私の婚約者と親友がくっつき、互いの婚約者を取り替えるよう勧めます。「披露宴は、僕の名前を差し替えるだけ。ただ君の横にいるオトコが変わるだけさ」と。別に良いですけど。新たな彼氏の方が良いオトコなんで。
◆1
私、ロマーナ・ベルト子爵令嬢は、婚約相手のお屋敷に招かれ、中庭のテラスで、お茶を嗜んでいた。
婚約者アレク・ランドール伯爵令息は、碧色の瞳を左右させながら、妙にソワソワしている。
「何か言いたいことでも?」
私は、青い瞳で窺い見るような姿勢で問う。
「わかる?」
「そりゃあ、十年も婚約者をしてればね」
私は数えで九歳の頃から、アレク・ランドール伯爵令息と婚約をしていた。
あと一ヶ月もすれば、結婚式という、まさに結婚まで秒読み段階に入ったカップルだった。
アレクは、金髪で碧色の瞳をした美男子で、普段から必要以上に胸を張って堂々としている。
婚約者の私を相手にしているときは、特にそうだ。
偉丈夫に見られたいらしい。
だから、私もそんな彼の意向に合わせて、一歩退いた女らしい(?)態度で接していた。
ところが、今日は様子が違う。
アレクは身を屈めて、両手を合わせる。
「ごめん。
今日は重要な提案があるんだ、聞いてくれ。
君との婚約を破棄したいんだ」
「はい?」
いきなりの提案に、私は目を丸くする。
「あと一ヶ月もすれば挙式ですよ?
もうすでに多数のお客様に、招待状も送ってしまった後です。
それなのに……。
何か、私に至らぬ点でもーー」
と、恐る恐る口にすると、アレクは大きく首を横に振った。
「いや、君に特に落ち度があった、というわけではない。
ただ、僕はスナッチ・イングル子爵令嬢と婚約し直したいんだ」
(なに、それ?)
私は青い瞳を見開いたまま、口をあんぐりと開ける。
突然の申し出に、頭が追いつかない。
スナッチ子爵令嬢とは、幼馴染だ。
お互いに性格があまりにも違っているから、かえって距離が取れて、うまく付き合えてこられた、そう思っていた。
実際、彼女の方が私のことを「親友」と呼ぶ。
でも、この「親友」は、私から婚約者を奪うオンナでもあったらしい。
固まっているうちに、ランドール伯爵家の侍女が来客を告げる。
今、話題にのぼったスナッチ・イングル子爵令嬢が姿を現したのだ。
「悪いわね。
でも、関係をハッキリさせた方が良いと思って」
スナッチ子爵令嬢は、緑色のドレスを身にまとい、ピンクの髪をなびかせる。
赤い瞳をクルクルとさせつつ、明るく笑う。
即座に立ち上がった、私の婚約者アレクの胸元に飛び込む。
アレクには、彼女がこの屋敷に来訪してくることは、あらかじめわかっていたらしい。
二人で示し合わせていたようだ。
スナッチ子爵令嬢は、横紙破りをしておいて、堂々としたものだ。
私は目を細くして、問いかける。
「でも、スナッチ様。
たしか、貴女にも婚約者がいるじゃない?」
ファインド・シェルター男爵令息ーー柔らかな灰色の髪を豊かに蓄え、優しい光を湛えた黒い瞳が印象的な男性だ。
金髪のアレクが情熱的な「黄金の貴公子」とするなら、ファインドはクール系の「灰色の貴公子」といったかんじで、広い額に知性を感じる。
だが、こうした理知的な風情を、桃色令嬢のスナッチは高く評価しないようで、黄金色の煌びやかさを好むようだった。
スナッチ嬢は黒い扇子を広げつつ、赤い瞳を細める。
「彼、ファインド様もとっても素敵な人で、優秀な方だと思います。
ですけど、こちらにおられるランドール伯爵家のアレク様の方が、ずっと素敵。
私は前から憧れていました。
そしたらアレク様も、私のことが好きだって言ってくれて……」
私の「親友」は、私の目の前で、私の婚約者に抱き付きながら、平気でノロケられるらしい。
スナッチ子爵令嬢は、ピンクの髪を掻き上げつつ、赤い瞳を輝かせる。
「ごめんなさい、ロマーナ。
アレク様を奪わせてもらうわ。
悪く思わないでね。
私、女の幸せを優先するから。
でも、貴女のこと、ずっと親友でいたい。
だから、私の婚約者だったシェルター男爵家のファインド様を貴女にあげるわ」
要するに、私の婚約者アレクとスナッチがくっついて、互いの婚約者を取り替えるよう勧めてきたのだ。
この、随分と身勝手な発言に、私の婚約者アレク・ランドール伯爵令息も乗っかる。
碧色の瞳に、憐憫の色を湛えつつ訴えた。
「ロマーナ、ほんとに、ごめん。
僕たち、こうなるのが運命だったんだ。
運命には逆らえないよ。
許してほしい。
そして、ぜひ、スナッチ嬢が勧めるシェルター男爵家のファインドと付き合って欲しい。
結婚直前になって君との婚約を破棄するというのは寝覚が悪いから、手近なところで、目の見える範囲で、君には幸福になってもらいたいんだ。
君がファインドと結婚するなら、披露宴の費用は僕が持つからさ。
もう式の準備は始めちゃってるだろうけど、延期する必要も、招待状を出し直したりする必要もない。
僕の方から皆さんに伝えておくから。
結婚式や披露宴で、僕の名前になってるところを、ファインド・シェルター男爵令息に差し替えるだけでいいんだ。
日付もそのままで。
ただ君の横にいるのが僕、アレクではなくて、ファインドがいるだけのことさ」
私の婚約者アレクは、いかにも気軽そうに言い進めて、いきなり、この場にいない、ファインド・シェルター男爵令息のことを持ち上げ始める。
「あいつは優秀な男だ。使い出がある」と。
ファインド男爵令息の年齢は、アレクと一緒の、二十三歳だった気がする。
「使い出がある」というような、あくまで、上から目線な発言をすることが気になる。
まあ、我が国では上下の身分差は厳格なので、実家の爵位が上の者が、下の者に対して舐め気味なのは、よく見られる現象ではある。
それでも、最低限の意思確認というものがある。
私は、半分、ふざけた調子の二人に尋ねた。
「私の同意以前に、彼、ファインド様のご意向はどうなの?
