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第四章 第四節

 シュラインシュタットの城は、珍しく侯都の中央にある。といっても、町の中に城をつくったからではなく、城の周りに町ができたからであった。

 その城の中は相も変わらずのんびりとしていて、これといって緊張感がない。本当に帝都騒乱が起き、ここがノイシュタット侯の居城なのかと疑いたくなるほど平和な様子だった。

 とはいえ、どこにも例外は存在するもので、その裏山にある一画ではひとりの暴君が好き勝手に振る舞っていた。

「ああ、もう、役に立たないわね、ユーグは。もっとお兄様から聞き出せなかったの?」

「そう言われましても、限界がありますし」

 アーデとしては少しでも兄に関する情報を得たいのだが、このぼんくらの騎士はそこのところ――微妙な姫の乙女心がまったくわかっていなかった。

「そもそも報告することがないんですよ、先の会議はまた、すべて低調でしたから」

 などと、いけしゃあしゃあと言ってのける。

「じゃあ、進展はなしってこと?」

「ええ、今こそ帝国は一枚岩にならなければならないのに、いつもよりも足を引っぱり合う始末。さすがのフェリクス様も、帰り道は憂鬱そうでしたよ」

 騒乱後、これまで何度も帝都へ赴いたというのに、カセル侯領の扱いに関する最終的な結論さえ一向に決着する気配がない。ある程度は覚悟していたものの、まさかここまで紛糾し、遅れが出るとは想像していなかった。

「やはり、カセル侯という求心力を失ったのは大きいようです」

「うーん、もういない人のことより、これからどうなりそうなの?」

「まだまだ長引くでしょうね。各侯が協力する意志が弱いわけですし、まあ、実際のところすぐに結論が出せるような簡単な問題は少ないですから」

 それを聞いて呆れたように鼻で息をしたのは、ゼークだった。

「人間の世界は、いろいろとめんどくせえようだな」

「そう言うな、ゼーク。いろんな仕組みが複雑にからみ合っているんだ。人間はみずから生み出した鎖に、みずから縛られているのかもしれない」

「それで、アーデはどうなると予想してるんだ?」

 全員の注目が、再び若き姫、若き指導者に集中した。

「――少なくともこの帝国は、まだまだ混乱がつづくでしょうね。今までもそうだったけど、騒乱前と決定的に違うのは軍備を含めた国力が落ちてしまったこと。これまでのような内輪もめを許すほど、周りの国は甘くない」

「周辺諸国の動向か……。人間は、なぜか土地の支配にこだわってやがるからな」

「土地の支配よりも民の支配よ。民がいなくては土地は意味を持たない」

「そうか? ま、どっちにしろ人間は戦争をやりたがるってことだ」

 ゼークの言葉どおり、虎視眈々と戦を起こす機会を狙っている国がこの世界には多すぎる。しかもたちの悪いことに、当事者はそれが当然だと思っている、それは正当なことだと。

 本人たちはよかれと考えてやっていることが、戦争の根絶が理想でありながら、理想は理想でしかなことのゆえんであった。

 ただ、ユーグはより具体的に気がかりなことがあった。

「ではアーデ様は、周りの国々が気になると?」

「うん、昔からどこも帝国の領土を狙ってるようなものだから。本当はそれに対抗するために、小国家同士がこのノルトファリアをつくったんだけどね。今じゃ足の引っ張り合いか……」

 戦の起こる危険性は常にある。大事なのはそれに対する備えなのだが、期待するべくもないようだった。

「そんなことより、アーデ。今日はなんで人を集めたんだ。そんな人間の国の与太話をするためじゃねえんだろ?」

 ゼークの問いに、当のアーデははっとした。

「ああ、そうそう。別の用があったんだった」

「しっかりしてくれよ」

「私が悪いわけじゃないわよ。肝心の人たちがまだ来てないから――あ、来たかな」

 アーデが見上げる南の空に、二つの点が見えた。それはやがて二対の翼の形になり、しばらくするとはっきりと二人の翼人の姿が認められた。

「なんだ? あいつは」

 眉をひそめたのは、ひとりが知らない顔だったからだ。しかも、その紅色の翼の色に一同はどよめいた。

 レベッカに先導される形で、その女は(、、、、)舞い下りてきた。

 周りの動揺も素知らぬ振りで、アーデは笑顔のまま近づいていった。

「あなたが加入希望者ね。名前は?」

「アイラだ」

「アイラか。新部族へようこそ」

 相手のややぶっきらぼうな物言いも気にした様子もなくあっさりとそう言うアーデに、アイラと名乗る女性のほうが驚いていた。

「もう入れるのか?」

「入りたいんでしょ? だったら、それでいいじゃない」

「素性の知れない者を疑わないのか?」

「仲間になろうという人をいちいち疑ってたら、組織なんて維持できない」

 これが、新部族流のやり方だった。

 疑わない、拒まない、信じ抜く。

 たとえ疑わしいところがあろうと、拒絶せず受け入れる。それを継続することが、この組織を強くし、理想を実現することへの近道だと信じていた。

 そもそも人間の世界も翼人の世界も、他者への疑念と諦念が互いをおかしくする。自分たちはそれを取り去り、新たな世界をつくり出そうと考えているのに、当人がその限界にどっぷり浸かってしまっているようでは話にならない。

