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第一章 写真

 高橋空(たかはしそら)がその写真を見つけたのは、去年の夏だった。その写真は両親の部屋にある小さな机の、引き出しの奥に入っていた。父に頼まれて、老眼鏡を取りに来た時の事である。写真には小さな赤ん坊が三人並んで写っている。寝転んでいるのを上から撮ったようだ。

 裏を反して見ると鉛筆でこう書かれていた。

『三つ子ちゃん零歳冬』

 写真に書かれた言葉に空は驚いた。もう一度写真を表にかえして、空は写真に写る赤ん坊を見る。

 皆眠っている。

 あどけない顔はどれも似ている。その赤ん坊の内、一番左端で眠る赤ん坊が自分なのではないかと空は思った。心臓が早鐘を打ち始めた。自分が赤ん坊の頃の写真は、この家にはない。空がこの高橋家に二歳で養子に貰われてきたからだ。家には二歳以降の写真ならたくさんあるが、それ以前のものはないと思っていた。

 その為、今手にしている写真に写った赤ん坊が、空本人なのかどうかは分からない。自分が三つ子だったという話しも、聞いたことはなかった。

 呆然とその写真を見つめる空の背後に、一向に戻ってこない空に痺れを切らしたのだろう。一階で待っていたはずの、父が近づいてきた。

「おや。空その写真……」

 驚いて空は後ろを振り返った。

「ゴメン父さん。勝手に……」

 謝ろうとした空は、言葉の途中で父に止められた。

「いや。いいんだよ。かわいいだろう。一番左が空だよ」

「やっぱりこれ俺だったんだ」

 妙な気分だった。自分の赤ん坊の頃の写真なんて、見ることはないと思っていたのだから。

「父さん。裏に書いてあるのって……、俺に兄弟いたの? 三つ子って書いてあるけど」

 尋ねた空に、父は優しげな笑みを見せた。

「ああ。そうらしいね。父さんは会ったことないけれど、お前には血の繋がった兄弟が二人いるんだそうだ。それぞれ別の家に引き取られていったそうだよ」

「……なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ」

「いや、その写真も空が小学生になったら渡してやろうと思っていたんだよ。なくしたと思っていたのに。ここに仕舞いこんでいたんだな。空には悪いことしたなぁ」

 すっかりしょげてしまった父に空は慌てて笑顔を見せる。

「何いってんだよ、父さんはまだまだ若いって。俺がこの本屋継ぐまでは現役でバリバリ働いてもらわなきゃならないんだからな」

 空の家は一階の大部分が店舗になっており、父の前の代から本屋を営んでいる。空はこの本屋の跡継ぎだ。

「ちょっと、いつまで油売ってんの。お父さん、早く店番変わって下さいよ。空もそろそろ塾に行く時間でしょう。高校受験のために塾行きたいって言ったの、空だからね」

 そう階下から母に叫ばれて、空と父は大きな声で返事をする。父は老眼鏡を、空は写真を手に階下へと下りてりていった。




 そしてあの時手に入れた写真が今も空の手の中にあった。

 めでたく希望の高校に入学して早一月。五月の暖かな日差しが、一年二組の教室にも穏やかに降りそそいでいる。

 昼休み。校庭でサッカーをしようという友人たちの誘いに断りを入れ、空は一人教室にいた。

 少し考えたいことがあったのだ。持ち歩いているため、だいぶよれよれになってしまった自分と兄弟達の赤ん坊の頃の写真を、空は自分の席で見つめていた。

 写真を見つけたとき、空は密かに思っていた事があった。高校に合格したら兄弟を捜そう。

 だから偏差値の高いこの高校の受験勉強もがんばってこれたし、その頑張りのおかげで合格出来たとも思う。だが実際高校生になってみると何かと忙しく、なかなか兄弟捜索に乗り出せない。何からすれば良いのか、それが分からないのが現状だった。そのため、空は一度一人になって考えてみたかったのだ。

 小さい頃から可愛いといわれ続けている顔を、空は思いっきり顰めて写真に見入った。

「おおーい。高橋。何見てんねん」

 声と同時に後ろからひょいと空は持っていた写真を奪われる。

 慌てて振り向いた先に、クラスメートの紫藤海(しどうかい)がいた。中学までは関西に住んでいたという彼は、高校に入って出来た初めての友達だ。その海が今、してやったりといった感じの笑みを浮かべている。サッカーに行っていたはずの海が何故ここにいるのかということよりも、空は奪われた写真が気になった。

「おい、紫藤。勝手に盗るなよ」

「いいやん。ちょっとくらい」

 海は爽やかに笑って空の後ろの席に座ると、写真に目を落とす。別に見られて困る物でもないので、空はそれを止めようとは思わなかった。逆にいっしょになって写真を覗き込む。

