熱戦炎闘
サルバートに力を貸してもらうため、手合わせをすることとなったアリス。
今、火蓋が切られる。
「……いくよっ!遠隔形態!『火炎爆破』!」
アリスが両手を広げると、彼女の周囲に数十個の赤い熱力球が浮かび上がる。アリスが鋭く指をサルバートへ向けると、それらは意志を持つ弾丸のように一斉に射出された。
「小賢しいな。『火竜の息吹』!」
サルバートが短く息を吸い込み、放射状の激しい業火を吐き出した。迫りくる熱力球を正面から飲み込み、爆発の連鎖とともにすべてを相殺していく。
「ホント、豪快じゃん……これならどう!?『追尾の獄炎』!!」
アリスが片手を前に掲げると、掌から巨大な火柱が渦を巻いてサルバートを襲う。中央の極太い火柱の周りを、幾重もの炎の蛇がうねりながら死角を突く。修行の成果である緻密な魔力制御が光る一撃だ。
「中々の炎だな……。だが、真っ向から迎え撃つのが俺の流儀だ。真白、気張れ。魔力をよこしてもらうぞ。『炎龍爆炎波』っ!!」
「わかりましたっ!!頑張ります!」
真白の全身から魔力が一気に吸い上げられ、サルバートへと流れ込む。サルバートの口から放たれたのは、アリスのそれを二回り以上上回る、光線に近いほどの超高密度な爆炎の奔流だった。
「なっ……!?このままじゃ……押し切られるっ!!最大出力っっ!!」
アリスも全ての魔力を開放し、赤と紅の炎が真っ向からぶつかり合う。地下演習場の温度は跳ね上がり、均衡が保たれる中で互いの魔力が急速に削り取られていく。
「や、やばい……っ!このままだと魔力が無くなっちゃう……っ!」
「サ、サルバートさん……私も、もう無くなりかけてます………っ!」
真白の視界が白く霞み、アリスの腕も限界で震える。
そして――。
お互い同じタイミングで、魔力という名の命の燃料が底をついた。
「だ、ダメ……もう……動けない……」
アリスは仰向けに倒れ込み、肩を激しく上下させた。
「すみません……サルバートさん……魔力が、無くなって……しまいました……」
真白もまた、床に手をついたまま力なく声を絞り出す。
「ふぅ……中々やるじゃないか、ちっこいの。真白、お前も良く頑張った。あいつの炎、思っていたよりやるみたいだな。力になってやろう。だが、まだまだ努力は怠るなよ」
サルバートは一度消えかかりながらも、再び実体化し、満足げに鼻で笑った。
二人に近づき、シロミが真白を背負い、剣一がアリスを背負い上げる。
「……よくやったな、真白。アリスも凄かったぞ」
剣一が労うように声をかける。
「本当、よく頑張ったわね。二人とも良かったわよ。真白ちゃんの成長が見えてお姉さん、嬉しいわぁ。チューしていいかしら?」
シロミの茶目っ気たっぷりな提案に、演習場の重苦しい空気は一気に和らいだ。
「……だ、ダメですっ!……それならよしよしの方がまだいいですっ!」
真白が背負われながらも必死に拒絶すると、シロミは「あら、残念だわぁ」と唇を尖らせつつ、その瞳には慈愛の色が浮かんでいる。
「あら、そうなのね。じゃあ帰ったら二人ともよしよしねぇ」
「……あたしは、別に……そんなの、しなくていいってば……」
アリスは剣一の広い背中に顔を埋めたまま、消え入りそうな声で呟いた。
魔力が空っぽになった身体に、剣一の体温がダイレクトに伝わってくる。昨夜の「よしよし」の感触が蘇り、意識が朦朧とする中で、彼の首筋から香る微かな汗と石鹸の匂いが、アリスの理性をとろけさせていた。
「よしよしは、望まれてやるものだ。……嫌なら無理にはしないさ」
剣一はアリスの呟きを額面通りに受け取り、淡々と言葉を返す。
だが、その背負う手つきは驚くほど優しく、壊れ物を扱うかのようだった。
「……バカ、剣一。……嫌なんて、言ってないじゃん……」
