第3話 影の原理
エンデ領の森は、静かに朝を迎えていた。
葉が揺れる音も、鳥の声も、どこか遠くで響く。
クロードは納屋に座り、黒い本を見下ろした。
クラリオッソは、今日も無言だった。
だが、無言であることすら、微妙に圧迫感がある。
クロードはゆっくりと息を吐いた。
「クラリオッソ」
留め具を外す。
本は開かれ、ページがわずかに揺れる。
『何だ』
「……俺、少し考えてたんだ」
『……どうした。長い沈黙だな』
「秘密結社ってさ」
口に出して言うと、なんだか自分でもふざけている気がした。
「ただの遊びじゃなくて、形として、意味として存在するものにしたい」
クラリオッソは、ゆっくりとページをめくる。
『形……意味……ふむ』
「影で動く組織。誰にも知られず、でも何かを変える力を持つもの」
「力のために暴れるんじゃなくて、名を求めず、自己満足じゃなく、でも存在する」
黒い表紙に手を置き、クロードは小さく笑った。
「俺は、英雄になりたくないんだ。
でも、影の中で、物事を動かせる存在になりたい」
『……抽象的だな』
「うん。抽象的でいい」
「秘密結社は、形と理念が先にあって、中身は後から付いてくる」
「誰かを支配したいわけでも、世界を変えたいわけでもない。
ただ、正しいと思ったことは、影で守る」
クラリオッソは、低く声を落とす。
『理屈としては成立しているが、貴様の遊びか、それとも理念か、判断がつかぬ』
「理念だと思う」
「理念は形に現れるから、まず形を作る」
「そして形ができれば、人は集まる。理念が集まる」
短い沈黙。
『ふむ……貴様の言葉では、影が価値になるということか』
「そう」
「光に立つものは名を得る。
でも、名を求めず、影で動く者こそ、自由だ」
クラリオッソがページをめくる音が、納屋の静寂に響く。
『……おもしろい』
「でしょ」
「まだ始まったばかりだ」
「この結社――薔薇十字団は、これからだ」
納屋の窓から差し込む朝光が、白い粉で描かれた円を淡く照らす。
クロードは立ち上がり、深呼吸した。
「さて……次は、形を整える番だな」
『……ふむ。形から入る、か』
クラリオッソの声には、わずかに興味が混じった。
静かに、しかし確かに、秘密結社の理念がここに刻まれた瞬間だった。




