第五章 第六節
「またフィズベクか――と、おっしゃらないのですね」
オトマルは、隣で難しい顔をしている主に軽く声をかけた。
「〝また〟というより、〝予想どおり〟だな。何かが起きるならここだろうとは思っていた」
籠手のベルトを締め直し、フェリクスは副官のほうに向き直った。
「侯都からも帝都からも離れ、共和国に近い。何かを起こすにはうってつけだ」
「何かを起こしたい人物がいるかのようですな」
「オトマルもそう思っているのだろう」
「まあ、そうではあるのですが、その首謀者と目的がはっきりとしません」
「私は、はっきりしていると思うが」
「フェリクス様」
オトマルは、あえて主君に厳しい目を向けた。
「何ごとも決めつけることはよくないもの。決定的な証拠がない以上、今のところ単なる予測にしかすぎませぬ」
「わかっている。だが、それを前提に事を進めねば手遅れになりかねん」
「ううむ、それはそうですな」
難しいのは、未だ敵がはっきりとしないことだった。ノイシュタットを狙う勢力があることは、ほぼ間違いない。
しかし、それが共和国なのか、翼人の組織なのか、それとも他の諸侯なのかが判然としない。結果、こちらは受け身に回らざるをえなくなっていた。
「ですが、閣下。それ以前に、足元が揺らいでいるのやもしれませぬぞ」
「ああ、正直ここまでとは思わなかった」
周りには、無念を体現するかのような光景が広がっている。
耕地は荒れ果て、川は涸れているのではないかと疑いたくなるほど水量が少ない――北方が大雨に苦しんでいるというのに。
視界の中にある庶民の家屋は見すぼらしく、空き家も多いようだった。
だが、ここに来るまでのあいだ、もはや村とは呼べないほど発展した集落も確かに見た。
「偏りがありすぎる。私の考えが浅はかだったよ」
各地域の中心となる町が大きくなれば、それにつられて周囲の村々も盛り上がるはずだと考えていた。しかし、現実はそう単純ではなく、知らず知らずのうちに格差を生みだしてしまった。
「いえ、けっしてフェリクス様だけの責任ではございません。前例がないことなのですから、誰にもこうなることは予見できなかったでしょう」
「オトマル、予想できないというのは領主にとっては言い訳にならないのだよ。たとえそうであっても責任を負う、それが領主というものだ」
「おっしゃるとおりです」
フェリクスの強すぎるほどの自覚に、オトマルは感服すると同時に領主としての確かな成長を感じてもいた。
――これなら、近いうちに私が必要なくなるな。
いよいよ、身を引くべき時期が迫ってきた。後進も育ち、人材の心配もない。全体としては、領内の各地は安定していた。
ただ唯一気にかかるのは、領内よりも周辺の動向かもしれなかった。不穏な空気は帝国内にも帝国外にも常にある。中でも東の大国メルセアは、常に注意が必要な相手だった。
しかし、今回はダスク共和国寄りの南西の地域。いつもなら、特段警戒する必要もないはずであった。
「ところで、ユーグはどうした」
「前線へ偵察に行きました」
「自分でか。あいつらしい」
フェリクスは、なかば苦笑した。
この出征には、近衛騎士のひとりであるユーグを連れてきた。アーデは相当に駄々をこねたようだが、今回ばかりは妹姫のわがままを聞くわけにはいかなかった。
「ユーグよりアーデ様のことのほうが心配です。おとなしくしていてくださるでしょうか」
「しててもらうさ。ことがことなだけに、な」
領内での暴動ゆえに、対応を誤れば各地に飛び火しかねない。帝都での混乱よりたちが悪い面もあった。
「裏で何をやっているのか知らないが、初めから戦場に近づくなど許されん」
「何かご存じなのですか」
「いや、くわしくは知らない。まあ、アーデのことだ、私たちにばれないようにやるだろう。オトマルのほうこそ何か知ってるんじゃないのか」
「知っていたらお止めしようもあるのですが」
「それはそうだ」
もっともらしい言に、フェリクスは深く納得した様子だった。
――この手の話になるとひやりとさせられる。
なまじ〝あれ〟を知ってしまっているだけに、毎回ごまかしに苦慮する。いつかフェリクスにも伝えねばならないとは思うのだが、いつ、どうやって話すべきなのかまるで見えなかった。
「ユーグの奴めが協力している節がありますからなぁ」
「確かに。アーデのことはともかく、そろそろ本来の任務に戻すべきなのかもな」
「そのユーグが戻ってきたようですぞ」
