第四章 第八節
帝都の中央にある宮殿、そのほぼ中心に位置する〝白頭鷲の間〟はいつもと変わらず重苦しい空気に包まれていた。
円卓の席に着いたそれぞれは、いずれもこの帝国を代表する重鎮たち。しかし、その身分に不似合いな焦燥感をその表情ににじませていた。
「まさか、こんな事態になるとは……」
いつもは内面の有り様を、特に負の感情を表に出すことはまったくないハーレン侯ことギュンターも、さすがに困惑の色が顔に出ていた。
諸侯を悩ませるのは、翼人の問題だった。帝国各地をはぐれ翼人の集団が襲撃し、人間の集落に被害が出ている。先の騒乱で各侯領はただでさえ疲弊しているというのに、人間の世界の問題だけでなく翼人の側のそれまで内包することになってしまった。
ブロークヴェーク侯ゼップルは、その出すぎた腹の上で腕を組み、大仰に嘆息した。
「帝都騒乱よりたちが悪いかもしれん。あのときは騒ぎが一極集中していたからそれを叩けばよかったが、今は散発的で対策を打とうにも奴らは空へ逃げていってしまう」
「そしてまた戻ってくる、か……。確かに厄介だなぁ」
ふだんは議論に参加しないだけでなくほとんど寝てしまっているローエ侯ライマルでさえ、今ばかりは悩ましげに頭をかいていた。
「諸侯らはいいだろう、元から領地の運営がうまくいっていたのだからな。しかし、私のアイトルフのように昔から厳しい地では、もはや致命的だ」
「泣き言は言いたくないが、苦しいのは事実だ」
アイトルフ侯ヨハン、ダルム侯シュタッフスがつづけて、内情を隠すことなく一同に告げた。
「やはり、万全はノイシュタットだけか」
「勘違いしてもらっては困ります」
さっそく来たギュンターの牽制に、ノイシュタット侯フェリクスはいっさいの遠慮なくぴしゃりと返した。
「おそらく今、帝国の中でもっとも翼人らが活発に動いているのが、我がノイシュタットでしょう」
「なんだと?」
「なぜか当領では、翼人の集団が隊商を襲う事件が続発しております。そのうえ、町や村を直接狙う者たちまでいるとの報告が上がってきております。しかも、どうやらそうした集団が複数存在するようなのです」
「そういえば、私のところにも商人の組織から苦情が来ていた。『翼人対策をもっとしてくれ。でなければ、まともに交易ができない』とな」
シュタッフスは彼にしては珍しく苛立たしげに杯を摑み、一口だけ中身を飲んだ。
「だが、交易はうまくいっているのだろう? 増税しても商人が集まってくるそうではないか」
「それは逆です、ギュンター殿。行きすぎた交易が、領内の均衡を狂わせてしまったのです。町と周辺の村々の差が大きくなり、中には毎日の食う物にも困るところもある始末。しかも、近年は天災が多くどうにもなりません。少なくとも私が領主になって以来、最悪の状態です」
「それは君にとってだろう。私らからすれば、それでもよい状態に見える」
その意見は、他の諸侯にしても同じだった。もはや基準が異なってしまっているほど、各侯領の現状には隔たりがあるのだった。
「まあ、ノイシュタットをやっかんでいても仕方あるまい。それより、今のままでは帝国そのものが徐々に追いつめられていく。周辺諸国の動向が不穏なだけに、内輪でもめている場合ではない」
領内の運営がそれなりにうまくいっているゼップルの主張は、まさに正論だった。しかし、正論を正論としてとらえられないほど、現在の諸侯の関係は崩れかかっていた。
「東のメルセアがそろそろ動くかもしれんな」
「ギュンター殿、恐ろしいことをおっしゃらないでいただきたい。もしあの国が本格的に腰を上げたら、この帝国といえどただではすみませんぞ」
「だから危険だと言っておる」
メルセアと領地を接しているアイトルフのヨハンは、気が気ではない。
だが、油断はともかく、本来はそこまで警戒するほどのことではないはずだった。これまでは、いざ正面切って開戦となれば、勝敗がどちらに転ぶにせよ互いに大きな打撃を負うことはわかりきっていたからだ。
