第十四章 犯人である可能性
このまま帰してくれたらいいなと思った空だったが、やはりそう甘くはなかった。空達は私市に連れられ、理科室の隣の教室へとまた戻る事になった。
私市が教室の扉を開くと、教室にいた人間がいっせいにこちらを見る。空はその視線を避けるように俯いた。
「刑事さん。いつまでここに居ないといけないんですか」
まず口を開いたのは坂木だった。その声に顔を向けると、坂木は眉間に皺をよせていた。
「まあ、そう言わず、もうしばらく待っててくれないかな」
穏やかに言った私市に、坂木はくってかかる。
「僕はこの事件には関係ありません。そこの彼が犯人でしょう? 制服に血がついているじゃないですか」
坂木はそう言うと、空を指差した。空は身体を竦める。私市はそんな空の反応に苦笑いを浮かべ、坂木を見た。
「まあ、まあ。まだ調べは終わってないからね」
「でも、僕らは彼らより後から来たんですよ。僕達が先生を殺せるわけがないじゃないですか」
「だから、今それも含めて調べているんだよ、少し大人しくしていてくれないかい」
私市がくいさがる坂木に、面倒くさそうに答えた。だが、私市の言葉は坂木に余り通じていなかったようだ。
坂木は私市が取り合ってくれないと見ると、今度は空達に詰め寄った。
「おかしいじゃないか。君達の周りでばかり妙なことが起きる。赤いペンキが撒かれたのも君達の教室。殺されたウサギ小屋には君の生徒手帳が落ちていた。それに今度は制服に血までつけて。もう犯人じゃないとは言い逃れできないぞ」
そう言って空を睨む坂木に、空は言葉を返せない。そこに、私市が割って入った。
「おい、ちょっと待ってくれ。赤いペンキに、ウサギ殺し? 一体何の事だい」
この言葉に、教室にいた教師達が慌てたような顔をしたが、もう遅い。私市の言葉を受け、教室で起きた事件と、ウサギ小屋の事件を私市に話すことになった。
立ったままではなんだからと、教室にいた全員がイスに座る。
坂木はその後、我が意を得たとばかりに、二つの事件について語った。私市はそれに頷いたり質問を挟んだりしながら、坂木の言葉を最後まで聞いた。
坂木が私市に話している間、空はどんどん自分達がふりになっていくような気がした。
教室の事件では光が犯人ではないかと噂になっているし、ウサギ小屋の事件では空の生徒手帳が落ちていた。空は体育教師の証言と、アレルギーの話をすれば、犯人から除外されそうだが、そうなると光が疑われてしまう。
それに今回の事件では、空の指紋のついた凶器のナイフがある。
それを証拠として押し通されたら、どうすればよいのか。空には分からなかった。
「これだけ、彼らの周りで事件が起こっているんです。今回も彼らが犯人でしょう。大方、二つの事件の犯人であると先生に見破られ、先生を殺した。浅はかな行動ですが、そんなところでしょう」
「ふーむ。なるほどねぇ」
納得するように私市は呟いた。空の不安がよりいっそう増す。
「ですから刑事さん。僕を調べても無駄ですよ。僕は急いでいるんです。もう帰ります」
言うだけいうと、坂木は立ち上がる。扉へ向かって歩き始めた。
「待ってください」
その背を呼び止めたのは、私市でも教師でもなく、光だった。
光は立ち上がって、口を開く。
「坂木先輩。僕は、今回の一連の事件。一番犯人である可能性が高いのは先輩、あなただと思います」
光は坂木の目を見つめながら、教室にいる全員が良く聞き取れる声で言った。坂木は黙って光を見返した。
「おい春名。勝手な憶測でものを言うんじゃない。坂木が犯人な訳がないだろう。坂木は生徒会長だぞ」
顔を真っ赤にして教師の一人が怒鳴った。空はそんな教師を見て、勝手な憶測を喋っていたのは、坂木じゃないかと思う。どうして坂木には言わないのだ。
「まあ、まあ。先生。坂木君の意見も聞いたんだ。彼の意見も聞いてあげましょうよ」
今にも立ち上がらんばかりの教師をなだめるように、私市が教師に声をかける。先ほどの眠そうな顔とは打って変わり、どこか楽しそうな表情だ。そんな私市に見つめられ、教師は居心地悪そうに、怒鳴った時に浮かした腰をおろした。
「さ、春名君。続きをどうぞ」
言われて、光は頷いた。教師から坂木へと視線を移す。
「では、教室の事件から。……僕がまず疑問に思ったのは、なくしたはずの鍵が何故教室に落ちていたかということです」
「それは、お前がなくしたとウソをついて隠し持っていたんだろう。みんなそう言ってる」
坂木が反論するように声を上げた。そんな坂木に、光は首を横に振って見せた。
