サルバート再び
昨夜の「正体不明の熱」を引きずり、自分の感情に戸惑う剣一。
そして、昨夜の優しさに改めて胸を高鳴らせ、一睡もできぬまま朝を迎えたアリス。
そんな二人を祝福するかのように、窓からは眩い朝日が差し込んでいた。
だが、その光を遮るように影を落とし、獲物を狙う猟師の目でシロミが口を開く。
「みんな、おはよう。昨夜はなんだかものすごく暑かったわねぇ。アリス、熱くない? 大丈夫かしらぁ?」
シロミはわざとらしく自分の首元をパタパタと煽りながら、アリスの顔をじっと覗き込んだ。
「ひゃっ……!? べ、別に熱くない……から……大丈夫……」
いつもの威勢のいい「うるさい!」が飛んでこない。アリスは真っ赤な顔で視線を泳がせ、手に持ったスプーンをカチカチと小刻みに震わせていた。
「あらあら、随分と大人しくなったわねぇ。昨夜、何かあったのかしらぁ?」
シロミは獲物を追い詰める猟師のような目で、楽しそうに首を傾げた。
「なっ……な、なんでもない! ただ、ちょっと……その…………」
言い訳を口にしようとしたアリスだったが、ふと昨夜の光景が脳裏をよぎった。
頭に置かれた剣一の手のひらの温もり、「近くにいてもらわないと困る」というあの低くて優しい声。
「……えへへ…………はっ!」
無意識に頬が緩み、締まりのない笑みがこぼれた瞬間、アリスは慌てて自分の口を両手で塞いだ。しかし、一度漏れ出した幸せな熱は止まらない。顔は火照り、指の間から隠しきれないニヤけ顔が覗いている。
「あらあら……。アリス、そんなにとろけた顔をしちゃって。あ、真白ちゃん、いつも頑張ってるからよしよししてあげるわぁ」
「えっ!?あ、ありがとうございます」
真白が驚きながらも恥ずかしそうに目を細め、シロミの手のひらに頭を預ける。その微笑ましい光景を横目に、シロミはニヤリと口角を吊り上げ、アリスへと視線を戻した。
「……ねえ、アリス。こうやってよしよしされるのって、とっても安心するし、特別な感じがして……なんだか顔が緩んじゃうわよねぇ?」
「なっ……な、なに!? あたしは別に、そんなこと……っ!!」
アリスの声は、動揺のあまり裏返った。
シロミの言葉は、まるで昨夜の現場を見ていたかのような確信に満ちている。
自分の頭に残る剣一の手の感触が、シロミのよしよしという言葉に呼応して、じわじわと熱を帯びていく。
(……なんでバレてんの!? もしかして、あたしの顔に書いてんの!?)
一方、隣で平静を装ってスープを口に運んでいた剣一は、不自然なほど静かにスプーンを置いた。
「……今日は街に行くぞ。サルバートのところへ一度行ってみよう。いつまでも行かないわけにも行かないしな」
「よしっ!なんとか説得できるように頑張るから!」
剣一と真白が話している一方でこそっとアリスがシロミに囁く。
「……シ、シロミ……?あたし……変じゃない……よね?」
アリスは声を潜め、縋るような目でシロミを仰ぎ見た。
昨夜の「よしよし」の余韻で、自分でも顔が緩みっぱなしなのが自覚できてしまう。
「そうねぇ。いつもの勝気なアリスちゃんはどこかに家出して、今はただの恋する乙女が一人、ここに居座っているわね」
「なっ……! だから、そういうのじゃないって……っ!」
アリスが慌てて否定しようとしたその時、剣一がこちらを振り返った。
「準備はいいか。……行くぞ、サルバートのところへ」
「ひゃいっ!! ……あ、ええ、準備万端っ! さっさと行きましょ!」
裏返った声で応えながら、アリスは逃げるように歩き出した。
一行は二週間過ごした拠点を後にし、街へと向かう。
道中、剣一は努めて冷静に「どうサルバートを説得するか」を真白に話していたが、その後ろを歩くアリスの視線が、自分の背中に突き刺さっているのを嫌というほど感じていた。
(……アリスの奴、さっきから妙に大人しい。……まさか、昨夜のことを怒っているのか? それとも……)
剣一は昨夜、壁に座り込んで自問自答した「あの感情」を必死に押し殺そうとしていた。だが、歩くたびにアリスの髪の柔らかい感触が右手に蘇り、足取りがわずかに乱れる。
