第3章 王太子妃の奇行
その後、モナミ達にはこれまでの養育費を両方から一括で支払われ、その後も十八歳になるまで毎月養育費を受け取ることができた。
そのおかげで弟は人並みの高校生活を送った後、目標の大学に進学することができた。
もちろん、彼女も大学に入ることができ、アルバイトをしながらではあったが、初めて楽しい学生生活を送ることができた。
そしてそこそこ大きな企業に就職できたので、ようやく祖母にまともな暮らしをさせることができるようになったのだ。
そんなモナミの唯一の趣味が各地の民俗資料館や遺跡を巡って、昔の人々の生活を知ることだった。
特に台所やご不浄の様式には興味を持った。
やがてそれはヨーロッパ、特にヨーロッパの生活様式にまで広かった。それは映画やアニメ、漫画の影響だったのかもしれない。
そう。かつてのモナミは、古今東西のトイレ事情というマニアックなものに興味があったのだ。
とはいえ、海外旅行なんて夢のまた夢であった。
だから、目が覚めたときに金髪碧眼のイケメンが目の前にいて、見上がれば天蓋付きのベッドという情景に、思いが強過ぎて夢を見ているのかと思った。
しかしその後の周りの人間とのやり取りで、自分はどうやら転生して別の世界にいるらしい……という考えに至った。
貧乏暇無しの生活を送っていた彼女はゲームをしたことがなかった。しかし、無料のネット小説はたまに読んでいたので、異世界の話は知っていたのだ。
ここがいつ頃の時代設定で、どういう国なのかはわからなかったが、どうやら王政を敷いている国だということはすぐに分かった。
そして自分はなんと王太子妃らしい、と彼女は悟った。
何せ目が覚めて始めて用意された飲食物が水じゃなくて、これまで食べたことのないような、贅沢な食事だったからだ。
たしかに食べてみたいとミモザリは正直思った。ずっと貧困生活をしていたから。
しかし、どう考えても胃が受け入れるとは思えなかった。吐き出したら余計に体力を消耗しそうだった。
王太子妃になったくらいだから、この世界の自分はおそらくある程度高位な貴族令嬢だったのだろう。そうミモザリは推理した。
しかし夫には愛されず、夫のその側近、そして侍女達からも見下され、蔑ろにされているのが伺えた。
なぜ私はこんな扱いを受けているのかしら? ミモザリは疑問に思った。
最下層から自力ではい上がった前世の記憶がある今のミモザリ。彼女が、そんな不条理な状況をただ受け入れるなんてことは絶対にあり得なかった。
(まずは情報収集と、体力回復ね。
私にはこの国の常識なんてわからない。でも記憶喪失なのだから、どんな奇抜なことしてもかまわないわよね?
好きにやらせてもらうわ。知らない人達にどう思われたって平気だしね。
あとはダイエットかしら)
五日も何も口にしていなかったらしいのに、ふくよかな自分の体を見下ろしながらミモザリはそう思った。
そして、ふらつきながらも一人で着替えをした後で
「ボーッとしていないで肩を貸しなさい。本当に気が利かないわね」
ミモザリがそう命じると、リルカは青い顔をしてギクシャクしながら濃紺の女官姿の主の側へ赴いたのだった。
目覚めてから一月ほど経つと、ミモザリの体調はかなり回復していた。彼女は毎日メイドや女官のお仕着せ姿で、王宮の中を大きく腕を振りながら闊歩するようになった。
もちろん、五日ほどで気が利かない侍女のリルカの肩を借りる必要もなくなったので、一人で行動していた。
宮殿の中の長い廊下や階段は最高のウォーキングコースだった。隅々まで全部歩き回ると、二時間半から三時間ほどかかるのだから。
おそらく一万歩位になるのではないかとミモザリは思った。
(やっぱり体力をつけるにはストレッチ、筋トレ、そしてウォーキングよね)
