第九章 第二四節
戦乱の響きは独特で、聞く者のこころをその内奥から揺さぶりつづける。
だが、それがかならず否定的な方向へ人の気持ちを向けるとは限らない。世の中には、そこから他にはないある種異様な高揚感を得る存在もいた。
――俺は、昔と何も変わっちゃいないらしい。
剣の響き、戦いの波動にどうしようもない喜びを感じてしまう。そんな自分に呆れるということをくり返しながら、アセルスタンは一歩一歩侯都に近づいていた。
――少し遅くなったか。
飛び出していったアーベルたちをここまで急ぎ追いかけてきたが、いかんせん地上を進むのでは速度に限界があった。
遅れた理由は他にも明確にあるのだが、それよりも今は周りの状況が気になった。
――この雰囲気――戦いは終わりつつあるな。
空気の振動でわかる、一方が一方を完全に押しはじめた。こうなったら、そうそう簡単に情勢をひっくり返せるものではない。
遅すぎたかもしれない、という思いがどうしようもなく込み上げてくる。目的があってここまで来たが、すべて間に合わなかったというのではあまりに無意味。
――アーベル、どこにいる。それに〝奴〟も。
上空を舞う翼人の数は確実に減りつつあり、戦域から離脱していく者も多い。
そんな中で、あの黒翼の少年は今どうしているのだろう。
危うさと同時に可能性を秘めた存在。それゆえに、先達がある程度は道を示してやる必要があった。
それに、
――俺のようにはなってほしくない。
自分は大きなものを失ってから、初めて真実を知った。それもひとつの人生なのだが、後悔と自責の念は大きい、大きすぎる。
だからこそ、多少なりとも自分こそが年下のわからずやを諫めてやりたかった。一歩間違えば、取り返しがつかないことなのだから。
――本当に届くかどうかはわからないが。
たとえ自分が間に合わずとも、白翼の彼がなんとかしてくれているような予感もあった。
ふぅ、と、らしくもなくため息をついてしまう。疲れているのではない、この情勢の波に乗り遅れた現実に苛立ちを隠せなかった。
そんなアセルスタンが、ふと東の空を仰いだところで動きを止めた。
ここから離脱していく翼人が多いというのに、ある一団がむしろ戦域に近づいていく。
――なんだ?
己の胸の鼓動が跳ね上がった。まだ対象をとらえきれていないというのに、血液の流れる耳障りな音と同時に、なぜか汗が流れた。
目を凝らす。その先に見えたものは、ある面ではもっとも求め、別の面ではもっとも嫌う存在だった。
――ヴォルグ族。
みずからの片翼と同じ紅色の翼。その隊形、速度からわかる。あれは――
「ケルヌの奴か……」
ヴォルグ族最強の隊のひとつ。両翼のあったかつての自分が全力でぶつかったとしても、勝てたかどうか疑わしい相手。
だが、問題はそんなことではない。|なぜ;、@bここにヴォルグ族が来たか《、、、、、、、、、、、、、、、、、、》ということだ。
――まさかとは思うが、今回の一件は奴らが画策したのか。
いや、そんなはずはない。ヴォルグ族は人間の諸事にまったくの無関心で、毛嫌いしているといっても過言ではない。
連中がみずから人間の世界にかかわろうとすることなど考えられなかった。
――それとも、俺が抜けてからヴォルグ族も変わったというのか。
有り得ない話ではない。今の時代、人間も翼人もすべてが揺れ動いている。翼人の部族が変質することだってあるだろう。
――そもそも、俺はヴォルグ族が他の部族を滅ぼすようになった理由を知らない。
無知の塊。それがアセルスタンという男だった。
そんなことより、問題はアーベルだった。この状況下で、いったいどこへ行ったというのか。
いずれにせよ、飛べない自分があの隊を追えるはずもない。本来の目的に戻るべきだった。
どちらへ進むべきか計りかねていると、後方から騒がしい足音と息づかいが近づいてきた。
「ちょっと……待ってよ……」
丸っこい犬のような男が息も絶え絶えの様子で前屈みになって、足を引きずりながら歩いている。