こんな土壇場での婚約者入れ替えなんて、おそらく前代未聞なんでしょうけど……」
本来、彼の婚約者であるスナッチ子爵令嬢が、ピンクの髪を振り払って破顔する。
「それは大丈夫よ。
ファインド様は喜んで同意したわ。
貴女のことが好みのタイプだったんだって」
アレク伯爵令息が、厚い胸板を叩く。
「披露宴でのスピーチは、僕に任せてくれ。
元婚約者である僕が表に出る方が、円満解決を印象付けられて都合が良いんだ。
それに、費用も僕が出すんだから、良いだろ?
こんな面白いハッピーエンドがあるんだってのを、皆に知ってもらい、お祝いしてもらいたいから」
私は口を噤んでから、しばらくして、吐息を漏らす。
「貴女たちが、そんな風だったら仕方がないわね。
それに私も、シェルター男爵家のファインド様って、ちょっと良いなって思っていたから。
ファインド様が良ければ、私、それでも良いわ。
結婚式の日取りも既に決まっているし、今更ドタキャンしたくないもの」
スナッチ嬢は、赤い瞳をクルクルさせながら快活に笑う。
「よかったわね。
これですべて丸く治ったわ。
めでたし、めでたし。
貴女の綺麗な花嫁姿を見るの、楽しみにしているわ。
うふふ」
すっかり話し終えたとみえて、彼らは私への視線を互いの顔に移して、ジッと見詰め合う。
二人は金髪とピンクの髪が入り混じるほどの距離で、互いに頬や身体をベタベタ触りあい、私の目の前でイチャつき始めた。
相変わらずの無軌道ぶりだ。
いや、スナッチ嬢がこういった女性であることは、知ってはいたが、アレク伯爵令息までがこのノリに同調するとは思わなかった。
恋は盲目とでも言おうか。
それにしても、彼らがここまで親密な仲になっていたとは。
恋もしてないのに、どうして私が盲目になってるんだか……。
ここのところ、結婚式の準備に忙しく、相手の心理状態に気が回らなかった。
アレクはもともと「結婚式自体に気乗りしない」と言っていたのに、「スナッチ嬢と婚約し直す」となれば、ここまで儀式の段取りを進めようと提案してくるとは。
正直、男性の心変わりに驚かされるばかりだ。
私、ロマーナは、深呼吸とともに瞑目する。
(だけど問題は、彼らの提案する、身勝手な〈婚約者の取り替え〉などという行為が通るかどうか、ね。
色んな方面で確認しなきゃ)
私、ロマーナ子爵令嬢は、銀髪を後ろ髪で結い、青い瞳を輝かせた。
◆2
私、ロマーナ・ベルト子爵令嬢は、まずファインド・シェルター男爵令息のお屋敷を訪問した。
シェルター男爵邸は、青い三角屋根を戴いた、小さなお屋敷だ。
シェルター男爵家の現当主ハイド男爵は、社交界に顔を出そうとしない。
舞踏会に顔を出すこともなく、最近、息子のファインドがスナッチ子爵令嬢と婚約したために、仕方なく舞踏会に顔を出し、ダンスを踊るようになった。
が、どの派閥にも属していないだけあって、金の巡りが良くないのだろう。
屋敷がこぢんまりとしているのも、当然に思われた。
私が老侍女に導かれて応接室に入ると、すぐさま声をかけられた。
「ようこそ、ロマーナ嬢。お久しぶりです」
背が高く、灰色髪が豊かな、黒い瞳の青年が立っていた。
ファインド・シェルター男爵令息である。
服装は令嬢を迎えるのに相応しい、黒地に銀刺繍が施されたシックなものだった。
彼は照れたように、頭を掻いていた。
私は彼に勧められるままに椅子の上に座り、銀髪を整え、青い瞳で真っ直ぐ見詰める。
そして、単刀直入に、用件を切り出した。
「ええ、久しぶりね、ファインド様。
本日、お宅にお伺い致しましたのは、他でもありません。
私、突然、婚約者のアレク・ランドール伯爵令息に言われてしまったんですよ。
『貴女との婚約をスナッチ・イングル子爵令嬢に変更したい』と。
言うまでもなく、スナッチ嬢は、貴方の婚約者ですよね?