周囲に展開する兵士たちの合間に、長身の騎士とその従者の姿が見えた。周りに目もくれず、一直線にこちらへ向かってきた。
「噂をすれば、か」
「どんな噂です?」
ユーグが疲れの色も見せずに、口を開いた。
「アーデから解放されて元気そうだということだよ」
「それはもう。あのじゃじゃ馬――いえ、手のつけられない姫から離れられたのですから、手枷足枷の外れた剣闘士のようなものです」
「言い得て妙だ」
「それより、閣下」
表情をすっと改めて、ユーグは主君に向き直った。
「偵察の結果は、あまり思わしいものではありませんでした」
「どういう意味だ?」
「はい、叛徒の力量は想像を超えるものがあります。大半は取るに足らない相手ですが、その中に一定の割合でやけに腕の立つ者がいるようなのです」
「なぜそう思う?」
「実際に剣を交えた、現地の守備隊の者に話を聞きました。偵察をしてみても明らかに他の民たちと様子が異なる、と」
「ううむ、よもや傭兵でも雇ったのか?」
「ですが、閣下。それなら、この暴動は突発的なものではなく事前に準備されていたことになります」
「ユーグの言ももっともですが、そもそも生活に窮して暴動を起こした者たちが、カネで傭兵を雇うというのは不自然ですぞ」
「それはそうだ」
オトマルの指摘にうなずき、フェリクスは思案した。
「ユーグ、お前は直に見たのか」
「はい、可能なかぎり近づいて。不自然だったのは、服の下に鎧を着込んでいる者たちがいたことです」
「なるほどな、表面上は普通の民に見せかけようとしているわけか」
「ええ、通常の傭兵ならこんなことはしません。相手を威圧するためと、自身の名を売るためにかえって目立とうとするはずです」
「民でもない、傭兵でもない、それでも剣の達者な誰かか――おおよそ見えてきたな」
それは、フェリクスが不敵な笑みを浮かべたときのことだった。
兵士たちがざわつきだした。それぞれの視線は、前方に向けられている。
「なんだ?」
「誰か、こちらへ向かっているようですぞ」
オトマルの視線の先には、馬に乗って駆けてくるひとりの騎士の姿があった。
しかし、その様子は尋常なものではない。鎧のあちらこちらが傷つき、見た目にもわかるほどひどい怪我を負っている。
息も絶え絶えにフェリクスの近くまでやってくると、そのノイシュタットの騎士は下へ落ちるようにして馬から降りた。
「申し上げます!」
「どうした」
「先に奇襲を受け、フィズベク守備隊は壊滅。守備隊長ロラント卿が捕らえられました!」
一同に衝撃が走った。
「……どうしてそんなことになった」
「前線の守備隊は通常どおり陣を展開していたのですが、側面を左右同時に突かれ、混乱。その中、隊長が捕らえられてしまい、隊を立て直すこともままなりませんでした」
「なんという失態だ!」
フェリクスは、歯噛みした。
「オトマル、ロラントの腕は確かだったはずだが」
「はい、元々はユーグめの師だった男です。剣の腕だけでなく、将としても有能な騎士。よもや、このような事態に陥ろうとは……」
「それで、ロラントは」
「はい、人質として捕らえられており、叛乱者どもは解放するための条件を提示してきました」
「条件?」
「このフィズベク以南の地域の自治権を認めよ、と」
「そんなもの、認められるはずがなかろう!」
ノイシュタットはおろか帝国内には現在、自治領なるものは存在しない。以前はロシー族に一定の自治は認められていたが、彼らとの対立とともにそれは剥奪されることになった。
へたにそんな要求をのめば、各地で同様の暴動が頻発し、国内外にノイシュタットの混乱、引いては帝国弱体化を喧伝することになりかねない。
今は、皆が注目している。へたを打つわけにはいかなかった。
「しかし、フェリクス様。これで、敵の思惑がようやく見えてきましたな」
「ああ」
ノイシュタット領内で暴動を起こさせ、かつフィズベク以南が自治領となることを望む存在。
それは、混乱した現在にあっても比較的はっきりとしていた。
「もうこれ以上、茶番に付き合う必要はない。すぐに出陣するぞ!」
フェリクスの号令一下、迅速に前進の準備が進められていく。
そこへ、ユーグが近づいていった。
「フェリクス閣下」
「どうした? 久しぶりの実戦で怖じ気づいたか」
「いえ、むしろ私を前線に出させてほしいのですが」
「何?」
ユーグは、騎士は騎士でも近衛騎士。その名のとおり、主君を守るのがその使命だ。ときには、優秀な近衛騎士があえて隊を率いて前線に出ることもあるが、それはあくまで例外だった。
