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序章 第二節

ノイシュタットは活気に満ち満ちていた。

 つい先日、あれほどの大混乱が帝都で起きたというのに、何事もなかったように――否、以前にも増してすべてが潤っていた。

 戦による〝特需〟というものだ。今、帝都では完全に物資が不足している。それによる極端な需要の増大が周辺地域、特にノイシュタットをさらに富ませる要因となっていた。

 これをもっとも喜んだのは、領主でも職人でも農民でもなく、商人であった。現状、生活に必要な物資を帝都に運ぶだけでも相当な利益を上げることができる。

「交易は活発なようだ、ルーク」

「はい、旦那さま」

 オスターベルクという町の賑やかな通りの様子に目を向けながら、隣に座る快活な少年の返事を聞いた中年の男は満足げな笑みを浮かべた。

 名をダミアンという。元々は別の国で貧困のうちに生まれ育ったが、ひょんなことから帝国の商人に拾われ、それ以来、交易の現場で活動することで生きてきた。やがて独立し、今ではこの地域を代表する大商人となった。

 商いをしている、というと、いつも白い目を向けられるものだが、神に誓って人に後ろ指を差されるようなことはしていない。これまで正直に生きてきたし、これからもそうするだろう。

 おかげで、いろいろな人々といろいろな信頼関係を築くことができた。それが公私両面で本当に役立っている。〝正直こそ最大の美徳〟という言葉は、商売の面でもまったく同様であった。

「しかし、皮肉なものだな。あの大混乱がこの大好況のきっかけとなるとは」

「ええ、カセル侯があのようなことを引き起こしたときは、どうなることかと思いましたが……」

 商売仲間の中には帝国はもうおしまいだと考えて、他国に逃亡した者までいた。

 それは、けっして大げさな反応というわけではない。帝国の最大勢力たるカセル侯が反旗を翻したのだ。本当にこの国が滅んだとしても、なんら不思議はなかった。

 しかし、

 ――あれさえも、序章にしかすぎぬのかもしれん。

 そんな予感が以前からあった。そして、それは確信へと変わりつつある。

「ルークよ、この国が他の国からなんと呼ばれているかわかるか?」

「〝パン屋の熾火(おきび)〟でしょうか」

「よく知っているな」

 少しでも帝国の世情を知る者ならば、この国が常になにがしかの問題をはらんでいることは自明なことだ。混乱の火種は(くすぶ)りつづけている。それを、あまり火力の強くないパン屋の(かまど)になぞらえて〝パン屋の熾火〟と呼んでいた。

 大商人ほど、自宅を帝国内に構えることは少ない。もしもの時のことを考えれば、危なくて住んでいられるものではなかった。

 せっかく必死になって財を築いてきたのだ。一時の混乱のせいですべてを失うというのは、あまりにも馬鹿げていた。

 中には自分の親友であるモーリッツのようにあえて帝国に留まっている物好きもいるが、拠点を危険な地域に置くというのは、商売のことを考えてもリスクが大きかった。

「しかし、旦那さま。今はどこの国も似たり寄ったりです。モーリッツ様のように帝国にいたほうがやりやすい面もあるのでは?」

「そうそう! 父さんは慎重すぎるんだよ」

 ルークの言葉に応えたのは、背後からの同じくらい幼い声であった。

「ドミニク、どこへ行っていた。勝手な行動はするなと言っておいただろう」

「まーた父さんは固いんだから。そんなんだから、商機をモーリッツおじさんに持ってかれるんだよ」

「そういう問題ではない。――まったく、誰に似たんだか」

 と言いつつ、ダミアンの声には険がない。息子を想う気持ちがその態度からにじみ出ていた。

 そんな父親の気も知らぬままに、ドミニクはルークのほうに向き直った。

「ルーク、あとで広場のほうへ行ってみよう。さっき大道芸人の一座が通っていったんだ。きっと何か始めるぞ」

「でも……」

「ドミニク」

 ルークが主人の顔をうかがうまでもなく、ダミアンはさっと息子の前に進み出た。

「まあ、いいだろう。行ってこい。そのかわり、ルークの面倒をきちんと見るんだぞ。お前のほうが年長なんだからな」

「当たり前だろ。これまでだってそうしてきたじゃないか」

 余計な憎まれ口を叩いて、ドミニクはルークを引き連れて颯爽と走り去っていった。二人の背中からは、年相応の元気さがあふれ出ている。

「子供はしょせん子供か」

 ため息をつきながらも、思わず口元に笑みがこぼれてしまう。

 実子ドミニクの脳天気さには困ったものだった。せめてルークの半分でも思慮深さがあればと思う。それなのに、二人の息が妙に合っているのがなんとも不思議だった。

 ――それもまた理想的か。

 将来的にはドミニクに家督を継がせ、落ち着きのあるルークにその補佐をさせようと考えていたが、どうやら思惑どおりに事は進んでいるようだ。

「いずれにせよ、平和な世になってほしいものだ」

 自分たちのためではなく、子供たちのために。

 ダミアンは、胸で揺れるペンダントを押さえながらきびすを返した。まだやっておくべき仕事があった。

 ふと見上げた空は雲が多く、青空はわずかにしか見えない。

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