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第九章 勝利の代償

三十分後、桜井未来が法務チームと最新の技術提案書を携え、時間通りに博通広告の会議室に現れた時、彼女が目にしたのは、かつての威風を完全に失った鈴木雄也の姿だった。かつて入札会で意気揚々と、一分の隙もなかったマーケット担当取締役は、今やまるで一夜にして十年老け込んだかのようだった。ネクタイは曲がり、髪は乱れ、その目には血が走り、顔には羞恥と恐怖、そして一筋の懇願に近い期待が入り混じっていた。


会議室の空気は息が詰まるほど重苦しかった。博通広告側の出席者たちは皆、深刻な面持ちで、まるで強敵に臨むかのようだ。彼らが桜井に向ける眼差しは、もはや若いサプライヤーを品定めするものではなく、自分たちの運命を決定づけることのできる「ターミネーター」を仰ぎ見るかのようだった。


契約プロセスは驚くほど速やかに進んだ。かつてのような舌戦や細かい駆け引きはなく、代わりにあったのは鈴木雄也のほぼ完全な服従だった。桜井側が提示した全ての条件――当初の見積もりより30%高い価格、より長いサービス期間、そして「ディープスペース」システムを今後三年間、博通のAIマーケティング分野における唯一のパートナーとする排他的条項――に対して、鈴木は何一つ異議を唱えず、一瞬の躊躇さえ見せずに、自社の法務チームに早急な確認と捺印を促した。


彼はよく分かっていた。今ここで支払うどんな代償も、「チェシャ猫事件」のスキャンダルから会社を救い、崖っぷちに立たされた自らのキャリアを守ることの重要さには及ばない。桜井未来と彼女のニュー・モーニング・テクノロジーは、彼が掴むことのできる唯一の命綱なのだ。


双方が捺印済みの契約書を交換し、桜井未来が鈴木雄也と手を握り交わした時、彼女は相手の手のひらに滲む冷たい汗と、抑えきれない震えをはっきりと感じ取ることができた。


「桜井さん……」鈴木は何かを言おうとして唇を震わせたが、最終的には長い溜息に変わった。「お願いします。」


「鈴木取締役、ご安心ください。」桜井の声は穏やかでありながら、揺るぎない専門性と自信に満ちていた。「ニュー・モーニング・テクノロジーは、卓越した技術とサービスで、本日のご決断が博通広告にとって近年で最も賢明な投資であったことを証明いたします。午後二時までに、我々のシステムは貴社の全てのチャネルとのシームレスな接続を完了させます。明日の朝には、世間は刷新され、難攻不落となった博通広告の姿を目にすることでしょう。」


博通広告の壮麗なビルを出て、真昼の陽光を浴びながら、法務責任者は安堵のため息をつき、興奮気味に桜井に言った。「社長!勝ちましたね!これはまさに歴史に残る逆転劇です!鈴木のあの顔を見ましたか、まるで降伏文書に署名しているようでしたよ!」


桜井未来は微かに頷いたが、その顔に勝利の喜びはあまりなかった。彼女は天にそびえるそのビルを見上げ、心の中に複雑な感情が湧き上がるのを感じていた。この勝利はあまりにも速く、あまりにも徹底的で、そしてあまりにも……残酷だった。彼女は川端真音のやり方で、資本世界で最も冷酷な法則を用いて、伊藤啓介とサイバーシンク・ソリューションズを一撃で仕留め、同時に鈴木雄也の喉元を締め上げ、この「城下の盟」に署名させた。


この感覚は、彼女が過去に単に技術的優位性で競争相手を打ち負かしてきた時とは全く異なっていた。あれは純粋な、創造者としての喜びだった。しかし今回は、勝利の味の中に、権謀術数の冷たさと、グレーゾーンに足を踏み入れたことへの自省が混じっていた。


ニュー・モーニング・テクノロジーに戻り、桜井未来がその熱い契約書を高く掲げた時、オフィスは瞬時にして万雷の歓声に包まれた。山田健太やエンジニアたちは彼女を胴上げし、一人一人の顔には九死に一生を得た後の狂喜と、未来への無限の憧れが溢れていた。彼らはこの上なく純粋な方法で、この苦労して手に入れた勝利を祝い、社長である桜井未来の深謀遠慮と、勝利を決する胆力を称賛した。


桜井は努めて笑顔を作り、チームメンバー一人一人とハイタッチし、抱き合った。彼女はこの純粋さを守らなければならないと知っていた。この輝かしい勝利の裏に、「悪魔」との取引が隠されていることを、彼女は彼らに話すことはできないし、永遠に話さないだろう。彼女は一人で、この勝利の代償を背負わなければならないのだ。