「どういうことだ、ユーグ」
「どうしても、この目で確認しておきたいことがあるのです。閣下がお許しくださるなら、前で戦いたいのです」
「単に功を焦っているわけではないようだな」
「はい、叛乱者たちの背後にいる存在を確実に見抜ければと思いまして」
フェリクスが、オトマルのほうへ目配せした。老騎士はなかば呆れながらも、頷きを返した。
「ユーグの目は確かです。しかし、守備隊の責任者ならともかく、近衛騎士がもっとも危険な最前線へこのような戦いで出ることはあってはならぬこと。そこでどうでしょう、とりあえず左翼の指揮を任せてみては」
「それもそうだな。どうだ、ユーグ」
「はっ、十分でございます」
礼もそこそこに、若き近衛騎士は配下の者を引き連れて、陣の左側へ向かっていった。
「ユーグの気持ちもわかるからな」
「ええ、何か確証が得られれば今後の対応に関しても有利になります」
決定的な証拠があれば、裏で画策している相手を糾弾することもできる。そこまで行かなくとも、交渉がしやすくなることは疑いない。
ノイシュタット侯軍は、準備が整えられるとすぐに前進を開始した。
はるか前方の暴徒たちからどよめきが上がる。守備隊長という要職にある人間を人質にとったにもかかわらず、こうもあっさりと戦いを選択するとは予想していなかったのだろう。
「ロラントも、騎士であるからには覚悟はできているだろう」
「ええ、人質として生き恥をさらすより、こうして戦いを継続することを望んでいるはずです」
みずから望んで南方の守備隊になった元近衛騎士は、そういう男であった。
しかし今はそれよりも、眼前に見える敵の動きが気にかかっていた。
「――対応が早い」
「これはもう、間違いなく〝本職〟がいるとしか考えられませんな」
驚愕にあたふたとしていた叛徒たちが、一部の者たちの指示ですぐに冷静さを取り戻し、こちらを迎え撃つ態勢を整えている。こんなことは、有能な傭兵にさえ不可能なことであった。
程なくして、互いの前衛がぶつかり合った。もはや、ノイシュタット侯軍に油断はない。急造の敵兵はどんどんと押し込まれ、ぎりぎりのところで陣を維持している。
個々の力量の差は歴然、鍛えられた正規兵にふだん農具や網を持つ人々がかなうはずもなかった。
しかし、それでもすぐに全体が崩れないのはよくこらえているほうだ。
「敵ながらあっぱれだ。民の戦闘能力も捨てたものではないな」
「感心している場合ではございません。この戦い、長引けばどうなるかわかりませぬ」
「ああ。背後に控えている奴らが、何か次の手を考えているかもしれない」
こういったときは、速攻にかぎる。敵が次善の策をとる前に、先に先に対応していく。そうすれば、気がついたら自分たちのほうが追い込まれていたという事態だけは防げる。
「このまま順調に行きそうだ」
「だといいのですが。どうも、守備隊が奇襲でやられたというのが気になります」
「だからこそ、左翼にユーグを持っていったのだろう?」
「ええ、まあ、そうなのですが」
単なる奇襲だけですめばいいが、とオトマルは声には出さずに、違和感に首をかしげた。
その左翼後方において、当のユーグは前へ出る機会を虎視眈々とうかがっていた。
「ユーグ様、あまり無茶をなさらないほうが……」
「ティーロ、お前はオトマル卿のようなことを言うのだな」
「いえ、ふだんユーグ様がアーデ殿下におっしゃっていることです」
「…………」
一言も反論ができず、ユーグは仕方なくそっぽを向いた。
「そもそも、何を狙っておいでなのです?」
「決定的な証拠を摑むんだよ、叛徒の裏にいる連中の。そのためには、前線で戦うしかない」
――のだが、主力の攻勢が順調すぎて、左翼にはおこぼれさえ回ってこない。少し左翼を前に出そうかとも思うが、そんな勝手なことをして陣形を崩すわけにもいかなかった。
時間だけが刻々と過ぎていく。味方が圧倒的に優勢だというのに、ユーグだけは焦れていた。
「今回は無理か……」
とつぶやいたちょうどそのとき、陣の左側にある林が、やにわに騒がしくなった。
「ユーグ様」
「なんだ……?」
周囲の兵士たちも気づきはじめ、よく訓練された彼らはすぐさま武器を構えて臨戦態勢をとった。
ユーグはまさかと思った。奇襲の可能性を考慮に入れてはいたが、こちら側からの攻撃は予測していなかった。
なぜなら、この林の向こうはドルシアという名の川だからだ。
――あの川を気づかれずに渡ってきたというのか!
