第四章 第十節
「ついにここまで来てしまったな……」
嘆息まじりのセヴェルスのつぶやきが、中空に虚しく響く。
「ジャンさんの手がかり、見つけられなかったですね」
「ああ。それどころか、〝虹〟を見かけることもない。〝奴〟も戻ってこないし、八方塞がりだ」
セヴェルスが嘆きたくなるのも無理はなかった。このシュラインシュタットの近くに至るまで散々捜し回ったにもかかわらず、〝虹〟どころか翼人の姿を見かけることさえなかった。どうやら、街道の近くを飛ぶことを避けているらしい。ヴァイクの当ては外れたことになる。
しかも腹立たしいことに、現在位置も中途半端だった。今日中に侯都シュラインシュタットに着くのは無理、かといって周囲に泊まれそうなところはなく、このまま行くとまた野営することになりそうだった。
「メルは大丈夫か」
「はい、馬に乗っているので」
旅の疲れを微塵も感じさせず、メルは微笑んだ。かわいい顔に似合わず、意外と心身ともにタフらしい。
最初はつっけんどんなセヴェルスを怖がっていたメルも、今ではすっかり打ち解けていた。いつもむっつりしている彼も、まんざらではないらしい。
二人の仲は、隣で見ているベアトリーチェが少し妬けるくらいだった。
「問題は、ジャンのほうかもな」
「もう一週間以上、経ちましたね……」
ひとりが徒歩の分、一行の歩みは遅かった。しかもジャンを捜すために、何度も街道を逸れている。通常の倍近い時間がかかるのも自明というものだった。
「あいつの体力が持つかどうか……翼人たちがまともな食事を与えているとは思えんからな」
「大丈夫ですよ、きっと」
「変な気休めはよしてくれ」
「いいえ、なぜか確信できるんです。相手は、きっとジャンさんに聞きたいことがあったんですよ」
「聞きたいこと、か……」
思い当たる節はあった。
「あいつはふだん、のほほんとしているくせに、妙に鋭くなることがあるんだ。だから、最初はみんなからばかにされていたのに、ひとり、ふたりと相談に乗って助けてやっていくうちに、いつの間にか村のみんなから信頼されるようになっていた」
「ジャンさんらしいですね」
「ああ――だが、俺はそんなあいつが好きになれなかった」
「え?」
セヴェルスの目は真剣だった。
「人には誰だって、他の奴に知られたくないこころの内側というものがある。特に、俺やジャンのように親のいない人間にとってはな」
「お二人もそうだったんですか」
「ということは、お前もか。俺たちは元々、西のペルーア出身の戦争孤児だった。それをカセル侯が引き取って、領内の各地に預ける活動を始めたから、帝国に来ることになった。ジャンとかセヴェルスって、ここらじゃ珍しい名前だろ?」
「ええ、私もですけど」
「ああ、そうか。そういうことか。南方の名前だからな。俺たちも似たようなもんだ」
セヴェルスは、手綱を握る手を少しだけゆるめた。
「だが、別に不幸だったわけじゃない。村での生活は快適だったし、大人たちも友達もみんな優しかった。それでも……家族がいる者といない者という厳然とした差はあった」
「…………」
「ジャンは、だいぶ早くから自分たちのこころの寂しさに気づいていたと思う。けどな、俺はそれを人に悟られたくなかった、たとえ幼なじみのジャンでも。だから俺は昔、ジャンとは距離を置いていた」
「それがどうして変わったんです?」
「あいつは臆病なくせに、ときどきとんでもないことをやりやがる。俺が森の中でうっかり狼の群れに囲まれたとき、あの野郎どうしたと思う?」
「助けを呼びに行った?」
「それが違うんだ。俺も最初は、半分逃げる口実にそうしたんだと思った。だが、あいつは村へは戻らなかった」
そして帰ってきたとき、手には火のついた草の束を握っていた。
「考えられるか? あいつ、落ちていた木を使って摩擦で火を起こして、それを枯れ草に点けてきたんだ。いったい、どういう発想をしてるんだ」
馬上で、二人の女が笑っていた。
「でも、その効果はてきめんだった。炎よりも煙を嫌って、狼はあっという間に逃げていったよ。村にいったん戻っていたら、たぶん間に合わなかっただろうな。それに、あいつ……手のひらが傷だらけになっていた」
そのときだった。ああ、こいつは――こいつだけは信頼できると思えたのは。
「ジャンと違って、俺は頭を使うのは苦手だ。だから、そのときから体を鍛えて村に貢献しようと思った」
「それで、セヴェルスさんは故郷の村にこだわるんですね」
「ああ、あの村には見返りもないのに俺たちを育てくれた恩がある。ジャンも気持ちは同じだろうが、あいつは目の前のことに集中しすぎて他のことが見えなくなる。今回のことだってそうだ」
「じゃあ、なんとしても助けないと」
「村のためだけじゃなく婚約者のためにもな」
「えっ、本当にいるんですか!?」
「本人は、村が勝手に決めた許嫁だから関係ないなんて言ってるが、気がないわけじゃない。いつかは絶対に戻るさ、自分のほうからな」
セヴェルスは、どこか含みのある笑い方をした。
そんな話をしているうちにも時間は過ぎていく。今日は休憩を一度しかとらなかった分、だいぶ進んだが、シュラインシュタットまではまだ距離があった。
「ここら辺に集落はないのか?」
「昔来たとき、この近くで泊った記憶はあるんですが……」
街道は石畳で舗装もされて整備されているのだが、少なくとも視界の内に宿場町らしきところはなかった。
「馬車なら、このままシュラインシュタットまで進むんだろうが」
「馬車? あれは……」
ちょうど前方に馬車らしき影が見えてきた。しかも近づいてくるにつれ、見覚えのある形であることがわかった。どうやら、向こうもこちらを認識したらしい。
はっきりと見えてきて完全にわかった。
間違えようはずもない、ノイシュタット侯領に入るために手助けをしてくれた商人のものだ。確か、名をダミアンといったはずだった。
こちらが先に歩を止め、馬車が近づいてくるのを待った。
「またお会いしましたね」
「これはこれは先の――。まだこの辺りだったんですね」
わざわざ馬を降りようとしたベアトリーチェを手で制して、ダミアンは馬車から身を乗り出して声をかけた。
「ええ、いろいろと用をすましながらでしたので。ダミアンさんはまたお出かけですか?」
「まあ、共和国のほうへ行かなければならなくなりましてね。この旅路は少し憂鬱なんですが、仕事ですから仕方がありません」
「大変なのですね」
「ところで」
と、セヴェルスが話に割って入った。
「ここら辺に宿があるような集落はないか? このままだと、俺たちはシュラインシュタットまで今日中に着きそうにないんだ」
「集落ですか……そういえば、ここからもう少し進んだ道を右に折れた先に、ひとつ町があったはずです。ただ――」
「ただ?」
「いや、こちらの話なのですが、なぜか商人の出入りを禁じているところでしてね、以前から評判が悪いんですよ。ですが、皆さんなら大丈夫なはずです」
最後の一言に引っかかりを覚えたが、ダミアンとはお互いの旅の無事を祈ってすぐに別れた。
「じゃあ、行ってみるか」
セヴェルスが促すと馬は疲れた様子も見せず、ひずめの音を立てながら再び軽快に歩きだした。
日が雲に隠れ、少し涼しさを感じはじめた頃、ようやく右へとつづく道が見えてきた。そこをさらに進むと、すぐに集落の一部が見えてきた。無数の建物が見えることからして、村というより町と表現すべきかもしれない。
だが、その門の外から内側を眺めたとき、三人はぎょっとした。
「え……」




