一閃
日が完全に落ち、辺りが深い闇に包まれる頃、一行は森の開けた場所で野営の準備を整えていた。
中央に焚かれた大きな焚き火の上では、即席の鍋から食欲をそそる香りが漂っている。今日のメニューは、移動中に剣一が狩った野兎と、真白が見つけたキノコをふんだんに使ったシチューだ。
「みんな、夕食出来たよ!」
真白がいつものように手際良く作り終え、剣一が器に盛り付けて、一人一人に手渡していく。
『いただきます』
「……っ、美味しい!真白の料理を毎日食べられるなんて最高じゃん!」
「なんだか私のだけ特別に美味しい気がするわぁ。愛を入れすぎたんじゃないかしら」
「……うん、美味しい」
アリスは熱さに苦戦しながらもスプーンを止める気配はない。その横でシロミが一口一口噛み締めるように「真白ちゃんの愛」と一口食べるごとに発している。シロミとは打って変わって剣一は黙々と食べていた。
「みんなには感謝してるの!ありがとう!」
真白が改めて満面の笑みで伝えると、焚き火の明かりに照らされた一行の顔が、それぞれ和らぎを見せた。
「……何言ってんの。あたしたち、仲間でしょ」
アリスが少し照れくさそうに、空になった器を見つめながら呟く。
「そうよ。感謝なら、あとでお布団の中でたっぷりと……」
「シロミさん、それはもういいですから。さ、食べ終わったら片付けちゃいましょう!」
シロミの冗談を鮮やかに受け流し、立ち上がり、野良仕事のような手際の良さで片付けを済ませる真白。
「……ふわぁ。真白ちゃん、お腹いっぱいになったら眠くなっちゃったわぁ」
「訓練も大変でしたもんね。シロミさん、先に寝ててください。私はもう少し火の番をしてから寝ますから」
そう言って真白がシロミをテントへ促すと、辺りは次第に静まり返っていった。
「二人とも、ちょっといい?」
不意にアリスが、いつもの勝気さを消した神妙な面持ちで口を開いた。パチパチとはぜる火の粉が、彼女の瞳に揺れる影を落とす。
「実はさ、あたし……弟がいたんだ。三年前に亡くなっちゃったんだけど。その時あたし、自分が強いと思い込んでてさ。功を焦って双頭翼竜を狩りに行って……返り討ちに遭いかけたんだ。そしたら、弟が……あたしを庇うようにして、死んじゃったんだよ」
重い沈黙が流れる。真白は、アリスの小さな肩がかすかに震えているのを見逃さなかった。彼女は涙を呑み込むようにして、絞り出すような声で応えた。
「そんなことが……。大変だったんだね、アリスちゃん……」
「……だからあたし、強くなってあいつらを見返してやろうと思ったんだ。誰よりも強く……もう二度と、誰も失わなくていいように。更なる強さを求めて、本当の強者は天空にいるんじゃないかと思って、あの日から天空を目指し始めたんだよ」
アリスは拳をぎゅっと握りしめ、自分を責めるような、けれど折れない意志を宿した瞳で二人を見つめた。
「……そんな経緯があったんだな」
剣一は静かに呟いた。彼女がなぜ「近接形態」を選ぶのか、拳で語ろうとする戦い方を好むのか。その理由の一端に触れた気がした。
「だからあたし、もっと強くなりたいんだ。……剣一と真白、あんたたちに出会って、まだこの大陸にこんなにも強いやつがいるんだって思い知らされたよ」
「……私なんてまだまだだよ」
真白は首を振った。だが、その瞳にはアリスの覚悟を受け止めた、強い光が宿っている。
「でも、アリスちゃんの気持ち、少しだけわかるよ。私も、聖霊たちやお兄ちゃんに助けてもらってばかりだから……。一緒に、強くなろう?」
剣一もまた、アリスの視線を真っ向から受け止める。
「……だったら、夜の手合わせも、手加減なしで行かせてもらうが、いいか?」
「……っ、望むところだ!」
アリスは赤くなっていた目尻を乱暴に拭うと、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。悲しみを強さに変え、前を向こうとする戦士の横顔。真白も剣一も、その気高い決意を胸に刻もうとした――その時だった。
テントの中から、なんとも締まりのない、だらしない声が漏れ聞こえてきた。
「……ああっ! 真白ちゃんダメよぉっ! そんなっ! 剣一とアリスみたいに、私とイチャコラするなんてっ……むにゃむにゃ……デュフッ」
「………………っ!!」
アリスの額に、青筋がピキリと浮かぶ。
「……本当っ! こいつってば寝言でまでっ……!! 何がイチャコラだよ! ぶん殴って起こしてもいい!?」
さっきまでのしっとりした空気はどこへやら。アリスは顔を真っ赤にして、今にもテントに突撃せんばかりの勢いで地団駄を踏んでいる。
「あはは……シロミさん、夢の中でも賑やかだね……」
真白が引きつった笑いで必死にアリスをなだめる。剣一も、思わず天を仰いで小さく溜息をついた。