今回の〈婚約者の取り替え〉の提案、ご存知でしたか?」
ファインドは、灰色の眉を少しだけ寄せる。
「ええ。
僕もいきなり、その婚約者、スナッチ子爵令嬢から切り出されましたよ……」
彼によれば、スナッチ・イングル子爵令嬢は、赤い瞳を爛々と輝かせ、腰に手を当て、次のように語ったという。
「ファインド様。
突然ですけど、私との婚約、解消してくださらない?
貴方は私からロマーナ・ベルト子爵令嬢へと、婚約者を乗り換えるの。
どう? 素敵でしょ?
貴方が彼女をお気に入りなのは、見ていて察せられたわ。
気を利かせてあげたんだから、感謝してよね」と。
語り終えたファインドは、黒い瞳を閉じた。
私の方も、青い瞳を伏せ、額に手を当て、吐息を漏らす。
「ほんと、突然の出来事ですよね。
アレクとスナッチが二人して声を揃えて言うのですよ。
『貴女は、シェルター男爵家のファインドに婚約者を乗り換えろ』と。
でも、ファインド様。
肝心の貴方ご自身の意向は、どうなのかと思って」
正面に座る男は両目を見開き、頬をほんのり赤くする。
「正直、僕は嬉しかった。
どうも、スナッチ子爵令嬢とは合わない気がしていたので……」
◇◇◇
婚約者のスナッチ子爵令嬢から、「婚約者の取り替え案」を出されたとき、まず一番初めにファインドが問うたのは、入れ替えさせられるロマーナ子爵令嬢(つまりは私)の意思であったという。
そのとき交わした言葉を、ファインドは鮮明に覚えていた。
「彼女ーーロマーナ・ベルト子爵令嬢は、婚約し直す話を、どう言ってるの?」
スナッチはピンクの髪を掻き分け、フフンと鼻息を荒くした。
「それについては、これから彼女に直に聞くのよ。
私の新たな婚約者アレク・ランドール様が、ちょうどお屋敷に、ロマーナ嬢を呼びつけてるから、意思確認もできるわ。
でも、そんな確認を取らずとも、どうせ言いなりよ、彼女は。
ランドール伯爵家には頭が上がらないんだから」
ランドール伯爵家とベルト子爵家は、寄親・寄子関係にある。
本来、寄親貴族家のアレクの勧めには、寄子貴族家のロマーナは無条件に従わなければならない。
それが我がトゥレイト王国貴族のマナーだといわれている。
「それは強引だよ」
と、ファインドが声をあげると、スナッチ子爵令嬢は上から目線になって言い募る。
「問題ないわよ。
アレク・ランドール伯爵令息は、私の提案に快く応じてくれたわ」
だが、ファインドは難しそうな顔をして、訴える。
いくらスナッチ嬢がそう言っても、常識的とは言えない提案だからだ。
「僕も出向こう。
関係者全員で、四人で話し合わないと」
即座に応じない婚約者の態度を目にして、スナッチ嬢は不機嫌になったらしい。
吐き捨てるように言った。
「要らないわよ。
もう、イチイチうるさいわね。
貴方は男爵。私と彼女は子爵。
アレク・ランドール伯爵令息のご意向に従うのが、筋ってものよ」
「でもーー」
「もう、良いから!
