第七章 第五節
はぁ、とややもすると色っぽい吐息が何度も響く。
ノイシュタット侯の妹姫、アーデは馬上で揺られながらまた嘆息をした。
「そんなに、これからのことが心配ですか」
「そっちのことじゃないの。お兄様よ」
ああ、そういうことか、とユーグは納得した。
「こんな時期にカセルへ行かなくてもいいのに」
「仕方がありません。かの地が今後、重要な地域になるのは間違いないのですから」
「ま、ほったらかしにしてたら帝国そのものが弱体化しちゃうし」
「そういうことです」
「でも、今じゃなくたっていいでしょう? ノイシュタットだって大変なのに」
「アーデ様のお気持ちはわかりますが、危ういんですよ、カセルも」
「ルイーゼ卿のような優秀な人材がいるのに?」
「もし世の中が、アーデ様のような人ばかりだったらいいんですけどね」
「どういう意味?」
姫が半目になった。
「揶揄したのではありません。もしアーデ様のように過去にとらわれない人が多ければ、ルイーゼ卿もやりやすいという意味です」
「やっぱり、卿はカセルの民にはもう受け入れられないのね」
「当然でしょう、よりにもよって反逆者の副官だったのですから」
「それでも、ルイーゼ卿は己の身を賭してカセルのために尽くしてる。それなのに、か」
「一度信用を失った者の末路はそんなものです」
「ユーグは、ルイーゼ卿に厳しいのね」
「あれだけのことをしでかしたのですから、報いを受けるのは仕方がありません」
「誰もが道を誤らないわけじゃない。誰もが被害を大きくしたくてしてるわけじゃない。そんなことを言ってると、自分が失敗したときに痛い思いをするわよ」
「そういったときは、すべての責任を負う覚悟はあります」
「責任を負ったところで、犠牲者が帰ってくるわけじゃない」
「そこでしょうね、民の怒りの根源は」
もはや責任がどうこうという次元の問題ではなかった。失われたものが戻らないかぎり、責任者が何をし、何を思おうと許されるはずもなかった。
「それより、我々にとってはこれからですよ。もし他の組織と協力できるのなら、小さいようで大きな一歩です」
「そうね、すぐに最高の回答を引き出せなくても、なんとかして話し合いを継続しないと」
アーデら新部族の面々は〝極光〟と改めて交渉するべく、指定した場所に向かっていた。アーデとユーグらは馬に乗り、それ以外の翼の者たちは上空から進んでいく。
「しかし、アーデ様みずから出張る必要はなかったのでは?」
「ここが大事なのよ、今後の流れを決定づけるほどにね。今だからこそ、私が直接交渉の場に出ないといけない」
「そういうもんでしょうか」
「相手はまだ私たちを疑っているし、新部族の中にも納得していない者が多い。そういう中でことを進めるには、初めから全力で当たるしかない」
「でも、リスクは高いですよ」
「そんなことを恐れていたら何もできないじゃない。ユーグって、わかっているようでわかってないのね」
世の中にはわかりたくないこともあるのだが、と思ったユーグであったが、いつものとおり黙っておいた。
ただ、未だ少し不機嫌なのはアーデのほうだった。
「それにしてもこの馬、言うこと聞かないわね」
どうも呼吸が合わず、乗り心地がよくなくていらいらさせられる。
「まるで殿下のようですね」
「ユーグ」
「…………」
女帝の静かな声音に戦慄するものを感じ、情けない騎士はまたすぐに黙った。
「まったく、腹立たしいことばっかり」
「あんたがそんなんだから、馬が嫌がってるのよ」
聞き慣れた女の声に、アーデはあからさまにむっとした。
見上げると、はたして、そこには紅色の翼のグラマラスな女がいた。
「ヴァレリア、何しに来たの?」
「最初は、アウローラの連中の顔を拝んでやろうと思ったんだけど、ちょっとね」
「ちょっと、何?」
「飛んでいたら、周りで変な気配がするから追いかけてきたってわけ」
アーデは怪訝な顔をしているが、ユーグには思い当たる節があった。
「まさか、それで馬がややおかしいのか?」
「かもね。アーデのほうは騎手が悪いとして、あんたのは違うんでしょう?」
「ああ、これは軍馬だからちょっとやそっとのことじゃ動じないんだが、いつもよりは緊張している」
