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第四章 真実

 空に雲は多いが、その切れ間から少し強い陽光が射し込み、新緑というより深い緑に覆われた木々を明るく照らし出していた。

 風はやや強い。思い出したかのような突風が断続的に吹き、樹木の枝葉だけでなくその幹も、川の水面も、すべてを激しく揺らし、昨日の雨の雫を不規則に飛び散らせる。

 再出発には悪くない日和だと思えた。自分には、これくらい荒れた天気のほうが明らかに似合っている。アセルスタンは入念な手入れを終えた剣の柄に手を置き、後ろを振り返った。

「エリーゼ」

「…………」

 返事はない。腕を胸の前で組み、口を真一文字に結んだままうつむいている。

 そんな様子に苦笑しながら、アセルスタンは言った。

「そんなに怒るな。かならず帰ってくる」

「……私を」

「うん?」

「私を守ってくれるんじゃなかったの?」

 エリーゼが、今日初めて顔を上げた。旅立つことを告げた昨日の夜以来、まともに口もきいてもらえない状態がつづいていた。

「守るさ。だが、俺にはやっておかねばならんことがある」

「何?」

「俺たち翼人は、生きるために心臓(ジェイド)が必要だ。俺はお前と出会うまで、それが当然だと思っていたし、これからも同族を犠牲にするつもりだった」

 アセルスタンがふと顔を上げた。その視線の先には、一本の細長い木があった。

「だが、お前に言われて初めて、それ以外の可能性もあるんじゃないかと思えてきた」

『同族の心臓が必要だなんて誰が決めたっていうの。他に方法があるかもしれないじゃない。あなたは、それを探すことをしたの? あらゆる可能性を試してみたの? それをしてもいないのに、偉そうなことを言わないで』

 ――彼女はそう言った。

 そのとおりだった。自分はジェイドの奪い合いを当然視する一方で、それを必要としない道を勝手にあきらめていた。否、考えることさえしてこなかった。

「俺は、お前のおかげで目が覚めたんだ。ここでの暮らしを始める前に、俺は俺を縛る鎖から――いや、翼人すべてを縛る鎖から解放しなければならない」

 アセルスタンは、にやりと口の端をつり上げた。

「このままじゃ、お前に顔向けできないからな」

「私は、あなたを責めるつもりで言ったんじゃ――」

「わかってる。だが、俺自身が前へ進めないんだ、今のままでは」

 腰のベルトにくくりつけていた小袋を外し、エリーゼに投げてよこした。

「これは……」

「前にたまたま助けることになった人間の奴からもらったものだ。いらんというのに置いていきやがった。でも、それは人間の世界では価値があるんだろう?」

 エリーゼが開けてみると、そこには驚いた彼女がすぐに袋の口を閉めてしまうほど無数の宝石が入っていた。

 これがあれば、借金を返せるどころか一生楽に暮らせるだろう。

「――いらない」

 だがエリーゼは、その貴重なはずの袋を放り投げた。地面に落ちたそれは硬質な音ともに再び開き、中からきらびやかな宝石たちがこぼれ出た。

「なぜだ? それがあれば、お前は――」

「いらないったら!」

 強い風の音をかき消すほどの叫び。これまでの激昂とは違う何かが、そこには含まれていた。

「こんなものいらない。私がほしかったのは――」

 エリーゼが顔を上げた。その目には、涙がたまっていた。

「あなたよ」

 目じりから、大粒の雫がこぼれ落ちる。それは頬に当たり、顎を伝い、そして手の甲で弾けた。

 そこには、アセルスタンが見入るほどの美しさがあった。

「あなたさえいてくれたら、他に何もいらない。あなたさえいてくれたら、私はそれで十分なのに……」

 声を震わせるエリーゼは、やがてその声さえも出せずに震えていた。

 そこへそっと歩み寄り、アセルスタンは強引に抱き寄せた。

「女の側にそういうことを言わせるのは、翼人の男として最低だ」

「そうよ、あなたは最低よ」

「じゃあ、どうしたらいい」

 問われたエリーゼは顔を起こし、アセルスタンの強気を体現する切れ長の目を見つめた――睨みつけるように。

「かならず生きて帰ってくると約束して。何があっても、ここに帰ってくると」

 それは、頼みではなく懇願であった。

 わずかの間を置いてから、アセルスタンは静かに、しかし力強くうなずいた。

「わかった、約束する」

 精霊の加護を受けたやさしい風が、ひとりの男とひとりの女を撫でていく。今ばかりは、この森の中の空間は二人だけのものだった。

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