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第九章 第二一節

 ――やっと、打てる手は打てたかな。

 まだ落ち着けるような状況ではないことは、重々承知していた。だが、ようやく必要な指示は一通り出し終え、戦況を見守る余裕が生じていた。

 いつもの自室、しかし常とは違う異常な町の様子に、アーデは顔をしかめるほかなかった。

「ナータン、レベッカは?」

「まだ戻ってきてない。ヴァイクの居場所もわからないよ」

「そっか……」

「大丈夫だって、アーデ。俺たちがいれば」

「わかってる、レーオ」

 ゼークの指示で城の塔に戻っていた蒼い翼の戦士に、アーデはひとつうなずいた。

 しかし、思うように進まない現状に気が気ではない。町中(まちなか)の戦闘に沈静化の気配はまるでなく、むしろ戦域は郊外へ向かって拡大しているようにも見える。

 すぐに戦況が変わるはずもないのだが、今のところ見ていることしかできない現実に苛立ちを隠せなかった。

 だが、状況の変化は突如として訪れるものだ。

「え、何?」

 急に城内が騒がしくなりはじめた。方々で剣戟の音が響き、不穏な声が窓の外から入り込んできた。

 周りが止めるのも構わずアーデは窓際へ駆け寄り、そこから身を乗り出すようにして周囲をうかがった。

 原因はすぐにわかった。

 城の内部で戦いが起こっている。方々で争いが始まり、城の守備隊が総出で対応している。

「なんで城の中にまで敵兵が!?」

「翼人だ!」

 即答したのは、目のいいナータンだった。

「でも、人間の兵士もいるじゃない!」

「だから、翼人が運んだんだよ! 襲撃のタイミングを合わせただけじゃない、彼らは本当に結託していたんだ!」

 ――なんてこと。

 まさか、ここまでのことをするなんて! この状況を想定できなかったとは、こちらの考えが甘かったのだろうか。

 衝撃を受け、窓辺から一歩も動けないでいるアーデの眼前に、見慣れた朱色の翼が近づいてきた。

「レベッカ……」

「アーデ、厄介な不測の事態だ。絶対にここを動くなよ。この部屋にいれば、私たちが確実に守りきれる」

「そうだぞ、アーデ。無理をしなくてもここで指揮を執ればいい。戦うのは俺たちだけで十分だ」

 と告げて振り返ったレーオは、ぎょっとした。

 言ってるそばから、アーデが小型の弩弓(どきゅう)をすでに構えている。

 しかも、すぐさまそのトリガーを引いた。

 背後にある窓の奥から男の悲鳴が聞こえてきたのは、直後のことであった。

 左の翼に太矢(ボウルト)をまともにくらった相手は、きりもみして下へと落ちていく。

「心配しないで二人とも」

 次の矢をつがえながら、アーデは決然と言い放った。

「自分の身くらい自分で守る。二人は、自分の戦いに専念して」

「でも――」

「もう、守られてばかりなんて嫌。私も、今度こそ戦う」

 その決意に満ちた瞳を見れば、何を言っても無駄であろうことは明白だった。元より、諫めたところで聞くような玉ではない。

「あのー、僕もいるんだけど」

「あ、そう」

 ひとり〝戦力外〟のナータンは放っておいて、アーデは二人に向き直った。

「というわけで、窓のほうは私に任せて。弓で射かけられることがわかっているのに入ってこようとする翼人はいないでしょう。レベッカたちは通路のほうを」

「――わかった」

 本当は言いたいこともあったが、今は緊急事態。議論している時間的余裕なんてあるはずもない。

 しばらく、集中を高めてそれぞれが状況の変化を待った。外では、以前にも増して激しい戦いがつづいている。

 レーオが、あからさまに顔をしかめた。

「だいぶ、城の中へ入り込まれたな……」

「ここに来るのも時間の問題だ。覚悟を決めておけ」

「わかってるよ、レベッカ。なんとなくだけど、俺、いつかこうなるような気がしていた」

「レーオ……」

「こんな時代だぞ? ここだけずっと安全なんてこと、あるわけないじゃないか。きっと、すべての地域が全部こんな感じになっていく。そんな予感がアルスフェルトのときからあったんだ」

