魔法少女と怪人
雪のふる公園では、一人の少年が外灯の下にあるベンチに浅く腰掛けていた。
まるで考え込むように頭が項垂れ、服もどこかみすぼらしかった。ただ、自分の境遇の不幸を呪う彼は、白い溜息を吐きながら寒さを感じながらもどこか他人事のようにふるえてすらいない。
いや、震える必要が無かった。
地面に落ちる雪は、すぐに溶ける。積もらないだろうが、数日後にはどうなるだろうか……。
「もうこんな季節か」
公園から見える通りには、女子高生たちがバレンタインの話をしながら通り過ぎていた。彼も数年前は高校生だった。それが今では、彼女たちと同じ年齢でベンチに座って項垂れているだけになってしまった。
いや、もっと悪いかも知れない。
まだ、ニートと呼ばれていた頃の方が、無害だったと少年はまた上げたかを下げてしまう。
働こうとしたのが間違いだったのか、今の彼は自分の意志ではどうにもできない状態にまで追い込まれている。
「就職先があんなにブラックだとは思わなかったよ。まさに真っ黒だよ。僕のお先も……」
自分で言った冗談にも笑えてくるほどに、今の彼は疲れていた。いや、諦めていた。そんな時だ――。
「痛っ!」
真下を見て、色違いの煉瓦を敷き詰めた公園の地面を見ていた彼の視線は、声がした方を向く。すると、目の前に茶髪の長い髪をツインテールにした女子高生が転んでいる。小柄の彼女を女子高生と判断した理由は、彼女の着ている制服にある。
数年前に通っていた学園の制服は、高等部を示すネクタイがブレザーと上着の下に見えていた。
転んだ拍子に膝を擦りむいたのか、息を吹きかけていた。寒空に怪我と言う痛々しい光景は、今の彼に痛みを思い出させてくれた。
(あ、そう言えば……)
上着のポケットを探ると、そこにはキャラ物の絆創膏が入っていた。ピンク色の絆創膏には、憎い少女の顔と踏みつぶしたいくらいに可愛らしい犬か猫かも分からない動物の顔がプリントされている。
プリントされている少女も動物も、憎いと思うようになったのはいつからだろう。そんな事を考えながら、少年は立ち上がると少女の膝をハンカチで拭いてやると絆創膏を貼ってやる。
「あ、ありがとうございます。……って! 優斗君?」
少年が苦笑いすると、少女は驚いた顔をしていた。二人は今では話す事も無くなったが、昔は近所で遊んだ仲である。高等部へ入学してからすぐに優斗は学園を退学したので、話す事はそれ以降なかった。
とんでもない再会だと思いながら、優斗はそのままベンチに座る。すると、相手の春香も何を思ったのかベンチに座るのだった。
「久しぶりだね。元気だった?」
「……うん」
もう健康すら関係ないと思いながらも、優斗は春香の質問に手短に答えていく。家族は元気かと聞かれれば、頷く。たぶん元気だと思っていたのだ。バラバラになった家族のいる家には、もう半年以上も戻っていない。
今でも、思い出してはどこか他人事に感じる。まるで昼ドラの様にドロドロとした家庭環境に嫌になった自分が引きこもったのを、相手は知らないので注意も出来ない。聞かないで欲しいと言えば終わりなのに、春香の話は終わらない。
「優斗君のお母さんとも会ってないなぁ」
「そうだね」
「学園に来なくなって心配したんだよ」
「……ごめんね」
知らないからこそ、ここまで話してくれるのかも知れない。そう思うと複雑な気分になり、優斗は無理に笑顔を作っていた。人とまともな会話をしたのは、コンビニ以外で何回あったか頭の中で数える。
話しがしばらく続くと、優斗は春香の癖を見た。悩んだ時に出る癖は、幼稚園の時から変わっていない。
「悩み事?」
「え? ……うん」
一度否定をしようとした春香は、困った顔をして話しを始めた。
「えっと、部活で問題があって。周りが強くなっていく中で、私だけ取り残されちゃって」
(運動部には所属してなかったと思うけど……後から入ったのかな?)