貴方は男爵家の者なんだから、子爵家の私に口答えしないで。
どうせ、彼女、ロマーナ・ベルト子爵令嬢は、アレク・ランドール伯爵令息から婚約破棄されたら、貴方のシェルター男爵家へ嫁ぐしかないんだから。
私と彼から婚約入れ替えを提案されたら、その直後にロマーナは貴方のところにやって来るわよ。
そうね、きっと貴方の意向を確かめるために。
彼女、どうも相手が誰であろうと、相手の意向を尊重する癖があるから。
貴族家の令嬢としては、あるまじき態度だけどね」
「……」
フフンと得意げに、ピンクの髪を振りかざす。
対して、ファインドの方は、眉間に皺を寄せ、思案顔になったものだったーー。
◇◇◇
この時の話し合いを通じて、ファインドはスナッチ嬢の性格をキッチリ把握していた。
「僕は思った。
彼女、スナッチ・イングル子爵令嬢は、僕のシェルター男爵家に嫁いで男爵夫人に格落ちになるのが心底、嫌だったのだろうってね。
それはたしかに、この国の貴族令嬢らしい価値観の現れなんだろうけど、格落ち貴族令息の僕に面と向かっていう表明するというのは、どうもね」
私、ロマーナも苦笑い浮かべ、肩をすくめる。
「私も、なんだか嫌なのよね。
アレク様とスナッチ嬢のやり方がどうも。
今回の件もそうだけど、いつも行き当たりばったりで、強引に過ぎる。
自分の都合ばかりを優先させて」
彼らーー特にスナッチ・イングル子爵令嬢に振り回されるのは、今に始まったことではなかった。
「初めて、婚約者カップル同士で顔合わせしたときを思い出すね」
ファインドは黒い瞳で、ジッと見詰める。
私も青い瞳で、彼を見詰め返す。
往時を思い出し、二人とも明るい表情になる。
「ええ。そうね……」
◇◇◇
私、ロマーナ子爵令嬢とファインド男爵令息の二人が、互いの存在を意識したのは、ほんの些細な出来事がきっかけだった。
ある舞踏会の休憩時間中、六組の婚約カップル同士で顔を合わせ、長テーブルでお茶をいただいていたときのこと。
私の隣に座っていた婚約者アレク・ランドール伯爵令息が、顔色を変えていきなり席を立った。
「あ、プライド公爵家のフォロー様だ!」
アレクの視線の先には、彼と同じ金髪の貴公子の姿があった。
赤い生地の上に豪華な金の刺繍を施した、いかにも華麗な服を身にまとっている。
煌びやかなものに目がないスナッチ・イングル子爵令嬢も、
「きゃあ!」
と奇声を発して立ち上がり、アレクの振る舞いに追随する。
彼女は赤い瞳を大きく開き、甲高い声を張り上げる。
「フォロー様って言えば、王妃ナウ様のお気に入りよ。
近くサラー王女殿下と結婚するのよね」
サラー王女といえば、第一王女のレディネス様が病没して以来、唯一の王女として、殊の外、母親の王妃様から可愛がられていることで有名だった。
灰色の髪をして、つぶらな黒い瞳をしていて、亡くなったお姉様のレディネス王女とも瓜二つだといわれている。
サラー王女は、この舞踏会に顔を出していない。
だが、今のアレクとスナッチには、フォロー・プライド公爵令息の隣に、クッキリと彼女の幻影が見えているのだろう。
二人は好奇に満ちた目をしていた。
「素敵だな。ぜひ、挨拶をーー」
そう呟いて歩を進めようとするアレクを、私は押し留める。
席についたまま、彼の袖を引っ張ったのだ。
「今はダンスも終わり、休憩の時間ですよ。
落ち着いてお茶を飲みましょうよ。
フォロー様にもご迷惑でしょ?」
アレクは袖を振り払って、気色ばむ。
「何言ってる!?
フォロー様だぞ!
我が国最大派閥の領袖プライド公爵家の御曹司だ。
王族とも深い繋がりがある。
少しでも顔を売っておかないと。
これだから、君は!
ねえ、スナッチ子爵令嬢」
「そうですわ!」
ピンク色の頭を上下させ、スナッチ嬢は同意の意を示す。
かくして、テーブルを同じくする、他の四組のカップルが呆気に取られるなか、アレクとスナッチの二人が腕を組んで、フォロー・プライド公爵令息の許へと駆け出して行った。
そして、私、ロマーナと、ファインド男爵令息とが婚約者不在の席で赤面しつつ、隣で座りあっていた。
周囲のカップルから憐れみの視線を浴びながら、ファインド男爵令息は苦笑いを浮かべ、私に話しかける。
「これでは、どちらが婚約者か、わかりませんね」
私も諦めの表情で、
「ほんとですよ」
と溜息をつく。
それからしばらくして、二人でクスクスと笑った。
笑いついでに口が軽くなったとみえて、ファインドが灰色の髪を掻き上げつつ言った。
「僕は二人だけで、まったりと時が過ごせたら、それで十分なんですよ。
有力者に気に入られようと右往左往するのは、ちょっと」