 ――そうだ、そのとおりだ。

 ふだんはどこか抜けているレーオであったが、彼の感は鋭い。

 自分たちだけ恵まれた環境にありつづけるというのは、いくらなんでも虫のよすぎる話。この混乱した世界に同じように存在しているからには、なんらかの形でかかわり、巻き込まれていくのが当然というものだった。

 ――どこかで油断があったのかもしれない。

 ここが攻められるはずがない、ノイシュタットを、シュラインシュタットを攻撃する愚か者なんて存在するわけがない、と。

 己の認識の甘さに歯噛みする。

 ――またしても、私のせいで仲間が……シュラインシュタットのみんなが……

 まさに身を切られる思いに体が震える。

 しかしアーデはすぐに、己の無力さをさらに思い知らされることになった。

「誰か近づいてくる」

 レベッカの声にはっとして顔を上げると、窓の外からこちらへ一直線に向かってくる影があった。場違いな考えごとをしていたアーデはあわてて弩弓を構え、そちらに正対した。

「待て、アーデ」

「うん?」

「あれは――ゼークだ」

 味方であることにほっとしたものの、いつもとは異なった雰囲気でレベッカの表情が硬くなったことが気になった。

 程なく、灰翼のゼークが部屋に着いた。

 その彼が開口一番発した言葉に、一同は全員眉をひそめた。

「――お嬢、逃げろ」

「は?」

「悔しいが、ヴァレリアの奴が言ったことは本当だった」

「どういうこと?」

「奴らの狙いはシュラインシュタットじゃねえ、正確にはこの城(、、、)なんだ」

「それはわかってる。だから、これだけ敵の戦力がここに集中してるんでしょ」

「じゃあ、なんで城を狙う?」

「それは――相手に、精神的にも政治的にも打撃を与えるために……」

「俺たちもそう思ってた。だが、敵のひとりを縛り上げて吐かせてみたら、狙いはもっと明確だった」

 アーデが視線で先を促した。

「敵の狙いは、お嬢、おめえだ」

「え……」

「理由はわからん。だが、人間の兵にも翼人にも侯妹を狙えという指示が出てるらしい。お嬢、おめえは勘違いしてんだよ」

「勘違い?」

「城の周囲がこんな感じで荒れてると思ってるだろ? そうじゃねえ、この塔の周りだけが激戦になってるんだ」

「そういうことか、何かおかしいと思ってたんだ」

 それまで黙っていたナータンが、おもむろに口を開いた。

「翼人が人間を城壁の内側に運んだにしても数に限りがあるはず。それなのに、地上からも城を襲撃するのはおかしい気がしてたんだ」

「そんなやり方じゃ、数が足りねえからな」

「そう。相手は、部隊というより密偵が忍び込むような感じでここを狙ったんだ」

 敵にとってはいちかばちかの作戦。だったらいくらでも適切な対応の仕方があったというのに、勘違いからその時機をすべて逸してしまった。

「仕方のねえことだが、ここに留まったのはお前たちの判断ミスだ。さっさとここを離れていれば、敵はもう事実上、お嬢を見つけ出すことはできなくなっていたのに」

 その指摘に、レベッカが唇を噛んだ。

 だが、後悔するのはあとでいい。

「今からでも遅くはない。アーデの離脱を最優先に、すぐ動くべきだ」

「ああ、そうだ。だが、窓の外は駄目だ、敵の数が多すぎる。危険を承知で地上を行くしかねえ」

「そうか……」

「俺は念のため、上空から警戒する。レベッカ、レーオ、おめえらは地上を逃げるアーデを直接守れ。わかってるとは思うが、絶対に離れるな。ナータンは伝令だ。他の連中にここへ集まるように知らせろ。もう、町の上空なんてどうでもいい。それから、下にいるヴィトーリオにもな」

「ヴィトーリオにも……? わ、わかったよ!」

 まず、弾かれるようにしてナータンが窓から飛び出していく。さすがの彼も、今は怖がっている場合ではないことをわきまえていた。

 そのあとにすぐ、必死の形相をしたゼークがつづく。よく見れば、翼にも体にも生々しいいくらかの切り傷がある。そのことが、自分たちの置かれた状況の悪さを如実に物語っていた。