「それはありえません。何故なら、鍵は教室の中で見つかったからです。それは先輩も知っていますよね。何せ、その鍵を見つけたのは先輩、あなたですから」
「どういう意味だ。僕は鍵を拾っただけだ。鍵を拾ったからといって何故僕が犯人になるというんだ。お前が教室にペンキをばら撒いた後、鍵を教室に捨てたんだろう」
「先輩の話しは矛盾しています。仮に僕が犯人で、教室にペンキをばら撒いた後、鍵を捨てて出て行ったなら。どうやって教室の鍵を閉めたんですか? 先輩は知っていますよね。あの朝、事件が発覚するまで、教室の鍵が閉まっていたのを。そして、予備の鍵は用務員さんが持っていて使えなかったのを。僕が直接先輩にお話ししたんですから」
「……」
坂木は黙って、光を睨んだ。光は中指で眼鏡を押し上げると、また口を開いた。
「そこで僕は考えました。犯人はどうやって密室を作り上げたのか。でも、難しく考える必要はなかったんです。一番簡単にそれが出来るのは、鍵を拾った人物なんですから」
「……」
「犯人は教室にペンキを撒いた後、教室を出て、持っていた鍵で教室のドアを閉める。そして、翌日何食わぬ顔で、教室に鍵が落ちていたと見せかければいい……」
「確かに、そう言われれば僕が犯人のように聞えるな。だが、全て推論ばかりだ」
坂木が光の言葉の途中で口を出した。それを咎めるでもなく、光は頷いた。
「ええ。確かにそうです。でもそれは、先輩も同じでしょう?」
「……」
「次に、ウサギ小屋で、ウサギが殺された事件ですが。先輩は空を犯人のように言いました。でも、彼には犯行は不可能です。彼はアレルギーを持っていて、ウサギに近づく事さえ出来ないのですから。それに、彼の生徒手帳はウサギが殺される前日まで、僕が持っていたんです」
「なら、お前が犯人じゃないのか?」
坂木は光を指差した。その顔は心なしか青白い。
光はただ静かに首を横に振った。
「……僕は事件のあった後、一度ウサギ小屋を見に行きました。その時思ったんです。どうしてウサギ小屋の鍵は壊されているのに、飼育小屋のあるスペースへ入る入り口の鍵は壊されていないのだろうと……」
言われて、初めて空は気づいた。そうか。確かにそうだ。飯田に頼んでウサギ小屋を見に行った時、確か飯田は飼育スペースを囲むフェンスの扉の鍵を開けていた。そして、ウサギ小屋に入れるかと言う問いに、飯田はこう言った。ウサギ小屋の鍵は壊れているから、入ろうと思えば入れると。
あの時はちっとも疑問に思わなかった。と、言うより、それがどうして疑問になるのか、空には分からなかった。聞きたいが、口を挟める雰囲気でもない。
「フェンスをよじ登って入ったんだろう」
投げやりな口調で、坂木が声を上げた。
「でも、そんな目立つようなこと犯人がするとは思えません。それに、ウサギ小屋の鍵を壊す道具があったなら、何故、フェンスの鍵も壊さなかったんでしょう」
「それは……」
「鍵を壊す必要がなかったから。そう考えれば、謎は解けます。犯人は少なくともフェンスの鍵を持っていた人物。それは三人に絞られます。生物部の部長をしていた先輩か、久保、そして……」
そこまで光が言った時だった。いきなり坂木が笑い出した。坂木を除く全員が呆気に取られた。教室中の視線が坂木に向けられる。
「ふ、はははは。……その通りだよ。春名。僕の負けだ。お前の言う通り、僕だよ。教室にペンキをばら撒いたのも、ウサギ殺しも。そして……黒田先生を殺したのも」
誰かの息を飲む音が聞えた。坂木の突然の告白に、教室中が静まり返った。
空はそっと光を見る。光は珍しく渋面を作っていた。
「おい、嘘だろう坂木。何だってお前が」
教師の一人が、そう声をかけた。優秀な生徒として名が通っている坂木の告白が、信じられないのだろう。
「黒田先生が僕を脅したからですよ」
「何だって?」
「黒田は僕を脅したんです。見つかったんですよ。ウサギを殺したところを。黒田を殺した理科室の窓から、飼育小屋へ行くフェンスが見えるんです。黒田は、僕がそのフェンスの入り口から飼育小屋の方へ入っていくの見て、早く帰るように注意しに来たんですよ。そして、見られてしまった。僕がウサギを殺している姿を」
「……そんな」
「黒田は言いました。学校にばらされたくなければ、金を持って来いって。一度は金を払ったけど、黒田はそれだけじゃ満足しなかった。また金をせびられて、思ったんですよ。このまま、一生コイツに金を払うことになるなんてまっぴらだってね。だから、殺したんです」
「何てことだ」
教師は、そう呟くと顔を手で覆ってしまった。余程ショックだったのだろう。坂木はそんな教師から、光に視線を戻した。