戦用に鍛えられた馬であっても、まったく揺るぎないというのでもない。人間以上に敏感なところのある馬は、周囲の気配を乗り手より先に察知することもままあった。
「アウローラが仕掛けてくるってこと?」
「アーデ様、他の可能性もあります。たとえば――」
「来る」
ヴァレリアの鋭く強い声が、一同を襲った。
はっとしてユーグが上空を見上げると、けたたましい金属音とともに雄叫びの声が聞こえてきた。
「もう戦っているぞ!」
急いで馬を止め、剣を引き抜いた。それと同時に他の騎士も集まり、アーデをすぐに取り囲んだ。
「ヴァレリアはここに残ってくれ。我々だけでは、どこまで耐えられるかわからない」
返事はせず、アーデの隣に降り立つことで答えてみせた。
いきなり戦闘は激しくなっている。剣が打ち合わされる音が無数に響き、色鮮やかな羽が無情にも飛び散っていた。
「アーデ、あんたたちはどれだけ連れてきたの?」
「可能なかぎりは。ただ、今はやらなきゃいけないことが多いから」
さまざまな準備を整え、そして〝虹〟の消息を摑まなければならない。人手不足が慢性的な新部族にあって、遊ばせておける人員は皆無に等しかった。
「それにしても、犯人は誰でしょうね」
「詮索はあとにしておきなさい、ユーグ――来たよ!」
上空から数人の翼人が、落下する針のごとく急降下してきた。
だが、今さら憶するところもない。すぐさまひとりひとりが応戦し、一気に相手を押し返していく。
「これ以上近づかせるな!」
部下の者たちを叱咤する。この程度の相手に手こずる者たちではないが、戦いの場では基本的にどんなことでも起こりうる。あえて気を引き締めさせた。
敵は五人。
翼人が相手とはいえ、対抗できない数ではない。いつものように戦えば、少なくともアーデを守りきるくらいのことはできるはずだった。
他の翼人の味方は、ヴァレリアを除いてみんな上空で戦っている。ここは、この場にいるノイシュタットの騎士でしのぎきるしかなかった。
情報から降下する速度を利用して襲いかかってくる翼人たちを、騎士らは落ち着いて再び迎え撃った。上段からの一刀を基本どおりにいなし、隙のできたふところに横薙ぎの一撃を見舞う。
――相手は、人間との戦いに慣れていない。
意外だった。上空を支配して有利かと思われた相手は、わざわざ自分たちから地上へ近づいていかなければならないことに、明らかに戸惑っている。
これは好機だ。敵は〝生まれながらの戦士〟であっても、こうした変則的な戦いの場数が足りないのかもしれない。よく見れば、若い翼人が多いようにも感じた。
今のうちに、一人でも二人でも減らしておくべきだ。翼人の戦いに対する適応能力はずば抜けている。相手が、有効な打開策を見出せないうちに速攻で決めるのが吉だった。
「訓練を思い出せ! このときのために仲間たちに協力してもらったんだ!」
声を張り上げて、こちらもまだ若い騎士たちを鼓舞する。相手とは違い、自分たちは最大限の準備はしてきた。今こそ、その成果を現実に示すときだ。
長身の騎士ユーグが手本を示すように、剣をあえて腰の位置に引き寄せ、体の前面をがら空きにさせた。ここぞとばかりに相手が突っ込んでくるが、これこそが狙いだった。
不用意に飛び込んできた相手の側面を、円を描くようにして振るった剣で狙う。
軌道が大きい分、それは惜しくもすんでのところで受け止められた。しかし、ユーグは構わなかった。
力任せに、そのまま相手の翼人を体ごと持っていく。ユーグの得物は大きく振った分、遠心力で通常よりも勢いが増していた。
支えるもののない空中にいる翼人は、いやおうもなく剣の軌道の方向へ流されていく。
次の瞬間にはもう、男は地面に叩きつけられていた。
皮肉にも上からの降下の速度が災いし、受け身すらままならず相手は全身を打ちつけ、そのまま動かなくなった。
先輩騎士の見事なまでの剣さばきに触発された若手騎士たちも、それにつづいた。次々と上空から襲い来る翼人を薙ぎ倒し、守るべきアーデはおろかその前のヴァレリアにも近づかせない。
敵の援軍も続々とやってきてはいるのだが、それらも騎士たちが確実に倒し、いつしか大地は色とりどりの羽に覆われていた。