「アイラ、あなたも本気でここでやっていくつもりなら、そのことはわきまえておいて。私たちは仲間を信じる。だから、あなたも周りを信じてやってほしい」

「――わかった」

 アーデの思いが伝わったのか、アイラは神妙な面持ちでうなずいた。

「それにしても、ヴォルグ族か」

 ふと聞こえてきた声に、アーデはかっとなった。

「ゼーク! ここでは、出自は関係ないと言ってるでしょう!」

「珍しいと思っただけだ。ヴォルグ族出身のはぐれ翼人なんて、まず見かけねえからな」

 それは事実だった。はぐれ翼人以前に、単独で行動している紅色の翼にお目にかかったことがない。たったひとり、かつて仲間だった生意気な女を除いて。

「ま、それだけに、なんでこんなところにヴォルグ族の女がいるか気になるわけだが――ま、いいさ、誰だって探られたくない腹はある」

 厳しいアーデの視線を避けるように、ゼークはお気に入りの木のほうへ歩いていってしまった。

「ごめんなさい、気にしないで」

「いや、いい。こういうのは慣れている」

 嘘ではなかった。ヴォルグ族だというだけで、問答無用に斬りかかってくることがないだけましというものだった。

「まったく、ゼークの奴……。ユーグ!」

「な、なんですか」

「何をびくびくしてるの? とにかく、もうひとつの大事なことを説明して」

「ああ、例の件ですか。それはレベッカのほうが」

 ユーグの視線にうなずくと、レベッカはしっかりと、しかしあっさりと話しはじめた。

「接触できた、〝極光(アウローラ)〟と」

 周囲がざわついた。

 アーデが目で先を促すと、レベッカはつづけて言った。

「向こうは、正式の話し合いを希望している。きちんとした代表者を出してほしいと」

「それで?」

「できればリーダーに」

「いきなりか」

 吐き捨てたのはユーグだった。

「自分たちがしでかしたことの自覚はあるのか。あれだけのことをやっておきながら、最初からこちらの代表を要求するなんて」

「少なくとも私が話をしたかぎりでは、自覚はあると思う。だが、本当に悪かったとは考えていないらしい。必要なことだったと」

「過去のことはいいわ。大事なのはこれからでしょう」

「ええ、そうですよ。だからこそ、アーデ様をいきなり出張らせるわけにはいきません」

 ここの実質的なリーダーは、明らかにアーデだ。その彼女を、どこまで危険があるかわからないようなところに連れ出すことはできないし、するべきでもない。

「相手の要求は一方的すぎます。だいたい、向こう側も本当の代表を出してくるかどうかなんてわからないじゃないですか。ここは、まず代理を立てて話し合うべきです」

「いや」

 ユーグのもっともな主張を、しかし暴れ姫は言下に否定した。

「ここは私が行く」

「アーデ様!」

「さっき言っていたのと同じことよ。こちらが疑っているかぎり、相手は信用してくれない」

「しかし、アウローラはあの――」

「過去にとらわれているかぎり、前へは進めない」

 どうやら、アーデに引くつもりはまったくないようだった。

 それは正論ではあるのだが、己の身を顧みない危険なものでもある。仲間として騎士として、それを認めるわけにはいかなかった。

「だいたい、どうやって抜け出すつもりです? この前は、たまたま公務があったからよかったものの、そうそう簡単には外へ出してはもらえませんよ。帝都での一件がばれたせいで、監視は厳しくなってますし」

「大丈夫」

「なぜ?」

 自信満々に言うアーデに、ユーグはその表情に怪訝な色を浮かべた。

「会見を行う場所をシュラインシュタットの近くに定めればいいのよ。翼人には、領地の境どころか国境も関係ないでしょ? だったら、向こうにこちらの近くまで来てもらえばいい」

 レベッカが同意した。

「それはそうだ。しかも、そういうことならアーデの安全も確保しやすくなる」

「確かに一理あるが……。相手側が納得するかどうか」

「とりあえず交渉してみればいい。断られたらそのときだ」

 そこへ、いつの間にか戻ってきたゼークが割って入った。

「有無を言わさず納得させればいいんだ。譲るべきは向こうのほうなんだからな」

 だが、すぐさまレベッカが反論した。

「相手の事情も察してやれ。仕方のなかったこととはいえ、こちらと戦って多くの仲間を失った。まだ割り切れていない部分もあるはずなのに交渉に応じてくれたんだ。それで十分だろう」

「レベッカの言うとおりよ。高望みをしたらきりがない。今やれることを少しずつでもやっていくしかない」

 アーデの言葉に反論があろうはずもなかった。皆、そのことはすでにわきまえていた。

「じゃあ、私の予定のほうはユーグが調整しておいて」

「……やはり、そうなりますか」

 ひとり、がっくりと肩を落とす。もし城の者に露見したときのことを考えると、憂鬱なのを通り越して寒気がしてきた。

 特に、あの怖い老将の顔が浮かぶ。

 そんな近衛騎士の恐怖をよそに、他の面々は今後のことや現状に対する話し合いをつづけた。

 そんな一同の光景を、アイラと名乗った女はどこか冷めた目で眺めている。

 その彼女がもし〝極光〟との対話に同席することになったとしたら、相手はこう呼んだだろう。

 アーシェラ、と。

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