 あとには、ひとりの人間と二人の翼人戦士のみ。

「敵がどうして私を……」

 兄がいるのなら、まだわかる。いわゆる暗殺作戦だ。

 だが、この状況、この情勢で自分を倒したところで、ノイシュタットや帝国の怒りや憎しみを買うだけで得るところがない。

 ということは、

 ――私の知らない裏がある。

 こんなとき、ユーグがいたら適切なアドバイスをくれるのだが。

「アーデ!」

「あ、はい」

「考えるのはあとだ! 塔の中にまで入られたようだ。追い込まれる前に行くぞ!」

 いつになく緊張感を張り巡らせたレベッカが、アーデの腕を強引に引っぱっていく。

 だが、敵のほうがわずかに早かった。

 扉を蹴破り、数人の男がなだれ込んできた。

「ノイシュタット侯姫(こうき)アーデルハイト、覚悟ッ!」

 突っ込んできた敵に、まず蒼翼のレーオが立ちはだかった。

「させるかよッ!」

 敵の単調な太刀筋をあっさりとかわし、がら空きになった敵の側面を問答無用に斬りつける。

 残る二人は同時にやってくるが、レーオは剣を横薙ぎに振るって相手を引かせ、その隙をレベッカが突いた。

 一瞬ののち、まともな防御をすることもできず、二人ともが倒れ伏した。

 いつも安穏と暮らしていた平和の象徴だった自室、つい今朝まできれいだったはずの部屋があっという間に文字どおり血に染まっていく。

「――――」

「行くぞ、アーデ!」

「わかってる!」

 促されるまま、二人と一緒に部屋の外へと出た。

 幸い、通路に敵兵の姿はなかった。だが、味方の姿もない。戦える者は皆、外へ出て剣を振るっているのだろう。

 塔の扉を開けた刹那、銀の輝きが目に飛び込んできた。

「!」

 反射的にレベッカが剣を掲げ、その横をレーオがすり抜けた。

 金属同士がぶつかる激しい音――だが、それが鳴りやんだときにはもう、相手の兵士は倒れ伏していた。

「やっぱり、ここもやばい……」

「レーオは後ろを。私が前を警戒する」

「わかった」

「殿下!」

 再び走りだそうとした三人を呼び止める声があった。

 見ると、見習い騎士の鎧をまとったまだ若い男が駆け寄ってくるところだった。

「あなたは、確か……」

「ユーグ卿の配下、ティーロの同僚の者、ミロードです」

「なんの用だ。状況はわかっているだろう? 急いでいるんだ」

「レベッカ殿、我々がおとりになります」

 その言葉にはっとなったのはアーデのほうだった。

 よく見れば、ミロードの後ろにひとりの少女が控えていた。

「同世代の女性を連れてきました。我々が塔にあえて残ることで、敵の目を引きつけます」

「しかし……」

「選択の余地はあまりません。この者も覚悟はできております」

「はい、殿下のためにこの命を捧げられるのなら本望です」

「…………」

 まっすぐな瞳でそう語る短い黒髪の少女は、アーデより年下なのではないかと思えた。

「このマントを羽織ってください。ここで働く女官がよく使うものです。御身にはふさわしくない物ですが、今ばかりはご容赦を」

 受け渡されたそれは、少し灰色がかった白の簡素な布地であった。

「アーデ……」

 外套を握りしめ、無表情のまま何も反応がない侯妹に、レベッカは心配げな視線を送った。

 姫がようやく口を開いたのは、焦れたミロードが一歩踏み出してからのことだった。

「――駄目。私は、けっしてそんなことを許さない」

「殿下、しかし……」

「己の保身のために仲間を死地へ追いやってまで生きたいとは思わない」

「アーデ、今は――」

「レーオ、レベッカ、この世界を変えるんじゃなかったの!」

「!」

「翼人が自分のために同族の命を奪うのと、この娘を替え玉にして自分だけ生きるのと何が違うというの!」

 アーデの瞳は燃え上がっていた。周囲の戦士のこころを圧倒するほどに。

「追い込まれるたびに理想を曲げるのだったら、そんなものはもう飾りでしかない!」

「…………」

「自分の理想に本当の意味で命を懸けるというのは、こういうことよ。ただ生き残るより大切なことがある、私たちには、けっして変えることのできない、変えてはいけない理想がある。だからこそ、これだけは受け入れられないわ」