「なんとかなりそうね」
アーデは男たちの頼もしい戦いぶりに、感動的なものさえ覚えていた。
「油断しないの。戦いは、何が起きても不思議じゃないんだから」
「わかってるわよ」
憮然とした顔をして口をとがらせたアーデに、ヴァレリアは苦笑した。
――やっぱり、まだまだ子供か。
それでも、そろそろ将として成熟してもらわなければ周りが困る。アーデはもはや、新部族にとってなくてはならない存在になっているのだから。
――換えのきかない存在というのも厄介ね。
今のみんなならば、アーデがいなくなったとしても空中分解するようなことはないだろう。しかし、柱が一本崩れ、全体が傾きかねない危険性はあった。
アーデを叱咤したにもかかわらずヴァレリア自身が戦いとは別のことに思いを馳せていると、やがて分が悪いと判断したか、敵の翼人たちが上へと離脱していった。
「よし、この隙に――」
とユーグが言いかけた刹那、配下の騎士の馬が甲高い嘶きとともに立ち上がり、そして土煙を上げながらどうっと派手に倒れた。
なんだ、という声を上げる前に原因はすぐにわかった。
馬の胸部に太い矢が、ものの見事に突き刺さっている。その角度からして、地上から放たれたものであるはずがなかった。
「まさか……」
驚愕の眼差しを今度は上空へと向けると、はたして、そこには弩弓を構えた翼人が複数舞っていた。
「ユーグ様、あれはまさか〝極光〟――」
「ティーロ、そんなことを考えてる場合じゃない。すぐに森へ逃げ込むぞ!」
こんな上の開けた場所にいては、いい的になってしまう。上空を警戒しつつ、騎士たちは馬首を返した。
「ヴァレリア、アーシェラを頼む!」
「わかってる」
「あっ、私だって弓くらい――」
「いいから、とっとと行くわよ!」
無謀にも小型のクロスボウを取り出そうとしたアーデを無理やり引っつかみ、紅い翼のヴァレリアは森のほうへと飛んだ。
――それにしても、弓を使ってくるなんて。
若いティーロが言わんとしたことはわかる。普通、翼人は弓矢そのものをひどく毛嫌いする。自分でそれを使うなどもってのほかだ。
だが、あの帝都で〝極光〟の一部がそれを使用していた。
――本当に〝極光〟なの?
だとしたら、今回の交渉というのは――
「ヴァレリア、まだわからないわ。今はたぶん、翼人の世界全体で変化が起きてる。これまで禁忌だったことをあえてやる部族が出てきても、全然変じゃない」
「そのとおりかもしれないけど……」
ヴァレリアは腕の中の、少女のような自称淑女を見た。
「その格好で言うのは様にならないわね」
「だったら、早く降ろしてよ!」
「駄目。もっと遠くへ逃げてから」
追われている気配はないが、もしこちらを狙われたら追いつかれる可能性が高い。ユーグたちが引きつけてくれているうちに、できるだけ距離を空けておくべきだった。
しかし、問題はその騎士たちのほうだった。
「ユーグ様、またひとり……!」
「問題ない、馬が倒れただけだ。自分の足で逃げられる」
と言いながらも、ユーグは自身の馬を森へ向けて駆歩で走らせた。
鎧に矢が何度か当たりながらも、どうにか背の高い木々の生い茂る中に逃げ込むことができた。樹木が天然の盾になり、少なくとも直接狙われる回数は減った。
これで、立場は完全に逆転した。相手に飛び道具があるなら、わざわざこちらに近づかずとも矢のつづくかぎり安全に攻撃できる。反対に、こちらからは何もできなかった。
「弓兵を連れてくるべきだったか……」
今さら後悔しても遅いが、まさかこうまであからさまに襲撃を受けるとはさすがに考えていなかった。
〝極光〟との話し合いに傾倒しすぎ、他の可能性を追求しきれなかったつけが出た形だ。
「ユーグ様! 敵がアーデ……アーシェラのほうに!」
ティーロの悲痛な叫びが響く間にも、次々と敵の翼人たちが森の奥のほうへと飛んでいく。
返事をするのももどかしく、ユーグはそのあとを追った。
しかし、彼我の速度の差は歴然。見る見るうちに、敵の編隊は遠ざかっていく。
いっそ剣を投げてやろうかとも思うが、当たるはずもない。ヴァレリアが逃げきってくれることを願うしかないが、人ひとりを抱えて早く飛べというのは無理があった。
――アーデ様……!
