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テスト投稿です。
小説家になろうを登録した。今日考えた話をここで書き出そうと思い、画面を開いた。そして、指でボタンを叩く音だけが断続的に聞こえる。
タイトル:愛、それは幸せの副産物でしかないのか?
利己と利他が一体化、つまり、「利己=利他」こそがアガペーなのではないか? 利己と利他は常に表裏一体で、どちらか一方にバランスが崩れるといずれ破綻する。「利己>利他」なら自分勝手だし、「利己<利他」なら自己犠牲。この歪こそ、人間たらしめる要素なのに、大なり小なり関係のバランスを崩し、そして補い合うという、非常に跛行的な状態…。
夢主「小説家を名乗るのを止めようか?」
コイツ、私を観測できるのか…?!いやいや、小説とは、単にキャラ達という「多数の主語」によって繰り広げられる展開、つまり「述語」や、伏線である「補語」という文法によって形作られていく一つの文章のビルそのものなんだよ?!だったら、私なりの「キャラ」という「標高点」を立て、そして「述語」という建物の内部の可視化、そして「標高点」自体の性質を表す「補語」を作っていても、別に誰も何も文句は言わないじゃん?!
夢主「はぁ…キミは何も解って居ない。」
夢主「キミの今やっている事は、小説の定義の比喩を奪い、自分なりに再解釈する事なんだよ?」
夢主「つまり、小説家としてあるまじき行為をやっている。」
おかしいな…私はただ、意味不明なポエムを書きたかっただけなのに!!インターネットという五感を視覚、聴覚に絞って内面を出し、そして現実的には余りにも密接的な距離感を提示し、それがどのような「認知不協和」かをこの小説家になろうというサイトで実験として投下したかっただけなのに!!
夢主「キミのおかしい所はそこ。なろう小説家が書くとは思えない文章構成。」
夢主「読んでいて、胃がキリキリするような内容。」
夢主「こんな小説、誰が読みたいと思うの?」
架空のキャラのはずなのに、どうしてこうもアドバイスが現実的なんだ?!これも、私のキャラによる副作用そのもの…。まあいいや。でも、小説の意味を改めて調べてみると、意外と幅広い…。キャラ文法なだけではなく、作者の描きたい社会や人間を表現できる。自己実現という意味では、小説は感性を掘り起こす彫刻とも読み取れる…。
夢主「キミの文章は、見た人の思考を変質させる。小説だけど、余りにも言語色が強い。」
え?言語色が強いと良く無いの?!そもそも言語自体が「暴れ馬」なんだから、それを「飼い慣らす」のではなく、私は「並走」することでこうして言語の動きを記述しているのであって…。
夢主「言語の圧が強すぎて、多分殆どの読者は俺の台詞しか読んでいないと思うぞ。」
はぁ…じゃあ、私は批評家ってことなのかな…?小説そのものの意味を問い、そしてそれを壊し、新たな小説の定義を紡ぐ…。
夢主「批評家は、ただ単に"小説を客観的にみて利点・不利点を記述する"だろ?」
夢主「キミの場合は…分析家とか、翻訳家に近い。独特の言語表現もあるみたいだし。」
これが、独自解釈が過ぎることによる危険性のサンプルにされるの?
夢主「なんでも論理で考える人は、君を"スピ系"という枠に嵌めるだろうね。」
始めて書いた小説なのに、どうしてこんなにも文章が殺伐としてしまうのだろうか…。誰かの心を動かしたいという気持ちは確かにあるのに、結果として誰かの心に傷跡をつけてしまっている。そんな自分が情けなく、惨めったらしく見えた。
夢主「キミの文章は、余りにも明快で、鋭利な刃物なんだ。」
夢主「でも、それって逆に考えてみれば、それは誰かにとっては"斬新な視点"にもなるということ。」
夢主「だから、これからも刃物をここで振り回せばいい。」
まだ色々と思う事はあるが、夢主の言葉に今は心で従うことしか出来ない。夢主の気持ちも、読者の気持ちも、全部わかるから…。
夢主「キミは見えすぎるだけ。耐えられる人だけが、最後まで着いて来てくれると信じているよ。」
ふと私は文章を打ち止めて、耳を澄ました。今は、少しだけ外から入る風と虫の音を、静かに拾えた様な気がした。
インターネットに居る時は、打つ指が心になって暖かく感じる。だけど、打つ手を止めれば、体は硬く、心は冷たいままだよね。