 決然と言い放ち、手にした外套を投げ捨てた。

 まっすぐな言葉とそこに込められた思いを受けて立ち尽くしていた一同に、その白い布地が重要なあることを知らせることとなった。

 宙を舞ったそれが、人と翼のシルエットを映し出している。

「しまった、上から!」

 最初に気づいたレベッカがあわてて剣を構えるものの、相手は上から落ちる速度を利用して加速している。レーオも、ミロードらも、油断していたわけではなかったが、まさか塔の真上(、、、、)から仕掛けてくるとは思っていなかった。

 ――間に合わない――

 瞬間、絶望的な予感が胸をよぎる。

 相手は外套を切り裂き、その得物を驚きのまま動けないでいるひとりの女性に向けている。

 だが、それはアーデではなかった。

「いけない!」

 これでは、身代わりを使うのと同じではないか!

 アーデの視線の先で、相手の鋭い剣がひとりの少女に到達しようとしていた。

 だが直後、全員の予測は完全に裏切られることになった。

 不穏な音を立てて、やけに太い鉄の棒がアーデの横を()き過ぎる。

 それは、今まさにシェラに斬りかからんとしていた男をものの見事にとらえ、剣をへし折ると同時に、相手を下へしたたかに叩きつけた。

 男はもう、ぴくりとも動かない。

「やれやれ、私はもう引退したんだけどねえ」

 いつもの厨房を取り仕切っているときの口調でそう言ったのは、ひとりのふくよかな女性だった。

「マーレ!」

「よかった、ご無事だったんですね。城の者も新部族の者も、みんな心配してたんですよ」

 オトマルの妻マーレは、元は〝女傑のなかの女傑〟と称されたほどの女傭兵だった。実戦経験はさほどあるわけではないが、新部族の発足当初からもっとも頼りになる味方のひとりだった。

「さあ、話はあとですよ、殿下。すぐにここを離脱しないと」

「わかってる。けど――」

「後ろだ!」

 アーデの声を遮るようにして叫んだのはレベッカだった。その視線は、シェラの後ろのほうを向いている。

 別の翼人が音もなく迫る。その剣の煌めきが、対象への殺意を如実に物語っていた。

 ――今度こそ間に合わせる。

 レベッカは急ぎ駆け出すが、その必要はなかった。

 シェラという名の少女は振り向きざま、瞬時に両手でそれぞれ短剣を引き抜くと襲撃者を斬りつけ、つづけて左方から向かってきた人間の男は、どこからともなく取り出した数本のナイフを投じることによって倒してみせた。