「それでね、もっと頑張れって周りが応援してくれるの。けど、逆に辛くって……わがままだって分かるけど、変に周りは優しいし、それに期待が重いの」
「ふ~ん」
何気なく聞いている優斗は、上着のポケットに両手をつっこんで手の平サイズである円盤状の装置を握りしめた。
自分と同じような悩みを抱えていた事に驚き、表情に出ないようにしていたのだ。
「周りに迷惑ばっかりかけて、それで何も出来なくて……」
落ち込んで泣きそうな春香に、優斗はまるで自分に言い聞かせるように話をした。
「大丈夫じゃないかな」
「え?」
「いや、その……よく分からないけど、そんなに真剣に悩んでいるなら、きっとすぐに追いつくよ。駄目なら周りだって見捨てるなり、諦めるように言うから」
「そ、そうかな」
「あぁ、春ちゃんなら大丈夫。出来るよ」
昔は少年が少女を守っていたような関係だが、今の優斗にはそんな資格が無いと思っていた。
懐かしい呼び方に失敗したと思ったが、相手は気にした様子が無い。恥ずかしくなってきたが、春香は笑顔を向けている。
変わらない春香の眼差しに、優斗はベンチから立ち上がる。もう時間も遅いので、春香に早く帰るように伝えるのだった。
「今日はありがとう。また会えるかな?」
「……たぶん(ゴメン、分からないや)」
項垂れていた理由でもあるが、優斗は下を向いていた。逃げ出したい気分に駆られるが、マフラーで隠した首輪には、逃げ出す事も出来ない仕掛けが付けられている。こんな物がなくても、優斗に逃げる場所など無いのに。
「なら! 明日! 明日会おう。場所は優斗君の家とか? 帰りに寄れると思うから」
「遠回りだろ。駅からだと結構離れてるよ。……ここでいい?」
「うん。約束ね」
指切りをしようと手袋を脱いで小指を突きだしてきた春香に、優斗はポケットに入れた手を出して恐れながら小指を絡めた。懐かしい子供の時の思い出が、彼の頭を支配すると指切りは終わっていた。
「手、冷たいけど大丈夫?」
「え、あ……大丈夫」
「手袋は?」
「持ってない。家にあるよ」
そう言って帰ろうとする優斗に、春香は自分の女物の手袋を渡すのだった。自分は家が近いから、と言って手袋を着けてくる。優斗はどうしようかと悩んだが、今更必要ないとも言えずに受け取る事にした。
手を振って公園から家へと向かう近道を歩く春香を見送ると、優斗はポケットの中の円盤型の装置を強く握りしめた。
「明日かぁ……明日までは生きたいなぁ」
空を見上げ、曇り空に呟いた優斗の顔は真剣そのものだった。彼の心情を表すかのような空模様に、優斗は明日もここに来ると誓うのだった。
◇
公園からの抜け道を通り、春香は冷たくなった手で頬を冷ましていた。
久しぶりに会った優斗を思い出すと、自分の大胆さに驚きと賞賛、そして悶えるのだった。
「あ~、言っちゃった。明日って言ったから気付いたかな」
赤くなる顔は少し嬉しそうに緩んでいる。雪が降り、寒さが厳しいのに今の春香はこの光景がとても美しく見えていた。
しかし、その気分もすぐに暗く沈む。
原因は、歩道に植えられている木から飛び出てきた小動物にある。
『どうしたモキュ。魔法少女イエロー・ピア』
「……その呼び方は止めてって言ったわよね」
足早に白い小動物を通り過ぎるが、小動物は彼女の足元に二足歩行で近付くとそのまま念話を使用して話を続けた。すれ違う人たちは、小動物が見えないのか気にした様子が無い。
小動物――イブリースと名乗る彼の名は、パピーであった。
『レッド・ピアもグリーン・ピアも心配していたモキュ』
(そのわざとらしいモキュって言うのも止めなさいよ。普通に喋れるでしょ)
『折角のキャラ作りを否定しないで欲しいね』
口調が元に戻る見た目は可愛い小動物は、異世界から来たらしい。あまり詳しい事を言わないのだが、この世界の危機を救うために来たらしい。大きなお世話だと思いながらも、敵と戦えるのが自分たちだけという現状に、春香や他の魔法少女は戦う事を選んだのである。
