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第十章 春名の過去

「本当にここだよな」

 空は呆気にとられたように言った。緑園で貰った住所を頼りに春名の家の前に着いたのだが、余りに立派な家で驚いた。家ではなく、屋敷と形容したくなるほどの大きな白い建物が、門の奥にそびえたっている。

「ここやな。表札出とるし」

 門の横についている表札を見ながら、海が言った。言われて見ると確かに表札に春名とある。春名の家は金持ちだと噂されていたが、この家を見る限り、噂が真実だと知れた。

 空が海の顔を見ると、海が促すように顎をしゃくった。空は眉を寄せたが意を決し、インターホンを押す。二三回押すと、ほどなくインターホンから女性の声が聞こえてきた。

『はい』

「あの、俺……僕たち光君の……」

『ああ、はい、聞いてますよ。門を開けるから玄関まで来てくださる?』

 最後まで聞かず、インターホンから聞える声が告げた。そうかと思うと、門がいきなり動き出した。

「自動だよ」

 ついそう呟いて、海を見る。海は空に頷いて、まだ開ききっていない門から、敷地内へと足を踏み入れた。暫く歩くと玄関の前に着く。空がドアをノックするかどうしようか迷っていると、ドアがこちらに向かって勢い良く開いた。

 ドアにぶつからないように慌てて避けた空たちに、女性が明るく声をかけた。

「まあ、いらっしゃい。光から話しは聞いているわ。どうぞ上がって」

 声の主を軽く見上げると、三十代くらいの女性が華やかな笑顔で立っていた。かなりの美人だ。暫く彼女に見入った程だ。

 黙って突っ立っている空たちをどう思ったのか、女性は何かを思いついた様にアッと声を上げた。

「あら、やだ。ごめんなさいね。自己紹介がまだだったわ。私は春名みさき。光の母です」

「母ー」

 空は思わず海と同時に叫んだ。女性、春名光の母親はにっこりと笑って同じ言葉を繰り返した。

「はい、母です」

「すっげーびびった。こんな若くて美人なお母さんなんて、いいなー。すっげー羨ましい」

 空は思った言葉を、そのまま口に出した。しかも大声で。

 春名みさきと名乗った女性は、嬉しげに声をあげた。

「やだ、そんな褒めないで。恥ずかしいわ。さ、上がって」

 口ほど恥ずかしそうなそぶりは見せず、みさきは家の中に入っていく。空と海は一度顔を見合わせ、促されるままに空から先に、家の中へ入った。

 モデルルームみたいだと、空は思った。入ってすぐの玄関ホールは吹き抜けになっていて、上から明るい光が入ってくる。壁際に置かれた白い大きな花瓶には、ピンクと白い小さな花が活けられていた。埃一つなさそうな玄関ホールを抜け、階段を上り、一つの部屋に案内される。

 思ったより小さな部屋だった。正面に大きな窓があり、青いカーテンがかかっている。部屋の真ん中には小さな四足テーブルが置いてあり、その横にはソファーがあった。ソファーの後ろには、ベッドが置かれている。

 ソファーと相対する様に置かれた大きなテレビが、その存在感を放っていた。絶対三十インチ以上はある。と、空は思った。実際には三十六インチあるのだが、それは空の知るところではない。