 瞬きをするほどの間に二人の戦士を、一切の乱れなく無力化したのだった。

「え? 強い?」

「強いですよ、殿下。なんたって、同世代の男どもが束になったってかなわないくらいですから」

「でも、やっぱりここに置いていくわけにはいかない」

「わかってますよ、先ほどのお話は私の耳にも届いてました。立派になられましたね、殿下。どんどん大きくなってしまって、寂しいくらい」

「マーレ……」

「大丈夫、ここは私に任せて殿下は早くお逃げください」

「無駄だ……」

 くぐもった声は突然、下方から上がった。

 見ると、倒されたはずの敵の翼人が頭だけ上げてつぶやいていた。

「塔周辺にいる女はすべて殺すようにお達しが出ている……。逃がさないぞ、侯妹……」

 翼人特有の強靭さで一時的に回復したようだが、またすぐに気を失った。

「そんなことはさせないよ」

「マーレ、でも、みんなが……」

「安心してください、アーデ様。こんな日がいつか来ると思って、城の者たちはみんな、すでに隠し通路で逃がしてあります。今頃、町の外でのんびりしていますよ」

「そっか、よかった……」

「だから、ここは私に任せて殿下もそこを使ってお逃げください。道は、そこのシェラが知っています」

「はい」

「この者は、幼い頃から鍛え上げられた密偵の(つわもの)なんです。そこのレーオより強いのでご心配なく」

「おいおい、そりゃねえだろ」

 非難の声を上げる蒼色の翼だが、隣のレベッカは納得していた。

「いや、さっきから気になってたんだが、この状況でまったく足音を立てていなかった」

「あ、私も最初ひとりかと思った」

「それに、ミロードは息が上がってるのに、この娘は汗ひとつかいていない」

「悪かったですね、体力がなくて」

「男がひがまないの」

 あからさまに口を尖らせる若い男を、マーレが鉄棒で軽く小突いた。

「あ、そういえば――」

「そう、この子はうちの甥っ子ですよ。出来は悪いですけどね」

「子供扱いするな!」

「じゃあ、あんたたちはアーデ様の護衛だ。上はレベッカたちに任せておけばいい。下はあんたがなんとかするんだよ」

「わかってる」

「でも、マーレが……」

「私を誰だと思ってるんですか」

 マーレが得物で地を叩き、仁王立ちになった。

「元はノイシュタット最強、そして〝百戦錬磨〟オトマルの妻ですよ。そこら辺の若造にやられることはないし、ちゃんと引き際をわきまえています」

「大丈夫なの?」

「姫様でも知らない秘密の抜け道がまだたくさんあるんです。私を信用してくださいな、アーデ様。嘘をついて、みんなの思いを裏切るようなことはしません」

「わかった、マーレに全部任せる」

 ようやく、アーデの顔から疑念の色が消えた。

「そうと決まったら、さっさと行ってください。たぶん、今の状況だと時間が経つほどこちらが不利になる」

 レベッカが同意した。

「そうだ、アーデ。もう話し合っている暇はない」

「ええ」

 促されたアーデが、ようやく動きはじめた。

 未だ混乱の最中にある侯妹は、いつもなら気づいたであろうマーレの変化を見逃していた。

 ――ごめんなさいね、姫様。

 どんな秘密の通路も、蓋をしなければすぐにばれてしまう。そのためには、誰かがあえてこの場に残るしかないのだった。

 いつの間にか、マーレの周りには人が集まっていた。それぞれはけっして兵士の格好ではないのだが、その顔に浮かぶ表情はまぎれもなく戦士のそれであった。

「みんな、覚悟はできているね」

「ご心配なく。こういったときのために、ずっと準備をしてきたのですから」

 いつもは包丁や針を持っている者たちが、今は手に手に正当な武器を握っていた。

 シュラインシュタットの城に仕える者たちの大半は、もしものときに備えて正規の兵士らと同じように訓練を受けていた。

 元々はオトマルの考案したことであったが、今ではマーレが取り仕切り、中には新部族の者たちも一部含まれている。

「すまないね、こんなことになってしまって」

「何を仰います。我々は姫様、そして仲間たちのために戦うだけですよ」

 そこには迷いも後悔もいっさいない。ただただ、深い覚悟のみがあった。

「来たようだね」

 見れば、一塊りになった一団がこちらへ向かってくるところであった。

 それぞれが己の得物を構える。

 ――私も、ようやくすべてを精算できるときが来たようだね。

 思えば、ここにいたるまで予定外の出来事の連続だった。

 いつ倒れてもおかしくない、いつ大切なものを失うかわからない、そんな状況が日常で、いつもこころのどこかで怯えていた気がする。

 それでも曲がりなりにここまでまともな人生が送れたのは、周りの支えがあったおかげなのだろう。

 ――だったら、今度は私が恩返しをしなきゃね。

 アーデはきっと、公言どおりこの世界を変えてみせるだろう。それだけの逸材なのだ。それをこんなところでむざむざと失わせるわけにはいかなかった。

 それこそ、仲間や世の中に対して申し訳が立たない。今だからこそ、自分たちが彼女らの礎になるべきなのだ。

 ――若い人らの踏み台になれるのなら、本望ってもんさね。