「お前までついてこなくてもよかったのに」
「そうはいかないよ。僕だってやるべきことがあるんだ」
アセルスタンが立ち止まってくれているあいだにようやく息を整えて、ジャンは流れる汗を服の袖でぬぐった。
「だらしのない奴だ、これくらいで」
「翼人の君にここまでついてきたんだから、ちょっとは褒めてよ……」
「勘違いするな。いったい、今まで何度休憩したと思っている。本当は置いてきてもよかったんだが、お前たちにもしものことがあったらアーベルに恨まれそうだからな。そこのチビも」
「チビって言わないで」
視線を向けられた白翼のマリーアが、その物言いにむっとして唇を尖らせた。
「なんだっていい。俺には俺のやることがある。ここからは、お前たちも好きにしろ」
「僕たちだって、目的があるんだ。アーベルのこともそうなんだけど、他にも確認したいことがあってね」
「そうか。俺には関係のない話だ。戦に巻き込まれたくなかったら、お前たちはここの外にいるんだな」
「そ、そりゃ本当は怖いけど――」
「だったら、これ以上近づくな。その辺で隠れてろ」
「じゃあ、アセルスタンが同じ立場だったら逃げるの?」
「――――」
「どうしてもやらなきゃいけないって自分で決めたんなら、やるしかないじゃないか。それは、翼人も人間も関係ないだろ?」
「そのとおりだ。じゃあ、好きにすればいい。俺はもう止めはしない」
「あ、待ってって!」
再び背を向けたアセルスタンをあわてて呼び止めた。
「なんなんだ? 俺は忙しい」
「さっきのあれ、ひょっとしてヴォルグ族じゃないの?」
「そうだ。この辺で紅色の翼なんて他にいない」
「……ねえ、アセルスタン。ひとつだけ聞かせてほしい」
「だから、俺は忙しいと――」
「翼人の世界を揺るがす大事なことなんだッ!」
鬼気迫る一喝に、さすがのアセルスタンも振り返った。
「……どういうことだ?」
「それは、ひとつの質問だけではっきするよ。|君たちヴォルグ族が白い翼のクウィン族を滅ぼしたのか《、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、》?」
予想外の問いに一瞬動きを止めたアセルスタンであったが、すぐに鼻で笑い飛ばした。
「何をばかな。双翼の戦士、マクシムとファルクがいた最強の部族にみずから戦いを挑むことなど、いくら戦いに取り憑かれたヴォルグ族でもするわけがない」
「本当なんだね?」
「当たり前だ。俺たちが無軌道に戦いをつづけていたことは事実だが、もしクウィン族を狙うとなったら、俺たちにとっても命を懸けた戦いになる。きっと戦う前から大騒ぎになっただろう。少なくとも忘れるはずがない」
「なるほど……」
それを聞いたジャンは顎に手を当て、うつむいて考え込んだ。
不可解な思いなのはアセルスタンのほうだ。
「どういうことだ? なぜ、そんなことを聞く?」
「これではっきりしたよ。間違いなく、君たちの偽物がいる」
「はあ?」
「驚くのも無理はない。だけど、クウィン族の生き残り――このマリーアが見たって言うんだ、部族が滅ぼしたのはヴォルグ族だって」
「本当だよ、確かにみんな紅色の翼だった」
「――そういえば、奴もそんなことを言っていたな」
ヴァイクとの初めての戦い。こちらがヴォルグ族だと知ったとたん、明確に〝仇〟だと叫び、怒りに任せて襲いかかってきた。
あのときは、自分も狂ったように戦っていたから気にもとめなかったが、改めて考えてみると明らかにおかしい。
「偽物か……。意図がわからんな。みずからヴォルグ族が受ける恨みを肩代わりするとは」
「だからこそ不気味なんだよ。ヴォルグ族の真似をして得をすることなんてないはずのに、確かにそれをしている者たちがいる。そこには、かならず目的があるはずなんだ。さっきの連中がそうかもしれない」
「いや、それは違う」
「え? 違うの?」
