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第12章 王太子の初恋


 ヴァロットンにとってミモザリは初恋の女性だった。そう聞かされたグレンデールは複雑な気持ちになった。

 今さら何を言っているんだと最初は腹を立てたのだが、話を聞いて何とも言えない切ない気持ちになった。

 だからといって、その話をミモザリにするつもりは全くなかったが。




 幼い頃、ヴァロットンは青くて小さな花が咲く可憐な雑草が好きだったという。しかし母親である王妃から


「そんな名も無い雑草などを眺めていてはいけません。薔薇とか蘭、百合など豪華で見栄えの良い花を愛でなさい」


 と言われ、王妃から命じられていた庭師によってその雑草を抜かれそうになったらしい。

 そのとき、それを止めてくれた幼いご令嬢がいたという。


「それはブルースッテラという名前のお花なんです。どうか抜かないでください」


「これ、雑草じゃないのですか? たしかに可愛い花ですね。教えてくださってありがとうございます」


 庭師はそう礼を言って行ってしまった。

 ヴァロットンはその少女に近付いて礼を言った。


「この花を守ってくれてありがとう。ぼく、その花が大好きなんだ。

 だけど、名前を知らなかったから雑草だと思って止めてって言えなかった」


 すると、少女はにっこり笑ってこう言った。


「私も大好きです。青くて小さなお花がお星様みたいで可愛いいでしょ。だからブルースッテラ(青い星屑)って名付けたの」

 

「君が名前を付けたの?」


「ええ。名前が付いていればもう雑草じゃなくなって、抜かれなくてすむかもって咄嗟に思ったから」


 誰か一人でも愛しいと思いって名前を付けば、それはもうただの雑草ではなくなる。それに気付いたヴァロットンは瞠目した。

 物の価値は人から決められるものではなく、自分で決めるのだと。

 彼女は愛おしそうにそのブルースッテラ(青い星屑)を眺める少女に恋をした。

 しかし彼女に名前を訊ねる前に、王妃に呼ばれてしまったのだった。

 その少女がミモザリだったのだ。


 それから数年後、彼はミモザリと婚約したのだが、以前とは違って小太りになっていた彼女を初恋の相手だとは気付かなかった。

 それどころか、彼女の妹を初恋の相手だと思い込んでのめり込んでしまったのだ。

 そう。アイリスはヴァロットンの初恋の相手と同じミルクティーのような髪色と、赤ワインのような赤紫の瞳をしていたからだ。


 アイリスは、義理の姉であるミモザリに男爵令嬢の娘なんて妹とは認められないと言われ、冷たく扱われ、虐められていると王太子の前で泣いた。

 そして殿下の前では少しでも美しくいたいのに、義姉のお下がりばかり着せられている。みっともなくてごめんなさいと悲しそうに呟いた。


 ヴァロットンはその話を聞いて腹を立て、ミモザリに嫌悪感を抱いた。なんて冷酷で性悪な令嬢なのだろうと。

 元公爵令嬢を母に持つ侯爵令嬢だからといって、その身分をひけらかして下位の者達を見下すだなんて最低だと。

 己の婚約者のことを、身分だけは高いが無能で役の立たない自分の側近達と同じだな、と思い込んでしまった。


 だから彼は、婚約者であるミモザリに当てられていた予算でドレスを仕立てて、それをアイリスへ贈っていたのだ。様々な宝石と共に。

 アイリスは決して自分から物は強請らなかった。だからこそ王太子は、彼女に貢がされているということに気付かなかった。


 しかし、ミモザリと結婚後、王城の開かずの間で逢瀬を重ねているうちに、彼女がブルースッテラ(青い星屑)を覚えていないことに気付いた。それから、彼女に対して少しずつ違和感を覚えるようになっていったのだ。


