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第十六章 告白

 屋上の扉を開け、辺りを見渡す。そして、そこにいた人物に目をとめた。

 光はその人物に声をかける。

「やっぱり君だったんだね。飯田さん」

 少女は薄く笑った。長い髪が風で揺れる。

「いや、長瀬倫子(ながせのりこ)さんと言ったほうがいいのかな」

 光はドアの外へ出た。日に日に暑くなって来る気候だが、屋上の風は思いのほか冷たかった。飯田は光が近づいて来るのを待つ様にじっとしている。そして光が立ち止まると飯田は口を開いた。

「最初から私だって気づいてた口ぶりね。春名君」

「いや。……君がコーチの娘だって気づいたのは、さっき靴箱の中にあった手紙を見てからだよ。倫子(のりこ)という名は他に知り合いがいない」

 手紙にあった差出人の名は、長瀬倫子だった。

 長瀬……それは光の忘れる事の出来ない人物の苗字。

 死んだコーチの苗字だった。そしてその娘の名はノリコ。あだ名はノンちゃん。

 どうして気づかなかったのだろう。

 どうして、気づけなかったのだろう。

 一度、たった一度だけ、彼女と会ったことがあるのに。

 彼女は黒板にメッセージを残していた。

 自分を人殺しと呼ぶ人物は一人しかいない。

 自分が殺したも同然の、コーチの娘である彼女しか……。

 それなのに……。

「何だ。やっぱり気づいてなかったんだ。あなた、お葬式の時も私の顔見なかったものね。憶えてるわけがないわよね。私との約束だって、忘れていたくらいだもの。あなたは」

 非難の声を上げて、飯田は一度唇を咬んだ。

「約束したのに、もう一度オリンピックへ行くって約束したのに。お父さんの最後の願いだったのに。……あなたは、スケートが嫌いだってだけでお父さんとの約束を破ったのよ。あなたはただの我がままで、お父さんの最後の願いを裏切ったのよ!」

 後半は叫びに近かった。

 光は飯田を眼鏡奥から見つめて、静かに口を開く。

「僕が憎かった? 僕を困らせたかった? だから教室にペンキを撒いたり、ウサギを殺したりしたの?」

「そうよ、先輩じゃない。私がやったのよ。先輩は私を庇っただけ、私はあなたが許せなかった」

「……」

「だから、有紀ちゃんが失くした鍵を見つけた時。教室にペンキを撒く事を思いついたの。あなたが有紀ちゃんを庇っていたのを知っていたから、教室に悪戯すれば、あなたの責任になると思ったのよ」

「鍵は? どうして先輩が持ってたんだ」

「私が鍵を捨てるところを先輩に見られていたの。先輩はそれを拾って、翌日学校で私に返そうとした。でも……」

「教室にペンキが撒かれているのを見た」

「そう。それで先輩は、鍵を自分が今教室で拾った様に見せかけた。先輩には解ったのよ。犯人が誰か」

 そう言って飯田は一度言葉を切った。一際強い風が二人の間を吹きぬけていく。飯田は髪とスカートを手で押さえて、それをやり過ごした。

「でも先輩は誰にもそのことを言わなかった。私があなたを恨んでいる事を知っていたから、私に同情してくれた。私は先輩の優しさに感謝したけど、先輩のやめろって言葉は聞けなかった。あなたは事件のあった後も平然として、先生の追及もあっさりかわしてた。あの事件であなたを苦しめる事は出来なかったって、分かったから」

「だからウサギを殺したの?」

 溜息混じりの光の問いかけに、飯田は素直に頷いた。しっかりと光を目に捉え、睨みつけるようにして話す。

「そうよ。あなたがよくウサギを見に来ていたこと知ってたから、このウサギを殺せば、きっとあなたを苦しめる事が出来るって、そう思ったの」

「……先輩が僕のポケットから生徒手帳を盗んだのは、君が頼んだから?」

 飯田はその問いに首を横に振る。次々と明かされる真実は、手紙を見たときに気づいた光の考えを全て裏づけていく。

「いいえ。先輩は私がまた何かした時に、あなたに犯人になってもらおうとしたの。そうすれば、私の復讐が終わると思ったのよ、先輩は。でもあの人、頭良いくせにどこか抜けていて。間違ってあなたのじゃなく、高橋君の生徒手帳を盗んでいたの」

 そのせいで、空は疑われる事になったのだ。高橋君には悪い事をしたわと、飯田は淡々と告げた。

「先輩は君の犯行をいつ知ったんだ」

「……お母さんが、私が家に帰らないって先輩に連絡を取ったらしいの。それで、先輩は学校に捜しに来て……」

「ウサギ小屋で君を見つけたのか」

「そうよ。先輩は自分にいい考えがあるからって、私を先に帰らせた。その後、高橋君の生徒手帳をウサギ小屋に置いて、小屋を出たの。そしてその時、黒田に見つかった」

 飯田は憎々しげに黒田の名を吐き捨てた。顔を怒りに染めて言葉を続ける。

「黒田は、アイツは教師のくせに先輩を強請ったのよ。最低よあんな奴。先輩が金持ちじゃなかったら、さっさと学校にばらしていたに違いないわ。そう言う奴だったのよ、アイツは」