「相変わらず情けねえな、ユーグは」
不遜な物言いの不遜な声が天から降ってきた。
声の主は、大地を駆る騎士を一瞥することもなく、最速で空を飛んでいった。
「ゼークの奴……」
悔しいが、今は何も言い返せない。『頼むぞ』などと言うつもりはなかったが、期待して見送るしかなかった。
やがて響いてくる剣戟の音。騎士と軍馬が追いついたときにはもう、決着はついていた。
「上も片づいた。たいしたことはなかったな」
馬の闊歩の音がなくなると、周囲はいつもの静寂に戻った。翼人も人間も肩で荒く息をついているが、新部族の者たちは一部が怪我を負っただけでたいした被害はなかった。
「で、どうするの、アーデ」
荷物をぞんざいに降ろしたヴァレリアが問うた。
「どうするって、もちろんこのまま行く」
「アーデ様、もし今のがアウローラだったら――」
「だからこそよ。このまま予定の場所に行って、とにかく確認しないと」
あくまであきらめない姫に、ゼークが口の端を歪めた。
「また襲いかかってきたら叩きのめすだけだ。連中の首根っこを引っつかんで吐かせてやればいい」
「ばかは放っておいて、みんな急ぎましょう。今から急いでも予定よりだいぶ遅れちゃう」
待ち合わせは、わかりやすく正午頃ということにしておいた。しかし、すでに日は傾きはじめ、約束を守ることは難しそうだった。
負傷者の傷の手当をしてから、一行は目的の場所へ急いだ。シュラインシュタットから少し離れたフォルンという名の町の近く、そこにある洞窟が会合の予定地だった。
ユーグは自身の馬を駆りながら、巧みにアーデの乗騎を誘導した。
「向こうも、アオクを知っていたとは驚きましたね」
「うん。でも、老師に挨拶をしている暇はなさそう」
アオクがテントを張るすぐ近くの洞窟。おそらく、〝極光〟の中にも彼と面識のある者がいるのだろう。老師の近くなら安心できるという思いは両者にあった。
やがて、そのアオクがふだんいる円錐形の天幕が見えてきたが、そちらには向かわず洞窟をまっすぐに目指した。
「やっぱり、もう来てますね」
「なんて言い訳しよう……」
まだ姿は見えないが、洞窟の外にも複数の気配がある。思ったとおり、相手もこちらに対して警戒は怠っていないようだった。
「ゼークたちはここで待ってて」
「なんでだよ」
「外の人たちに乗り込んでこられたら、どうしようもなくなっちゃう」
わかったよ、と言って、ゼークはこれ見よがしに洞窟の入り口に仁王立ちした。
「――うまくあしらいましたね」
「しっ。聞こえちゃう」
「おい、聞こえてるぞ!」
さっと振り返ったゼークから逃げるようにして、アーデたちは中へと入っていった。
暗い、と思ったのは最初だけで、奥ではたいまつの炎が揺らめいていた。
その炎に照らされて、六人の翼人の姿が浮かび上がる。
「遅い。もう日が暮れかかってるじゃないか」
「ごめんなさい、途中いろいろあって。あなたがナーゲルさんね」
「そうだが、いろいろってなんだ」
いったん後ろにいる仲間たちに目配せしてから、アーデははっきりと告げた。
「ここに来る途中に、翼人の集団に襲われた」
「なんだと!?」
ナーゲルをはじめ、〝極光〟の面々があからさまに色めき立った。
「いい加減なことを言うな。俺たちをさっそく騙そうというのか!」
「待て、フーゴ。決めつけるのはよくない」
「しかし……」
「なあ」
白い翼のナーゲルは、アーデだけを見つめた。
「俺たちを疑っているというのか?」
「うん」
「アーシェラ……」
あっさりと認めてしまったアーデをユーグがたしなめようとしたが、その名に驚いたのはナーゲルら〝極光〟の側だった。
「アーシェラだと?」
「それがどうかしたの?」