 空たちにソファーに座るように言ったみさきは、飲み物を持ってくると言って、一階へ下りていった。

 二人して並んで白いソファーに座る。絶対に飲み物をこぼせないと空は思った。

「凄いなー」

 空の横で、海が呟いた。空はソファーに向けていた目を上げ、海を見る。

「何が」

 そう問うと、海はこちらを見もせずに顎をしゃくった。空は海の視線を追った。

 テレビの横に大きな棚がある。ガラス戸がついた棚には数多くの賞状や盾や、トロフィーがあった。

「おお、すっげ。コレみんなアイツが貰ったのかな」

「そうやろうな」

 コンコンと、ドアがノックされた。入ってきたのはみさきだった。手に盆を持ちその上には飲み物だけでなく、ケーキも乗っていた。

 甘いもの好きの空には思っても見なかった幸運だったが、喜びを表面に出すほど、空は子どもではなかった。

「どうぞ。簡単なケーキだけど。良かったら食べて頂戴」

 笑顔でみさきは言った。空は、前に出されたショートケーキとみさきを交互に見て、口を開く。

「コレ、みさきさんが作ったんですか」

 尊敬の眼差しで言うと、みさきは頷いた。

 春名の母親をみさきさんと呼んだのは、みさき本人にそう呼んでくれと頼まれたからだ。おばさんと呼ばれるのは嫌なのだそうだ。空自身みさきのような美女を、オバサンとは呼べない。

「美味しかった。ご馳走様です」

 空と海は無言でケーキを食べ終わった後、声をそろえてそう口にした。無言で食べていたのは気まずかったわけではなく、思いのほかケーキが美味しかったからだ。

 空は心底こんな美人で若くて、ケーキ作りの上手い母親がいる春名が羨ましくなった。

「お粗末さまでした。もうすぐ光も帰ってくると思うから、もう少し待っていてね」

 そう言って食べ終わった皿を片付けて出て行こうとするみさきを、空は呼び止めた。

「みさきさん、待ってください。教えて欲しいことがあるんです」

 空が言うと、海も頷いた。みさきは少し戸惑ったような顔をしたが、皿の乗った盆をテーブルの上に置いて、床に直接座った。

「教えて欲しいことって何かしら」

 二人の顔を交互に見て、みさきが問う。空は海を見る。海は促すように頷いた。

「実は俺たち、春、じゃなくて……光君と血の繋がった兄弟なんです」

「知ってるわよ」

 結構勇気のいった告白に、みさきはあっさりと頷いた。

「へ?」

「知ってるわよ。光と一緒にあなた達の様子見に行ったこともあるし」

「ええ!」

 空と海は同時に叫んだ。動じた風もなく、みさきは笑顔を見せている。

「俺、全然知らなかった」

「俺もや」

 空と海の言葉に、みさきは苦笑いを返した。

「ゴメンなさいね、実は、物陰からこっそりと見てただけなの。自分が訪ねて行くことで、あなた達の生活を乱したくないって、光が言ったから」

「……」

 思いもしなかったことを言われて、二人は暫く言葉が出なかった。みさきも、何も言わない。黙って二人が口を開くのを待っている。

「そんなこと、気にしなくても良かったのに。俺、自分がもらわれっこだって、知ってたし。訪ねて来てくれたら、多分、いや、絶対嬉しかったと思う」

「俺も」

 空の言葉に海が同意した。みさきは、悲しげな笑みを浮かべた。

「そう。でもあの子は、自分が私達の子ではないと知ったのが最悪な形だったから、あなた達に、同じ思いをさせたくなかったんじゃないかしら」

 普段の春名からは考えられないような行動だ。いつも自信満々で、命令口調の嫌な奴だったはずなのに。それでも一緒にいたのはきっと……春名が、実は優しい奴だって気づいていたからかもしれない。空はそう思ってみさきを見た。

「教えて欲しいことっていうのは、今聞いた事ともう一つあるんです」

「何かしら」

「アイツがなんでフィギアスケート辞めたのか。アイツに聞いてもたぶん、答えてくれないと思うんです」

「ここにある盾とかって春名がとったやつですよね。何で辞めたんですか。辞めた理由と、アイツが体育サボってる理由は一緒ですか」

 空の問いに、海が重ねて問う。みさきは困った顔をした。言うべきか言わざるべきか迷っているようだ。

 空と海は、春名が体育に出ないことで、クラスメートから反感を買っていることをみさきに告げた。内心春名には悪いと思ったが、言わなければ、教えてもらえないと思ったのだ。