(くっ。シロミのせいで変に意識してしまうな……)
シロミは二人の背後で、満足げに目を細めた。
計画通り、いや、期待以上にかき乱された二人の様子は、彼女にとって最高のエンターテインメントだった。
「ふふ。作戦大成功ね。アリスには感謝してもらわないと」
独り言のように小さく呟いたその声は、幸いにも動揺の渦中にいる二人の耳には届かなかった。
拠点を離れ、一行は三週間ぶりに活気あふれる街へと辿り着いた。
前回、花恋たちと訪れた時と同じように、まずは馴染みの魔石屋へと向かう。
「アリスちゃん、露店いっぱいだよっ!何買っちゃう!?」
真白がキラキラした目で露店を指差すと、アリスも身を乗り出して声を弾ませた。
「こんなにたくさん露店があるとアガっちゃうなぁっ!美味しそうなものもいっぱいあるし、キラキラ光る宝石もあるじゃんっ!」
二人の楽しそうなやり取りを後ろから眺めていたシロミが、ふふっと艶やかに微笑んで、軒先に揺れるある一点を指差した。
「あらあら、あなたたち、そんなにはしゃいじゃって……あ、アレすごくかわいいわよぉ、二人とも。あの赤ちゃん服。」
「本当ですねっ!小さくてかわいいっ!」
「え?……あ、ホントだ!ちっちゃくて、ふわふわしてて、可愛い……」
アリスは最初こそ純粋にその小ささに目を細めていたが、シロミの「二人とも」という言葉の裏にある、いたずらっぽい視線に気づいて動きを止めた。
「……って、ちょっとぉぉぉぉ!! な、なんであたしたちにそれを見せんのっ! まだ、そんな……えっと、その、気が早すぎるっていうか……順序っていうか……っ!!」
アリスは顔を真っ赤にして、シロミと、そして少し前を歩く剣一の背中を交互に見て激しく動揺し始めた。
「あら、アリス。私はただ、あなたと真白ちゃんがその服を見て可愛いってはしゃぐ姿が微笑ましいと思っただけよ? ……それとも、誰かさんとの未来図でも想像しちゃったのかしらぁ?」
シロミは口元を優雅に隠しながら、クスクスと愉悦に満ちた笑い声を漏らす。
「なっ……! ち、違うっ! 真白、今のシロミの言葉、忘れてっ!!」
「ふふふ、でもアリスちゃん。赤ちゃんがいたら、あんな可愛い服を着せてあげたいねっ!」
真白の純粋すぎる天然の追撃に、アリスはもはや言葉を失い、ゆでダコのように赤くなって固まってしまった。
一方、前方でそのやり取りを背中で聞いていた剣一は、石像のように硬直していた。赤ちゃんという単語が耳に飛び込んできた瞬間、脳裏には昨夜の、あの無防備なアリスと小さな子供という、あまりにも破壊力の高い、新たな家族を持つと言う光景が強制的に投影される。
「…………っ!!」
剣一は音を立てて顔を背け、拳を口元に当てて咳き込んだ。
「……ゴホッ!シロミ、いい加減にしてくれ……。真白、行くぞ! 魔石屋はすぐそこだ!」
「あ、お兄ちゃん、待って! ……アリスちゃん、早く行こっ!」
アリスは地団駄を踏みながら、逃げるように早足になった剣一の背中を、半泣きで追いかけた。
魔石を売り、金銭を手に入れた四人はサルバートの経営する、昔ながらの老舗のような定食屋へと足を踏み入れた。
活気ある表通りとは対照的な、使い込まれた木のカウンターと出汁の香りが漂う落ち着いた空間。そこには、相変わらず不愛想ながらもどこか底知れない威圧感を放つサルバートが待っていた。
「……いらっしゃ……お前らか。二人は前回と違うやつらか。まぁいい、話は食ってから聞いてやる。」
調理場の奥から顔を出したサルバートは、鋭い眼光で新顔のシロミとアリスを一瞥した。剥き出しの視線は相変わらず威圧感たっぷりだが、手際よく鍋を振る動作には迷いがない。
「……すまない、助かる」
剣一は短く応じ、カウンターの端に腰を下ろした。二週間の修行で研ぎ澄まされたはずの彼の背中も、今は店内に漂う出汁の香りに、わずかに毒気を抜かれている。
四人は運ばれてきた湯気の立つ料理を前に、各々好きなものを口に放り込んだ。
「んんっ! おいしーいっ! たまにお店で食べるご飯も最高ねっ!」