語尾がほとんど溜息に変わる。アリスのその言葉は、運悪くあるいは運良く、耳元で囁かれたように剣一の鼓膜を震わせた。
「っ……!」
剣一の足取りが一瞬だけ乱れる。
背中で熱を持っているアリスの柔らかな重みと、その素直すぎる吐露。
修行で鍛えた強靭な精神力が、別の意味で限界を迎えようとしていた。
「ふふ、剣一。耳まで真っ赤よ? ……サルバートさん、少しこの子たちを休ませてあげたいの。このまま二階の部屋を借りてもいいかしらぁ?」
シロミが勝ち誇ったような笑みでサルバートに問いかける。
「……勝手にしろ。客用の寝台は二つだ。仲良く使うんだな」
サルバートは不愛想に言い捨てると、調理場へ戻るために階段を上り始めた。
「さあ、お兄様。二人をベッドまで運んであげて?間違っても真白ちゃんの横で変なことしちゃダメよ?」
「……しない。余計なことを言うな、行くぞ……」
剣一は動揺を隠すように早歩きで階段へ向かう。背中の上で、アリスはすでに小さな寝息を立て始めていた。
二つのベッドが並ぶ簡素な部屋に辿り着き、剣一は壊れ物を扱うような手つきで、真白とアリスをそれぞれ横たえた。部屋には寝息と、窓の外から聞こえる遠い街の喧騒だけが残された。
静寂の中、剣一は眠っている二人の枕元に膝をつき、絞り出すような声で語りかけた。
「真白……本当に強くなったな。こんな過酷な戦いに巻き込んでしまって、すまない……。だが、誓う。俺が必ず、お前たちみんなを守り抜くから」
剣一は兄として、その小さな手に宿った重い責任と決意を胸に刻み、真白の柔らかな頭をそっと撫でた。
そして、隣のベッドで眠るアリスへと視線を移す。
彼女の顔は、いつもの勝気な険しさが消え、驚くほど幼く、無防備だった。
「アリスも、本当に強くなったな……。あの時、お前が俺の隣にいてくれなければ、俺はもうここにはいなかったかもしれない」
剣一の脳裏に、これまでの死線を潜り抜けてきた光景が走馬灯のように駆け巡る。
自分を支え、時には叱咤し、共に歩んできた少女。
「……いつも怒ってばかりだが、たまに見せるあの……あの表情を見せられると、俺は……」
剣一の言葉が、ふっと途切れた。
昨夜聞いた彼女の「近くにいてもいい?」という震える声。
そして今、背中で感じた、信じられないほど華奢で温かな体温。
それらがパズルのピースのように組み合わさり、剣一の胸の奥で、理屈では説明のつかない激しい鼓動を打ち鳴らす。
「っ……」
剣一は、無意識に伸ばしかけた指先を、熱い鉄に触れたかのように引っ込めた。
言葉にしてしまえば、自分の中で必死に保っている護衛という一線が、音を立てて崩れてしまう。それが怖くて、彼はただ、熱を帯びた瞳で彼女の寝顔を見つめることしかできなかった。
「……おやすみ、アリス。明日も、俺の隣にいてくれ」
その呟きは、誰に聞かせるためでもない、祈りにも似た独白だった。
「あらあら……。お兄様、最後の一言、ちょっと情熱的すぎたんじゃないかしらぁ?」
背後から忍び寄るような、愉悦に満ちた声。
剣一は心臓が口から飛び出しそうなほど跳ね上がり、弾かれたように振り返った。
「シ、シロミ……! いつからそこに……っ!」
「最初からよ? 妹さんへの愛ある懺悔も、アリスへの甘い告白の続きも……全部、この耳でしっかりと堪能させてもらったわぁ」
シロミは口元を袖で隠しながら、三日月のような目で剣一を追い詰める。
「……誤解だ。俺はただ、二人の体調を……」
「あらあら、顔が真っ赤よ、お兄様。そんなに動揺しちゃって。……ねえ、もしアリスが今のを聞いていたら、どんな顔をしたかしらねぇ?」
「よせ……。それ以上は、本当に怒るぞ」
剣一は逃げるように窓際へと歩み寄り、夕風に熱くなった顔を晒した。