 達人級と称される技術を持った棒術、それを今こそ発揮すべく太い鉄の棒を構えた。

 敵は姫がまだ塔にいるものと思っているのか、こちらへ一直線に向かってくる。

 ――ちょうどいい。

 一同が敢然と迎え撃った。

 正面切って、互いの剣を打ち合わせる。

 相手も一歩も引くつもりはないらしく、押しつ押されつの戦いがつづく。

 ――決死の覚悟ってわけかい。

 だが、思いの強さではこちらもけっして負けてはいない。否、相手を圧倒するものがあった。

 事実、数では劣っているノイシュタット側が、わずかではあるが優勢であった。

 時間さえ稼げればいい。

 マーレのその思いはしかし、完全に裏切られることになった。

 敵の数とその勢いは想像を超えるものがあった。いつの間にか押されはじめ、味方同士互いの状態を確認することも難しい。

 このままでは、おとり役になることすらできそうになかった。

 悪いことは重なるものだ。渾身の力を込めて得物を振るうマーレの目に、奥からこちらへ向かってくる兵士たちの一団が映った。

 見たことのない鎧姿――味方ではない。

 ――まずい、このままじゃ。

 危機感ばかりが、いやおうもなくつのっていく。

 皆、よく持ちこたえてはいた。しかし、ここに敵の加勢が到着すれば、圧倒されるであろうことは明白だった。

 ――まさに進退窮したね。

 眼前の敵を薙ぎ倒しつつ、戦いの最中だというのに不敵な笑みを浮かべた。

 いざ、最期のとき。

「さあ、このノイシュタット、姫様のために盛大に行こうじゃないか!」

 周りから景気のいい声が返ってくる。もはや、これが終幕と誰もがわきまえていた。

 ――あの世で乾杯しようかね、みんな。

 ついに、敵の増援が到着した。小型の槍を持った連中が、勢いを殺さず人をかき分けて突っ込んでくる。

 そして、敵兵らはマーレたちのあいだを駆け抜けていった――背中を無数の矢で串刺しにされて。

「え?」

 と、驚きの声を上げているあいだにも、敵兵は見る間に次々と倒れ伏していく。

 上空にいる翼人らも例外ではない。見た目は細く頼りなげだが、確実に致死性のある矢をまともに受け、複数人がまとめて下へと落ちていく。

 上空から、狂気の沙汰かと思わんばかりの大量の矢が降り注ぐ。もはや逃げる余地すらなく、ただただ自動的にそれらの標的となるしかない。

 驚くべきは、その正確性であった。ほとんどの攻撃が流れ矢となることもなく敵を貫き、ノイシュタットの兵にはかすりもしない。

 これはへたに動かないほうがいい――マーレの耳にあの頼もしい声が届いたのは、そう思った直後のことであった。

「この高貴なるノイシュタットを汚す愚か者どもッ! ここでひとり残さず地獄へたたき落としてくれるッ!」

 塔近くの城壁の上に立ってみずから剣を掲げるのは、誰あろう城の留守を預かるオトマルであった。

 その周囲に集うは、彼みずからによって鍛えに鍛え抜かれた精鋭。〝翼人対策〟としてずっと訓練をつづけてきた彼らが、よりにもよって自身の城であわてるはずもなかった。

 そんな彼らが、まったく休みなく見事な交代制(ローテーション)を組んで撃ちつづけるのだ。どんな兵であろうと、長く持つはずもなかった。

 程なくして、塔周辺の上空から翼人は消え、その地上には無数の針鼠が横たわっていた。

「愚か者どもめ! わざわざ、みずから弓の射程内に入ってくるとは!」

 目を爛々と輝かせ、オトマルはもはや動かぬ敵兵士らを睥睨した。

 ノイシュタットにとっては、未だ状況は苦しい。だが、とことんまで追いつめられたからこそ、老将は往年の戦勘と勢いを取り戻していた。

 すぐに下へ兵を派遣し、みずからもそれにつづく。

 程なくして、マーレたちの前へ怒れる猛将がやってきた。

「あんた……」

「このばか者ッ! いつも、生きてこそだと言っておるだろう! こんな無茶な戦いを選びおって、城を預かる者として恥を知れ!」

 今ばかりは、一言も反論することはできなかった。たとえアーデを逃がすためだったとはいえ、自身の選択に過誤があったことは事実であった。

「敵の動きが妙だと思っていたら、ここに兵力を集中させていた。敵の狙いは明確だろう」

「でも、どうして姫様が?」

「くわしいことはわからん。だが、身分ある者ならば人質にでもなんでも使えるはずだ」

「そうか……」

 だが、あれこれと話し込んでいる場合ではなかった。

「それでアーデ様は!? お前も姫の身に危険が及んでいるのを知ってここに来たのだろう?」

「ああ、そうだよ。だから、姫様には例の通路で先に逃げていただいたんだ」

「何っ!?」

「大丈夫、あんたも知ってるシェラやミロード、それに新部族の頼りになる戦士もついてくれてる。めったなことはないよ」

 妻が自信を持ってそう告げても、老将の表情はますます深刻の度を増すばかりであった。

「しまった、入れ違いになってしまったか……!」

「どうしたんだい、あんた?」

「まずいんだ、そちらのほうは!」

 逃げを打つアーデらに、オトマルの声は届かない。

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