プロローグ
蝉がいっせいに鳴き出した。山の中腹に位置するこの墓地に、その鳴き声が響き渡る。生ぬるい風が墓地を通り過ぎた。
墓地の間の道を、ゆっくりと歩いていた少年が、通過していった風に眉を顰めた。
暑い。箒と塵取りを握っている手が汗ばんでいる。汗が額や背中を流れる感触が気持ち悪い。見上げると日は中天より少し西にある。午後二時。日中では一番暑くなる時間帯だ。暑さに自然と目線が下がる。足下には小さな自分の影があった。
ふと前を歩く同い年の弟が、速度を落としたような気がして、少年は顔を上げる。少年の弟は手にしたメモ用紙と、墓石に刻まれた文字を見比べながら歩いている。そのためなかなか前に進まない。少年は前を歩く弟にまだ見つからないのかと、声をかけようとした。だがそれより早く、弟が立ち止まり、こちらを振り返った。
「なあ、ここちゃうか?」
言って目線で墓を示した。そんな弟からメモを受けとって、少年は墓石に刻まれた名を確認する。
「ここだな。先に掃除始めようか」
弟にそう言って、少年は手にしていた塵取りを地面に置く。弟は少年に頷き返し、墓に供えられていた、枯れた花を抜いて塵取りの中に入れた。持ってきた花を変わりに活ける。
流れてくる汗を何度も拭いながら、二人は手早く掃除を終えた。箒とゴミの入った塵取りをひとまず脇に置いて、二人は墓と向き合った。
「ここに眠ってるって、変な気分やな……」
「うん……」
急に静かになったと感じて、すぐにその理由を思いつく。蝉がいっせいに鳴き止んだのだ。
二人は同時に墓の前にしゃがみ込むと手を合わせた。目を瞑ると途端に周りの音が大きく聞えてくるような気がする。しばらくして目を開けると、隣の弟に視線を向けた。
弟は立ち上がった。それにつられるように立ち上がった少年とともに、先ほど来た道の向こうを見る。目を細めて見る先に、墓石が立ち並ぶ以外人の姿はない。しばらくそうして、二人は黙って立っていた。その沈黙を破ったのは少年だった。一度口を開き、だが躊躇うように口を閉ざす。また風が吹いた。弟と良く似た、薄茶色の髪が揺れた。
「なあ。アイツなんで、飛び降りたんだろう」
「はあ?」
急な問いに、意味がつかめなかったらしい弟が訝しげな声を上げた。だがすぐに察しがついたように、はっと目を上げた。
「ああ、アイツのことか」
ここにはいない二人の弟のことを言いたかったらしいと、弟は気づいたようだ。少年は、頷いた。
「そう。アイツが校舎の屋上から飛び降りた時、俺、マジで自分が死んだような気がした。本気で怖かったんだ。アイツは怖くなかったのかな。死ぬこと……」
あの事件が起こったあと、この話しを少年と弟は互いに避けていた。どうして今、少年はこの話しをしだしたのだろうか。だが、弟はそんな考えを追い払い、少年の独り言のような問いに答えた。
「どうやろ。もう、麻痺してたんかもな。怖いって感覚も悲しいって気持ちも」
「それならそうといってくれたら良かったんだ。辛かったら辛い、悲しかったら悲しいって、溜め込むからあんな事になるんだ。俺たちは、たった三人きりの兄弟なのに」
「……そうやな」
弟の同意の声を最後に二人は黙り込んだ。
視線はずっと誰もいない細い道に向けながら。