「そう、あの子何も言っていないのね。変なところで強情なんだから」

 溜息をついて、みさきは居住まいを正した。話す気になったようだ。本人のいないところで、こんな話をするのはフェアじゃない気もするが、春名に直接聞いたところで一蹴されて終わる可能性が高い。何せ春名は頭がいい。

「あの子がフィギアをやっていたのは、誰に聞いたの? それとも知っていたのかしら」

「いえ、学校で話題になって。雑誌見せてもらったんです。でもあいつ、その雑誌ゴミ箱に捨てたんですよ」

「まあ」

 空の言葉に驚いたように、口元に手をやってみさきは俯いた。息子がそんなことするなんてと言いたそうな顔をしている。もしかしたら、春名は家で、良い子ぶっているのかもしれない。

「そう、家では結構普通にしてるのに、やっぱり……」

 呟くようにそう言ったみさきの言葉を、最後まで聞き取れなかった。みさきの名を呼んでこちらに注意を引くと、みさきははっとしたようにうつむけていた顔を上げた。

「ごめんなさいね。なんでもないの」

 気を取り直したように、みさきは微笑んで話し始めた。

「あの子がフィギアスケートをやめた理由は、事故だったの」

「事故ですか? 結構大きな事故なんですか」

 その問いに頷いたみさきは、思い出すように盾や賞状が並んだ棚に顔を向けた。

「車の衝突事故だったの。あの子とコーチが乗った車に大型トラックが突っ込んだのよ。その時の事故で、追突した大型トラックの運転手と、光を庇ったコーチが亡くなったの」

 二人同時に息を飲んだ。それ程大きな事故だったのなら、春名も大きな怪我をしたのだろうか。空は思い出した。春名は折りたたみ式の杖を持っていた。もしかしたら……

「足、怪我したんですか。アイツ」

「……知ってたの? 普段は何でもない風に歩いてるから、気づく人は少ないのよ」

「ええ、まあ」

 空は言葉を濁した。今日、孤児院で車椅子に乗っていたと言うのを聞いていたし、春名が発作を起こしたあとに春名のロッカーに杖が入っていたのを見ている。

「あの子は大事故だったにも関わらず、奇跡的に助かったけど、ひしゃげた車の間に足が挟まってしまって……脚に大きな損傷を受けたの。お医者様は歩行を出来るまでには回復するだろうっておっしゃってくれたけど、あの子には何の慰めにもならなかったでしょうね。あの子はスケートが本当に好きだったから」

 みさきが棚からこちらに視線を戻した。空と海は言葉もなくみさきを見つめる。

「お医者様が光にそのことを告げた時。私達もいたの。あの子はもうスケートが出来ないって知っても、顔色一つ変えなかったわ。私の方が耐えられなくて、泣き出してしまったけど。あの子はそんな私に謝ったのよ。あの子は何も悪くないのに。嘆くことも、取り乱すことも、悲しむそぶりも見せずに。ただ、申し訳なさそうに謝ったの。私達に、ごめんなさいって」

 その時の春名の気持ちは、どんなものだったのだろう。自分だったらどうだろうと空は考えた。きっと自分なら信じられなかっただろう。いきなり、もう今までやってきたことが出来なくなるなんて。そしてきっと取り乱したに違いない。自分ではどうしようもない事態に困惑して。

「あの子は、それからも様子は普段と変わらない様に見えたわ。もちろん、見た目は事故のせいで随分酷いことになっていたけれど。顔にも大きな傷が出来ていたしね。頬に大きな絆創膏をはってたの……。傷が治って本当によかったわ。あの子の顔に傷が残ったら最悪よねぇ。息子ながらあんなに綺麗な顔してるんだもの……」