「ですよねえ」
と、私も大きく頷く。
それから隣り合う者同士で、好きな本や、絵画の話などをした。
これに他の四組のカップルも加わる。
穏やかな時間が過ぎていった。
まさにお茶会を楽しんだ気分になれた。
婚約者のアレクを相手にしたときには、ついぞ感じたことがない感覚だった。
それ以降、私とファインド男爵令息との交流が始まり、何冊か、互いに本を交換した。
私が好きなのは歴史書で、ファインドは鉱石などの博物学の学問書を好んでいた。
そうした書籍を送り合い、感想を手紙に記して語り合った。
趣味が合っているとは言い難かったけど、彼の知見に触れるだけで世界が広がっていく感じがしたものだった。
◇◇◇
往時を思い出したようで、ファインドは真剣な眼差しを私、ロマーナに向ける。
「あの時から、僕は君との運命を感じていた」
私は青い瞳を伏せて、顔を歪める。
「そうね、私も。
でもーーあの人たち、特にスナッチ子爵令嬢は、平気で言うでしょうね。
『余りモノに福があるってほんとうね。お似合いじゃない?』とか」
正直、気に入らない。
スナッチ嬢が得意げに言うさまを勝手に想像して、頬を膨らます。
が、ファインド男爵令息は灰色髪を掻き上げ、にこやかに笑った。
「言わせておけば良いさ」
そうは言っても、私の元婚約者アレク伯爵令息も、なかなか強引な男だ。
懸念材料は他にもある。
どうも私たち「余りモノ」の披露宴までも、彼は執り仕切るつもりでいるらしい。
「『スピーチをするんだ』って、アレク伯爵令息は聞かないんだけど……」
窺うような目線で呟く。
すると、ファインドは鷹揚に答える。
「良いよ。それぐらい。
寄親伯爵家のご子息の申し出を、男爵家の僕が断るのも角が立つしね。
実際、披露宴の費用を出してくれるんだろ?」
軽い調子に、私の警戒心も弱まる。
(そうね。
私たちまでが、彼らのように「舐められないぞ」と身構える必要なんか、ないんだわ)
私の心にわだかまった嫌な気持ちが、スーッと晴れていく気がした。
「たしかに、そうだわ。
今後の私たちの経済状況を考えれば、節約するに越したことはないわね」
私が青い瞳を目一杯見開いて声を弾ませると、ファインド男爵令息はお茶を注ぎ、カップを私に差し出した。
なんてことはない気遣いだった。
が、元婚約者のアレク・ランドール伯爵令息は、いつも陽気に笑っていたが、私のためにこうした気遣いをしてくれることはなかった。
一方、何事もなかったようにお茶を注いでくれたファインド男爵令息は、自虐ネタを交えつつ、話をまとめた。
「ははは、まいったな。
この小さなお屋敷を見て、我が家の経済状態の慎ましさを実感したのかい?
だとしたら、貴女が締まり屋さんで助かるな。
披露宴の費用を出してくれるって言うんなら、アレク伯爵令息に任せちゃえば良い。
披露宴に誰を招待するかは、僕らに任せてくれるんだ。
甘えさせてもらおう」
彼は自分でそう語った直後、ハッと思い出したように、口に手を当てる。
「披露宴といえば、ウチの親が、
『サプライズがある』
って言ってたけど、構わないよね?」
ファインドのお父様、ハイド・シェルター男爵の穏やかな風貌を思い出す。
彼は美しい銀髪を蓄え、青い瞳に静けさを湛えた紳士だ。
長く社交を絶っていると聞いたが、ファインドに紹介されて二、三度会ったが、私は好印象を持っていた。
彼なら、私たちを困らせるようなこと、恥を掻かせるようなことはしない。
そう確信できた。
少なくとも、アレクとスナッチに披露宴を仕切られるより、よほど懸念材料がない気がした。
「ええ。
結婚するなら、貴方のご両親とは上手くやって行きたいもの。
でも、サプライズって、何があるのかしら?」
ファインドは肩を揺らせて、朗らかに笑う。
「わかってたら、サプライズにならないじゃないか。
それに、何があろうと、結婚相手の取り替えほど、サプライズなことはないよ。
昨晩、スナッチ子爵令嬢からの提案を打ち明けたら、ウチの親はほんとうに驚いてた」
私も、自らの長い銀髪を指で撫で付けながら、苦笑する。
「それもそうね。
ウチの親なんか、憤慨してた。
『イングル子爵家に舐められた!』
とか言って。
でも、私は言ってやったのよ。
『結婚するのは私なんだし、我がベルト子爵家を継ぐのは弟のドットなんだから、私が誰と結婚したって良いでしょ!?』って。
そしたら、軽くお説教されちゃったわ。
『おまえは、お人好しに過ぎる。
少しはイングル子爵家の令嬢のような、積極性を見習え』って。
きっと、お父様は、私が格下の男爵家に嫁ぐのが悔しいのよ。