「君はどうして先輩が強請られていると知ったんだ」

「先輩の様子がおかしかったから。調理実習のあった日に問い詰めたのよ。そしたら、黒田に強請られてるって言うじゃない。私は頭にきた。先輩があの日も黒田に呼び出されていると知って、先輩が黒田に会う前に、黒田が待っている理科室に足を運んだの」

 そこで息をついて、飯田は少し笑みを口に乗せた。その笑みは陰惨なひかりをはらんでいた。

「あいつ、最初は何故私が来たのか分からなかったみたいだったわ。好都合だった。私はウサギを殺したナイフで、今度はアイツを刺した。先輩を苦しめたあいつを、殺してやったのよ。優しい先輩を苦しめたんだもの。あいつは死んで当然だったのよ」

「……先輩は君を庇って自首したんだよ。それは知ってるだろう」

 光は思い出していた。先輩が、自分が犯人だと告白したあのタイミング。ずっとおかしいと思っていたのだ。あの時、光はウサギ小屋の鍵を持っている人物が犯人である可能性が高いと言った。そして、先輩は光が飯田の名を上げようとしたときに、それを遮って自分が犯人だと告白したのだ。

 その時からずっとおかしいと思っていた。少なくとも、ウサギを殺したのは飯田なのではないかと、あの時から疑っていた。

 光は少し目を閉じた。そして瞼を開くと、また飯田に視線を向けた。

「先輩が私を庇って自首したのは知ってるわ。私を理科室から逃がしてくれたのは先輩だもの。先輩が私を庇ってくれるのは解っていたのよ。本当はそんな事してもらいたくなかったけど。でも、私にはまだ、やる事があるから」

 そう言って飯田は一度言葉を切った。スカートのポケットにゆっくりと手を入れる。

「なんだか解る?」

 先ほどまで怒りに歪んでいた飯田の顔が、どこか緊張したものへと変わった。緊張しているのに無理に笑っているような歪な表情。

「解らないの?」

 語尾を上げて尋ねた飯田の声は、冷たく乾いている。

「こうすれば、解ってもらえる?」

 そう言って飯田はゆっくりとポケットに突っ込んでいた手を引き抜いた。手にした物を胸の辺りまでかかげ、折りたたみ式のそれを開いた。開く時にきらりとひかりが反射する。

 飯田は手にした、折りたたみ式ナイフの切っ先を、光に向けた。

「……」

「私許せないのよ、あなたが。私のお父さんを奪ったくせに。最後の最後まで、目の前の私よりあなたを心配したお父さんを裏切ったあなたが。心底許せないのよ」

「……飯田」

「どうしてよ! どうしてなの? どうしてあなたが生きて、お父さんが死ななきゃならなかったの? あなたが死ねばよかったのよ。お父さんは何も悪くないのに。私のお父さんなのに。あなたは私からお父さんも、お父さんの夢も……何もかも全部奪ったのよ」

「……」

「死んでよ。スケートをしないあなたに、何の価値があるっていうのよ」

 飯田はそう叫んだ。泣き出したいのを堪えている表情で。手にしたナイフが揺れている。飯田が震えているのだ。怒りか、悲しみか、それともそのどちらもなのか。感情が抑えきれずに腕が振るえている。

 光にはそう見えた。

「ねえ知ってる? 人間って、簡単に死ぬのよ」

 光はその問いに自然と強張っていた体をほぐすように動いた。無意識にシャツを掴んでいた手をゆっくりと開く。

「知ってるよ」

 答えた光の声は細く、飯田の耳には届かなかった。




 光を待つために食堂へ行った空と海は、既に飲みきって中身の無くなった紙コップを片手に、暇を持て余していた。

「そろそろ十分経つし、いっかい玄関戻ろうや」

 海が空にそう話し掛けて立ち上がったのに、空も倣う。空は紙コップを食堂の出入り口近くにあるゴミ箱に捨てた。

「光、いるかな」

「どうやろ。長引くかもみたいな話し振りやったからな」

 海の言葉に頷いて、空は先ほど光から渡された封筒を、ポケットから取り出した。それを海に示しながら口を開く。

「なあ、コレどうしようか。見てもいいって言ってたけど」

「うーん。でもなぁ」

 そんな会話を交わしながら、廊下の角を曲がった時、空は誰かとおもいきりよくぶつかった。

「うわっ」

「きゃ」

 空は尻餅をつかなかったが、ぶつかった相手は尻餅をついていた。大丈夫かと声をかけながら、海がその相手に手を差し出す。

「痛ったい。でも、大丈夫。あーあ。教科書ばら撒いちゃった」

 そう声を上げたのはクラスメートの朝倉だった。海に助け起こしてもらった朝倉は、ぶつかった勢いで鞄から飛び出した教科書やノートを拾い始めた。

 我に返った空も、一緒に拾い始める。空は近くにあった教科書をあらかた拾い終わると、他に落ちてないかと目線を上げた。少し離れたところにノートが一冊落ちている。空はそれを拾い上げた。