ただ、状況は変わりつつある。もしこのまま帝国が混迷を深めれば、メルセアも黙ってはいない。そうなったとき、最初に攻め込まれるのがアイトルフであろうことは疑いようもなかった。
「東だけじゃねえぞ。招待もしてねえのに北の連中もよくうちに来やがるし、西のほうも不穏だ、特に共和国は」
どこか面白がって言うライマルの言葉に、一部の者がほんのわずかに反応した。何にも気づかなかったかのようにライマルは、いつものように机に突っ伏した。
「――まあ、カセルの問題も解決しておらん今、他国のことを気にしてもしかたあるまい。まずは、内を固めんとな」
「さっきからじいさんは、正論を言ったり嫌みを言ったり忙しいな」
「黙っておれ、道化者」
真正面から侮辱されたのに、ライマルはこころから楽しそうに笑っていた。フェリクスからしても、やはりよくわからない男である。
「カセルといえば、後継者の件はどうなった。ゴトフリート殿に子息がいないことが災いしたな。まあ、誰もこんなに早く侯が――彼が逝くとは思っておらなかったからな」
ゼップルが、悩ましげに首を振った。
「ルイーゼ卿でいいのではないか? 人望もあり、家柄もしっかりしている」
「だが、反乱に荷担した女だぞ。しかも、本人が首謀者のひとりであることを認めている。そんな人物を、よりによって再びカセルの要職に就けるのはおかしいだろう」
ヨハンの軽はずみな発言を、すかさずシュタッフスがもっともな意見で封じた。
「そうは言っても、混乱に混乱を極めたあのカセルをなんとかまとめているのは、まぎれもなく彼女の手腕です。この状況でまるでゆかりのない者を着任させたら、それこそ反乱の火種になりかねません」
「かといって、責任問題をうやむやにするわけにもいくまい。ことがことなだけにな」
フェリクスの反論は、正論によって返されてしまった。
――やはり、厳しいか。
自分としてはルイーゼに任せるのが最良の選択と思うのだが、諸侯だけでなく臣民の感情を考えると難しいようだった。
「次期皇帝の選任も棚上げか。そもそもこんな状況では、誰が皇帝になったとしても変わらんだろうが」
「いや、ヨハン殿。こういうときだからこそ、私は思いきった人選をしてみてもいいと思うのだが」
ゼップルがさりげなく放った言葉が、場を一瞬にして固まらせた。なぜなら、その内容の意味するものはひとつだけからだ。
「――ブロークヴェーク侯よ、そういったことを軽々しく口にするのはいかがなものと思うが」
「す、すまん。深い意味はなかったんだが」
ギュンターに戒められ、大きい身を小さく縮こまらせたゼップルを見て、ライマルが笑いだした。
「なんで謝る必要があんだよ。いいじゃん、フェリクスで。というか、今のところこいつしか妥当な人間はいないだろ」
「おい、ライマル……」
当のフェリクスのほうが気が気でない。いくらライマルでも、ここまで堂々と言い出すとは思っていなかった。
「フェリクスじゃ駄目な理由ってなんだよ」
「今回は選帝会議ではない。そんな話は場違いだぞ、ローエ侯」
「じいさん、はぐらかすにしても、もっとましな言葉を使えよ。それじゃあ、『今その話題は困ります』って自分で言ってるようなもんだぞ。ハーレン侯も老いには勝てないか?」
「黙っておれ!」
「おいおい、てめえが皇帝になったつもりかよ。帝国建国以来、選帝侯の立場は皆平等。少し早く生まれたか遅く生まれたかなんて関係ねえんだよ。はっきり言っとく、あんたに命令する権利はねえ。俺にも他の諸侯にもな」
そこまで一気に言い切ってから、人の悪い笑みを口元に浮かべた。
「それとも、自分が皇帝になるつもりだったか? あー、悪い悪い、図星だったか」
放蕩侯が余計なことを口走ったせいで、場は一気に険悪な雰囲気に陥ってしまった。
たまに口を開くとこれだ。特にギュンターとの折り合いは、破滅的に悪かった。
「……休憩にしよう。これでは、議論など成り立たん」
シュタッフスの提案に救われたかのように、一同が席を立った。
問題児は親友の睨みも気にしないままに、帽子をくるくると器用に回している。
フェリクスはもう、ため息をつくしかなかった。




