第六章 第五節
〝白頭鷲の間〟を包む空気は、常とは違う気配に充ち満ちていた。
それぞれの表情は暗く、互いを牽制する言葉も揶揄も皮肉もない。ただただ、六人が一様に重く沈んでいた。
「このままじゃらちが明かねえな」
ライマルが珍しく、自分から発言した。
「しかし、この状況は想定外だった。まさか、一気にこうなるとは」
「おいおい、ゼップルのおっさん。これくらい想定はしてただろ」
「確かにそうだが、誰もこんなに急激に、しかも一度に起こるとは思ってなかっただろう」
そのとおりだ。ブロークヴェーク侯の言い分に反論する者はなかった。
戦地からいったん戻ったフェリクスも、ため息混じりに言う他なかった。
「てっきり、わが所領だけだと思っていたのですが……」
「それは皆同じだよ。だから最初は隠そうとした、自分の弱みをな。しかし、話をしていくうちに、もはや単純な問題ではないことがわかった」
ハーレン侯ギュンターはいつもどおりの冷静な態度を崩してはいなかったが、そこには幾ばくかの疲れが見えた。
「まさか、どこも国境沿いでいざこざが起きているとは……」
「しかも、翼人による暴動の激化だ。だんだんと歯止めがきかなくなってきた」
アイトルフ侯ヨハン、ダルム侯シュタッフスともに以前から翼人の部族による反乱に悩まされ、今はそれに他国の余計なちょっかいが加わっている。徐々に耐えがたい状態になりつつあるのは事実だった。
目を伏せ、ギュンターがつぶやくようにして言った。
「すべては帝都騒乱が原因だ。あれによって、帝都が壊滅した被害だけじゃない。国内外にこの国の弱体化を喧伝してしまった」
ライマルがうなずいた。
「ああ、しかも犠牲が帝都だけですめばよかったんだけどな。各侯軍が被害を受けて、弱体化したのが痛い」
「ローエも厳しいのか?」
フェリクスの問いに、ローエ侯は肩をすくめるしかなかった。
「北のゴールの奴ら、しばらくおとなしくするだろうと思っていたら、やっぱり帝都がああなったあとにまた動きはじめやがった。ま、もう一度叩いてやるだけだがな」
「周辺の狼は、常に獲物が弱まるのを待っているものだよ。このノルトファリア帝国だからこそ弱みを見せてはならなかったのだが、ひとりの愚か者のせいでこうなった」
今頃、奴は天国でどんな顔をして下界を見ているのだろうな、とギュンターは皮肉げに嗤った。
「ですが、それはこれまで何度も起きてきたことでしょう。帝国が完全に安泰だった時期のほうが珍しい」
「何が言いたい、ノイシュタット侯」
「私は、これまでどおり人間の世界がどうこうという話ではすまない状況になりつつあると思うのです」
フェリクスは一度言葉を切ってから、この場にいる面々を見回した。
「私の所領でも、翼人による暴動が激化しております。すでにお聞き及びかもしれませんが、先日も侯都近くの集落が襲われました」
「それが、今後ひどくなるというのか?」
と、ヨハン。
「いえ、それだけならまだましなほうです。私がもっとも恐れているのは、翼人との全面的な対立です」
「全面的……?」
「今は、それぞれの小集団がばらばらに暴れているだけの状態。もし、これが組織立ってきたら――」
「帝都のときでさえ、あれだけの被害になったんだ。もう帝国は持たないかもしれぬな」
「しかし、ギュンター殿。それは、他の国でも同じではないかと思うのです」
言われたハーレン侯は、すぐにはっと気づいた。
「まさか、ノイシュタット侯が言いたいのは――」
「はい。翼人の側からすれば、元から人間の側が勝手につくった国境など意味を持ちません。おそらくこれからは――ひょっとしたら、もうすでに――他の国でも翼人の暴動による被害は拡大していくものと思われます」
場の空気が張りつめたものになる。それほど、フェリクスの指摘は重要だった。
「私が危惧しているのは、人間の国がどうこうなどという〝内輪〟のことではありません。もし翼人が人間という種族全体を敵として認識したら、人間対翼人という構図の全面戦争になりかねません」
室内を、重い沈黙が支配した。
「おいおい、怖いこと言わないでくれよ、フェリクス」
「怖いからこそ危惧しているんだ、ライマル。アルスフェルト騒乱以降、明らかに我々は翼人との接点が増えている。これがよい方向へ向かえばいいが、一連のことからするとどうも逆に向かっているように思えてならないんだ」
フェリクスは、改めてここに居並ぶ面々に語りかけた。
「諸侯よ、考えてみてください。本当に種族同士で対立することになったとしたら、人間側はこれまで経験したことのない困難な戦いを強いられることになります」
「我々はこれまで、翼人はいないものとして政を行ってきた。だが、これからはそう単純にはいかんということか」
「ゼップル殿、まさにそこなのです。私がこんな話をあえてしたのは、ひとつ皆さんに聞いていただきたいことがあったからなのです」
「それは?」
「侯都近くでの翼人の襲撃。その原因は、ある人間の集落が翼人を奴隷として扱っていたためでした」
今度こそ、一同に衝撃が走った。中でも、ふだん表情を崩さないギュンターとシュタッフスがあからさまに驚きを顔に表していた。
