刺客
水の聖霊ウルダイブとの契約に成功した一行は、行きと同じく1週間ほどかけて家を目指し始めた。
「残りの聖霊は、炎のサルバートだけね。とりあえず無事に終わって良かったわね、真白ちゃん」
シロミが道端に咲く花を愛でるような優雅さで、隣を歩く真白に微笑みかける。
「はいっ! 特に大きなトラブルもなく、スムーズに契約できたのは本当に良かったです!」
真白が満面の笑みで答えると、その背後から地を這うような暗い声が響いた。
「……問題しかなかったんだけど。なんであたしだけ、こんな目に遭わなきゃいけないわけ……?」
アリスである。彼女は、これから事あるごとにシロミから「破廉恥一線さん」と小声で呼ばれ、そのたびに真っ赤になって地団駄を踏むことになる自分の運命を、まだ正確には予感していなかった。
「あら、アリス。聖霊様にあんなに熱烈な告白を聞いてもらえたのは、あなただけなのよ? むしろ前衛職として、その度胸は誇るべきだわぁ」
「告白じゃないってば! 誰のせいでこうなったと思ってんの! ……大体、剣一も! あんた、あんなことされて……何とも思わなかったわけ!?」
矛先を向けられた剣一は、荷物を背負い直しながら淡々と答えた。
「……ああ。かなり強力な同調だったな。あれなら次の戦闘で活かせるかもしれないな」
「そっちの感想じゃない!バカ!!」
剣一のあまりに「戦術的」すぎる感想に、アリスはついに道端でガックリと膝をついた。初日の段階で、彼女の精神的スタミナはすでに限界に近い。
「アリスちゃん……その、元気出して? お兄ちゃんも、アリスちゃんのこと頼りにしてるって意味だと思うから……!」
真白が必死にフォローするが、その優しさが逆にアリスの心に突き刺さる。
「……期待なんて、してない。あんなデリカシー皆無の石像みたいな男に……」
アリスはぶつぶつと毒づきながら、重い足取りで立ち上がり歩き出した。
水の祠を後にして数時間。辺りはすっかり帳を下ろし、キャンプ地ではパチパチとはぜる焚き火の音が静かに響いていた。
アリスは、今日一日の出来事を脳内から抹消しようと必死に薪を折っていたが、そこへシロミがこれ以上ないほど楽しげな声を響かせた。
「さあ、お待たせ。今夜のメインディッシュは、契約成功を祝して趣向を凝らしてみたわ。名付けて……『赤と黒の同調・バックハグ・ハンバーグ』よぉ」
シロミがアリスの前に差し出したのは、野営料理とは思えないほどインパクトのある一皿だった。
「な、なにこれ……真っ黒じゃん」
皿の上には、強火の炭火で表面を香ばしく――というよりは、剣一の無骨さを象徴するように漆黒に焼き締められた肉塊が鎮座していた。そしてその上には、アリスの炎(と羞恥心)をイメージした、煮え滾るような真っ赤なチリソースが、逃げ場を塞ぐようにたっぷりとかけられている。
「黒は剣一の揺るぎない力強さ、赤はアリスの燃えるような……情熱。見て、この黒いお肉を、赤いソースがとろりと包み込んで離さない……。まさにさっきの、二人の一線越えそのものだと思わない?」
「ーーっ!! 料理にまで変な名前つけないで! 食べればいいんでしょ、食べればっ!!」
アリスはヤケクソ気味にナイフを突き立てた。しかし、肉を切ると中から溢れ出す肉汁が、さらに赤いソースと混ざり合い、シロミが「あらあら、混ざり合ってさらに深い色になったわねぇ」と追撃を入れる。
「……美味いな」
対面に座る剣一が、至極無造作にその「黒い肉」を口に運び、淡々と感想を述べた。
「そうでしょう? 剣一。特にそのソース、アリスみたいに『ピリッ』と刺激的でしょう?」
「ああ。少し熱いが、力が湧いてくる味だ。……アリス、お前も早く食べろ。明日に響くぞ」
「わ、分かってるって! 食べりゃいいんでしょ!」
アリスは顔を真っ赤にしながら、激辛のチリソースごとハンバーグを口に放り込んだ。辛さと恥ずかしさで鼻の頭に汗が浮かぶ。
「……アリス。口の端にソースがついているぞ」
剣一がごく自然に手を伸ばし、親指でアリスの口元の「赤」を拭った。
「っ、な、ななな……っ!!」
「……? 拭いただけだ。そんなに怒ることか?」
剣一のあまりにも無自覚な指の感触に、アリスの脳内回路はついに火を噴いた。
「バカあああああ!! 石像! 鈍感! 破廉恥剣一!!」
アリスは皿を置くやいなや、脱兎の如くテントへと逃げ込んだ。
シロミのクスクスという笑い声と、真白の「お兄ちゃん、流石にそれは……」という困り顔が見てとれた。