 緑色の表紙には要点ノートと記されており、その表紙の右下にはイニシャルが書かれていた。

「N.I?」

 空は朝倉のもとへ戻ると、拾った教科書やノートを数冊朝倉へ渡した。そして最後に拾ったノートを見せて口を開く。

「なあ、朝倉。コレもお前の?」

「え?」

「イニシャルが書いてあるけど、お前のイニシャルじゃないよな」

 そう言って朝倉に手渡したノートを、海は覗き込む。

「N.I? 朝倉やったら、ユキ・アサクラで、Y.Aやんな」

 海が言うのに、空もそうだろうと頷く。朝倉は一人笑顔で、声を発した。

「やだ、コレはリンコちゃんに借りたのよ」

「え? リンコちゃんて飯田やろ? 飯田リンコやったら、R.Iやろ」

 海の言葉に、朝倉は顔を顰めた。

「ちょっと、紫藤。リンコはあだ名よ、あだ名。本名はイイダ、ノリコ。倫子の字がリンコって読めるからそう呼ばれてるの」

 そう言って朝倉はパタパタとノートを叩くと鞄にしまった。

「へー。知らなかった」

「アンタまで。高橋はリンコちゃんに惚れてるんじゃなかったの」

「な、違うっつーの」

 そりゃ可愛いとは思ってるけど、好きとかそう言うことじゃなくてと、空は心の中で一人焦っている。

 その様子に感心が無いのか、何かを考えている風に押し黙っていた海が口を開く。

「なあ、飯田の親父さん。死んだって言っとったよな。何年前や」

「去年よ」

 何でそんな事聞くのだといわんばかりに、不審気な顔をした朝倉が答える。だが、海は気づいていないのか、なおも問いを重ねた。

「じゃあ朝倉。飯田ってもしかして、親にノンちゃんって呼ばれてへんかったか」

 この問いに、朝倉は軽く目を見張った。

「どうして知ってるのよ」

 空も普段の様子と違う海に、戸惑いの視線を向ける。

「朝倉、あと一つだけ。飯田の両親って離婚してる? 飯田の前は長瀬って苗字やったんちゃうか」

「……そうよ。どうやって調べたの?」

 一層不審気に海を見る朝倉に、空は言った。

「おい、朝倉。急いでたんじゃなかったのか」

 そう言うと、朝倉はあっと声を上げた。

「そうよ。大変。行かないと。悪いわね、紫藤。もう行くわ」

 そう言って朝倉は廊下を走って行った。また、誰かとぶつからなければ良いのだが。

「空、俺大変な事に気づいてもうたかもしれん」

「はあ?」

 深刻な表情で言う海を、空は軽く見上げる。海は硬い表情のまま口を開いた。

「長瀬って、光がスケートやってた時の、コーチの名前や。あの死んだ……」

「ああ、聞いた事ある名前だと……って、じゃあ、飯田ってもしかしてそのコーチの娘? あだ名ものんちゃんで合ってるし」

 目を見開いて大声を上げた空の耳に、携帯電話の着信音が聞えてきた。空は携帯電話を持っていない。この付近には空たち二人しかいないので、おのずとその携帯電話の持ち主は分かる。海は鞄からストラップを引っ張って携帯電話を取りだすと、耳に当てた。

「はい? ああ、こんにちは」

 空は聞き耳を立てるのも不味いかと、海から距離をとろうと動き出した。だが海は、その手を掴んで引き止めた。

「本当ですか? それ。いえ、今は俺らと一緒にはおりません。はい、捜します。じゃあ」

 そう言って通話を切ると、海は空に言った。

「なあ、さっきの手紙持ってるよな、見せ」

 鬼気迫る様に言われ、空は頷く。封の開いていた封筒から、手紙を取り出した。

「何だよコレ」

 空は手紙の内容を眼にして、少なからず驚いた。


『今度の事件の真相を知りたければ屋上へ来て。長瀬倫子』


「長瀬って、え? 飯田の事だよな。名前倫子だし、さっきそう言ってたし」

 動転している空の肩に手を置いて、海は言った。

「とりあえず屋上や、空。今の電話の内容も含めて走りながら話す」

「解った」

 空は頷くとこんがらがっている頭を静めようと一度大きく息を吐いた。

 そして、海に続いて屋上へと続く階段を目指して走り出した。


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