「かわいいだろ。左端が俺……どうかした? 紫藤」

 赤ん坊の自分を自慢しようとしたが、なぜか写真を見て固まった紫藤に、空は訝しむ。海は空の問いに、随分間をあけてから答えた。

「……なんで、お前がこれ持ってんねん」

 何でとは変な疑問だ。さっき空は左端が俺だときっぱり言ったではないか。

「だって、これ俺だって。自分の写真持ってて何が悪いんだよ」

「ちゃうねん、そうやなくて、コレ、この写真……俺も持ってる……」

 そう言って海は内ポケットから携帯電話を取り出してなにやら操作した後、画面を空に見せた。その画面には空の持っているのと同じ写真が写っていたのだ。驚く空に、海が追い討ちをかける。

「な? 俺と一緒やろ。ちなみに真ん中が俺」

「……」

「……」

 互いに顔を見合わせ、混乱する頭を整理しようとする。先に海が口を開いた。

「左端が高橋やったっけ」

「そう。で、真ん中がお前ってことは?」

 空の問いに、また無言になる。そうなると校庭の騒ぎや教室の中でおしゃべりしている女子の声が耳につく。

「この写真の裏、三つ子ちゃん零歳冬って書いてあるんだよ」

「……俺、実はもらわれっ子やねん。紫藤の家に貰われたのは二歳の時」

 さらりとそう言って、反応を待つように海は空を見る。空は混乱しながらも慌てて口を開いた。

「おっ、俺も。高橋の家に貰われたの二歳の時……」

「俺たちって実は兄弟?」

 異口同音に二人はそう言って、またもや黙り込む。余りにあっさり見つかりすぎて拍子抜けというか。だがもしかしたら、とんだ勘違いで、間違いだったなんてことも。などと頭の中はいまだ混乱をきたしている。

 だが良く見ると空と海の外見には共通点が多い。空は染めていないのに明るい色の髪をしている。髪を染めている人が多い昨今では余り目立つ物でもないので、特に気にしなかったが、海も空と良く似た明るい髪色だ。空は瞳の色も少し薄い。コレも生まれつきである。海の目も良く見ると空と似た色をしていた。

 互いに見詰め合っていた時、第三者の声が空と海の思考をとめた。

「高橋、紫藤。こんな所にいたのか」

 その声に真っ先に反応したのは空である。

「いちゃ悪いのかよ。春名」

 空の視線の先には秀麗な顔に縁なし眼鏡をかけた少年が立っていた。クラスメートの春名光(はるなこう)である。クラスの委員長でもある春名と空はなぜかそりが合わず、顔を合わせると口げんかが始まるのだった。大抵空から突っかかっていくのだが、今日は珍しく春名の方から声がかかった。

「まあまあ、それより何や。俺たちに用か? 珍しいな」

 早くも険悪になりつつある雰囲気を止めたのは海だ。いつもこの二人の喧嘩の仲裁に入っている。

「お前ら二人のどっちか、教室の鍵もってないか? 教室の鍵がまだ帰ってきてないって担任に言われて……」

「それでなんで俺たちのとこ来るんだよ」

 相変わらず空は、きつい口調で春名の言葉を遮る。だが春名は気にした様子もなく、ポーカーフェイスで答えた。

「他の奴らにはもう全員聞いた。あとはお前ら二人だけ」

 どこか偉そうに春名はそう言った。そう言われると、他に言うこともなく、空は首を横に振る。

「俺は知らない。朝はあったんだろ」

「ああ、じゃなかったら今頃締め出しくらってるだろう」

 もっともなことを言われて、空はムッとした。そんな空の表情に気づいたのだろう。海は慌てたように口を開く。

「俺も知らんで、だれか他のクラスの奴が間違えて持ってったんちゃうか」

「……それならすぐに気づくはずだろう。放課後探すしかないか」

 最後の方は独り言の様に呟いて、春名は空たちから離れようとした。だが、その動きを途中で止めて、二人の間にある机の上の写真に目を止めた。

「その写真……」

 春名のいつもの無表情が少し驚きに崩れたような気がした。まさか、コイツまで俺の兄弟だった、なんてことないよな。こいつ超金持ちらしいし。もらわれっことは考えにくい。

 まさかとは思ったが、空は春名もまた明るい茶色の髪をしていることに気づいた。彼の性格からして、おしゃれの為に髪を染めたりはしないのではないかと思う。

「写真持ってきたらダメだとか言うんじゃないだろうな」

 内心の焦りを悟られまいと、空は春名を軽く睨む。

「いや……。かわいいなと思って」

 思っても見なかった言葉をさらっとはいて、今度こそ春名は踵を返して教室を出て行った。

 後に残された空と海は、教室を出て行く春名の背を呆然と見つめる。

「俺、春名が笑ったところ始めてみたかも」

「俺も……」

 二人が呆然と固まったのは、春名の言葉のせいではなく、その言葉を呟いたときに見せた春名の笑顔のせいだった。空と海は、否クラスメイト達も見たことがないのではないだろうか。春名光の笑顔など。