通常兵器が効かない敵は、彼らの世界から盗んだ円盤状の装置を持っている。人の欲望に反応して人を怪人へと変化させるため、使用者はもう元には戻れないという。
折角の気分が最低になったと思いながら、春香はその足を止めた。
横断歩道で信号が赤になったからだ。そうでなければ、今すぐにでもこの憎たらしい小動物を振り切りたかった。
『レッドもブルーも従順なのに、君だけは反抗的だよね。君たちの世界を守れるのは、僕の力を貸しているからだって分かっている?』
(そんな見下している私たちに、頼らないといけないアンタたちこそ立場を理解したら)
『おや、手厳しい。まぁ、そこは僕も上の命令を聞いているだけだからね』
互いにWinWinな関係だと言ってニヤリだと笑うパピーを蹴り飛ばしたいと思いながら、春香は再び歩き出す。
『それよりも奴らが動きそうなんだよね。だから今日は準備しててね』
(……分かったわよ)
どういう理屈かしらないが、パピーは相手の怪人が動き出すのを察知している。彼が明日と言えば、明日には怪人が現れる。予想を外した事が無い。
(帰ったら早く準備しないと……)
戦う準備でなく、バレンタインに渡すチョコの事を考える春香だった。
◇
その日の夜――
工場跡地に集まった魔法少女たちは、周囲を怪人たちに囲まれていた。ステッキを持ってバラバラに立ち向かう彼女たちは、敵の罠にはまったのである。
『みんな、頑張るモキュ!』
「アンタが飛び出すからでしょ!」
金色のツインテールに、ヒラヒラのミニスカートのドレスを着た春香は、可愛らしい姿となった自分の姿に恥ずかしさを感じていない。もう、そんな感情を持っていたのは随分前のようである。
『グリーンとブラウンもこっちに向かっているモキュ。それまで耐えるんだ……モギュッ!』
杖を振り抜くと、衝撃波が杖から発生して工場中に張り巡らされたパイプが弾け飛ぶ。濁った水が噴き出すと、そこには敵の怪人に強く踏み抜かれても無事なパピーがいたのである。
内心ではそのまま成仏してくれればと祈りながら、春香は敵怪人を見る。ジーンズにシューズ――上半身は毛深い。いや、きっと全身が毛深いだろう。白銀に輝く怪人は、金色の瞳で自分を睨んでいた。
今まで見てきたどんな怪人よりも、その姿は美しかった。まるで狼男を思わせる姿は、気高き狼を思わせる。
胸の辺りにある銀色の円盤が、七色に光っていた。間違いなく、怪人になった元人間である。
「もう戻れないのに、なんで貴方たちは!」
杖を構えると、衝撃波が連続で撃ち出されていく。それらを避ける怪人は、獣の俊敏さを持ってパイプを足場に飛び回る。その度に破壊されたパイプからは、腐った水の臭いや、薬品の臭いがした。
飛び掛かってきた怪人へ杖を構えると、シールドが発生する。春香を守る盾は、光を放ちながらヒビが入っていく。
『一撃でこれだけの攻撃力! イエロー・ピア、クラスチェンジ、モキュ! でないと敵に勝てないモキュよ』
「黙っててよ!」
出来ればやっている。他の魔法少女たちがクラスチェンジし、そのパワーを跳ね上げているのは、春香も知っていた。心の力と言う曖昧なエネルギーを原動力にしているらしいが、春香には切っ掛けが無かった。
いや、抵抗があったのだ。怪人となっても元は人間である。救おうにも手段が無いのだ。
『このままでは怪人に殺されるでモキュ! こいつらはもう人ではないんでモキュよ!』
「止めてって言ってるでしょう!」
周りが怪人を倒す事になれていく中、彼女は疑問があったのだ。自分たちのやっている事は、正しいのか? 自分たちは正義なのかと――
――彼女の友人たちは、正義だと答えるだろう。そして、それは正しい。怪人を野放しにすれば被害が出る。実際に、多くの被害者が出ていた。
「私は――」