平和な、けれど確実に何かが変わり始めた日。
剣一は自分の胸の奥で暴れる、正体不明の熱を鎮めるのに必死だった。
夜、二人が二時間ほど泥のように眠り、ようやく目を覚ました頃。
部屋の隅、月明かりの届かない影の中で剣一は壁に背を預けて床に座り、その傍らでシロミは優雅に椅子に腰かけていた。
二人の規則正しい寝息だけが響いていた静寂を、シロミの柔らかな声が切り裂く。
「あら、二人とも起きたのね。もう大丈夫なのかしら?」
シロミはベッドの上で身じろぎした二人へ視線を向けた。
「ふわぁ……すみません……寝ちゃってたんですね。もう大丈夫ですっ!」
真白が目をこすりながら体を起こし、申し訳なさそうに微笑む。その隣で、アリスも重い瞼を押し上げ、状況を把握しようと周囲を見渡した。
そして、自分を見つめていた剣一と視線がぶつかった瞬間、心臓が跳ね上がる。
「うぅーん……ごめん、寝ちゃってたんだ……っ!? け、剣一……っ! ……あたし、鼾とかかいてなかったよね……?」
アリスは慌てて乱れた髪を整え、布団を胸元まで引き上げた。
先ほどまで剣一の背中で感じていた体温や、夢の中で聞いたはずの彼の優しい声が現実のものだったのか分からず、ただただ恥ずかしさが込み上げてくる。
対する剣一は、アリスの顔をまともに見ることができず、わずかに視線を逸らして短く応じた。
「……ああ。何も心配するようなことはない」
その声は努めて冷静だったが、床に置いた拳がわずかに震えているのを、アリスは気づかない。
「あら、私は剣一が狼になりそうで心配だったけど」
シロミのその言葉に、剣一は再び視線を逸らした。アリスは剣一の横顔を見つめながら、先ほどまで自分が彼の背中にいたという事実だけで、顔が再点火するのを感じていた。
「なっ……!? ななな、何言ってんの、シロミっ!!」
アリスは跳ね起きると同時に、自分の乱れた服や髪を慌てて確認し、顔を真っ赤にして叫んだ。寝起きのぼんやりした意識は、その狼という一言で完全に消し飛んだ。
「ふふ。それはそうとお腹は空いてないかしら?聖霊も全員力になってくれたことだし、祝杯でもどう?」
シロミは立ち上がり、ドレスの裾を軽く整えながら二人に微笑みかけた。その視線は、赤面したまま固まっているアリスを優しく、けれど確実に射抜いている。
「二人とも、疲れてるなら無理はするなよ」
剣一が床から立ち上がり、服についた埃を払う。その声は平静を装っているが、視線は決してアリスと合わせようとはしない。
「あ、あたしは、大丈夫っ!真白ちゃんはどう?」
アリスは慌ててベッドから飛び起きた。足元がまだ少しふわふわとしているが、シロミの「狼」発言への気恥ずかしさを吹き飛ばすには、動くしかない。
「私も大丈夫ですっ!いっぱい食べたいっ!」
真白も元気よく応じ、パタパタと二人のもとへ駆け寄る。その純粋な笑顔が、部屋に充満していた大人たちの妙な熱気をいくらか和らげてくれた。
一行は二階の客間を出て、使い込まれた木の階段を降りていく。一階のフロアに降り立つと、そこには厨房の熱気と、食欲をそそる香ばしい醤油の香りが満ちていた。
「……起きたか。魔力は戻ったようだな」
カウンターの奥で、サルバートが包丁を研ぐ手を止めてこちらを見た。不愛想なその言葉の端々には、契約を交わした配下としての、あるいは店主としての奇妙な信頼が混じっている。
「……ああ。世話になった、サルバート。今日の契約……感謝する」
剣一が代表して、深く頭を下げた。続いて真白も「ありがとうございました!」と頭を下げる。アリスもまた、少し照れくさそうに、けれど深く一礼した。
そう言って、お世話になったサルバートにそれぞれ頭を下げ、活気あふれる夜の街へと再び足を踏み出すために、その場を後にした。




