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第六章 第二節

 帝都リヒテンベルクの中央にある大神殿は、今日は常にないほど静まり返っていた。

 というのも、神官の大半に暇を出したせいだった。あの騒乱以来、関係者はほとんど休みなしで復旧に努めてきた。

 ようやくそのめどが立ったから休みを取らせたというのもあるが、裏の思惑は大神殿にいる人を減らし、これから行われる会議の内容を万が一にも聞かれないようにするためであった。

 大神殿の一室、〝御使いの間〟には六人の大神官のうち四人が(つど)っていた。それぞれが円卓の簡素な椅子に腰かけていた。

「アリーゴの奴は、まだ来ないのか」

「いえ、彼は今日来ません。疫病が流行った地方へ出ていますので」

「ご苦労なことだ。そんなことは、現場の神官に任せておけばいいものを」

 鼻で笑った年配の男をライナーは睨みつけるが、本人はどこ吹く風だった。

 こんな人間としても最低の奴が大神官とは、とライナーは内心恫喝したい気分だったが、このフランコという男は言えば言ったで人の揚げ足をとってくる。相手にしないのが吉だった。

「ジャンルカの奴も来れないらしいな」

「ああ、リシェ。彼は今、メルセアへ慰問に行っている。当分は戻って来れないだろう」

〝信仰の確認〟という目的で、足止めをくっているはずだ。中身は大神殿に対する各種の陳情なのだから、応対するほうは大変だ。ジャンルカの苦労が偲ばれた。

「今度は、メルセアに媚を売っているわけか。ま、次に誰がここの支配者になるかはわからんからな」

「フランコ殿はちょっと黙っていてください」

「おっさんはともかく、ミラーンは来れたんだな」

「はい、重要な案件とのことでしたので」

 小柄で童顔のミラーンは、ややもすると神官見習いのようにも見えてしまうが、〝癒し手〟と称されるほど有能な医師でもあった。中でも薬草の調合には定評があり、国外から薬の依頼が来ることも日常茶飯事。今も、本来なら混乱に苦しむカセルの地にいるはずだった。

 いずれにせよ最古参のバルタザルがいなくなったことで、大神官の職でも確実に若返りは進んでいた。

「ともかく、四人でも急遽話し合わなければならないことがあります」

「例の書状の件だな」

 リシェの指摘に、ライナーは首肯した。

「ゆえあって手紙には書けませんでしたが、今から事情を説明します」

 謎の書状は共和国からのものであったこと、その中に政治不介入と寄付の申し出があったことなどをかいつまんで説明した。

 フランコは、再び皮肉げな笑みを浮かべた。

「共和国までここを狙っておるわけか」

「実際に狙っているかどうかはともかく、もし本当に帝国と共和国のあいだで戦になった場合、我々がどう対応するかです」

「それは、今度こそ不介入を決め込むしかないのでは?」

 ミラーンは先の騒乱の際、バルタザルの案に賛成していた。それは他の大神官も同様なのだが、早い段階からバルタザルの側についたのがリシェとこのミラーンだった。

 しかし今ではもう、それは大きな間違いであったことを、二人は嫌というほどわきまえている。

「だが、ミラーン。ことはそう簡単じゃないんだよ」

「そう、帝国が攻められているというのに何もしないとしたら、今度こそここの国民の信用を失ってしまいます。かといって、他の国の手前、大っぴらに帝国だけを優遇するわけにもいかない」