「ああ、いや、俺たちの仲間にそういう名前の奴がいるというだけだ。ヴォルグ族だけどな」
「ああ、そう」
たいして興味もなく――元々、偽名だ――アーデはそっけなく返事をしたが、ヴォルグ族と聞いて身を乗り出したのはヴァレリアのほうだった。
「ヴォルグ族の? 聞いたことがない名だけど」
「ヴァレリアが抜けたのはいつなの?」
「ま、だいぶ前になるんだけどね。今は、そのことはいいでしょ」
と、問うたヴァレリアでさえ興味を失って、一同は本題に戻った。
「はっきり言って、疑いたくなる気持ちもわからんでもない。だが、それは俺たちも同じだ」
「私たちが嘘をついて、あなたたちを陥れようとしているということね」
「そうだ」
「だったら、確認すればいい。私たちが倒した人たち、何人かはそのままになっているはずだから」
「わかった。ユルク、頼む」
「ああ」
新部族のレーオに位置を伝えられた〝極光〟のユルクが、すぐに外へ出ていった。
「ずっと待っているというのもあれよね」
「時間を無駄にするつもりはない。お前たちの目的はなんだ」
「それは、あなたたちと協力関係を――」
「そういう意味じゃない。お前たちの最終的な目標はなんなんだ」
「ああ、そういうこと」
合点のいった顔で、アーデはヴァレリアほどには大きくない胸を張って答えた。
「私たちの理想は、翼人と人間の垣根を取り払って、互いに足りないところを補い合い、いいところを高め合って協力することよ。そうして、お互いの限界を乗り越えて、この世界そのものを変革するの」
「大きく出たな」
「変? 私はむしろ、それくらい大きなことじゃないと自分の人生を賭ける気になれないけど」
「変ではない。俺たちも――思いは似たようなもんだ」
アーデはナーゲルの目を見て、自然な笑みを浮かべた。
「じゃあ、一緒に何かができるかもしれない」
「だが、人間と翼人が連携するというのは、考えがたい」
「そう? あなたたちの仲間に人間はいないの?」
「……いや、いることはいるが」
「じゃあ、同じじゃない! だったら、話は早い」
ぱっと表情を輝かせたアーデに、ナーゲルが釘を刺した。
「勘違いするな。彼女は……そのひとりは例外なんだ。俺たちが人間を受け入れたわけじゃ――」
「そうなの?」
という声は、アーデたち新部族のメンバーの背後から聞こえてきた。
それにもっとも狼狽したのは、〝極光〟のナーゲルだった。
「ね、ネリー!? なんでここに!」
目の前には、自分たちがよく知りすぎる女性が笑顔でいた。
「アーシェラに連れてきてもらっちゃった」
いたずらを見つかった子供のような顔をして、翼のないネリーは微笑んだ。
しかしその表情をすっと真剣なものに改めると、もう一度問いただした。
「私は例外でしかないの?」
「あ、いや、それは……」
真正面から糾弾されたナーゲルは言葉に詰まり、場もわきまえずにしどろもどろになっている。
そんな白翼の男をしり目に、アーデは自分からネリーと呼ばれた女性の前に進み出た。
「あなたがアウローラの協力者の方?」
「ええ、紆余曲折あって一緒にいさせてもらっています」
そう丁寧に答え、さっと隣にいるナーゲルに目配せした。
「例外として」
冷や汗を浮かべたナーゲルがさらに狼狽し、追い込まれるのは時間の問題だった。
これは好機だ――アーデは、瞳の奥を怪しく輝かせた。
――この男、どうやら押しに弱い。
「ねえ、あなた。本当に、こちらの方が例外だと思ってるの?」
「……それは」
「仮にたとえ例外でも、人間と協力しているなら同じことじゃない」
二人の女からやんわりと、されど容赦なく責められ、ひとりの男は徐々に追い詰められていく。
