宴会①
初めて四人での訓練を終えた次の日の朝。
野営地の空気は、鳥のさえずりと共に穏やかに明けた――はずだった。
「アリス……昨日、テントに戻ってからやけに騒がしかったけれど、何かあったのかしら? あなたの声で一度、目が覚めてしまったのだけど」
焚き火の片付けをしながら、シロミがじとーっとした視線をアリスに送る。
「……な、何もないけど? べつに普通だったし」
アリスはそう答えるものの、その手元はおぼつかない。顔を真っ赤にして、体をモゾモゾと揺らしている。
「……おかしいわね。なんでそんなに顔を赤くしてモゾモゾしてるのかしら。何かいいことでもあったの?」
「そ、それはその……何も言えない。っていうか、思い出したらまた……」
アリスは昨夜の剣一の「アリス、お前だけだよ」という言葉と、あの圧倒的な、「一閃」の光景を思い出し、再び脳内温度が急上昇する。
「……っ!? ま、まさか……アリス、あなた……一線を……?」
シロミの目が驚愕に見開かれる。彼女の脳内では、月明かりの下で二人が禁断の境界線を越えてしまった光景がフルカラーで再生されていた。
「い、一閃? 凄かった……。本当、やばかった……剣一が本気を出すと……もう……何もできなかった。あんなの、今まで見たことないもん……」
アリスはうっとりと空を仰ぎ、剣一の放った技の鋭さを思い出して溜息をつく。
「そんな……っ! 私でさえ真白ちゃんとそこまでいっていないのに……先を越されるなんて……っ!」
シロミはショックのあまり地面に膝を突き、ガックリとうなだれた。
「……ん? 何の話?」
アリスが不思議そうに首を傾げたところで、当の本人である剣一が、昨夜の消耗を感じさせない涼しい顔でテントから出てきた。
「おはよう、みんな。 ……シロミは一体どうしたんだ」
「剣一……あなたって人は……! 真白ちゃん、お姉さんは悲しいわ……っ!」
「えっ、私!? 私何かしましたか!?」
朝食の準備をしていた真白まで巻き込まれ、野営地は朝からカオスな熱気に包まれていった。
そして訓練と並行しながら一週間が経ち、朝の爽やかな海風が旅路で汚れた一行の肌を撫でる。
立ち並ぶ赤レンガの建物と、活気あふれる市場の喧騒。ついに一行は、目的地の港町シーサイドハーバーへと辿り着いた。
「なんだか久しぶりに帰ってきた気がするなぁ」
潮の香りを胸いっぱいに吸い込み、アリスが感慨深そうに呟く。
「ここへ戻ってくるまでに、中々濃い時間を過ごしたからかしら。アリスは毎日、夜の手合わせをしまくっていた反面……私はあまり進展無しとか、世知辛いわねぇ」
シロミがこれ見よがしに溜息をつき、隣を歩くアリスをチラリと盗み見る。
「……ちょっ、それは言い方に語弊があるじゃん! け、剣一に聞こえちゃうじゃんか……っ!」
アリスは跳ね上がるように反応し、前を歩く剣一の背中をチラチラと確認しながら小声で怒鳴った。この一週間、アリスは宣言通り毎晩のように剣一に手合わせを挑んでいたが、その度に「お前だけ」級の天然タラシ発言を浴びせられ、もはや彼女の防壁はボロボロだった。
「……アリス。真白ちゃんたちに初めて会った時、あなたが私に言った言葉をそのまま返すわね。……あなた、完全にキャラ崩壊しているわよ」
シロミが半ば呆れたように、憐れみの視線を向ける。
「どっ、どこがっ! 何も変わってないじゃん!! あたしはただ、強くなるためにストイックに打ち込んでるだけで……!」
「あら、そう? 鏡を見たほうがいいわよ。今のあなた、完全に恋する乙女の顔ですもの」
「なっ…………!? んなわけないでしょ!!」
顔を真っ赤にして地団駄を踏むアリス。その賑やかなやり取りを背中で聞きながら、剣一はふと足を止めた。
「とりあえず腹ごしらえでもするか。アリス、この街でどこかオススメの店はあるか?」
「……えっ? あたしに聞くの?」
不意に頼りにされ、アリスは毒気を抜かれたように瞬きをする。
「……あたしたちがよく行ってた酒場くらいしか思いつかないけど。そこ、魚は新鮮だよ」
「いいな。じゃあ、そこへ案内してくれ」
「……わ、わかった。ついてきて」
アリスはぶっきらぼうに言いながらも、どこか嬉しそうに先頭を歩き出した。
辿り着いたのは、港のすぐそばにある活気溢れた酒場。扉を開けると、朝にもかかわらず溢れんばかりのハンターや漁師たちで賑わっていた。
だが、アリスが一歩踏み込んだ瞬間、喧騒が静まり、驚愕の視線が集中する。
「……っ!? おい! あの『狂犬アリス』が男を連れてるぞ!」
「なんだなんだ!? 喧嘩じゃなさそうだぞ、あのアリスが大人しく後ろを歩いてるなんて……!」
かつて、この酒場で絡んできた男たちを片っ端から炎の中に沈めてきた彼女を知る者たちにとって、それは天変地異に等しい光景だった。
いつもなら「ああん!? 文句あるなら焼き尽くしてやろうか!」と怒鳴り散らさんばかりのアリスが、今日はいつもの大きな声とは違い、消え入りそうな小さな声で呟く。
「……そ、そういうのじゃないから。……うるさい、黙って飲んでなよ」
その、毒気の抜けた……というより、恥じらいを隠しきれない彼女の態度に、野次馬たちが一斉にざわめき立った。
「……おい、嘘だろ。滅茶苦茶大人しくなってる」
「……なんだか、毒気が抜けて可愛く見えてきたぞ」
「もしや……噂に聞く、恋する乙女ってやつか?」
「だっ、誰が乙女だ!! ぶっ飛ばすよ!!」
アリスは反射的に叫んだが、その顔は沸騰したヤカンのように真っ赤で、威嚇の効果は皆無だった。むしろ、その必死な様子が「図星」であることを証明しているようなものだ。
「あらあら。一週間でここまで有名人になってしまうなんて。アリス、あなたの一線……いえ、一閃が街中に響き渡りそうねぇ」
シロミがクスクスと肩を揺らし、真白も「アリスちゃん、人気者だね!」と天然100%の笑顔を向け、席に腰をかける。
「……注文、していいか?」
一人だけ空気を読んだ上で無視して、剣一が店主に声をかけ、歓迎会が開始された。