「……? 汚れを取るのが破廉恥なのか?」
本気で首を傾げる剣一の横で、シロミは満足げに目を細めていた。
「あらあら。あの様子じゃ、アリス、今夜は夢の中でもハンバーグに追いかけられそうねぇ」
そんな中、真白が焚き火の光に銀髪を揺らしながら立ち上がった。
「ねぇ、お兄ちゃん。私とシロミさんで少し手合わせしてもいいかな? シロミさんも、良ければですけど……」
真白の瞳には、聖霊との契約を経て強まった決意が宿っていた。剣一が視線を向けると、シロミは艶然たる笑みを浮かべる。
「いいわよぉ。真白ちゃんの真っ直ぐな瞳に見つめられちゃ、断れないわね」
「わかった。俺は火の番をしながら、アリスに何かあればすぐ動けるようにしておく。……シロミ、真白を頼む」
剣一に見送られ、二人はキャンプの喧騒を離れた。木々が重なり、焚き火の明かりが完全に見えなくなるほど深い森の奥まで歩を進め、ようやく二人は向かい合った。しかし、真白が杖を構えようとしたその瞬間――。
「……っ! 真白ちゃん、危ないっ!!」
シロミの鋭い警告が夜気を引き裂いた。直後、大樹の影から躍り出たのは、白いローブを纏い、顔を隠した不気味な刺客。
真白は襲い来る鉾の閃撃を、反射的に抜いた短剣で辛うじて受け流すが、その衝撃に突き飛ばされ数メートル後退した。
「……ぐっ! ……あなたは、誰なの!?」
「……………。」
敵の応えは無反応、その瞳には生気が感じられない。魔力は持っているものの、まるで精巧に作られた人形のような空虚さに、真白は背筋が凍る思いがした。
「亡者の大群!!」
シロミが瞬時に黒魔術を展開し、地面から這い出した無数の骸骨が刺客を包囲する。
「真白ちゃん、今すぐ剣一のところへ行くのよ!! ここは私が引き受けるわっ!」
「でもっ、それじゃあシロミさんがっ!!」
「……大丈夫だから、早く行きなさいっ!!!」
これまでに見たことのないシロミの剣幕に押され、真白は「……必ず戻ってきます!!」と叫び、闇を切り裂いて兄の待つキャンプへと走り出した。
真白の気配が遠ざかり、周囲に完全な静寂が戻ると、シロミの纏う空気が一変した。月の光さえ届かないこの場所は、今や濃密な殺気に満ちた戦域と化していた。
「……あなた、自分が何をしたかわかっているかしら。私のかわいい真白ちゃんに、そんな物騒な鉾を向けるなんて。……覚悟はできているのでしょうね?」
「………………」
沈黙を貫く敵に対し、シロミはさらに魔力を高める。
「……喋ることもできないのかしら。なら、丁度いいわね。巨大な亡者!!」
周囲を囲んでいた骸骨たちが一つに集い、見上げるような巨躯の骸骨兵へと姿を変えた。巨大な拳が敵を目がけて振り下ろされる。
しかし、刺客は一歩も引かなかった。鉾を低く構えて踏み込むと、たった一撃で巨大骸骨を粉々に粉砕。そのままの勢いで、シロミの喉元を狙い肉薄する。
「なっ!! ……っ! ぐっ!」
辛うじて障壁で防ぐものの、想定以上の膂力にシロミは衝撃を隠せない。
彼女はふぅ、と小さく溜息をつき、冷ややかな瞳で敵を射抜いた。
「……はぁ。何も喋らないのね。……そう、丁度いいわ。そのまま永遠に黙っていなさい。今から見るものは、死んでも他言無用よ。ここなら、誰にも見られないもの」
シロミの体内から、これまで隠し持っていた異質で禍々しい魔力が溢れ出した。
「限界突破――悪魔の罪人」
シロミの白銀の髪が漆黒へと染まり、目は血のように赤く輝く。背中からは夜の闇を切り取ったような悪魔の翼が生え、両耳の後ろからは歪な二本の角が天を突いた。
「私の武器は黒魔術……けれど、それはあくまで表向き。本来の姿がこれ……武器は、普段隠しているこの『角』よ」
変貌したシロミの姿に、初めて敵の動作が止まった。
「……っ! ……魔族……!」
微かに漏れた敵の声。しかし、シロミに慈悲はない。
「……真白ちゃんに手を出したあなたを、私は絶対に許さない。『悪魔の稲妻』!!」
シロミの角からバチバチッと激しく帯電し、天へと巨大な電流が逆流するように流れ上がった。直後、一筋の巨大な漆黒の落雷が落ち、周囲の一帯を無慈悲に焼き尽くした。絶叫を上げる暇すら与えず、白いローブの刺客は消し炭となり、灰すら残さず虚空へと消えていった。
シロミは消えゆく灰を見つめながら、静かに、そして苦痛を堪えるようにして元の姿へと戻っていく。だがその表情は険しい。
彼女は、真白が向かったキャンプの方角から漂う不穏な気配を、魔族特有の鋭敏な感覚で捉えていた。




