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第三章 第六節

 空に重く立ちこめた厚い雲の下、剣戟の音が響き渡り、悲鳴や怒号が戦いに参加していない者のこころまですくませる。

「アーデ様、気をつけてください」

「言われなくても――」

「言われなくても、前に出てますよ」

「う……」

 気がつけば、森の一角にある崖のぎりぎりのところまで進んでいた。あと一歩踏み込めば奈落の底へ真っ逆様だが、そんなことよりもアーデは上空の様子が気になって仕方がなかった。

 そこでは、新部族の隊が展開している。いくつもの戦いを乗り越えてきた精鋭たちが、己の剣を振りかざし、己の翼をはためかせて正面から来る相手を迎え撃つ。

 状況は均衡していた。一方が一方を圧倒することもなく、小競り合いとも総力戦とも違った中途半端な戦いがしばらく続いていた。

「どうしてこんなことに……」

 想定外の出来事に、アーデは当初から苛立ちを抑えきれないでいた。

 いつものようにその隣にいるユーグも、ため息をついた。

「まさか、ちょっとした調査に出た結果がこれとは、驚きましたね」

〝新部族〟は、アーデが公務でノイシュタット南方のメンヒェンラントへ赴くことになったのをいいことに、ついでにその地をいっせいに調べてみることにしたのだった。

 単に現地の情報を集めるだけでなく、可能なら翼人の味方を捜すつもりもあった。そんな中、最初は一隊がはぐれ翼人の集団と遭遇したのだが、有無を言わせず襲いかかってきた。

 他に選択肢はなく応戦するうちに互いに味方が集まりはじめ、いつの間にか大きな戦いに発展してしまった。

「ユーグ、あいつら何者だと思う?」

「〝極光(アウローラ)〟は、あれ以来おとなしいですから、別の集団だと信じたいです」

「信じたい、か」

 自分たちには、相手が〝極光〟であってほしくはないと願う理由があった。

 帝都騒乱以降、これまで何度か〝極光〟の側との接触を図ってきた。そのうちの数回は直接、相手のメンバーに会うことができ、今は組織として公式に話し合う可能性も見えだした頃だった。

 それなのに、こんな争いが起きてしまったとしたら――

「今までのことが全部水の泡になる」

「ですね。たとえ目の前の連中が末端にすぎないとしても、交渉に大きく影響を与えるでしょう」

「でも、面白いよね」

 と言ったのは、アーデの護衛を理由にこの場に残ったナータンだった。

「面白いって、不謹慎な」

「ああ、いやいや変な意味じゃなくて、もし彼らがアウローラじゃないとしたら、他にはぐれ翼人の集団がいるってことになるじゃないか。だったら、あの人たちともわかり合える見込みもあると思って」

「まあ、それはそうだけど」

 仲間になれるというなら、それこそ願ってもない。自分たちは強くなるために協力者が欲しいのではなく、互いによりよき世界を構築するために理解者をつのっている。

 ユーグはそれよりも、隣にいるその緑の翼をした男のほうが気になった。

「ところで、ナータン。なんでこんなところにいる?」

「えっ!? だ、だって、アーデの護衛として――」

「私ひとりがいれば十分だ」

「で、でも……」

「さっさと行け」

「ユーグは冷たいよ。だいたい、君だって――」

 不毛な言い争いをつづけている二人の前で、アーデはいつにも増して厳しい目で戦いの趨勢を見守っていた。

「それにしても……」

 戦いが激しくなりすぎだ。けんか程度ですむと思っていたのが、あれよあれよという間に激化し、収拾がつかなくなっている。このままでは双方の被害が拡大し、今後に大きなしこりを残すことになりかねない。

 その点に関しては、ユーグも同じ意見だった。

「厄介な相手に当たったかもしれません。向こうにも逃げるという選択肢はあるはずなのに、やけに必死になって戦っている」

「うん、心臓(ジェイド)が足らなくなっているのかも」

 だとしたら、相手が簡単に引くわけがない。ある程度の犠牲を覚悟してでも戦いつづけようとするだろう。

 しかも新部族にとって、戦局はあまり思わしくなかった。できるだけ無益な争いは避けたいという思いがひとりひとりにあるせいか、どこか動きが鈍い。対して相手に容赦するつもりはまったくないのだから、必然、劣勢となってしまう。