自室でストレッチ、踵上げ、腿上げ、スクワット、レンジ、腹筋、腕立て伏せ等々をしてから、王宮の廊下を早足で歩いた。
王宮ウォーキングは運動目的だったが、様々な情報を入手することができたので、記憶を失っていたミモザリにとってはかなり有意義なものとなった。
女官の制服のときは、朝礼や終礼に交じって役人達の連絡事項やその日の報告を聞き、メイド服のときは洗濯場や食堂で一緒に働きながら、世間話に耳を傾けた。
その結果、彼女はこの国の内情や王宮における自分の立場、現状を知ることができたのだ。
最初に感じたように、自分と夫である王太子はやっぱり仮面夫婦だったのね、と改めてミモザリ思った。
まあ、目を覚ましてからの彼の言動を鑑みれば一目瞭然だったけれど。
彼女は単に侯爵令嬢というだけではなく、亡くなった母親が筆頭公爵家の出だったらしい。
王家は両家に王太子の後ろ盾になってもらいたいがために、無理やりに結んだ縁だったようだ。彼女の有能さも必要としていたみたいだったが。
しかし肝心の王太子がその婚姻の意義を理解していないのだから、意味がなかったのではないかしら。
つまり、ミモザリにとっては全く不毛な婚姻だった。ただひたすら王太子や王妃の分まで執務をさせられていたのだから。
朝早くから夜遅くまで椅子に座らされて、デスクワークを半年以上もさせられていたことを知って、倒れても当然だったと彼女は思った。そして、怒りと共によくエコノミー症候群にならずに済んだものだと、ブルッと身震いした。
(体を動かすこともできず、長時間働かせられた上に、あんな脂っこい食事をしていたら、肥満まっしぐら。いや、成人病予備軍になっていたわ)
しかも、水分を摂ると用足しをする回数が増えて執務する時間が減ってしまうからと、お茶を飲む回数まで減らされていたのだ。猛暑の日も何十日もあったのに。
そのことを思い出し、ミモザリは怒りで頭の血管が切れるかと思った。そして
「熱中症になったらどうするつもりだったのよ! 人殺し!」
と叫んで執務用の椅子を思い切り蹴り飛ばした。王太子妃用とはとても思えない安っぽい椅子は、勢いよく扉にぶつかり、物凄い音とともに変形して跳ね返った。
「あっ、あっ、あっ……」
突然怒り狂って奇行に走った王太子妃を目の当たりにして、侍女リルカは恐怖のあまり声も上げられなかった。
それ故に「どうされましたか」という近衛騎士に対して王太子妃が自ら扉から顔を出し、「何でもないわ」と応答して追い払った。
「あのとき倒れて良かったわ」
ミモザリは心からそう思った。
もし倒れずにあのまま無理をし続けていたら、そのうち自分はエコノミー症候群を引き起こして死んでいたかもしれない。
しかも今好き勝手に行動できているのは、倒れて記憶喪失になったおかげなのだから。
ちなみに、彼女のこの世界の記憶は半月ほどで戻っていた。
しかし、もちろんそれを報告するつもりなんてさらさらなかった。
なにせ目を覚ました三日後には王太子から
「ベッドから出られるようになったのなら仕事をしろ」
と言われたのだから。
また馬車馬のごとく働かされることが分かっていて、馬鹿正直に記憶が戻ったことなどいうものか。
ただし、ミモザリが最初に仕事を拒否した理由は、単純に記憶が戻っていなかったからだ。
この国のことなんて何も知らないのに書類だけを読んで、その問題点を指摘し、解決策を検討するなんてことができるわけがない。馬鹿なのだろうか、と彼女は思った。
それにしても、記憶を失ったような人間に頼らなければ王族の仕事がこなせないなんて、この国の王家は本当に大丈夫なのかしら?とミモザリは呆れた。
しかも王族を支える役目の王城の高官や王宮勤めの官吏、そして王太子の側近達は一体何をやっているのかと疑問に思ったのだった。