その時、春香は思い出す。
『あぁ、春ちゃんなら大丈夫。出来るよ』
どうしても負けたくなかった。明日は大事な約束がある。それだけを思い、涙を拭いて杖を構える。すると、彼女のドレスが光り出した。
『モキュゥゥゥ! クラスチェンジ、モキュゥゥゥ!』
ハイテンションのパピーを無視して、春香はゴメンね、と呟いた。きっと怪人になる前は、生きた人間だったのだ。もう戻れないと知りながらも、春香は最後に謝罪する。
『ハイ、クウォリティィィ! バースト、モキュウゥゥゥ‼』
勝手につけられた必殺技の名前に苛立ったのは、最初だけだ。今では無視している。杖が伸びて装飾品が豪華になると、狼男の怪人に向けて春香は最大出力で魔法を放とうとした。
しかし、チャージの間に隙が出来たのを怪人は見逃さなかった。
飛び出してきた怪人に、春香は後ろへ飛ぶ。すると、杖と体の間に怪人が物凄い速さで潜り込んできた。鋭い牙が春香を襲おうとした時、怪人の金色の瞳は見開かれて地面を踏みしめ、それでも足りずに両手で地面を掴む。
視線は彼女の足へと向けられていたように感じたが、怪人の様子がおかしい。
勢いで抉れた地面から四肢を抜き、一目散に逃げようと背を向けたのだ。
『今更逃げても遅いモキュ! さぁ、イエロー・ピア!』
「五月蝿い! ……これで終わりだから」
放たれた魔法は、強大なエルギー波となって怪人の背中を襲う。光に飲み込まれた怪人は、最後に何かを叫ぼうとした。結局、その声を聞く事は無かったが、春香は涙を流す。
『さぁ! さぁ! 早くエネバンを回収するモキュよ!』
走り去ったパピーを睨みつける頃には、彼女のコスチュームは元の魔法少女姿に戻っていた。
携帯の着信を確認すると、他のメンバーも無事なようである。工場跡地では、最後の爆発音が聞こえると、戦闘が終了したと春香は感じる。
「……今日の怪人は、どんな人だったのかな」
曇り空に呟くが、その答えは返ってこなかった。
◇
次の日、春香は素早く下校したのか公園に早い時間にたどり着いていた。
優斗は胸を押さえて物陰からその姿を見る。マフラーの下にある首輪の装置は破壊され、昨日とは違うジーンズを履いていた。
靴も今日は革靴だ。
昨日よりも気合の入った格好と言えば、そうなのかもしれない。だが、驚異の回復力も首輪型の装置の前には意味が無い。多少は命を引き延ばしてくれるだけだろう。
「春ちゃんが魔法少女かよ……似合わないなぁ」
笑って物陰から出る優斗は、顔色が少し悪かった。装置から出された毒により、今では命に限りがある。人間であれば即死していてもおかしくない。
心臓が苦しく、目眩がする。
それでも約束した公園に来たのは、彼女に渡す物があるからだ。それでもためらってしまう。事実を話す事で、彼女は気が付くのではないかと不安だった。
「厄介な奴は金庫に入れて海の中だ。あれで死ぬかな……駄目だろうな」
本当に死なないから性質が悪い。そう呟くと、優斗は手に持った銀色の円盤を握りしめる。
薄々は気付いていたのだ。ツインテールに目の色と髪の色が違うが、声が良く似ていた。決め手は自分が張った絆創膏である。あそこで止まれたのは、本当に良かったと胸をなでおろす。
「春ちゃん泣き虫だからなぁ……何て言えばいいのかなぁ」
時間が無い優斗は、フラフラする頭で必死に考える。だが、どうしても答えが出なかった。伝えても伝えなくても、きっと傷つくのだろう。それでも、自分は伝えないといけないと気合を入れる。
物陰から出た優斗は、ベンチから立ち上がって大事に左手にラッピングされたお菓子を持ち、右手を大きく振る春香を見て微笑む。
「春ちゃん、救ってくれてありがとう」
どこにいってもバレンタインフェアー……嫌でも現実を見せられる。魔法少女物を書きたいと思いながら、チョコを買おうとしてバレンタインフェアーで伸ばした手を引いてしまう。こんな自分に愛の手を!