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第九章 第十九節

 下も乱戦、上も乱戦。

 体勢を整えようにもこの荒れに荒れた状況の中ではどうしようもなく、仲間に対して伝達することさえまともにできない。

 空気も何もかも重かった。

 ――これが新部族の実力かよ。

 舌打ちしたくなる思いに、灰翼のゼークは顔をしかめた。

 指揮官たるアーデが失踪し、気持ちに混乱があるとはいえ、ここまで弱さを露呈するとはあまりに情けない。

 ――自分も人のことは言えねえか。

 今のところ、周囲の敵にみずから対応するので手いっぱいだった。剣を振るっても振るっても敵の連鎖は終わらず、戦いがつづく。味方の状況を正確に知ることさえ厳しかった。

 とはいえ、力量の差は歴然。向かってくる無謀な者たちを次々と倒していき、やがて手近な敵はすべて退けた。

 ――さぁて、どうする。

 と、何かが近づいてくる気配を感じたのは、剣についた血を一度振り払ったときのことだった。

「あいつは……」

 目をむいて驚いた。視線の先にいたのは、見知った顔、しかし最近は見かけなくなっていた翼であった。

「ヴァレリア」

「よかった、ここにいたのね」

 正面で羽ばたいているのは、少し息を切らせた紅色の翼だった。

 これまで動き回っていたのか、しっとりと汗をかいた白い肌が色っぽい。場をわきまえず、ゼークはひとり悦に入っていた。

「何見てんの」

「んなことより、用があって来たんだろ?」

「そう、急いでるんだった」

 うまくごまかされたことにも気がつかない様子で、ヴァレリアは周囲を見回してから改めてゼークのほうに向き直った。

「実は――」

「ゼークッ!」

 再び口を開きかけたそのとき、叫び声のような呼びかけが下方から響いてきた。

 見れば、蒼翼のレーオが必死の形相で飛んでくるところであった。

「なんだ、どうした?」

「よかった! やっと、アーデが見つかったよ! 今は城にいる」

「そうか、わかった」

 息も絶え絶えに言うレーオにそっけなく答え、剣を握り直したゼークはぎらりと瞳を輝かせた。

「これで心置きなく戦える」

「アーデが? どういうこと?」

「ヴァレリア、話はあとだ。レーオ、ここから反撃に出るぞ!」

「待って!」

 強い声にはっとして振り返ると、紅色の翼が厳しい目つきでいきなり剣を振り上げた。

 直後、背後から聞こえてくる悲鳴。

 飛び散った数枚の羽が、上からひらりひらりと舞い落ちてくる。

 その下方へ、斬りつけられた翼人の男が落ちていくところだった。

「あんたでも油断することあるのね」

「お前にやられるかと思った」

「いっそまとめてやっちゃおうかとも思ったけど」

 半分本気らしい一言にゼークは鼻白んだが、そんなことより、とやや苛立たしげに改めて問うた。

「なんなんだ、こっちは急いでんだよ。だいたい、おめえは新部族を抜けたんだろうが。余計な口出しすんな」

「私だって、今回の件はかかわるつもりはなかった。でも……」

「わかってる。おめえはあとを若い奴らに任せて、全体を底上げするためにあえて出てったんだろ」

「アーデを自立させるためにもね」

「ああ、だったら――」

「だけど、今はそんなことを言ってる場合じゃない」

 その声と表情に危険な色を感じ、ゼークは眉をひそめて態度を変えた。

「どういうことだ?」

「敵の――ダスクの狙いは、フィズベクを奪うことじゃなかった」

「何……?」

「このシュラインシュタットを襲うのはおとりじゃなかったのよ」

「だったら、何が狙いだ?」

「相手の目的はもっと明確だった……町じゃない、城を攻め落とすことだった!」

「!」

 ――そうか、そういうことか。

 ことここにいたって、ようやく合点がいった。

 この暴動を裏で共和国が糸を引いていることはほぼ間違いない。だがこれまで、その狙いがよくわからなかった。

 侯都で混乱を起こしたところで大勢に影響はなく、また共和国との国境線からの距離を思えば、仮に戦いが首尾よく運んだとしても直接占領できるはずもない。

 効果があるとすれば、ノイシュタットの後方を突くことによって揺さぶりをかけることで、フィズベクでの戦いを有利に運べることくらいだから、まさにそれこそが目的なのだろうと思っていた。

 ――だが、そうじゃなかった。

 敵の狙いはもっと深刻で、もっとしたたかだった。

「いちかばちか、本気で城を狙って落とせれば儲けもんってか?」

「たとえすぐノイシュタット側に奪い返されたとしても、ノイシュタットだけじゃない、帝国に与える打撃は大きい」

「しかも、フィズベクにいる本軍はもう、まともに戦えねえだろうな」

「たとえ一城であろうと、ノイシュタットの拠点中の拠点を落としてしまえば、あとはすべての面で有利に運べる」

 何より、国の内外でノイシュタット、引いては選帝侯たるフェリクスの威信は地に堕ちるは必然。

 外交の面で、圧倒的に不利な立場に立たされることになる。

 一連のことを思い、ヴァレリアはあからさまにため息をついた。

「それを実現する見込みはあったんでしょうね」

「|翼人の力を借りられるなら《、、、、、、、、、、、、》」

「ええ」

「アルスフェルトと帝都か……確かに人間の大都市を滅ぼせるなら、このシュラインシュタットだって――」

「アーデには悪いけど、フェリクス(お兄さん)、見込みが甘かったみたい」

「俺たちだって同じだ」

「まあ……そうね」

 珍しく正論を言うゼークに、ヴァレリアはうなずくしかなかった。

「わかった、俺たちも城を中心に戦うしかねえようだな」

「そのとおりよ。あそこが本当に堕ちたら、新部族としても厄介なことになる」

 それは、大事な大事な拠点を失うことを意味していたから。

 ――それに、アーデ(嬢ちゃん)のこころも大事な何かが失われるでしょうね。

「ノイシュタットの兵士どもが、俺たちまで弓矢で狙うことはねえだろうな」

「さあ? 新部族の仲間たちがなんとか説得してるみたいだけど」

「ちっ、迷ってる暇はねえか。行くぞ、レーオ」

「ああ」

 左方に見えるシュラインシュタットの城へ向かって、二人はすぐに飛び立った。

 そんな彼らの後ろ姿を見届けたあと、ヴァレリアは大きく息を吸ってから、本来の目的に戻ることにした。

 ――まったく、あいつ(、、、)はこんなときにまたどこへ行ってるんだか。

 侯都上空を舞う煙の量は確実に増えていた。

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