祝杯のシャンパンの泡がまだ消えぬうちに、新たな嵐がすでに闇の中で静かに集結し始めていた。


伊藤啓介は黒田重信にゴミのように捨てられた後、完全に狂気に陥った。彼は博通の契約を失い、巨額の違約金訴訟を背負い、さらに重要なことに、業界での彼の評判は完全に地に落ちた。彼は全てのチップを失った賭博師のように、その目には全てを破壊しようとする狂気しか残っていなかった。


その日の午後、桜井未来の携帯電話に、伊藤からの支離滅裂なボイスメッセージが立て続けに届いた。


「桜井未来……このアマ!勝ったつもりか?教えてやる、まだだ!お前をただじゃおかないぞ!卑劣な手で俺を破滅させやがって、俺も百倍卑劣な手でお前に復讐してやる!お前が何を隠しているか知っているぞ!お前は普通の起業家じゃない!お前の正体を暴いて、全ての秘密を世間に晒してやる!死ね!お前のクソ会社と一緒に地獄に落ちろ!」


これらのヒステリックな呪詛を聞きながらも、桜井の眼差しに一切の動揺はなかった。すでに敗れ去った相手にとって、その叫びは無力な怒りに過ぎない。彼女は無造作に伊藤の番号を着信拒否し、それから川端真音の連絡役に暗号化されたメッセージを送った。「伊藤啓介という狂犬を処理して。二度と彼の声を聞きたくない。」彼女はすでに、このような冷徹で、命令的な言葉を使って、「白日の下」では解決できない問題を処理することに慣れ始めていた。


しかし、伊藤啓介のような表立った狂気に比べ、黒田重信からの報復は、より陰険で致命的だった。


黒田は政財界で長年駆け回り、その手口は決して正面からの衝突ではなかった。ニュー・モーニング・テクノロジーが博通広告と契約した翌日、一連の「厄介事」が彼らの元に舞い込み始めた。


まず、会社のサーバーサプライヤーが突如、「コンプライアンス審査」を理由に、ニュー・モーニング・テクノロジーが借りているサーバーの大部分を一時停止する必要があると一方的に通告してきた。これにより、「ディープスペース」システムが稼働開始したばかりの業務処理能力は瞬時に30%低下した。続いて、これまで協力関係にあった税理士事務所も、「業務調整」のため、もはやニュー・モーニング・テクノロジーのサービスを提供できないと婉曲に伝え、彼らの税務記録に「リスクの可能性」があると示唆してきた。


最も致命的な一撃は、山田健太からもたらされた。これまで桜井をアイドルとみなし、会社を家族のように思っていた最高技術責任者(CTO)が、ある深夜、罪悪感に満ちた面持ちで桜井のオフィスを訪れた。


「社長……申し訳ありません……」山田健太は深く頭を垂れ、苦渋の声で言った。「私……会社を辞めなければならないかもしれません。」


桜井の心臓がどきりと鳴った。「どうして?健太さん、何があったの?」


「私の父が……以前から脳溢血で入院していたのですが、昨日、病院から突然連絡がありまして、日本でも最高峰の脳外科専門医が見つかり、父の手術を執刀してくださることになったと。成功率は90%以上に上がると……。それに……治療費は全て、匿名の慈善財団が負担してくれるそうです。唯一の条件は……私が直ちにニュー・モーニング・テクノロジーを辞職し、彼らが指定する『ビジョナリー・キャピタル』という名のコンサルティング会社に転職することです。」


ビジョナリー・キャピタル!


桜井未来は瞬時に理解した。これは黒田重信の手口だ。彼は山田を直接脅迫するのではなく、人間性の中で最も柔らかく、最も拒絶しがたい部分――家族への愛情――を利用して、釜の底から薪を奪ったのだ。彼はニュー・モーニング・テクノロジーの最も核となる技術的頭脳を引き抜き、「ディープスペース」システムを麻痺させようとしている。これはどんな商業的な圧力よりも悪質で効果的だった。


「健太さん、もう言わなくていいわ、分かった。」桜井は立ち上がり、山田健太のそばへ歩み寄り、そっと彼の肩を叩いた。「あなたは何も間違っていない。もし私があなたの立場でも、同じ選択をするわ。お父様のことをしっかり看病してあげて、それが一番大事よ。会社のことは、心配しないで。」


「でも、社長……『アテナの矛』はまだ完成していませんし、『ディープスペース』の今後のイテレーションが……」山田健太は目を赤くし、声に涙が滲んだ。


「大丈夫よ。あなたがいなくても、私たちにはチーム全体がいる。」桜井の顔には温かい微笑みが浮かんだが、その微笑みの裏には、骨身に凍みるような冷たさがあった。「ニュー・モーニング・テクノロジーは、そう簡単には倒れないわ。」