 そして、ミモザリが倒れて暫く経ったころのことだった。

 ヴァロットンは偶然、アイリスが裏庭でブルースッテラ(青い星屑)の花を平然と踏み潰して歩いている姿を目にしたのだ。

 そしてようやく彼は悟ったのだ。彼女は自分の初恋の少女ではなかったのだと。


 冷静に彼女を観察してみると、彼女の媚びた笑顔やわざとらしい泣き真似に気付いた。

 しかも、彼が贈り物をしなくなった途端にドレスやら装飾品を強請り始めたのだ。


「義姉様がヴァードウォール公爵家に何か余計なことを告げ口したらしくて、支援金が頂けなくなってしまいました。

 そのせいでマートリス侯爵家は今とても困っているのです。ですからどうか助けてください」


 と。

 そう言われたヴァロットンは初めてマートリス侯爵家の内情を調べさせ、そして真実を知ったのだ。

 アイリスはミモザリに虐められてなどいなかった。むしろ正統な侯爵家の娘である義姉を蔑ろにし、母親と一緒に虐待し続けてきたのだ。

 そしてミモザリは王妃の言っていたとおり、かなり優秀な女性だった。それは彼女が記憶喪失になった後ですぐ気付いてはいたのだが。

 彼女に命じていた執務を実際に自分で着手してみたら、とても一人ではこなしきれなかったのだから。


 あんな無茶をさせたのだ。彼女が倒れても当然だった。

 しかも、そんな疲労困憊だった彼女を無理やりに起こして、すぐにまた同じように仕事を強制しようとしてしまった。

 自分こそが冷酷で残忍な人間だった。


 ヴァロットンはアイリスと決別し、改心して王太子としての執務に励むようになった。

 そして頑張れば頑張るほど、ミモザリに対する申し訳なさが増していった。

 これほどの仕事をたった一人で寝る間もなく働かせていた間、一体自分は何をしていたのか。

 何も見ず、何も聞かず、何も考えず、ただ快楽に溺れていたのか……


 王妃が選んだ側近は全く使いものにならなかった。それをずっと腹立たしく思っていたのに、それを自ら解決しようとはしなかった。

 一歩……。そうだ。自分の力で一歩でも踏み出してさえいれば、少しは状況を変えることができたはずなのに。自分はそれだけの立場にいたのだから。


 ようやく自分を省みることができたヴァロットンは、身分に拘らず真に有能そうな人物を学園時代の恩師に教えてもらい、侍従としてスカウトした。

 いずれ名前だけの側近を追い払ってそれなりの役職を与える。そんな確約書まで作って。

 そうしてそれから四か月ほど経って少しばかり余裕ができたころ、ヴァロットンはようやく妻であるミモザリに目を向けるようになった。逃げることを止めたのだ。

 そして彼は仰天した。


 ミモザリはメイドや女官のお仕着せ姿で、王宮内を大きく腕を振って闊歩していたからだった。

 いや、報告は受けていたのだが、実際に目にするとかなり迫力があった。

 元侯爵令嬢で現王太子妃とはとても思えないほど歩幅が広く、かなりのスピードで動き回っていたからだ。

 騎士の派手な儀式用の行進というよりも、まるで体力強化訓練をしているかのような感じを受けた。

 学園時代の暗くて物静かだった姿とは雲泥の差があった。

 記憶を失うとこんなにも人格が変わってしまうものなのか!と驚くと共に、今頃になって彼は気付いたのだ。


 ミモザリもまた、アイリス同様に父親の髪と瞳の色を引き継いでいたことに。

 つまり、彼女もまた自分の初恋の相手と同じミルクティーのような髪色と、赤ワインのような赤紫の瞳色をしていたのだ。

 目で追っているうちに、近頃のミモザリは結婚当初とは風貌が違っていると感じた。腕や首元が以前と比べて大分スッキリしたような気がした。

 しかも体に反比例して骨ばっていた顔が、少しふっくらして、とても愛らしくなったと思った。

 もしかして、ミモザリがあの少女だったのか? 

 そのとき、ようやくその可能性に気付いたヴァロットンだった。


 それからというもの、ヴァロットンはミモザリから目が離せなくなった。

 すると、彼女がただ王宮内を闊歩しているだけではないのだということに気付いたのだ。

 実際にメイドや侍女の仕事をしながら、周りの人間から情報を得て、それを上の者に伝えたり、改善点を指摘したりしていることを知った。


 ところが王城では、記憶喪失になってからというもの、王太子妃が公務もせず奇行に走っているという噂が広まり始めていた。

 このままではミモザリを廃しようという声が上がってくるかもしれない。これはまずいとヴァロットンは焦った。

 記憶を失っていても彼女は優秀だ。彼女以外に王太子妃として相応しい女性はいない。彼女に謝罪してやり直そうと思った。


 婚約時代からずっと、彼女に対してずいぶん酷い仕打ちをしてしまったという自覚はあった。

 しかし、彼女は倒れる以前の記憶をなくしている。だから誠心誠意謝罪すれば許してくれるのではないか。

 そのような思いが募ったヴァロットンは、結婚一周記念の日にミモザリに心からの謝罪をし、夫婦としてやり直したいと告げたのだった。


 ところがヴァロットンはミモザリにはっきりとやり直しを拒否されてしまった。

 たとえ過去の記憶がなくなっていたとはいえ、彼女にはこれまでされてきた彼からの仕打ちは全て日記に残されていたからだ。

 そして、目覚めたときの彼の言動が彼女の脳裏には鮮明に記憶されていたのだ。

 その上、浮気現場をしっかりと映像に残されていたのだから。



次章が最終章となります。

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