廊下を曲がって行ったのを確認したあと、教室のドアへ向かった。

 中を覗くだけかと思ったら、そのまま教室の中に入ってしまう。

 誰かがあっと声を上げたが、坂木は気にした様子も無く、教室のほぼ中央の位置まで机を避けながら歩いていった。

 教室中にぶちまけられた赤いペンキはもう完全に乾いているらしく、坂木の履いた上履きに赤い後を残すことは無かった。

 立ち止まった坂木は一度ぐるりと教室中を見回したが、ふと何かに気づいた様に二歩ほど歩き、空たちが見ている戸口を背にしゃがみ込んだ。何かを見つけたようだ。

 坂木が立ち上がって戸口を振り返った。

「これ、この教室の鍵だよな」

「え? でも鍵は私が職員室へ返しました」

 坂木の声に答えたのは朝倉である。空のすぐ後ろから声が聞こえたので、空は朝倉を前に出すように、脇へ下がる。

「でも朝倉。それは予備の鍵だろう」

 そう言ったのは春名で、朝倉ははっとした顔になる。

「そうか。じゃあアレが……」

「失くしたはずの鍵ってわけか……」

 何故教室の中にカギが落ちていたのだろう。空は不思議に思った。昨日の時点であんなところに鍵など落ちていなかった。それに春名は鍵を探して、クラスメート全員に鍵の所在を聞いていた。鍵がなくなっていたことはクラスメート全員が知っている事になる。鍵が教室のほぼ中央に落ちていれば、誰か一人くらいは気づいていたはずだ。

 坂木はゆっくりとした足取りで、戸口まで戻って来た。そこで初めて気づいた様に、春名を見る。

「あれ、春名。お前のクラスだったのか」

「はい。坂木先輩」

 春名は相変わらずの無表情で頷いた。どうやら春名と坂木は面識があるらしい。

「これ、このクラスの鍵だよな」

 春名は坂木に鍵を差し出され、受け取った。空はそれを横から覗き見る。

「本当だ。うちのクラスの鍵だ」

 春名ではなく空がそう漏らした。春名の手の平に置かれた鍵にはプレートが付いており、そのプレートにはマジックで一年二組と書かれていた。空の予想に反して、鍵には何処にも赤いペンキがついた様子は無い。薄汚れてはいるが、それは前からだ。

「さっき失くしたって言ってたな。その鍵」

 坂木が言い、春名が頷く。

「はい一昨日。でも教室は全部見て回ったのに、なんであんなところに落ちていたんだろう」

 春名の言葉に、空も考える。だが、坂木があっさりと可能性を口にした。

「それは、教室をこんなにした犯人が鍵をここに落としていったか、もしくは置いていったんだろ。何のためか分からないけど」

「でも……」

 春名はそう呟いて、一旦何かを考えるそぶりを見せた。その後、近くで様子を窺っていた朝倉を見る。

「朝倉。教室の鍵は閉まってたんだね」

「ええ。朝教室の前まで来たら、何人かがここでたむろしていたの。聞いたら鍵が閉まっていて教室に入れないって言うから、私が予備の鍵を取りに行ったのよ」

 この学校では、教室の鍵を職員室から取り出せるのはクラスの委員長と副委員長だけだ。春名は考え深げに顎に手をあて、口を開く。

「本当にカギは閉まっていた?」

 春名のしつこい問いに、朝倉は素直に頷く。

「一度全部確かめたわ。窓も後ろのドアも。鍵を取りに行く前に」

「そう」

 それだけ言うと春名はまた黙った。周りでは野次馬たちがざわついている。空は春名が何を考えているか気になった。話しかけようとしたが、予鈴のチャイムの音に阻まれた。

「さあ、予鈴も鳴ったしとりあえず皆視聴覚室へ行こう。僕が遅刻になっちゃうよ。プリントが教室に置いてあるから。それを仕上げる様にって先生からのお達しだ。復習プリントだから教科書無くても大丈夫だろう」

 そんな坂木の言葉に、クラスメートの数人からえーと言う声が漏れる。勉強しなくてよいと思っていたようだが、それは甘い。

 クラスメート達がぞろぞろと、坂木の後ろをついて歩き出した。しかし春名は教室に目を向けたまま動かない。それに気づいた空が立ち止まって春名を呼んだ。

「おい、春名。何やってんだ。早く来いよ」

「ああ、鍵閉めていくから」

「鍵?」

 空は春名の方へ戻る。春名はその間に、ドアを閉じた。先程坂木から手渡された鍵を、鍵穴に入れる。なんの抵抗も無く音を立てて鍵は閉まった。

「閉まったな……」

 春名がそう呟いたのに、空は眉を寄せる。

「何言ってんだ。当たり前だろう」

 ほらさっさと行くぞと春名の背中を押しながら、空は内心首を傾げた。春名は一体何を考えているのだろうかと……。


 空が春名に抱いていた怒りは、この出来事ですっかり消え失せてしまっていた。空がそのことに気づいたのは、もう随分たってからのことだった。

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