かわいそうに、と完全に他人事の調子で、ユーグは今のうちに相手の冥福を祈ってやった。
「人間と翼人とのかかわりに可能性があることは感じているのでしょう? そのことに、一般も例外もないと思うんだけど」
「――確かに、俺たちのところにはネリーがいる。そして、かつてはカセルの者たちと協同した。だが、人間という種族を信じきったわけじゃない」
「私のことも信じきれない?」
と、ネリーはどこか寂しげに問うた。
「いや、ネリーだけは特別なんだ。だから例外だと言った」
そうした思いは、〝極光〟のメンバー全員に共通したものだった。人間を完全に受け入れたわけではまったくない。そうしたいわけでもない。
ただネリーは、すでに大事な仲間として誰もが認識していた。
「あんたたちこそどうなんだ、本当にこころの底から翼人を信用できてるのか。これからは、人間も心臓を狙われるんだぞ」
「すべての翼人を信用してるわけじゃないわ。だから、さっきも戦った」
アーデは表情を変えず、きっぱりと言い切った。
「けど、私たちは可能性まで捨てようとは思わない。最初からあきらめるなんて真似、したくないから」
「私も同感よ、ナーゲル。それに、みんな」
「ネリー……」
「人への恨みをまったく持ってない人なんていない。だから、翼人を恨む人間もいるだろうし、その逆もある。でも、だからこそできるかぎり信じようとしないと、きっと何も見えなくなっちゃう」
「疑いに疑いを重ねれば、最後は自分の可能性まで疑うことになる。そうなったら、みずから破滅の道を歩むことになるのよ。うちのみんなもわかってる?」
「小娘に言われるまでもないわ」
「ヴァレリアはうるさい!」
余計な茶々を入れた高慢な女をひと睨みしてから、アーデは告げた。
「すべては自分しだい。信じればいつか花開くかもしれないし、いつか自分を信じてくれる人が現れるかもしれない。けど、裏切られることを怖がってたら、いつまで経っても道は開けてはこないわ」
「俺たちは信じてるさ、自分の可能性も仲間のことも。けど、それが他の人間には向かわないというだけだ」
「自分たちさえよければそれでいいの?」
「ヴァイクみたいなこと言うんだな……」
「何?」
「なんでもない」
ナーゲルは洞窟の天上を見上げた。
ところどころから突き出した無骨な岩。それが連なる大きなうねりが自分たちを象徴しているかのようで、少しだけ憂鬱な気分になる。
とそのとき、洞窟の外側から 羽ばたきの音が聞こえてきた。
最初に、襲撃の現場の確認に出たユルクだ。なぜか、少し蒼い顔をしている。
「戦いがあったのは本当だった。あっちこっちに羽が散らばっていて、武器や血の跡も残っていたよ」
「そうか」
ひとつ頷いてから、ナーゲルはアーデらにそのどこか愁いを帯びた目を向けた。
「俺たちは、まだ互いのことをよく知らない。まずは、本当のところを伝え合うことが必要なはずだ」
「同感ね。互いに歩み寄らないかぎり、話し合いの進展なんてない」
「そこでだ。まだろくに顔も合わせてないのに、いきなり提携しろなんていうのはどだい無理がある。だから、最初は自分たちの考え、予定なんかを連絡し合うようにしよう。実は、それが今の俺たちなりの結論なんだ」
「そうね、そうしておけば少なくとも誤解は避けられるし、いざというとき協力する時機を計れる」
アーデが新部族の仲間を振り返ると、全員静かな表情をしていた。異論はないようだった。
「じゃあ、具体的に連絡方法をどうするか決めていきましょう。今までは代表者が互いに会って きたけど、これからもそれでいいかしら」
「どうかな」
ナーゲルとアーデの二人が周囲に視線を向けても、特にこれといって意見は出てこなかった。
