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第5章 王太子妃と侍医


 ミモザリは決して周りの人間から見捨てられていた、という訳じゃなかった。

 お付きのメイドや庭師、御者はいつも優しく言葉をかけて励ましてくれていた。

 母方の伯父からは困ったことがあったら何でも言っておくれと言われていた。

 校医のグレンデール先生も、顔色の悪さを心配されていた。そして、いつでも相談に乗るよと声がけをされていたのだ。

 それに対して何のモーションも起こさなかったのは自分自身だった。


 結婚してからのあの辛い毎日をなんとか過ごせていたのも、週に一回のグレンデール医師の定期検診があったからだろう。

 そう。王宮の侍医はグレンデール先生だった。半年前までは先生の師匠が侍医だったのだが、腰を痛めて外出が無理になったために、一番若いが弟子の中で最も優秀な彼が召喚されたのだ。

 因みにグレンデール医師は伯爵家の三男だった。


 ミモザリの記憶を戻った時、グレンデールはそのことにすぐに気が付いた。

 その上で彼もまた、そのことをまだ暫く伏せておいた方がいいね、また馬車馬のように働かされてしまうからねと言った。

 すると彼女はなんとこう答えたのだ。


「先生、私、この七か月、いつ死んでもおかしくない状態だったんです。

 ずっと椅子に座りっぱなしだったんですよ。

 朝早くから深夜まで執務室で机の前で。そこを離れるのはご不浄と入浴の時だけ。食事でさえ、執務机で摂らされていたくらいですから。

 しかもご不浄へ行く回数が多いと、水分補給まで減らされてたので、血がドロドロになっていたと思うのです。

 しかも長時間座ったままだったので血流が滞って、血栓ができやすくなっていたはずですから、いつその血の塊が心臓の血管を詰まらせていてもおかしくなかったんです。

 私、これまでずっと辛い人生でした。このまま良い思い出が何一つないまま早死にするなんて絶対に嫌なんです。

 ですから、私はこのまま記憶をなくしたおかしな女として生きて行こうと思っているんです。

 先生、どうか私の記憶が戻ったことはずっと秘密にしておいて下さい。お願いです」


 グレンデールは目を見張った。ミモザリが死にかけたと主張したことにも驚いたが、なぜ死に至ると考えたのか、その説明にも驚いた。

 最近読んだ、東方の島国の最新医療の論文に記されていた内容と酷似していたからだった。

 いくら成績が優秀だったとはいえ、どこでどうやってその知識を得たのか。

 しかし、それよりも衝撃的だったのは、これまでの彼女の人生は辛く苦しいだけで、良いことが何もなかったと言ったことだった。

 校医として彼女のことを気にかけながら、彼女のために何もしてやれなかったという事実を突き付けられて、胸が苦しくなったのだ。


「すまなかった。君の辛さを分かってやれず、何の手助けもできなかった」


 その言葉に今度はミモザリの方が目を見張った。

 

「先生が謝る必要なんて全くないですわ。むしろ感謝しているんですよ。体だけではなく私の心まで気にかけて下さったのは先生だけなんですから。

 それに、私が今生きていられるのは先生のおかげなんです。感謝しかありません」


「いや、私は治療という治療は何もしていないんだが」


「ええと、立ちくらみで倒れた時のことではありませんわ。これまでエコノミー症候群、いえ、胸や脳の病気で死なずに済んだのは、私が貧乏ゆすりをしていたからだと思うのです。

 貧乏ゆすりで、第二の心臓と呼ばれるふくらはぎを刺激したことで、足の血流がよくなり、血栓ができずに済んだのだと思うのです」


「・・・・・・」


「貧乏ゆすりなんて、決して貴族がやってはいけないことですよね。特に令嬢ならば、躾がなっていないと鞭で打たれるレベルの行いですわ。

 ですが先生は、貧乏ゆすりをすることが私の唯一のストレス解消法だと分かっていらしたからこそ、見逃してくださっていたのでしょう?」

 

 後半は事実だったが、前半の話は寝耳に水だった。


(ふくらはぎって第二の心臓なのか? 知らなかった。

 心臓や脳の持病もないにそれで亡くなる人は結構いて、それを疑問に感じていたのだが、それって血液の中に血栓ができたせいだったのか?)

 

 グレンデールは再び喫驚した。一体どこでそんな知識を得たんだ!と。

 当然ミモザリの知識は、転生前のモナミのものだった。

 なんとモナミの育ての親である祖母は、健康マニアだった。何せその日の食べ物にも窮する状況だったので、病気に罹るわけにはいかなかったからだ。

 そのためにテレビのワイドショーや報道番組の健康特集をいつもチェックして、お金のかからない方法があれば必ずそれを実行していたのだ。

 しかも医学は日進月歩。それを祖母は絶えずアップデートするつわ者で、孫二人ともその情報を共有していた。それ故にモナミも健康オタクだったのだ。

 毎朝尿や便の色をチェックしろと言われていたから、古今東西のトイレ事情などというマニアックなものに興味を持ったのかもしれない、と彼女は思っていた。

 どうせなら医学関係に進めれば良かったのだろうが、理数系に進むには学費が掛かるので諦めたのだ。


 

 色々と聞きたいことはあったが、今そんな場合ではないとグレンデールは思った。

 そんなことよりも、これからどうすればミモザリが幸せになれるのか、それを考えようと。


「もちろん王宮にいる人間には秘密にするつもりだよ。君の家族にもね。

 でも、ヴァードウォール公爵家には君がこれまでマートリス侯爵家でどんな仕打ちを受けてきたか、きちんと報告しておいた方がいいと思うよ。

 もちろん王太子殿下及び王家からどんな扱いを受けてきたかも。

 君の伯父上や従兄弟達はずっと君を心配していたのだからね。

 私は次期ヴァードウォール公爵と学園時代からの友人で、貴女の話はよく聞かされていたんだよ。

 母親(叔母)が亡くなってから従妹と会わせてもらえなくなって、とても心配なんだってね。

 彼と彼の妹達は貴女とは年が離れていたために、学園でも一緒にならなかったせいで接点が持てなかった。

 だから校医になった私に、貴女を気に掛けて欲しいと依頼してきたのですよ」


 グレンデールが従兄と友人だと知って、ミモザリは驚くと共にこう思った。


(この世界には自分を愛し、心配してくれる人なんて誰もいないと勝手に思い込んでいたわ。

 正直に先生に相談していたら、もっと早くあの家から逃げ出すことができたかも知れない。本当に馬鹿だったわ。自分から幸せを手放していたなんて)


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