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第三章 第二節

「憂鬱なことだ」

 つぶやいてから、しまった、と思う。たとえ事実そうなのだとしても、口に出しては余計につらくなるではないか。

 フェリクスは簡単に身支度を整えながら、父から譲り受けた剣を手に取った。

「文句を言ってばかりもいられない、がな」

「そうですとも、帝都は未だ混乱の中、そして周辺諸国は不穏な空気に満ち満ちております。こういったときこそ、フェリクス様に尽力していただかないと」

「わかってるよ」

 いつものオトマルの物言いに、いつものように苦笑する。

 これから、またしても帝都での会議が始まるところだった。もちろん、選帝会議ではない。それについても多少は話し合われるだろうが、喫緊の課題は帝都のさらなる復旧と、困窮を極めている地域への支援をどうするかであった。

「どこも苦しんでいる。周りは、ノイシュタットだけうまくいっていると思い込んでるだろうがな」

 今回はユーグを押しのけてついてきたオトマルが、ため息をつきながら頷いた。

「相も変わらず、天災が多いですな。それに、地域ごとの発展のばらつきが大きい」

「しかも、例の増税が裏目に出るとは……。世の中、わからぬものだ」

 活発化しすぎた交易を一部抑制するために、増税したはずだった。しかしそのことによって、『大幅に増税しても大丈夫なほど好調なのだ』という認識を商人らに与えてしまい、かえって交易がこれまでよりもさらに盛り上がってしまうという逆の効果となっていた。

「お気をつけください、フェリクス様。それでも、増税に不満を持っている者が多いようですぞ。シュラインシュタットからの伝令によると、各地の商人どもから陳情が山のように来ているそうです」

「憂鬱な話だ」

 もうその話はけっこうとばかりに、フェリクスは剣を腰に差し、居室をあとにしようと扉へ向かった。

 それが、バンッとひとりでに開いたのは、ちょうど取っ手に手をかけようとしたときのことだった。

「フェリクス、いるか~?」

 出てきたのは、珍奇な衣装をまとった道化だった。

 今回は真紅の服を基調に、ラメを使っているらしい無意味な装飾品を大量に身につけ、帽子はやけに高さのあるとがった物をかぶっている。本物の道化師もかくや、というほどの奇態であった。

「どうしたフェリクス、変に固まって」

「変なのはお前だ、ライマル」

 自覚がないのか、怪訝な目をこちらへ向けてくる。もはや呆れるほかなかった。

「相変わらず、選帝侯には見えんな」

「俺は、自分がそんな厄介なものになったつもりはないんだから当然だ」

 ずけずけと部屋の中へと入っていき、まるで自分が主であるかのように中央の長椅子にどっかと腰かけた。

「なんなんだ、突然押しかけてきて」

「突然も何もないだろ? どうせ帝都にいるんだ、いつでも会えるじゃねえか」

「そういう意味じゃない、お前のほうから押しかけてくるなんて珍しい」

「ま、ちょっと話があってね」

 それなら、なおのこと珍しい。遊びや賭けごとを目的とすることはあっても、余計な話をしないのがライマルだ。周囲からは〝放蕩侯〟などとあだ名されているが、実際には無口なことが多い男であった。

「恐れながら、ライマル閣下」

 そこで口を挟んだのは、オトマルだった。

「ここはいやしくも、選帝侯の居室。いくら親しい仲といえど、せめて従者を通していただきませんと」

「また硬いこと言っちゃって、オトマルは。そんなんじゃ、頭の老いが早まるぜ?」

「余計なお世話です」

「ま、悪いけど席を外してくれ。ちょっとフェリクスに話があるのはマジなんだ」

 まだ何か言い足りない様子ではあったが、オトマルは他の従者を促して素直に部屋の外へと出ていった。

 扉が閉まるのを見届けてから、フェリクスはローエ侯の前に座った。

「いくらオトマルに叱られてばかりとはいえ、席を外すように言うなんてどうしたんだ」

「あん? ああ。まあ、あまり他の連中には知られたくないことなんでな」

「あれ? 本当にまじめな話なのか」

「なんだと思ってたんだよ。ったく、俺って信用ねえのな」

「当たり前だ」

「それはともかく」

 背もたれに身を預けていたライマルが、がばっと跳ね起きて急に前傾姿勢になった。

「なあ、フェリクスよ」

「うん?」

「もし、共和国が帝国を狙っているとしたらどうする?」

「共和国? ああ、ダスクのことか」

 帝国の南西に位置する中規模国家。軍の噂は耳にしたことはないが、それなりの強さはあるのだろう。

「どうするって言われてもな……ダスク、ダスクか……」

「な? 言われてみると、妙な感じがするだろ?」

「ああ、なんで今さらダスクが? 東のメルセアだったらわかるんだが」

 東の大国メルセア。

 ノルトファリア帝国とは歴史的にも溝が深く、小競り合いなど日常茶飯事だった。帝都の東、ハーレン侯領の軍が苦しい状況にあるのも、常々ちょっかいをかけてくるメルセアが原因だといっても過言ではない。

「メルセアの噂だったら、もういつでもどこでも流れてるだろ。じゃあ、なんでダスクなんだって話だよ」

「なんでだ?」

「どうも、ノイシュタットを狙っているらしい」

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。

「は?」

「俺たちは最強なのになぜ、俺たちは豊かなのになぜって顔してるな」

「いや、そんなことは……」

「隠すな隠すな。顔に書いてあるぞ」

 ライマルの指摘に、フェリクスはふっと笑みを浮かべた。

「確かに隠すようなことじゃないな。でも、だからこそ理由がわからない」

「どうもな、作物も交易も潤うノイシュタットが、共和国からするとおいしそうに見えてしょうがないらしい」

「だが、我々にはノイシュタット侯軍がある。それに、他国との戦ともなれば、かならず他の諸侯も駆けつける。共和国は、そんな無茶な戦いを仕掛けなければならないほど追いつめられているのか?」