山田健太を見送った後、桜井未来は一人、誰もいないオフィスに佇んだ。窓の外では街の灯りが煌々と輝いていたが、彼女はかつてないほどの孤独と怒りを感じていた。黒田重信のこの一撃は、的確に彼女の弱点を突いていた。彼女は商業的な利益の損失は気にしないが、自分が全力で守ろうとしているチームのメンバーが、自分のせいでこのような卑劣な脅迫を受けることは容認できなかった。


彼女は、川端真音としか単線で連絡できないあの携帯電話を取り出し、初めて、自分からその番号に電話をかけた。


電話は長い間鳴ってからようやく繋がった。向こうの声はどこか気だるげで、からかうような響きを持っていた。「あら?私の愛しいアリアドネ、もう迷宮の怪物に出会ったの?それとも、私への借りを返す準備ができたのかしら?」


「真音、あなたの助けが必要よ。」桜井の声は冷たく、穏やかだった。彼女は山田健太の件を簡潔に話した。


「黒田重信……ふふ、さすがは古狐のやり方ね。」川端真音は軽やかに笑った。「それで?私にどうしてほしいの?その脳外科医を世界から消してあげようか?それとも、黒田の会社を明日にも株式市場から蒸発させる?」


「違う。」桜井は彼女を遮った。「あなたのやり方は要らない。これは私の戦争よ。私のやり方で解決する。」


電話の向こうはしばし沈黙し、真音の声にはどこか好奇の色が加わったようだった。「あなたのやり方?」


「黒田重信が一番大事にしているのは、結局のところ、彼の地位、名声、そして彼の跡を継ぐ準備をしているあの出来損ないの息子、黒田英樹でしょう?」桜井の口調は速くはなかったが、一言一言が氷で研がれた刃のようだった。「一つ、あなたに頼みたいことがある。黒田英樹の全ての裏情報を手に入れてほしい。汚ければ汚いほどいい。財務上の、私生活上の、彼を破滅させ、刑務所に送るのに十分な証拠なら何でも。彼が二度と立ち直れないように、最も完全な証拠の連鎖が必要よ。」


「面白いわね。」真音の声のトーンが上がった。「どうやらあなたも、この影の中で狩りをする感覚を楽しみ始めたようね。それを手に入れて、どうするつもり?メディアに暴露する?それとも警察に渡す?」


「どちらでもないわ。」桜井の目に危険な光が宿った。「私が直接、黒田重信に会いに行く。その『贈り物』を、面と向かって彼に渡すの。彼に分からせてやる。彼は自分の全てのリソースを使って私の会社を攻撃してもいい。でも、もし彼が私の周りの人間に二度と指一本でも触れたら、私は躊躇なく、彼が人生で最も大切にしてきた全てを破壊する、と。」


それは宣告であり、そして変貌でもあった。もしも以前の「釜底抽薪」がまだ力を借りて力を打つ商業戦略であったならば、今、桜井未来は真に、そして積極的に、「闇」の力をどのように行使して、自分が大切にする光を守るかを学び始めていた。


電話の向こうの川端真音は、長い沈黙に陥った。彼女が再び口を開いた時、その声にはかつてないほどの称賛と……そして、同類としての認識感が加わっていた。


「少しあなたのことが好きになってきたわ、未来。これこそ、私が知っている、自分の『正義』を守るためなら、どんな代償も厭わない桜井未来よ。」


「三日以内に、ブツはあなたの元に届くわ。」


「でも、一つ忠告しておくわ。」真音の口調はまた、猫が鼠をからかうような戯れに戻った。「あなたが深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いている。あなたが今日行使した力は、遅かれ早かれ、何らかの形であなた自身に跳ね返ってくる。あなたが私に負っているあの『借り』は、そのための『保険』よ。絶対に、忘れないでね。」


電話を切った後、桜井未来は巨大な窓の前に立った。机の上には、博通広告との契約書が静かに置かれ、彼女の輝かしい勝利を象徴していた。しかし、彼女の脳裏に浮かんだのは、川端真音の最後の言葉だった。


勝利の代償とは、一体何なのか?


友を失う罪悪感か?秘密を背負う孤独か?それとも、グレーゾーンに足を踏み入れた後、もう二度と引き返せない宿命か?


彼女には分からなかった。


しかし、彼女は自分がもう選択の余地がないことを知っていた。あの灯りのついたオフィスの中で、まだ夢のために奮闘している仲間たちを守るために、彼女は、深淵の縁を歩く守護者になることを厭わなかった。


(第九章 完)


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