『せっかく、寄親のランドール伯爵家に、娘をねじ込めたと思ったのに』って。
でも、私は構わない。
アレク様よりも、貴方と家庭を築く方が、絶対、私の性に合ってるわ」
私はそう言って、顔を真っ赤にさせた。
それから、しばらくの間、私の青い瞳と、彼の黒い瞳とが、互いに見詰め合う。
そして次第に、互いの距離が縮まっていく。
「二人で穏やかな家庭を築こう」
「ええ」
ファインドのプロポーズに、私、ロマーナは言葉一つで応えて、軽くキスをした。
それから、初めて、異性と抱擁した。
彼の身体は思ったよりも、ずっと暖かかった。
◆3
季節は秋ーー。
紅葉が映える季節に、私、ロマーナとファインドの結婚式が粛々と執り行われた。
基本的に親族しか参加していないので、私の実家ベルト子爵家、そしてファインドの実家シェルター男爵家、双方の家族は、私たちが婚約者を急遽取り替えて挙式をあげた、という異様な事態を承知していた。
でも、遠方から来た人は、新郎あるいは新婦が、別人と入れ替わっていると知って、とても驚いていた。
異例の結婚式だったので、あまり部外者は参加させなかったから、ごく限られた数による結婚式だった。
だが、神前での結婚式を終えた披露宴となると、話は違ってくる。
結婚後の披露宴とは、私たちが夫婦になったことを広く皆に知ってもらうための宴会だ。
それゆえ、学園時代の同級生や、舞踏会などで知り合った貴族家の令息や令嬢、その他、互いの実家の知り合いなども多く招き入れていた。
慎ましやかな結婚式に比例する形で、式場は夫になったファインドの実家シェルター男爵邸の大広間ということになった。
大広間といっても、青い屋根を戴いたシェルター男爵邸は小振りの館だ。
二階までも含めた全部屋、さらには庭まで開放しても、参加してきた大勢の人々を収容しきれず、門の外にまで人々がひしめいていた。
私のお父様、マインツ・ベルト子爵は、思いの外、狭い式場に難色を示していた。
さらには、この披露宴の準備金を、婚約者取り替えの慰謝料代わりに、元婚約者アレクが出したと聞いて、余計に腹を立てていた。
銀髪を震わせ、青い瞳を怒らせる。
「ったく、慰謝料代わりだったら、もっと広い式場を用意すべきだろうに。
結局、新郎の実家を会場にするだけとは。
しかも、料理も酒も、人数に比して数が不足しておる。
つくづくランドール伯爵家には失望した。
ご先祖様から代々寄親貴族家として敬意を持ってきたが、真剣に考え直す必要がある。
あのランドールの父子に、一度、痛い目に遭わせてやりたい」
憤慨して身を震わせるお父様を、シェルター男爵家のご当主ハイド様、そして奥方のレミア・シェルター男爵夫人が宥めていた。
義父のハイド様が、穏やかな表情で、
「サプライズがありますので、ご安心を」
と言いながら背中に手を添えると、義母のレミア様は、青い扇子で口許を隠しながら、
「ええ。きっと、ご希望に添えられるかと思いますよ」
と私のお父様に囁きかける。
たしかに、社交を長らく絶っていた男爵家らしい簡素な会場で、装飾は乏しく、楽団も用意されていない。
実際に、出資者のアレク・ランドール伯爵令息がケチった結果でもあった。
だが、結婚式を無事に終えたばかりの私とファインドの二人は、とてもリラックスしていた。
ファインドが左手を出して、私、ロマーナ・ベルトを席へとエスコートする。
そして、二人して、会場中央に据えられた席に並んで座った。
灰色髪の新郎ファインドが右席、銀髪の新婦である私、ロマーナが左席だ。
そこへ、さらに私の席の左隣に、元婚約者アレク・ランドール伯爵令息と、スナッチ・イングル子爵令嬢とが腕を組んで登場した。
碧色の瞳をした「黄金の貴公子」と、赤い瞳をしたピンクの髪の貴族令嬢とが、これから披露宴を開く新郎新婦より、目立つように立ち振る舞う。
そのさまに、さすがに参加者たちは動揺し、ざわざわとした喧騒が会場に広がる。
見れば、私のお父様、マインツ・ベルト子爵などは、顔を真っ赤にさせて、歯噛みしている。
それでも、爵位が低い家の者の感情に配慮するつもりがさらさらないとみえて、アレク・ランドール伯爵令息は、さらに私の席に詰めるように身を寄せて、スピーチを始めた。
「お集まりの皆さん。もはやご存じの方もおられるかと思いますが、本来だったら、こちらにおられるロマーナ嬢の隣に座っているのは、僕でした。
でも僕は、スナッチ・イングル子爵令嬢と結婚することにしたのです。
この組み合わせでロマーナ嬢も了承してくれたので、僕たちの気の利いた取り計らいを、どうぞ楽しんでください」