 話がずれてきた。春名が小さい時からどんなに可愛かったかを話し始めるにいたって、二人はようやく止めに入ることが出来た。

「あのー、ちょっと春名の顔のことはもういいんで、足の具合とかの話しを聞きたいんですけど」

 呆れた声で海がいうと、みさきは照れたように頬に手をあてた。

「あら、いやだ。私ったら、光には内緒ね」

 そう言って口元に人差し指を当てる仕草がやけに似合っている。

「お医者様の言ったように、歩ける様にはなったの。でも、運動できるほどには回復できなかった。歩くとね、痛みが走るのよ。走ろうとしても五、六歩でうずくまっちゃうの」

「……だからあいつ、体育の授業でないんだ」

 否、出られないのだ。どんなに出席したくても。体育の授業に出ないこを責めた時、春名はどんな気持ちだったのだろうか。出たくても出られないと、言いたかったのだろうか。心の中でそう、反論していたのだろうか。

「先生が何も言わへんのは、それを知っとるからか」

 呟くように海が言った。みさきが頷く。しばらく無言の時間が過ぎた。みさきが何かを思いついたように手を打った。

「よかったら、あの子が滑ってるところ見ない? 撮ってあるのよ」

 思わぬ提案に、空と海は同時に頷いた。

「ぜひ見せてください」

 空には暗くなった気分を、少しでも変えることが出来ればという気持ちがあった。何より、春名がオリンピックに出られるほどのスケーターだったことを聞いていても、いまいちピンと来なかったのだ。それを見られるというなら是非見たい。

 空の家にあるテレビの倍以上は大きなテレビに、映像が流れ出す。みさきはDVDをセットした後、今度は冷たい飲み物を持ってくると言って、階下へ行ってしまった。

『さあ、次は日本の選手、春名光の登場です』

 アナウンサーの声だろう。画面から流れ出た声はやけに綺麗な発音でそう言った。

 画面には小さな人影が、リンクの中央に滑り出てきた姿を映している。映像が変わって、春名の顔がアップになった。緊張した顔をしている。今の春名より、少しだけ頬に丸みがあるが、その顔は確かに春名だった。

 曲が流れ出した。この曲は空も知っている。題名は覚えていないが、世界的に有名なアニメ映画の主題歌だ。曲に乗って滑り出す春名は、その白い衣装の印象もあってか、まるで妖精のようだ。

『今期のオリンピックでは、日本人選手は二人出場しています。春名は今大会では最年少選手です。加藤さん。春名はどういう選手ですか』

 アナウンサーの声に解説の加藤が答えている。

『彼の一番の特徴はジャンプですね。難しいジャンプも軽々とこなしている様に見える。そこが春名の凄いところです。いつもの演技が出来ればメダル圏内にも入ってくるかもしれませんね』

 おおすげー。と空は思った。今まさに解説者が褒めたジャンプを、春名がしたのである。本当に軽々といった感じだ。背中に羽でも生えているようだ。

「あっ」

 思わず声がでた。次のジャンプで、春名は失敗した。完全に尻がついてしまったのだ。痛そうだ。だが春名はすぐに立ち上がって滑り始める。軽やかなステップ、転んだことはまるでなかったような滑りだ。