「春名。お前は気づいていたんだろう。僕が黒田を殺したってことも。……どうして分かった?」
「……」
「答えろよ」
坂木に催促されて、光は一度目を閉じてから、口を開いた。
「先輩の、登場の仕方です」
「何だそれ?」
光の言葉に、それまで黙って聞いていた空は思わず口を挟んだ。しまったっと思って口を押さえたが、もう遅い。空は周囲の視線を一身に浴びるはめになった。
「空はおかしいと思わなかったか? 先輩が叫ぶまで、坂木先輩が入り口にいた事に気づかなかったのを」
「え? ぜんぜん」
空が正直に答えると、光の眉が一瞬上がった。あ、ちょっと怒ったかも。そう空が思ったとき、光は海に質問を移した。
「海は?」
「ああ、確かに。あれ? って思ったような気はするわ。でも、何でやろ」
海は首を捻る。空も同じように首を捻ってみるが、さっぱり分からない。
「足音」
光がそう呟いた。空が、えっと問い返す間も無く、海が声を上げた。
「そうか、足音。そうや。先輩に気づかんかったんわ、先輩の足音が聞えんかったからや。先生達が来るのは分かったもんな、足音で」
そう言われてみれば、そうかもしれない。空は思い出した。坂木の叫び声に答えるように、教師たちの足音が静かな校舎に響き渡るのを。
「……先輩は刑事さんにこう言ったそうですね。空の悲鳴を聞きつけて、走って理科室に向かったと。それを聞いて、やっぱりおかしいと思ったんですよ。走って来たなら、確実に僕達のうちの誰かの耳には入ってきますからね。それに、先輩は刑事さんにこうも言いました。黒田先生の死体と、空の服についている血を見て、空が犯人じゃないかと思ったと。でも僕らの背後にいた先輩には、黒田先生が倒れているところは見えたかも知れませんが、空の服についた血は見えなかったはずです。僕らは先輩の叫びに驚いて振り向いたんですから。先輩の証言は矛盾しています」
「……なるほどな。じゃあ、僕がどうやって、お前らに気づかれずに、教室の前まで来れたのか。それも分かるか?」
坂木がなおも問う。光はよどみなく答えた。
「先輩が、僕達が行く直前まで理科室にいたからです」
「え? でも、俺たち先輩見てないぞ」
空が疑問の声を上げた。それに、海も同意する。
「そうや。先輩が廊下に出てきたら、鉢合わせするやん」
「空、理科室の隣にあるのは?」
唐突に質問されて、空は良く考えもしないで、答えた。
「この教室?」
「ちゃうちゃう。理科室の隣は理科準備室や。さっき事情聴取受けたとこやんか……って、そうか。先輩は、理科準備室に隠れとったんや」
空につっこみを入れている途中で思いついたのだろう。言葉の後半はやけに興奮気味だ。そんな海に、光は頷いてみせる。
「あの時、空は走って理科室に向かった。さっきも行った通り、走ってくる足音はよく響くから、先輩は気づいたんでしょうね」
そう言いながら、光は坂木を見る。坂木は口元に笑みを乗せた。
「ああ。そうだ。誰かが走ってくる足音が聞えてきて焦ったよ。慌てて、鍵の開いていた理科準備室に隠れたんだ。そしたら、理科室に来たのが君達だと分かった。丁度いいからこれの罪も君達に被ってもらおうと思ったのに。上手くいかなかったな」
「先輩……」
光が何か言いかけた。だがそれを遮るように、坂木が口を開いた。
「さっきも言ったけど、僕の負けだよ、春名。うまく騙せたと思ったんだがな。結局、お前にばれたのは、全てボクの詰めの甘さが原因だったってわけだ」
坂木が光から私市へと、顔を向けた。
「刑事さん。僕が犯人です。自首します」
そう言って坂木は、私市の前に両手を差し出した。そんな坂木の肩に手を置いて、私市は扉の前に立っていた警官に声をかけた。
「おい、時間は?」
警官は慌てたように腕時計を見る。
「午後五時五十六分であります」
「よし、午後五時五十六分。自首。憶えといてくれよ」
私市は警官にそう言いおいて、坂木の背に手を添えると、教室の外へ向かうように促した。教室にいる全員が二人の背を見送るように視線を向ける。
その背に、光が声をかけた。
「先輩」
坂木はその声に足を止めた。ゆっくりと振り向く。
「海を突き落としたのは、誰ですか?」
その問いに、坂木は口元だけで笑んだ。
「さあな。足でも滑らせたんだろう?」
そう言ったあと、坂木は私市に断りをいれ、光のもとへ寄って来た。
光の耳に口を近づけて、何か囁く。すぐに光のもとから離れると、坂木は私市と一緒に教室を出て行った。
空はそっと光を見る。
光は何かを考え込むように、口元に手をあてて俯いていた。