 ――こんなとき、ヴァレリアがいたら。

 と、反射的に考えてしまう自分が恨めしい。

 新部族の者たちは今、精神的支柱を失っていた。

 発足時から尽力していたヴァレリアは、もういない。彼女は、あるときは味方を厳しく叱咤し、あるときは失敗した仲間をやさしく慰める。

 まさに、姉であり母のような存在だった。実質的に新部族をまとめていたのは、彼女だった。

 ――駄目だ。この状況で、もういない人のことを考えてどうする。

 こころの中で、自分の頬をはたく。ヴァレリアがいないからこそ、自分がしっかりしなければ。

 しかし、そんな決意をあっさりと揺るがされるかのように、アーデの体は弾き飛ばされていた。

 否、そうではない。真後ろにいたはずのユーグが、彼女を抱えて横に跳んだのだった。

 すぐにやってくる衝撃――しかし、それは彼の大きな体がほとんど吸収し、アーデには軽く叩かれた程度の痛みしかなかった。

「ユーグ!?」

 しかし、近衛騎士から返答が来る前に、次の衝撃が来た。

 ついさっきまで自分が立っていた場所に、猛然と土煙が上がっている。誰かが上空から落ちてきたようだった。

「アーデ、逃げて……! ここが奴らにばれた……」

「レーオッ!」

 それは、青い翼のレーオだった。いつもの柔和な顔が今では血と土に汚れ、左の肩口には大きな怪我を負っている。きれいだったはずの羽も血とほこりにまみれ、今は見る影もなかった。

 アーデが膝をついたまま見上げると、敵の翼人の数人がこちらに向かって急降下してくる。レーオではなく自分を狙っていることは明白だった。

「早くッ!」

「いや、逃げる必要はない」

 レーオの叫びに軽く答えたのは、剣をすらりと抜いたユーグだった。

「ここで迎え撃つ」

 右足を半歩引き、剣を下段に構える。勢いにのった相手は思いきり剣を振り下ろしてくるが、ユーグはそれを相手にしなかった。

 すり足でわずかに立ち位置を変えただけで一人目の一撃をかわし、二人目のそれは刀身の付け根で受け流す。

 しかし、その二人はまだよかったかもしれない。つづいてやってきた者たちは、わずか一刀の下に斬り伏せられ、無惨に崖の下へと落ちていった。

 ユーグは勇猛に、というよりも、ただ淡々と剣を振るった。汗をかいた様子もなく、空を飛べる分有利なはずの翼人を相手に、一歩も引くことなく戦っている。

 ――美しい。

 アーデは自分が立ち上がるのも忘れて、ユーグの後ろ姿に見とれた。

 血を流し、倒れ、苦鳴の声を上げるのは相手ばかり。その光景は凄絶でありながら、どこか美しさを感じさせるものだった。

 単純に強いから、というのもあるだろう。だがそれよりも、まったく無駄な動きのないことが最大の理由であった。無駄がない、すなわち洗練された一連の所作は、剣術でありながら芸術であるかのような感動を見る者に与える。