アリスは先ほどまでの赤面もどこへやら、山盛りの料理を頬張って目を輝かせた。もぐもぐと口を動かすその無邪気な姿は、シロミに「恋する乙女」と揶揄された通り、年相応の可愛らしさにあふれている。
「ふふ、本当ねぇ。この出汁の深み……たまにはプロの味に甘えるのも悪くないわね?」
シロミは優雅に箸を使いながら、ふと剣一に流し目を送る。
一方、剣一はといえば、アリスの幸せそうな食べっぷりを視界の端に入れながら、自分の皿に集中していた。だが、心の中ではまだ赤ちゃん服というワードがリフレインしており、味覚が半分ほど麻痺している。
「……お兄ちゃん、これ、アリスちゃんが好きそうな味だよ。一口あげたらどうかな?」
真白が自分の小皿を差し出しながら、無垢な提案を投げかける。
「……っ、いや、アリスは自分の分で足りているだろう。……な、アリス?」
「えっ? あ、うん! 足りてる、足りてるから! ……でも、剣一のそれも美味しそう……かも……」
アリスが上目遣いで剣一の皿を覗き込むと、二人の間に再び、あの昨夜から続く妙な温度が流れ始めた。
カウンター越しにその様子を眺めていたサルバートが、包丁の手を休めることなく鼻で笑う。
「……食うか喋るかどっちかにしろ。修行の成果が胃袋の拡張だけじゃないことを祈るぞ」
その鋭い一言に、アリスと剣一は同時に背筋を伸ばし、慌てて口の中のものを飲み込んだ。
食事を終え、真白が緊張を隠せないまま、サルバートに声をかける。
「あ、あの……サルバートさんっ!私、まだまだ未熟だとは思います……でも、今までずっと訓練してきました。一度、私の強さを確認して欲しいです」
頭を下げる真白を見て、腕を組みながら間を開けてサルバートが声を発する。
「……なるほど、いいだろう。地下に少し広めの部屋がある。そこで見させてもらおうか」
厨房の中の床に木製の扉があり、そこを開けると階段が出現し、一行は地下へと連れられる。
地下の部屋は店の5倍以上は広く天井も高い。
「ここなら、大丈夫だろう。俺の戦い方は結構荒い、他の奴らより魔力の消費は激しくなるだろう。俺を扱いたければ、魔力の量は多くないと論外だ。とりあえず契約してやる、俺を召喚してみろ。」
「……はいっ!わかりましたっ!召喚、サルバートっ!」
サルバートと契りを交わし、真白の凛とした声とともに、魔法陣から溢れ出した魔力が実体となって凝縮される。そこには、厨房での不愛想な料理人ではなく、一人の「戦士」としての凄みを纏ったサルバートが立っていた。
「……よし、じゃあ誰か手合わせ願えるか?」
その問いかけに、真っ先に身を乗り出したのはアリスだった。
「あたしがやるっ! 炎同士、やりあってみたかったんだよねっ!」
アリスは拳を握りしめ、その掌からパチパチと火花を散らせる。二週間の修行を経て、彼女の魔力は以前よりもずっと密度を増し、鋭い熱を放っていた。
「ほう。……いい度胸だ。小娘、恋の熱に浮かされた頭が、実戦でどれだけ冷徹に回るか見せてもらおうか」
「なっ……! だから、それはもう関係ないでしょっ!」
サルバートの容赦ない皮肉に、アリスは顔を真っ赤にしながらも、その瞳には戦士としての鋭い光が宿る。
「真白、しっかり見てて! この男が、どれだけ強いか……あたしが引き出してあげるから!」
「はいっ! アリスちゃん、頑張って!」
真白が応援の声を上げる中、剣一は少し離れた場所で、静かに二人を見守った。サルバートの「荒い」と言われる戦い方が、アリスの今の実力とどう噛み合うのか。そして何より、真白の魔力がどこまで耐えられるのか。
「……ふん。口だけではないことを祈るぞ」
サルバートが低く構えをとると、鱗がハッキリと目で見えるようになり、目がトカゲのようにギョロッとなり、周囲の空気が一変した。熱風が地下室の壁を叩き、地面がかすかに震え始める。
「いくよ……!!」
恋の熱というバフを纏ったアリスの炎と魔力消費の激しい豪快な技を持つサルバートの炎の戦いが今、始まろうとしていた。