川幅があるだけでなく、それなりの深さもある。それを成し遂げるには、そもそも命を懸ける覚悟が必要だった。
――敵も必死だな。
裏で糸を引いているのが誰であろうと、兵士にその気がなければ動かない。ここまでのことをするほどこの地の住人は追い詰められていたのかと、別の面で驚愕した。
だが、今は叛徒の事情を思いやっている場合ではない。ユーグはすぐに隊の向きを変えるべく、号令を発した。
「転進しろ! 側面から来る敵を迎え撃て!」
先ほどまで前方を向いていた隊が、前衛が向きを変えることで陣を組み直していく。
だが、その動きはいつもとはどこか違い、緩慢だった。奇襲に動揺しているためだとは思えない。
――なんだ。何が起きてる。
再び訪れた悪寒に、ユーグがさっと視線を動かして状況を把握しようとした。ふだんと比べると、何かがおかしい。
その原因に明確に気づく前に、部下から報告が上がってきた。
「申し上げます!」
「なんだ!?」
「一部の者が寝返った模様! そのせいで、周囲は乱戦と化しております」
さすがのユーグも言葉を失った。
まさか、そこまでのことが起きようとは……完全な想定外だった。
裏切った連中の実情は知れない。カネのためか、それとも以前から領主に不満があったのか。どちらにせよ、正規兵とはいえ民兵を組み込んでいるノイシュタット侯軍の構成が裏目に出てしまった。
「いったん兵を引け! 本隊近くまで下がれ!」
「よ、よろしいのですか!?」
「どうせ相手にノイシュタット侯軍の本隊を破るほどの力はない。それよりも今は、左翼の陣形を整えることのほうが先決だ!」
隊が下がれば、内部で暴れている離反者を分離させることができる。そうして隊を立て直し、あとは一気に叩くだけだ。
だが、相手は奇襲側と連係し、左翼のより深くへと入り込んでくる。気がつくと、後衛まで直接戦うしかない状況に追い込まれていた。
ユーグもみずから剣を抜き、ひとりひとり簡単に敵を屠っていく。しかし、乱戦の影響はいかんともしがたく、せっかくの兵力の差を活かせなくなっていた。
――もっとも愚かなことをしてしまったな。
敵の思惑どおり乱戦に持ち込まれ、兵をいたずらに疲弊させている。将としては最低の対応だ。叱責されても文句は言えないことであった。
だが今は、どうせならこの状況を逆に利用するだけだ。
――この中に、指示を出している奴がいるはずだ。
この暴動の当初から見え隠れしている怪しい奴ら。今も民兵の振りをして指揮を執っているに違いない。
――あいつか!