「でも、それだけじゃあ何か物足りない気がするのよね……」
「じゃあ、こうしたらどうだ」
ひとつの提案を出したのは、蒼い翼のレーオだった。
「お互いに人員を出し合って、しばらくお互いの組織にいることにするんだ」
「メンバーを交換するってこと?」
「そう」
「無理だ」
ナーゲルは、言下に否定した。
「信用しているわけじゃないって言っただろう。それなのに、大事な仲間をたとえひとりでも預けられるか」
「とんだ臆病者だな」
「何ぃ?」
嘲りを含んだその声は、洞窟の明るいほうから聞こえてきた。
その姿を認めて、顔をしかめたのはアーデたちのほうだった。
「ゼークは外にいてって言ったでしょ!」
「ずっといろとは言わなかった」
ゼークはゆっくりと近づいてくると、その鋭い目を〝極光〟の面々に向けた。
「まったく、びくびく、びくびくしやがって情けねえ」
「何が言いたい」
「今のてめえらをマクシムが見たら、鼻で笑うだろうなってことをだよ」
「なんだと!?」
「彼は、この世界を変えるために命を懸けた。それなのに、てめえらは『危険だから』とか『信用できないから』などとほざいて逃げてやがる。お前らにマクシムの後継者を名乗る資格はねえ」
ゼークの語気はけっして荒くはなかった。しかし、その舌鋒は鋭く、この場にいる〝極光〟のひとりひとりを確実に貫いていった。
「思いきって、俺がやってやるくらいのことを言えねえのか。ったく、『命を懸けた』が聞いて呆れる。情けねえ姿をさらすくらいなら、自分から火の中に飛び込んでみせろ」
あからさまに罵られ、ナーゲルたちは悔しくて悔しくて仕方がなかった。しかし、誰ひとりとして反論しようとはしなかった。
言い方はともかく、彼の言い分に理が通っていることをわかっているからだ。
お互いにとって気まずい沈黙。
それを打ち破ったのは、またしても意外な人物だった。
「じゃあ、私が行きます」
「ネリー!? 何を言ってる!」
「ほれ、見ろ。お嬢ちゃんのほうがよほど勇気があるじゃねえか」
「あんたは黙っててくれ! ネリーを行かせられるわけないだろう!」
「でも、相手方が人間と翼人の組織で、ナーゲルたちが行きづらいのなら、私が一番適任じゃない」
ナーゲルがぐっと詰まった。しかし、そんな提案をのめるはずもなかった。
「……仕方がない、フーゴ」
「ああ、俺が行ってこよう。釈然としないものはあるが、ここまで言われて引き下がったら男がすたる」
大柄なフーゴが、嘆息しつつ首肯した。
「駄目。私も行かせて」
「ネリー」
「お願い、私もみんなの役に立ちたいの。こんなことくらいしかできないから……」
「大丈夫だ、ナーゲル。俺が命にかえても守り抜く」
「しかし……」
「こちらとしても、皆さんの安全はかならず保証する。そもそも、ネリーは人間なんだし」
いつになく強情なネリーに不自然さを感じながらも、アーデの一言もあって、ナーゲルも渋々承知せざるをえなかった。
「じゃあ、こちらからは提案したレーオがとりあえず行って」
「わかったよ、アー……アーシェラ」
「これでだいぶ話が進んだ」
アーデが満足げな笑みをたたえ、ナーゲルに歩み寄って右手を差し出した。
「これからもよろしくね」
「…………」
ナーゲルに反応らしい反応はない。
出した手をどうしたらいいかわからず、アーデは困ったように視線を泳がせ、周囲に救いを求めた。
「握手よ、ナーゲル」
「……翼人にそんな習慣はないんだよ、ネリー」
「いいからするの。これから、人間とも協力していくんでしょう?」
言われて、渋々アーデの白い繊手を軽く握り、すぐに離してしまった。
この男、ひょっとして女性に弱いのでは、と思ったアーデだった。