「今来てるのは、あの隊の組み方、陣形からして本物のほうだ。他の部族の者がすぐ真似できるようなもんじゃない。だが、なんでこんな人間同士の争いに加わるのかがわからん」
「やっぱり、他の部族と一緒で人間には無関心なの?」
「そうだ。みずから人間の争いに関与するなんて普通はしない。うちの部族に限った話じゃないだろう」
「そうだろうね……」
これまで人間と翼人は事実上、接点がなかった。いくら好戦的なヴォルグ族とはいえ、本来ならここへ来る理由はないはずだ。
「ともかく、これはことの真相を確かめる絶好の機会だよ!」
「なるほどな。じゃあ、その件はお前に任せた」
「……は?」
「俺にはやることがあると言ったはずだ。確かに俺はヴォルグ族の出身だが、今はそれよりも大事なことがある」
「で、でも、僕には本物と偽物との区別なんてつかないよ!」
「さっき言っただろう。あれは、本物だ。つまり、ここにいる紅色の翼はすべてヴォルグ族だと思っていい」
「…………」
「お前は機転が利くみたいだからな。そこからなんとかして真相を突き止めてみせろ」
「そんなこと言ったって……」
まだ、真相はおぼろげながら見えているだけだというのに、人間の自分が翼人の秘密をひとりで暴けるはずもない。
しかし、アセルスタンに手伝うつもりは言葉どおりまったくないようだった。
覚悟を、決めるしかなかった。
「――わかった、できるだけ探ってみる」
「無理はするなよ。自分には不可能なことから逃げるのは、けっして恥じゃない」
「ヴァイクと同じこと言うんだね。要するに、戦うのと同じくらい時機を見て引くことも大事だってことだろ?」
「そういうことだ」
「大丈夫、僕は臆病だから逃げることに関しては自信がある」
「……それは威張ることじゃない」
呆れるアセルスタンの隣で、マリーアがくすくすと笑っている。
まったく気にせずに、ジャンは自身の荷物を抱え直した。
「町中は大変なことになってるみたいだから、とりあえずこの周辺から調べてみるよ。翼人は空を飛ぶけど、地上からしかわからないこともあるかもしれないし」
「それはある。俺も翼を失ってから気づいたことが多かった。だが、そこのチビから目を離すなよ」
「チビじゃない!」
どうにも相性がよくないらしい二人は、こうしてアセルスタンが余計なことを言ってマリーアが怒るということを、道中幾度となくくり返していた。
ジャンを先頭に、二人は先に去っていった。後ろに従うマリーアはわざわざ半身だけ器用に振り返り、舌を出して挑発していた。
――〝奴〟の子供の頃みたいだな。
ああいう生意気な女を見ていると、不愉快な思い出が甦ってくる。
――ヴォルグ族、か。
今となっては遠い存在。だが、意外と再び近づいているかもしれなかった。
この世界で生きているからには、もはや無関係ではいられない。翼人と人間のあいだでさえそうなのだ。ましてや、かつていた部族との〝縁〟がそうそう簡単に切れるはずもなかった。
――それが、俺にとってどんな意味を持つのかはわからないが。
自分も行こうと一歩踏み出した直後、上方からやにわに音が聞こえてきた。
見上げれば、そこに紅い翼。
――ヴォルグ?
だが、違った。翼人のなかでもずば抜けて目のいいアセルスタンは、その正体をすぐに見抜いていた。
「噂をすれば、か」
見慣れたその姿に思わずため息をつく。懐かしい、という感情はまるでなかった。
「何をしに来た」
目の前にやってきた女翼人に相対しても、その表情は無愛想なままだった。
「まあ、随分な言い草ね、感動の再会だというのに」
「俺は感動していない」
「私は違うわよ、あの育て方を間違った弟が、いい目をするようになったんだから」
「そんなことはどうでもいい」
強引に話題を変えようとすると、すっと歩み寄ったヴァレリアがアセルスタンの胸に触れた。
「傷はもういいようね」
「お前が俺を運んだのか?」
「白い翼の男に感謝するのね」
――白い翼――ヴァイクか?