 ――立ち位置がほとんど動いていない。

 それは、すべて自分の間合いで戦えていることの何よりの証左。目の前で繰り広げられている戦いは、見ようによっては大人と子供ほどの実力差を示すものだった。

「アーデ様、動かないでくださいよ。動かれるとかえって邪魔になるので」

「わ、わかってるわよ」

 この男、いちいち余計な一言が多い。せっかく見とれていたというのに、高まった気分が台無しだった。

 だが、そうも言っていられないほど事態は切迫していた。

「ユーグ」

 と、仲間に手当をしてもらっていたレーオは、剣を杖がわりにして立ち上がった。

「ここは引いたほうがいい。俺が時間を稼ぐから、アーデを逃がしてやってくれ」

「大丈夫なのか?」

「ああ、もう問題ない。翼人の回復力をなめないでくれ」

 ユーグはわざと剣を大振りに振って相手を牽制し、その隙に後ろへと下がった。入れ替わりに前へと出たレーオを横目に見ながら、アーデの手を引っつかんだ。

「我々は一時退却します」

「でも、レーオが……」

「男が大丈夫と言ったなら大丈夫です。彼はまだ若いが、剣の腕は確か。時間稼ぎをして逃げるくらいならわけもないでしょう」

 それでも渋るアーデを強引に森のほうへ連れていこうとすると、横合いからナータンが声をかけてきた。

「ユーグ」

「なんだ?」

「ぼ、僕も残るよ」

 緑の翼の男は声を震わせながら、それでも剣を抜いた。

 だが今回は、いつもとは逆にユーグは首を縦に振らなかった。

「駄目だ。それでは、アーデ様の護衛が手薄になってしまう。いざというときはナータン、お前がアーデ様と飛んで逃げるんだ」

「……わかった」

 状況は、それを考えなければならないほどに差し迫ったものだった。上空での戦いは未だ劣勢で、終わりそうな気配がない。このままでは、アーデが逃げ切れるかどうかも怪しい。

 一行は、わき目も振らずひたすらに走っていく。森の中に入ればある程度は隠れられるが、翼人に見つからないですむ保証はない。いつ戦いになってもいいように準備しておく必要があった。

 ――私は逃げてる。

 必死に走りながら、アーデは強い無力感に苛まれていた。将としてまともに指揮を執ることさえままならない。

 弱く、卑怯で、儚い存在だった。

 アーデのそんな後ろ向きの思いをさらに助長するかのように、上空での戦いはつづいている。

 剣と剣とが打ち合わされる音、肉と肉とがぶつかり合う音。

 それぞれが混ざり合って渾然一体となり、こころが拒絶しても耳に響いてくる。

「ユーグ……ユーグ!」

「なんですか」

「一度止まって。味方に指示を出さないと。このままじゃ、全滅しかねない」

 もはや、一切の猶予もない。

 相変わらず新部族の戦士たちは劣勢で、陣形が崩壊しかねないところまで来ている。撤退すべき時機にさしかかっていることは、誰の目にも明らかだった。

 しかし、今もユーグが手を引いているため、自分では止まりたくても止まれない。

「できません」

「どうして!?」

「アーデ様の安全を確保するのが最優先です。この地域からいったん離脱します」

「そんな……」

「レーオもそのためにあえて残ったんです。アーデ様が中途半端なことをされては、今戦っている者たちが報われません。ご自重ください」

 アーデは、反論の言葉を持たなかった。そもそも、この事態を招いたのは自分の力のなさが原因。この期に及んで無理を言えるはずもなかった。

 だが、その撤退のための前進は、いやおうなく止められることになった。

 上方でがさりと、木々の枝が軋む大きな音がすると、飛び散った葉が落ちるよりも速く数人の翼人が、剣を片手に猛然と突っ込んできた。

 ――しまった!

 と、ユーグが思ったときにはもう遅い。敵の剣は間近にまで迫り、今から対応していたのではすべてが間に合わない。

 それでもユーグは、自分の身は守れるだけの技量があった。

 しかし、隣にいるアーデは――

 ――ここまでか。彼女のために果てるのも悪くない。

 最後の覚悟を決め、剣を振り上げながら相手とアーデの間に身を滑り込ませる。この間合いでは、自分はかわしきれないことはわかりきっているが、すべては承知の上だった。

 最初のひとりは剣の切っ先で喉笛をかっ切って倒したが、ほとんど並ぶようにして飛んでいたもうひとりの一撃はどう考えてもよけられそうになかった。

 悪あがきと知りつつ、少しでも相手との間合いを詰める――アーデを傷つけさせないために。

 予想される衝撃。

 予想できる痛み。

 しかし、それはいつまで経っても訪れることはなかった。

 甲高い音が耳をつんざき、それとともに剣を振り下ろそうとしていたはずの相手は大きく弾き飛ばされ、近くにあった大樹の幹にしたたかに打ちつけられていた。

 残る数人も、哀れな断末魔の声とともに次々と斬り伏せられ、わずか数瞬の(のち)には味方以外に動く者はなくなっていた。

 唖然としている一同と倒れた翼人たちを睥睨するかのように、手を伸ばせば届きそうな位置でひとりの灰翼(かいよく)の男が翼をはばたかせていた。

「ユーグ、腕が落ちたんじゃねえか」

「ゼーク! 帰ってたのか!」

 鋭い目つきの黒髪を逆立てた男はにこりともせず、つづいて長身の男の背後に隠れている者にその(まなこ)を向けた。

「お嬢は相変わらずか。だが、ちったあ胸が大きくなったみてえだな」

「う、うるさいっ!」

 褒められて少しうれしい、なんてことはおくびにも出さず、一喝してゼークを睨みつけるが、ユーグの背中の陰から少しも出てこようとしない。アーデは、ヴァレリアとはまったく別の意味で、このゼークを苦手としていた。