「それに激怒した翼人の集団が村を襲ったのです。彼らが怒るのも無理はない。ですが、現行の帝国法では翼人の奴隷を禁ずることができないのです」
「そうか、帝国法にせよ領法にせよ、人間しか想定していないからか」
「そのとおりです、ゼップル殿。私は以後、似たような問題が多発するのではないかと思うのです。ですから、国境沿いの対策も重要ですが、今のうちから翼人関連の問題を帝国としてどうするか話し合っておいたほうがよいのではないかと」
「確かに、相手が翼人だから何をしてもいいというのでは、ひどい報復を受けかねん」
「ことはそう単純じゃないって言ってんだろ、ヨハンのおっさん」
「無礼な呼び方をするな、ローエ侯っ!」
不快な甲高い声にわざとらしくため息をついて、それでもライマルは説明してやることにした。
「単純な奴隷とか暴動とかの問題だけじゃない。フェリクスが言ってるのは、そもそも翼人を公に無視してきたつけが、いろんなところで出はじめてるってことなんだよ」
「ええ、そうなんです、ヨハン殿。我々は、まさにゼップル殿がおっしゃったとおり、翼人をいないものとしてやってきました。しかし、そういうごまかしも限界に達しているということです」
「それだけじゃねえ、逆のことだって言えるんだ」
「ああ……」
ヨハンを除く全員が、最悪の可能性に気づいていた。
「たぶん同じように、翼人の側も人間のことをそう考えてきた。相手が人間なら何をしてもいいってな」
「だから、その心臓を平気で喰らう、か」
ギュンターのつぶやきに、ヨハンが引きつった声を出した。
「では、翼人が人間を奴隷にすることも……?」
「あるだろうな、いや、すでに行われておるやもしれん」
ヨハンを脅すために言っているのではない。実際にその可能性はあった。
「だが、ノイシュタット侯よ。現に被害を受けているのは我々だけなのだから、帝国のみが窮地にあるといっても過言ではないだろう」
「いえ、時間の問題でしょう。ひょっとすると、メルセアが意外に静かなのもその辺のことがあるのかもしれません」
「そういえば、東方はここよりさらに翼人が多いという噂だったな」
「現状は厳しいっていうのはもうわかった、つーより前からわかってた」
ライマルがぴしゃりと言ってのけた。
「それで実際にどうすんだよ、帝国として」
問題は、まさにそこにあった。帝国としての態度を決められないのなら、こうして話し合っている意味はほとんどないといっていい。
「各侯が、個別に対応するしかあるまい。国境の問題にへたに戦力をつぎ込めば、諸国との対立が激化しかねん。翼人対策をとろうにも、奴らは神出鬼没。今のところ抜本的な対策などできようはずもない」
「そんな場当たり的なことを聞いてんじゃねえんだよ。俺は、帝国として公に翼人を認めるべきじゃないかって思うんだけどな」
「どういう意味だ」
「そういう意味だ。翼人を人間と同じ国民として認めろってことだよ」
場の緊張感が一気に高まった。それは、これまでとはまったく異質なものだった。
「何をばかな。だいたい、翼人の側が納得するわけがなかろう」
「そんなこと、てめえが勝手に判断すんなよ。それこそ人間の傲慢だろ。翼人の思いは翼人自身に聞いてみるしかねえ。だったら、とりあえずでも接触を図ってみたらいいじゃねえか」
「本気なのか、ローエ侯」
「さっき言ってただろ、ゼップルのおっさんも。そもそも翼人とあからさまに対立することになったのは、お互いに相手のことをまるで真剣に考えてこなかったからだ。だったら、どこかで歩み寄るしかねえじゃねえか」
ライマルの主張に理があることは、他の面々もわかってはいた。しかし、それをおいそれと受け入れられるほど、単純な問題でもなかった。
「感情の面でも制度の面でも、今はとてもとても無理だ。帝国として翼人をなんとかしなきゃいかんのは事実だが、もっと状況が整ってからじゃないと無理だろう」
「そんな悠長なこと言ってる場合なのかよ。もう現にいろんな問題が出てるんだ。自分や家族が翼人に襲われてから激しく後悔しても遅いんだぜ?」
ライマルは、あえてもったいつけて言った。
「ゴトフリート、みたいに、な」
諸侯に反論できようはずもなかった。今ではそれぞれが、ゴトフリートが変心した根本の原因を知っていた。
まずい空気に包まれてしまった場を取りつくろうように、フェリクスが口を開いた。
「ライマルの言い分はややもすると過激ですが、その根本は間違ってはいないと思うのです。実は私自身、逆に翼人に助けられたことがあるのです」
「本当か、ノイシュタット侯」
「ええ。しかも、先日起きた騒動でも人間と翼人が協力している集団が部分的に関与していることがわかってきました」
「状況は明らかに変わってきているということだよ、おじさま方。この変化に対応できないなら、滅びていくだけだぜ?」
冗談めかして言うライマルの言葉を、今ばかりは誰も笑い飛ばすことはできなかった。
その後も話し合いはつづけられたものの、これといって成果もなく今回の会議も終わってしまった。
収穫は、言いようのない虚しさだけだ。