「ですが、神殿は常に中立の立場である以上、動かずに批判されることに関しては致し方がないでしょう」

 髪をかき上げ、リシェはひとつ息をついた。

「だから、そう単純ではないんだ。帝国の民の感情を考えてみろ。俺たちはもう、実際に兵を動かしてしまった」

「…………」

「それなのに、今度はなぜ動かさないって普通なら思うだろう? なまじ、聖堂騎士団なんていう戦力を持ってるのがいけないんだけどな」

「そこの出身者が言う台詞じゃないな」

「いや、おっさん。昔、そこにいたからこそわかるんだよ、立場の微妙さというやつが。神殿の中でさえ、聖堂騎士はちょっと浮いているくらいだからな」

「確かに、一般の神官からは少し距離を置かれてますね」

 事実、ミラーンもリシェ以外に聖堂騎士の知り合いはいない。それどころか、ふだん何をやっているのかすらよく知らなかった。

「動かしても駄目、動かさなくても駄目。それでどうするか話し合うために、こうして集まってもらったわけです」

 一同が難しい顔になった。自分たちが思うよりもずっと難しい立場に追い込まれていることを認識し、それぞれの表情はさすがに暗くなった。

「だったら、先手を打ってはどうでしょう。帝国側に対し、あらかじめこちらの立場を伝えておくのです。聖堂騎士団を動かすことはできないと」

 ミラーンの提案には、すぐに反論が出た。

「それだと、『また帝国と対立します』っていう意味にとられかねないぞ」

「『帝国を見捨てます』という意味にもな。そもそも、現在の帝国は皇帝不在。伝えるといっても誰に伝えるんだ。五人の選帝侯にか? だが、彼らには帝国や帝都そのものに関する決定権はない」

 らしくなくフランコが正論を吐いた。

 沈黙が部屋を支配した。いい案が出ないということそのものが、対応の難しさを何よりも物語っていた。

 ライナーからすれば、使者が来たあの日からずっと頭を悩ませていることだ。

「しかし、思うのは今ほど帝国を攻める好機はないということです。帝国にとって不利な条件がそろいすぎている」

「だからこそ、我々は帝国からの独立を目論んだ」

「いえ、フランコ殿、今はあの頃を超えるでしょう。カセルが荒れ果て、相変わらず皇帝不在。しかも、各地で問題が噴出している。やはり、あの騒乱は致命的だったのかもしれません」

「本来は、我らが帝国の心配をしてやる必要はないのだが、妙なことになったもんだ」

 元から、帝国と神殿は相容れないもの。しかし、過去の失態ゆえに自分たちの立場を難しくしてしまい、不本意ながら帝国のことを気づかうしかなくなった。

「ひとつ想定してみましょう。もし共和国が帝国に対して何かを仕掛けたとしたらどうなるか」

「面白いな。このまま議論しても答えが出そうにないから、そうしてみよう」

 ライナーの提案に、リシェも乗った。残りの二人も異論はないようだった。

「もし共和国との戦になったら、帝国はどうなるか」

「苦戦はするだろうが耐えられると思うがな」

「ただ、問題は帝国がどうなるかより、帝国が我々に協力を求めてきた場合でしょう」

「確かに」

 ミラーンの指摘どおりだった。自分たちからは積極的に動けないことははっきりとしている以上、厄介なのは帝国側の態度だった。

「どこが相手であったとしても、帝国が苦しくなったとき我々に助けを求めてくる可能性は高いと思います。結局、二者択一なのでしょうね。帝国を見捨てるか、助けるか」

「助けてはいけない理由とはなんだ」

 と、リシェ。

「周辺諸国の事後の態度でしょうか」

「だが、それは帝国が負けた場合だろう。勝った場合は、憎らしくても公には文句を言えないと思うが」

「しかしな」

 憂鬱そうに、フランコが口を開いた。

「負けた場合のことも考えておくしかないだろう。さっきライナー殿が言ったとおり、帝国は揺らいでおる。もしそのとき帝国に荷担していたとなると、大神殿を移転すると言い出しかねん」

「二五〇年前の再来ですか……」

 昔、レラーティア教の大本(おおもと)は、この地域の有力国の首都を転々としていた。時の権力者が、自身の権威を強めるために強制的に移させていたのだ。

 神殿の側も、それを利用しようとしたところがあった。しかし、あれから時が経ち、大神殿の場所を移すとなったらいろいろな影響が大きすぎる。

 ライナーは、憂鬱そうに嘆息した。

「結局は、その都度どちらに正義があるか考えるしかないでしょう」

「戦争に正義も何もない」

 と、吐き捨てるようにリシェ。

「だが、どちらの言い分に正当性があるかどうかは重要だ。周りはそこを見ている」

「らちが明かんな」

 杯を手に取り、フランコはそれを不満げに回した。

「わしが議論嫌いだから言うわけではないが、一度それぞれ持ち帰ったらどうか。どっちみち、今日結論を出すのは無理だ」

 それには、ライナーらも賛成だった。

「そうですね、私自身、少し混乱してしまいました。もう少しすれば、アリーゴ殿やジャンルカ殿が帰ってくるかもしれませんし、また後日話し合いましょう」

 反対の意見が出るはずもなかった。皆、同じ気持ちを抱いていた。

 いつの間にか外の日は落ち、通りには携帯用のランプを持った人々がゆっくりと歩いていた。

 これからの夜は長そうだった。

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