 とにかく配慮(デリカシー)というものがない。女性をモノとしか考えておらず、一方的に胸や尻を触ったりとやりたい放題だ。ヴァレリアはともかく、レベッカからは何度か本気でぶん殴られていた。

「それより、ゼーク」

 と、アーデのささやかな胸には興味のないユーグが、下りてこようとしない男に言った。

「すぐにみんなの援護に向かってくれ。こっちはもう大丈夫だ」

「今の様子じゃ信用ならねえがな。ま、お嬢の服がぼろぼろになった破廉恥な姿をあとで見るのも悪くねえか」

「さっさと行け!」

 叫ぶアーデには目もくれず、ゼークはたった一度の羽ばたきで森を抜け、もっとも戦闘が激しいところへと一直線に向かっていった。

「……大丈夫よね?」

「まあ、見ていてください」

 思いのほかユーグは落ち着いていた。剣を鞘に収めることはしないが、ほとんど戦いが終わったかのように殺気が消えていた。

 すでに確信しているのだ、この戦いが自分たちの勝利で終わることを。

 アーデらが見守る中、黒翼のゼークはその特徴的な曲刀を振りかざし、臆することなく突っ込んでいく。

 それに気づいた幾人かの敵が襲いかかってくるが、ひとり、ふたりと、あたかも子供をあしらうかのようにかわしていく。

 しかし、真に驚くべきはそのあとだった。攻撃を仕掛けたはずの側が、糸の切れた操り人形のように力を失い、下へと落ちていく。

 少なくとも人間の目には、ゼークの曲刀〝スラーシャ〟が閃いたようにはほとんど見えない。

「……ゼーク、何もしてないよね?」

「いいえ」

 上空を見上げたまま、ユーグは静かに言った。

「剣を振るってますよ、確実にね」

「でも、私には見えない」

「剣速が異様に速いというのもありますが、よけながら(、、、、、)攻撃を加えているんです」

 上で、また数人が倒された。ほとんど為す術のない現実に、相手側は明らかに衝撃を受けはじめていた。

「彼の剣は、すべて攻防一体。守ると同時に攻める、攻めると同時に守る。あの一切無駄のない流麗な動きは、悔しいですが私にも真似できません」

「ユーグでも……」

 アーデにはくわしくはわからなくとも、ただ見るだけでも伝わるものがあった。

 きっとあの動きの中にもミスはあるのだろう。しかし、そのあとをうまく次の動作につなぐことで、ミスをミスにしない。基礎ができているだけでなく、実戦経験が豊富だからこそ可能なことなのだと思えた。

 戦局は、たったひとりの存在によって一変させられた。翼人同士での戦いは、基本は一対一。それゆえに圧倒的な個が登場すると、それだけで戦いの趨勢が決することもあった。

 今がまさにそうだ。ゼークの加勢に味方の戦士たちはにわかに活気づき、彼の影響力が直接的にはないところでも相手を押しはじめる。

 ゼークのあまりの巧みさに敵が怯んだことが、この戦いの流れを決定付けた。

 下から見ているとわかりやすい。全体が敵陣内へと押し込んでいき、相手の戦列(ライン)が徐々に徐々に崩れていく。

 そこからは早かった。敵の集団がばらけていき、追撃する新部族の戦士によってさらに散り散りになる。

 一時は優勢だっただけに、相手の混乱の度合いはすさまじい。組織的に撤退することもままならず、なかば恐慌状態に陥っていった。

「だいぶ減りましたねえ」

「ゼーク、ちょっとやりすぎじゃないの……?」

 ユーグが感嘆し、アーデが眉をひそめる中、勝負は決した。相手は勇気ある者たちがしんがりを務め、大半が完全に逃げていく。

 安堵とも歓喜ともつかない声が周囲から上がった。

 ようやく不毛な戦いを終えることができた。ここまで厳しい戦いは帝都騒乱以来であったが、心身ともにまともな準備ができていなかった分、今回のほうがつらいくらいであった。