金髪を揺らして独り笑いをしながら、スピーチを続けた。
「ささやかな披露宴ですが、許してやってください。
お金は僕が出しているんですけど、来週は僕たちの結婚式があるので、そっちの方は、もっと盛大にやるつもりです」
さすがに我慢の限界だ。
私は隣に立つアレクに身を寄せ、小声でクレームを入れた。
「いくらなんでも、私たちーー特にファインドに失礼では!?」
「悪い、悪い。そうだね。披露宴の主役は君たちだったね。
じゃあ、とりあえず君のご主人様を持ち上げておくよ」
アレク伯爵令息は、パンと手を叩いて、悪びれずに言う。
「ファインド・シェルター男爵令息は、とても良いヤツでしてね。
彼になら、安心して、傷心の元婚約者を任せられるよ。
仕事の上でも、僕の右腕にするつもりです」
披露宴には大勢の人を身分に関わりなく招き入れるのが、我がトゥレイト王国貴族の慣例となっている。
私とファインドが招待状を送った、懇意になった若い婚約者カップル四組などの他にも、招いた覚えのない、若い連中が、大勢で群れをなして押し寄せていた。
そうした有象無象が、ヤンヤヤンヤと喝采をして、盛り上がっていた。
おそらくアレクとスナッチが、賑やかしのために雇い入れた者どもだろう。
仮装行列のような、赤や青、緑などの原色に彩られた服装を着た連中が、雇い主であるアレクとスナッチに向けて、パチパチと盛大な拍手を送る。
けれども、対照的に、通常の礼服をまとった貴族家の大人たちは沈黙していた。
ご婦人方に至っては、扇子を広げた陰で囁き合う。
「新郎新婦の晴れ舞台を奪って、得意になるなんて……」
「ランドール伯爵家のご子息でしたわね。
陽気な方と伺っておりましたが……」
「婚約者を取り替えるだなんて、おふざけも過ぎますわね」
「でも、新郎新婦は納得しているご様子」
「あの金髪の子、新婦のロマーナさんの元婚約者なんですって」
「ベルト子爵家は、ランドール伯爵家の寄子ですからね。
刃向かえなかったのでしょう」
「今の若い人たちって、そんなものなのかしら。
私たちの頃は、男どもは何かというとすぐに決闘だ、と喚いていたのに」
「時代は変わったのよ」
「それはそれとしてーー新郎のお顔、ご覧になりました?」
「とても整った顔で、素敵ね」
長く社交を絶っていたシェルター男爵家の者だから、珍しさもあって、人々の注目が夫ファインド・シェルター男爵令息に向かう。
私はご婦人方の噂話に釣られる形で、隣に座る夫の顔を見る。
たしかに、灰色の髪が涼やかで、黒い瞳は澄んでいる。
鼻筋も真っ直ぐ通っていて、均整が取れた顔立ちに、薄い唇、さらに広い額に知性が感じられる。
貴婦人方は、よもやま話に打ち興じる。
「あの新郎の方、とても優秀なんだそうですよ」
「ああ、でしたら、ランドール伯爵家のご長男よりもお相手として相応しかったかも。
明るいところだけが取り柄という評判でしたもの」
「ロマーナさんは王宮の史料編纂所付きのお仕事をなさっていたのでしょう?
ファインド様は資源研究所の研究員。
騎士団で馬を乗り回すランドールのアレク様よりも気が合うかも。
かえって良かったんじゃ、ありませんこと」
ガヤガヤとした喧騒が、次第に大きくなっていく。
アレクとスナッチ、そしてその仲間たちが無視された状況になっていた。
そんな中で、披露宴が終わりに差し掛かった頃ーー。
突然、披露宴会場になった大広間の大扉が開いた。
赤い制服を着た礼服姿の男たちが足音高く入り込んで来て整列する。
そして手にしたラッパが盛大に吹き鳴らされる。
「なんだ、なんだ!?」
と客たちが騒然としている中、若い鎧騎士が槍を地に打ち付けて、高らかに宣告した。
「ダア国王陛下、ナウ王妃殿下、ご入来!」
男の声に引き続き、再度ラッパが吹き鳴らされる。
その中を灰色の髪に、灰色の長い髭を蓄える初老の男と、亜麻色の髪に黒い瞳をした婦人が腕を組んで現れた。
披露宴の会場で飲み食いしていた人々は皆、慌てて席を立つ。
私たち新郎新婦も同様だ。
信じられない現象が目の前で起こっていた。
我がトゥレイト王国の国王夫妻ーー国王ダア陛下と王妃ナウ殿下が、この男爵邸での結婚披露宴に姿を現したのである。
皆が身を硬直させている中、国王夫妻はそのまま手を取り合って進み、私たちが座る席に向かって左側ーー新郎側の招待席に腰掛ける。
シェルター男爵家側の招待席に、国王陛下と王妃殿下とが着席したのであった。
皆が「なぜ?」と思って、会場がざわざわとざわめき始める。
新郎のファインドが、興奮の態で、黒い瞳を大きくしながら、私に囁いた。
「ロマーナさん!