「……ま、まあ待てアリス。おかげで変な緊張は解けたんじゃないか。……行くんだろ? 手合わせ」
剣一が苦笑しながら立ち上がると、アリスは「うーっ!」と唸りながらも、ようやく拳を下ろした。
「……わかったよ! もう、変な水差さないでよ、本当……」
アリスはぷいっと赤面した顔を背けたが、その足取りは先ほどよりも少し軽くなっているようだった。彼女はそのまま森の奥、月明かりがスポットライトのように差し込む場所へと歩き出す。
「真白はシロミを見ててやってくれ。……すぐ戻る」
「わかった!……アリスちゃん、頑張ってね!」
真白の応援を背に、二人の影は深い森の闇へと消えていった。
「……この辺りでいいか」
月明かりがわずかに届く、静まり返った森の広場。剣一が足を止めると、アリスは迷うことなく魔装を起動させた。
「そうだね、じゃあいくよ……変形――近接形態!」
赤い閃光が走り、チャイナドレス風の軽装へと姿を変えた直後、アリスの姿が掻き消えた。
「『紅蓮連脚』!!」
猛烈な連続蹴りが、四方八方から剣一を襲う。剣一は双剣を盾に、凄まじい衝撃と熱気をなんとか防ぎ切るが、アリスの勢いは衰えるどころかさらに加速していく。
「……まだまだっ! 『最大出力』!!」
アリスの全身から噴き出す魔力で爆炎を纏った怒涛の連続蹴りが、夜の闇を紅く染め上げる。ギアを上げた彼女のスピードと威力に、剣一はたまらず一度距離を取るが――それこそがアリスの狙いだった。
「変形――遠隔形態!! 『火炎爆破』!」
「……竜巻双……っ!?」
離れた刹那に遠隔形態への移行を許した。剣一が昼間と同じく『竜巻双波』で迎え撃とうとした瞬間、放たれた赤い魔力球が急上昇し、天で一つに収束して巨大な炎の塊を成していく。
「同じ手は喰わないよ。……喰らえ! 『太陽の落下』!!」
夜空に擬似的な太陽が出現したかのような熱量。それが一点、剣一の頭上目掛けて容赦なく降り注ぐ。絶体絶命。だが、その炎に照らされた剣一の瞳が、青白く鋭い光を放った。
「……限界突破。魔剣――『人智の剣』」
低く響く声と共に、剣一の魔力が暴流となって溢れ出した。全身の魔力回路が強制的に拡張され、浮き出た血管が脈動する。彼は双剣を納め、魔力で新たな武器をその場に生成した。放出される魔力のプレッシャーだけで、周囲の木々が激しくしなる。
「……っな!? ……っ、これが剣一の本気!? しかも武器生成までっ!?」
アリスが驚愕に目を見開く中、剣一は大地を蹴った。
悲鳴を上げる地面。爆風と共に踏み込んだ彼は、巨大な炎の球体に向かって、生成した魔剣を思い切り振りかぶる。
「『人智一閃』!」
銀色の閃光が夜の帳を切り裂いた。
直撃すれば森ごと消し飛ばしかねないアリスの「太陽」は、剣一が生成した魔剣の一振りの前に、脆くも両断される。爆圧が逆流し、巨大な炎の塊は眩い光の粒子となって夜空に霧散した。
静寂が戻る。剣一の体からは青白い魔力の残滓が立ち上り、拡張された魔力回路を鎮めるように荒い呼吸が漏れる。
「……ぐっ。剣一の背中はどんだけ遠いんだ……」
アリスはへたり込み、地面に拳をぶつけた。
全力。あの日以来、積み重ねてきた全てをぶつけたはずだった。それすらも真正面から叩き斬られた事実に、彼女の肩が小さく落胆に揺れる。
だが、剣一は魔剣を消滅させると、震える手で膝をつき、絞り出すような声で言った。
「……俺に本気を出させたのはアリス、お前だけだよ。……正直、俺の魔力も、もうほとんど残っていない」
剣一にとっては、アリスの成長を認め、戦友として最大限の敬意を払った真実の言葉だった。しかし、今の言葉が、アリスの耳には「特殊な翻訳」を介して届いてしまう。
「……っ!?」
『アリス、お前だけだよ』
そのフレーズだけがアリスの脳内で爆音のリフレインを起こした。
(お、お前だけ……? 特別……? あたしだけを見てるってこと……!?)
剣一が「魔力が限界だ」とヘトヘトになっている後半の重要な報告は、もはや彼女の鼓膜を通り過ぎていた。
ついさっきまで絶望的な実力差にしょんぼりしていたのが嘘のように、アリスの顔面が急速に熱を持ち始める。
「へ、へへ……へへへっ。そ、そうなんだぁ……あたしだけ、なんだぁ……」
俯いたまま、赤面した顔でニヤニヤと締まりのない笑みが止まらないアリス。
「……おい、アリス? 大丈夫か? なにか――」
「だ、大丈夫に決まってるじゃんっ! むしろ最こ……っ! もーっ、剣一のバカ!!」
急に立ち上がって叫ぶと、アリスは顔を隠しながら猛スピードでキャンプ地の方へと走り去っていった。一人残された剣一は、立ちくらみを覚えながら困惑して首を傾げる。
「……なぜ怒っているんだ……?」
夜の静寂の中、剣一の小さな疑問だけが森に溶けていった。