『尻餅をついてしまいましたね、加藤さん。コレは大きく減点されるでしょう』

『そうですね。一回目のジャンプは綺麗に決まりましたが、二回目のジャンプは踏み切る時に少し軸がぶれていました。やはり、緊張していたのでしょうね』

 などと言っている解説者に、空は少し腹をたてた。

 次のジャンプもまた失敗した。それでもめげずに滑り出す春名。

 みさきさんも、どうせなら失敗していない映像を見せたらよかったのにと空は思った。

 演技が終わった。案の定春名の点数は低い。点数の結果が出た後すぐに、画面が切り替わった。また、オリンピックの映像だ。画面の中に五輪のマークがあるのでそれと分かる。

「なんで、二回もオリンピックの映像があるの」

「あれやろ、フィギアスケートって、二回やるやん。えーと、ショートプログラムと、何とかプログラム」

「何とかって、なんだよ」

 海に顔を向けると、眉を寄せた海と目が合った。

「覚えてへんもん。しゃあないやん」

 答えはすぐに分かった。画面の中で、アナウンサーが言ったのだ。二人は画面に視線を戻す。

『大会二日目。男子フィギアスケート、フリープログラムがまもなく始まろうとしています』

 画面はリンクの中で複数の選手が練習している姿を映しだしている。その中に春名もいた。

「こうやって見ると、知らん人見たいやな」

「ああ、なんか雰囲気も違うしさ」

 すぐにまた画面が切り替わった。春名の出番があるところだけ、映っているようだ。

 さっきの白い衣装と打って変わって、春名が着ているのは黒っぽい、どこか忍者を思わせる衣装だった。曲もアナウンサーの言うところでは、オリジナルの、日本を意識した曲らしい。

 先ほどは、画面から伝わるほど緊張の面持ちをして滑っていたが、今度のフリーでは緊張感がさほど伝わっては来ない。もちろん、緊張していないわけではないのだろうが、前回の演技の時より、リラックスして見えるのだ。空の気のせいかも知れないが。もしかしたら、ショートプログラムで失敗したことによって、良い意味で色んな事が吹っ切れたのかもしれない。

 春名が滑り出した。太鼓のリズムに合わせて、ステップする春名の顔には笑顔も見える。観客たちがその音にあわせて手拍子を始めた。

「あ、ジャンプする」

 春名がジャンプの体勢を取ったとき、思わずそう口走っていた。ふわりと春名の身体が浮いた。くるくると回り、危なげなく着地したと思った時、またもジャンプした。連続ジャンプだ。三回連続でジャンプした春名の顔に、今まで見たことも無いような笑顔が浮かぶ。

 こんな顔で笑えるんだ。空は画面に見入った。解説者が、今のジャンプの種類を言っていたが、もう空の耳には入ってこなかった。

 春名が、笑顔で滑る。観客達の手拍子が鳴る。空と海は完全に魅せられていた。春名の演技に。

 この演技が春名にとって、最後の演技になってしまったことを、二人は知らない。知っていたらきっと、辛くなって見ていられなかっただろう。

 演技が終わると、観客達が立ち上がって拍手をしている。リンクに花束や、ぬいぐるみが落とされた。その一つを手にとって、春名はリンクを出た。

 映像はまだ続く。上気した春名の頬はうっすらと赤みがかっている。息遣いは荒く、その運動量が察せられる。見ている間は今の演技が、それ程激しいようには見えなかったが、やっている方は、それはしんどいのだろうと空は思った。

 春名はリンクを降りた後、コーチと思しき男性と抱き合った。男性は春名に良くやったとでも言っているのだろう。笑顔で、春名の背を叩いている。

「この人が、亡くなったんかな。……事故で」

 言われて、空は思い出した。みさきが言っていた。事故で、運転手とコーチが亡くなったと。

 春名と男性が並んで採点が下るのを待っている。アナウンサーが、春名の隣に座る人物を、コーチだと紹介した。

 長瀬コーチと紹介された男性は春名に何か言っている。春名は、観客からプレゼントされた小さな白いクマのぬいぐるみの手をとって、ぬいぐるみに手を振らせながら、何か言っている。音声が入っていないようで、何を言っているのかまでは解らない。

「なんとかチャンって言ってるで、春名のやつ」

「えっなんで分かったのさ、そんなこと」

 驚いた空に、海は画面を指差して言った。

「唇を見れば分るやん。ほらまた」

 そんなことを言っている間に、点数が出たようだ。会場が沸いた。かなりの高得点だったらしいが、良く分らない。画面の中で、春名とコーチが立ち上がった。そこで、画像が止まった。空はテーブルに置かれていたリモコンで、電源を切った。

「どうだった」

 聞かれて驚いた。その声は海からではなく、部屋の入り口の方から聞えてきたのだ。

 ドアにもたれるようにして春名が立っていた。手にはコップが三つのった盆を持っている。コップの中身はオレンジジュースだろうか。いつの間に部屋に入ったのだろう。空は全く気づかなかった。