 その笑顔が妙に印象的で、空と海は昼休憩終了のチャイムが鳴るまで、ずっと固まったままだった。


 午後の授業が終わると、急に眠気が覚めるのは何故だろう。空はそんなどうでもいい事を考えながら、ゴミ収集所に引きずる様にして持ってきたゴミ袋を置いた。意味もなく手を叩く。

 後は教室に戻って鞄を取ってこなければならない。教室は四階で、さっき下りてきた階段をまた上らなければならないのかと思うと少し憂鬱だ。それに海を待たせてある。人が自分を待っていると思うと妙に焦ってしまう。

 靴を履き替えて、下りてくる人の方が多い階段を上る。この階段を四階まで上りきって角を右に曲がればすぐに教室が見える。

 だが空はその曲がり角の手前で足を止めた。話し声が耳に入ったのだ。

「ごめんなさい、春名君。私のせいで……」

 この声は聞き覚えがある。クラスメートの朝倉有紀だ。クラスの副委員長でもある彼女が何故春名なんかに謝る必要があるのだろうか。

「いや。朝の鍵開け、君に頼んだ僕も悪かったし」

 春名の答えで何となく察しはついた。昼休憩の時、春名が探していた鍵のことが原因らしい。おおかた鍵をなくしたのは朝倉だったのだろう。

 言っていることは優しげだが、春名の声は冷たい。表情は見なくても分かる。春名お得意のポーカーフェイスだ。

 そう考えてふと今日の昼休憩の時に見た春名の笑顔が頭に浮かぶ。笑った顔は結構いけてたのに。などと、空は思ってしまった。そして思ってしまった自分が妙に腹立たしい。

「でも……私やっぱり先生に謝ってくるわ。だって私が鍵なくしたのに、春名君が怒られるなんて」

 こんな会話を廊下でされたら、通りづらいではないか。海が待っているのに。教室はもう目と鼻の先だが、内容が内容だけに、この二人が立ち話している横を通るのは躊躇われる。春名はどうやら朝倉を庇っていたらしい。空が抱く春名のイメージとは合わない気がして、空は内心首を傾げる。だが、またもや空のイメージからは想像も出来ないような言葉が春名の口から漏れた。

「別に。もう怒られてきたんだからいいよ。先生だってもう気にしてない。それに朝倉、バレエのレッスンあるはずだったよな。急がなくていいのか」

「あ、うん。でも良く覚えてたね。バレエの話」

「記憶力がいいから」

 さらっとそんなことを言って、春名がこちらに向かってくる気配がする。どうしよう、どこか隠れる場所。きょろきょろと辺りを見回すが、廊下にそうそう隠れる場所などあるわけもなく、空は曲がってきた春名に見つかった。

 目が合って、春名が微かにムッとしたような表情を作る。

 あ、なんかコイツ怒ってるかも。そう思った瞬間腕をつかまれて階段まで引きずられていった。

「何すんだよ。離せ」

「言われなくても離す」

 そう言って力強く握られていた腕を開放された。空はじんとしびれた腕をさすりながら恨めしげに春名を見る。春名はそんな空を微かに睨み返し、口を開いた。

「黙ってろよ」

 凄みがあって怖い。そう空が感じるほどの目つきと声音で、春名は言った。空は逸らしたい視線を必死の思いで合わせたまま、とぼける。

「何のことだよ」

「分かってるんだよ。さっきの話し全部聞いてただろう。ずっと気配があったからな。あんなところで話してた僕らも悪かったけど、立ち聞きもいい趣味じゃない。せっかく穏便に事を運んだんだ。だれかれ構わず話すなよ」

「わ、分かってるよ。そんなこと。俺だって言っていいことと悪いことの区別ぐらいつく」

 そう言って睨み返してやったら、春名は何かをはかるように眼鏡の奥からじっと空を見返す。そして春名の方が先に口を開いた。

「……分かった、信じる。でも、もし喋ってみろ。ただじゃおかないからな」

 何でコイツこんなに怖いのだ。表情はいつもと変わらないポーカーフェイスなのに、なんとういか、雰囲気が怖い。

 空は気おされて激しく頭を上下させた。それを見て満足したのか、春名は空を残したまま階段を下りていく。だが途中で足を止めると、振り向いた。まだ何かあるのか。そう思って見つめると、春名が言った。

「教室の中で野次馬してた奴にも言っといてくれ、さっきの」

 言うだけ言うと春名はさっさと階段を下りて行ってしまった。

 教室の中で野次馬していた奴って? そう考えて思い当たった。空を待っている人物。それは絶対、紫藤海に違いない。

 空は慌てて教室に戻る途中、見てしまった。教室の前の廊下にいた朝倉が、胸の前で祈るように手を組んだまま放心している姿を。

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