 だがアーデだけは、勝利の喜びも、戦いが終わった安堵感もなかった。

 ゆっくりと歩を進め、森を抜け出て激戦空域だったところの真下まで行く。そこに倒れ伏す敵味方の者たちを見つめ、アーデはそっと息をついた。

「私はまた、逃げることしかできなかった」

 自嘲でも嘆きでもない。ただの事実だ。

 指揮官であるにもかかわらず、不測の事態にたいした作戦も立てられず、貴重な戦力に守られて見ているだけ。今回ばかりは、客観的に考えても無力であったことは疑いようもなかった。

「アーデ様」

「ユーグ、何も言わないで。私はわかってる」

「それでもあえて言わせていただきます。逃げることは間違いでも、ずるいことでも、失敗でもありません。それは次への備えです。今どうしようもないことなら、いったん逃げて、あとで挽回すればいいんです」

「たとえ、そうであったとしても――」

 アーデは屈みながら、倒れた仲間のまだ開いたままだった目を閉じてやった。

「今回の犠牲は二度と帰らない」

「難しく考えんな、お嬢」

「お嬢じゃない」

 ぶしつけにも真上から下りてきたゼークを、アーデはキッと睨みつけた。

「こいつらだって、覚悟はできてたはずだ」

「死ぬ覚悟なんてしてほしくない」

「そんなくだらねえ覚悟じゃねえ。自分の信じることのために戦い抜く覚悟だ」

 たとえどんなことであっても、ひとつの道を貫くというのはつらいことが伴うもの。だが、それを恐れていては何も成し遂げられない。

 自分の道を進む覚悟。

 それがあれば何があっても耐えられるし、仮に道が断たれたとしても納得できる――今までのことは無駄ではなかった、と。

「だから、くだらねえこと考えてんじゃねえぞ、お嬢。変な哀れみはな、こいつらへの侮辱だ」

「言いすぎだ、愚か者」

 女性にしてはハスキーな渋い声が、さらに上から降ってきた。

「レベッカ……」

「遅れてすまなかった、アーデ」

「ううん、無事ならそれでいい」

 赤い翼の女は、アーデを力いっぱいに抱きしめた。

「最近よくいなくなるけど、どうしたの? 例の白い翼の彼を捜してるの?」

「それもあるが――」

「白い翼?」

 アーデの言葉に反応したのは、レベッカよりもむしろゼークのほうだった。

「クウィン族に生き残りがいるというのか?」

「そうよ、帝都騒乱のときに出会って――って、そうか、あのときゼークはいなかったんだ」

「悪かったな。誰かさんの頼みのせいで、南へ行ってたんだろうが」

「別に責めてないわよ」

 アーデの声を聞いているのかいないのか、ゼークは何事がぶつぶつとつぶやきながら向こうのほうへ歩いていってしまった。

「何あれ?」

「そうだ、ナータンに伝言があった」

「何?」

 ずっとアーデの背後にユーグとともに控えていたナータンが進み出た。

「老師が呼んでいる。なんでも〝星が動いた〟そうだ」

「えっ、老師が? わかった、すぐ行くよ」

 周りの了解を取らず、言葉どおり本当にすぐに行ってしまった。アーデがぽかんとしている間に、その緑の翼はどんどん小さくなっていく。

「レベッカ、彼のところにいたの?」

「ああ。いろいろと聞きたいことがあったし、それに他にも……」

「何?」

「――アーデ」

「うん」

「いつか言わなければならないと思うんだが……」

「らしくないじゃない、レベッカが言いよどむなんて」

「ともかく、そのうち重大なことを伝えなければならない。そのときは落ち着いて聞いてほしい」

「今、言って」

「それはできない。私がまだ言うべきじゃないと思うことなんだ。だから、待っていてほしい」

「――わかったわ、レベッカを信じる」

「ありがとう」

 アーデの白い顔に、ようやく笑みが戻った。その穏やかな波動が、周囲に集まっていた仲間たちに広がっていく。

 日は西に傾きはじめていた。斜めから差す陽光が一同を静かに照らしている。

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