アセルスタンは首をかしげるが、当のヴァレリアにさして興味はないらしく問うたところで答えが返ってきそうにもなかった。
その視線が、背のほうに向いている。
「戦いに負けて翼を失ったっていうのは本当のようね」
「うるさい。俺はそのかわり、大事なものを得た」
「そのようね。まあ、勉強代としては高くついただろうけど」
「いや、安いものだ。無知なままのうのうと暮らすよりずっとましだ」
「ふぅん」
けれんみなく言い切った弟に、ヴァレリアは目を細めた。
――やっぱり、人は変われる。
自分が部族を抜けた時点でも、すでに弟は力の亡者となっていた。姉としてどうすることもできず、気がつけばこころは黒く染まっていた。
確実におかしくなっていく肉親を見ていることしかできない、どうしようもない無力感があった。
――どこの誰だか知らないけど、姉として感謝するしかないようね。
だが、当の弟の側は、そんな姉の思いなどどこ吹く風といった体であった。
「俺の質問に答えろ。なんでここにいる」
「まったく、そんな言い方しかできないの? 内面はたいして変わってないようね」
「そっちこそ。で? どうしてなんだ」
「うーん、話せば長くなるんだけど、端的に言えばもうひとりの弟を捜すためね」
「なんだと?」
「白い翼の男を追ってるのよ。見なかった?」
「白い翼」
「あんたみたいに聞き分けのない奴」
「…………」
嘘を言ってやろうかとも思ったが、わずかな良心が邪魔をした。
「なんで、奴にこだわる」
「あんたと同じだから」
「はあ?」
「出来の悪い弟ほどかわいいってことよ」
むっとするが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
――どういうことだ。
白い翼というのは、おそらく奴のことだろう。だが、なぜこの女がクウィン族の者にこだわる?
わからないことだらけで、ひどく不愉快だった。
「ただ、もうひとつ――」
ヴァレリアは、先ほどとはまったく異なる、わずかに苦悩をにじませた表情でつぶやいた。
「ねえ、変なことを聞いてもいい?」
「姉貴はいつも変だ」
「私の弟はどいつもこいつも……」
舌打ちしつつ、それでもつづけた。
「あの、〝アイラ〟を見なかった?」
それまで泰然としていたアセルスタンの表情が急変した。
「まさか……あのはぐれ翼人の中にいるというのか!?」
「わからない……でも、見かけた気がするのよ。歳を考えれば、そろそろ戦えるようになっていてもおかしくはない」
「しかし、あいつはもう――」
「わかってる。だから、どういうことかと思って」
面影は、間違いなくあの頃のままだった。それを見過ごすほどには、互いの関係は浅くはない。
――アイラ。
自分たちのせいで犠牲となってしまった少女。生きていてくれるのならそれだけで十分だが、もしまだ間に合うのなら今度こそ救いの手を差し伸べたかった。
だが、アセルスタンの思いは、ヴァレリアのそれとはわずかにずれていた。
「――もし本当に彼女だとしても、本人が自分の意志で動いているなら、俺たちに止める権利なんてない。同族だからこそ、なおさらな」
「それはそう、だけど」
反論はできない。彼女をまさに追い込んだのは当の自分たちだった。
――アイラ、か。
部族のためにみずからを捧げた少女。
戦いに狂ったかつての自分ですら、彼女のために命を捨てることは厭わなかっただろう。否、それができるというなら戦士として何よりの誇りだった。
もし今、再会したとしたら、自分は――
「ああ、そうだ。話し込んでる場合じゃなかった。すぐに行かないと。あいつ、まだ何しでかすかわかんないし」
ヴァレリアはあいさつも別れを惜しむこともなく、西の空へ向かってさっさと飛んでいった。
アセルスタンとしても、そんなことをする柄ではない。
ただ剣の位置を直し、北へ向かって歩きだしただけだった。