「たぶん、問題はそこだ」

 ライマルの目が鋭さを増した。

「ノイシュタットを占領するうま味はあるんだ、帝国全体を敵に回したとしても」

「それはわかっている。しかし――」

「だが、他の諸侯がノイシュタットに協力しなかったらどうなる?」

「何?」

 言葉の意味をはかりかねた。

「帝国では、自領の問題は自領で解決するのが原則だ。じゃあ実質はともかく、表向きはあくまでノイシュタットとダスクの問題だというように体裁を取りつくろうことができたらどうだ」

「…………」

「今、他の諸侯はうまくいきすぎてるノイシュタットへのやっかみがある。いや、もう敵意と言ってもいいだろうな」

「警戒されてるんだな、我々は」

「ああ、やりすぎたんだ、お前は」

 仲間うちで特定の存在のみが突出して成功すると、いやおうもなく全体の均衡が崩れる。最終的にそれが正負どちらの面へ出るのかはその時々だが、周りの妬心を買ってしまうのは必然だった。

「ということは、だ」

「わかってる。内通者が出るかもしれないと言いたいんだろ、お前は」

「あっさりと言うなあ、フェリクス。核心に迫りすぎると、女が逃げてくぞ」

「こんなときに冗談はよしてくれ。それより、もしその予測が合っているとしたら、ダスクは裏で他の諸侯に接触しようとするだろう」

「ああ、間違いなく。むかつく話だが、少しノイシュタットにも痛い思いをしてもらおうなんて考えてる奴らはけっこういる。本当にそこが占領されたら、あとで困るのは自分たちだから程々のところで歯止めをかけようとするだろうがな」

 そこまで一気にまくし立ててから、ライマルはテーブルの上にあった葡萄酒を勝手に飲んだ。

「だけどな、不安はそれだけじゃねえ。もっと根本的な問題は、共和国の軍だ」

「それはそうだ。我々は、相手の戦力をまるで知らない」

「そこが、そもそもおかしいと思わねえか?」

「うん?」

「だってよ、隣国だぞ。それも、つい七十年前まで内紛をやってたようなとこなんだ。それなのに、今じゃなんの音沙汰もない」

「そうだな。それに、周辺を大国に囲まれているのに、ずっと独立を保ってきた」

「ああ、共和国の北側のことは俺もよく知らねえが、西も南も簡単な相手じゃねえ。ということは一定以上の強さがあると考えたほうがいい」

 西のペルーア、南のウェンヌ、どちらも帝国に匹敵する大国だ。

「外交でうまくやってきたとは考えられないか?」

「それもあるだろう。けどな、外交を有利にこなすっていうのも、結局は国の力があってこそだろ?」

「それもそうだ。じゃあ、うまく軍の情報がもれないようにしてきたんだろうな」

 それを徹底できているとしたら、それだけでも統率力が高いことになる。これまで不干渉主義を貫いてきた国ゆえに実戦経験は乏しいのだろうが、仮に戦うとしたら厄介な相手になりそうだった。

「で、どうなんだ?」

「何が?」

 ライマルが勢い込んで聞いてくる。

「もしノイシュタットが単独で戦ったとしたら、共和国に勝てそうか?」

「そんなこと言われてもな」

 しばらく考えてから、それでもフェリクスはきっぱりと答えた。

「共和国の力がわからないからには、なんとも言えない。しかし、メルセアが攻めてきたとしても、耐えることくらいはできると思う」

 ノイシュタット侯軍はオトマルの指揮の下、鍛え上げられている。ありがたいことに優秀な人材が多く集い、そのそれぞれが日頃から切磋琢磨している。

 しかも、先日の争乱によって経験を積み、さらには自分たちの力をこれ以上なく示すことができた。

 今は、どこが相手でも一定以上の戦いができるはずだ。

「お、言ったな。じゃあ、安心だ」

「安心?」

「俺たちをあんまり期待しないでくれってことだ。北のゴールの奴らは、未だによからぬことを企んでいるだろうしな。ま、この前痛めつけてやったから、当分はおとなしくしてるだろうけど。ただな、ローエからノイシュタットまでは遠い。他の諸侯の妨害が入るかもしれんし、いざとなったら自分たちでなんとかするしかねえぞ、フェリクス」

「わかった」

 少し冗談めかしてはいるが、ライマルの思いやりが伝わってきた。

 本当は、この手の情報は隠しておくのが定石だ。そうしておけば、あとで自分たちが有利になることもある。それをあえてすべて話してくれたことに、今は感謝の思いしかなかった。

「それにしても――」

 フェリクスは、再び葡萄酒を飲みはじめたライマルの顔をまじまじと見つめた。

「なんだ?」

「やはり鋭いな、ライマル」

「何が?」

「その洞察力が」

 今の話、ほとんどすべてが的を射ていた。たとえ経験豊富な老将であっても、限られた情報からここまで見通すことはなかなかできまい。

 それができてしまうのが、道化の皮をかぶったライマルという男なのだった。

「俺の考えじゃねえ。あほの部下ども受け売りだよ」

「たとえ半分はそうであったとしても――」

 フェリクスは、にやりと笑んだ。

「俺には、お前の言葉にしか聞こえなかった」

「あいつらがあんまりうるさいから言っただけだ」

 と言ったきり、長椅子に横になって静かになった。少しして、小気味のいい寝息が聞こえてくる。 

「おいおい、会議はどうするつもりだ」

 フェリクスは途方に暮れた。

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