「いつの間に……」

「お前らが、バカみたいに口あけてテレビ見てる時」

 そう言って春名は少し足を引きずるようにして歩き、コップを二人の前に置いた。そして自分の分のコップをもったまま、ソファーの背後にあるベッドに腰掛けた。

 いつもなら春名の物言いに腹を立てる空だが、今はそんな気にはなれなかった。

「あのさ、俺たち、実は……」

 春名は空の言葉を最後まで聞かず、手をあげて制した。

「母親から聞いてる。全部聞いたんだろう? 僕がお前らのこと知ってたことも、事故で足を怪我したことも」

「ああ。ごめんな」

 するりと、謝罪の言葉が出た。自分でも驚くほどに。

「別に、謝る事はないよ。こっちだって、お前らのこと勝手に見に行ったり、ストーカーじみたことをしてるからな」

「ストーカーって。お前……」

「隠れて見られてるなんて、いい気はしないだろう」

 春名がそう言って、コップに口をつける。つられて、空と海もオレンジジュースを飲んだ。味が濃い。絶対果汁百パーセントだ。

「そんなんは別にいいねん。なあ、さっきの映像で、おまえ誰かの名前呼んどったよな。なんとかちゃんって。彼女の名前か」

 それこそどうでも良いような海の問いに、少しの間考えるような顔をした春名は、思い出したように答えた。

「ああ。コーチの娘さんの名前だよ。のんちゃんって言ってるんだ、あれは。コーチに頼まれたんだよ。娘の名前を呼んでくれって」

 そう言う春名の顔に嘘はなかった。本当のことなんだろう。空は、気になったことを聞いていた。

「あのコーチってさ。もしかして、事故で亡くなったっていう……」

 そこまで空が言った時、春名は持っていたコップを強く握り締めた。酷い事故だったという。思い出したくはないのだろう。コップを見つめている春名の表情は分かり辛い。

「あの、言いたくなかったら、別に言わなくても」

 空がそう言うと、春名は顔を上げた。

「いや、別に。……そうだよ。亡くなったのはあの人だ」

「そうか。……なあ、春名。何でお前、足が悪いこと皆に言わんかったんや。知とったら皆、お前のこと悪う言わんかったと思うで」

 ソファーの背もたれに腕を置いて海が聞いた。春名は淡々と口を開いた。

「言ったところで、そう変わらなかったと思うけど。足に怪我してなかったって、陰口は言われてたからな。今も昔も」

「……それはお前の態度の問題だろ」

 ついそう言っていた。春名はまだ固い表情だが、口元が笑うように動いた。

「悪かったな、態度悪くて」

「ほんまやで。態度の悪いお前と短気な高橋の間に入って、俺はもう苦労ばっかりや」

 大げさに海がそう嘆いて見せた。暗い気分だった筈なのだが、なぜか笑いが込み上げて、三人して笑った。

「あーあ、なんかさ、俺たちが兄弟だって分かって、気になってたお前の過去も分かってさ、お前には悪いけどちょっとすっきりした」

 一頻り笑ったあと、空はベッドに座る春名を軽く見上げて言った。

「でも、まだ何も解決してないんだぞ。教室の件もウサギ小屋の件も」

「まあそれは、そうだけど」

「はーい。ここで提案」

 突然海が手をあげた。

「せっかく俺達がほんまの兄弟やって分かってんし、今日は暴露大会しようや」

「暴露大会?」

 春名が訝しげな表情で問う。

「つまりや、俺らだけお前の過去知ってもうたやんか。それって何か不公平やろ? だから、今度は俺達の話ししたろうっちゅうこと」

「ああ、それいいかも」

 空は海の提案に大きく頷いて賛同した。そして海を真似て手をあげる。

「ついでに俺からも提案。兄弟だって分かったんだしさ、名前で呼ばねー? 苗字で呼ぶのって変な気がする」

 空の提案に、二人は嬉しげに頷いた。

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