ひとりを見つけた。服は粗末な物をまとってはいるが、その体躯は筋骨たくましく、厳つい顔の二つの眼は戦いに爛々と輝いている。
――あんな奴がただの暴徒のはずがなかろう。
なかば失笑し、ユーグはそちらへ馬首を巡らせた。
「あっ、お待ちください、ユーグ様!」
気がついたティーロが急いで追いかけるものの、ユーグの手綱さばきは巧みだ。あっという間に背中が小さくなり、見失わないようにするので精いっぱいだった。
「共和国の犬め、その首もらい受ける!」
かまをかけてみたが、相手の反応は乏しい。たいした確認もとれないまま、剣を打ち合わせることになった。
馬上から、問答無用で剣を振り下ろす。高さの利点もあり、それを受け止めた相手を一気に押し込んだ。
二撃目。
相手は上段からの攻撃を、今度は後ろへ飛びのくことでかわしてみせた。すかさず、前へ踏み込んで横薙ぎの一撃を放ってくる。
それを、ユーグは剣を立てて防いだ。
――こいつ、馬を狙っているのか。
こちらを、まずは馬上から降ろそうという魂胆なのだろう。ユーグは、相手の目論見を逆に利用することにした。
数合打ち合い、相手を少しずつ追い込んでいく。それにつれて、敵は目標を馬へと明確にしていった。
ユーグが剣を振りきると、馬がわずかによろめいた。
ほんの一瞬、生じた隙。
民兵に化けた男は、ここぞとばかりに馬の前脚を狙った。
うまくいく――男は、確かな手応えを感じたはずだった。
しかし次の瞬間、そのすべては覆された。
対象をとらえたかに思われた男の剣が、空を切った。馬は一足飛びに前進し、一瞬前までいたところからは消えていた。
はっとして男が振り向いたときにはもう、ユーグは己の得物を振り上げている。
とっさに防御姿勢をとろうとした男であったが、そこに:第二の誤算があった。
馬上の騎士が利き腕に握っていたのは、剣ではなく長大な騎兵槍。
その最速の突きが男の剣を弾き飛ばし、服の下の鎧を突き破ってその肩を貫いていった。
うめき声を上げることすらできず、男が仰向けに倒れていく。
「ティーロ!」
「は、はい!」
「こいつを捕らえて、本隊のほうへ連れていけ」
ようやく追いついてきた若い騎士は、言われるまま男を引きずるようにして下がっていった。
――それにしても。
この戦い、負けることはないだろうが、ノイシュタットにとって諸々の損害は小さくはないだろう。最悪、この後遺症は数年つづくかもしれない。
――フェリクス様。
隊を指揮しながらも本隊のほうを見やると、さすがに一同に動揺した姿は微塵も見られなかった。しかし、そのこころの内はけっして穏やかではないはずだ。
実際、フェリクスとオトマルは、戦いの趨勢が決しはじめたというのに、その表情はますます硬いものに変じていた。
「戦いの最中に次のことを考えるのはよくないが、先が思いやられるな」
「ですが、さすがにノイシュタットの中で暴動が起きてしまうのはここくらいでしょう。他は、生活が苦しい地域でさえフェリクス様を慕っておりますし」
「父上の負の遺産か……」
このフィズベク以南の地域は、元々小さな独立した国家だった。しかし、公王による圧制は苛斂誅求を極め、たびたび反乱が起きていた。
十六年前、大規模な内紛が発生した際、その一派がノイシュタットへの帰属を求めてきた。そこで先代は出兵を決断し、対象地域を併合することに成功し、以後そこの民が戦で苦しむようなことはなくなった。
しかし、一部では未だ帝国とノイシュタットに反感を持つ者は存在し、何かあるとこうして不満が爆発するのだった。
「それより閣下、敵が一気に崩れはじめておりますぞ」
「――――」
見れば、叛徒の軍は総崩れの体であった。烏合の衆などしょせんこんなものだともいえるが、あまりに急すぎる。
「黒幕がいったん手を引いたか」
「でしょうな。相手からすれば、小手調べといったところなのでしょう」
「問題は次にどう出てくるか、だな」
相手の次の一手は未だ読めないが、今回のことが布石であるなら、かならずなんらかの行動には出てくるだろう。
そのとき、自分たちがどれだけ迅速に、かつ的確に対応できるかでノイシュタット、引いては帝国の命運を左右することになる。
「狙いが帝国なら、まだいいのですが」
「ノイシュタットそのものを狙っているかもしれんということか?」
オトマルは、あえて返事をしなかった。
不吉な予感を覚える勝者の面前で、戦いは終わろうとしていた。