どうやら、これが、お父様のサプライズのようですよ。
まさか私たちの結婚披露宴に、国王陛下と王妃殿下が来られるとは!」
興奮したファインドは半ば席を立っていたが、そうしたさまを見て、ナウ王妃はそっと涙を流し、ハンカチを目元に当てていた。
灰色の髪を風になびかせるファインドの姿を垣間見て、感極まったのだ。
「あの子に目元も仕草までもがそっくり……」
亜麻色の髪を震わせ、王妃は黒い瞳を涙で濡らす。
ダア国王も晴れがましい表情をして、結婚する私たち二人を見ていた。
「これは大いに、祝わなければのう!」
王族は、伯爵以下の貴族家の婚礼に出席することはない。
そうした慣例を破って、国王夫妻が、シェルター男爵邸で開かれた披露宴に顔を出したのには理由があった。
ファインド男爵令息は、実は国王夫婦の娘、第一王女レディネス・トゥレイト殿下が、ティーンエイジャーのときに、ある護衛騎士と関係を持ってしまって子供を孕ってしまい、秘密のうちに産ませた子だったのだ。
しかも、その出産が原因で、レディネス王女は死んでしまった。
けれど、実は男の子を産んでいた。
それを世間的には、「病気のゆえに、王女は亡くなった」ということにした。
王家の娘が、身分違いの、しかも婚前交渉の結果、子まで産んでしまったのを、外聞が悪すぎるため、隠すことに決めた結果であった。
ちなみにお相手だった護衛騎士の男は、レディネス王女の死を嘆き悲しみ、自害してしまった。
彼は騎士爵家の出自だったが、すでに両親は亡く、天涯孤独だった。
それゆえ、男の子を引き取ったのは、自害した護衛騎士と懇意だったハイド・シェルター男爵だった。
ハイド男爵は、レディネス王女と護衛騎士との間に出来た子供に、ファインドと名付けた。
当時、ナウ王妃は嘆き悲しむばかりで、娘の忘れ形見の将来を慮るゆとりがなかった。
ダア国王陛下も、愛する娘がいきなり身分違いの関係を結んで子を成したことに驚いて激怒し、
「護衛騎士のくせに、護衛対象たる我が娘と関係を持つとは何事か!
そんな男は、自害して当然だ。
我が娘を手籠にした不埒者なんだぞ。
娘の忘れ形見?
うるさい、知るか!
その赤子は、その不埒者の子供でもあるのだぞ!
なに!? 男爵家の者が引き取る?
勝手にしろ。そんな不届な男と懇意だったヤツなど、男爵だろうと何だろうと、信用ならん!」
とシェルター男爵家に当たり散らして、距離を取った。
一方、国王から罵倒されたハイド・シェルター男爵は一切、弁明をせず、友人の子供を引き取ることに決し、
「この事は絶対に他言致しません」
とトゥレイト王家に誓い、きっぱりと社交界とは縁を切って、今までひっそりと暮らしていた。
だが、年数を経るうちに、国王夫妻は態度を軟化させていく。
レディネス王女の忘形見に会いたい、と思うようになったのだ。
まだ他の子供、三人の王子が独身(長男の王太子は三十歳を超えたのに、いまだに良いお相手がいない)、さらには残った一人娘であるサラー王女がようやく婚約することに決した
こともあり、第一王女レディネスの忘れ形見の顔を見たいと思いだしたのだ。
そのためには、孫を囲い込んだシェルター男爵家に頼んで、孫を社交界に出てもらうしかない。
そのために国王夫妻はあれこれ考えた。
その結果、王家に対して、何かと擦り寄って来ているレグレト・イングル子爵の娘スナッチ嬢と婚約させ、孫に王宮舞踏会に顔を出せようとした。
結果、国王夫妻は、舞踏会で婚約者と踊る孫ーーファインド・シェルター男爵令息を遠目で眺めて密かに涙し、これからは力添えをしてやろうと心に決めた。
そして孫の養い親になってくれたハイド・シェルター男爵を王宮に呼び出し、正式に謝罪し、次いで自分たち母方の祖父母も、孫の結婚式に参加できるよう要請した。
ところが、孫の晴れ舞台を祖父母として見守りたい、という希望の前に立ちはだかったのは、人間の感情ではなく、国法や慣例という壁であった。
普通、男爵家程度の結婚式には、国王はもちろん、王妃も出席できない。
伯爵以上の爵位を持つ者の結婚式にしか、国王夫婦は参加できない慣例があった。
だが、史料編纂所の顧問官に過去の事例を紐解かせたところ、例外が見つかった。
六代前の王妃が、自身の妹が男爵家に嫁いだ際の披露宴に出席した、という先例があったのだ。
どうやら、血縁関係にあれば、王妃は少なくとも披露宴には参加できる、ということだ。(ちなみに結婚式に参加したかどうかは史料ではわからなかった)
今回の場合、国王夫妻両方ともが新郎と血縁関係にあるから、堂々とこの先例に倣うことができる、と判断した。
だからダア国王とナウ王妃は、結婚式は遠慮したが、披露宴には出席すると決めていたのだ。
(ちなみに、国王については男爵家の披露宴に参列した前例はなかった。
が、「王妃の付き添い」という形で、強引にサプライズ参加を強行した)
ダア国王は、今は亡きレディネス王女を偲び、悔やんでいた。
「娘に酷い態度を取ってしまった。
しかも、亡くなったので詫びることもできない」と。
だから、せめてこれからは、忘形見の、孫のファインドに優しくしてやりたい、と思っていた。
しかも、孫であるファインドは、柔らかな灰色の髪を風になびかせ、涼やかな黒い瞳をしており、細身の容姿ともども、驚くほど娘、レディネス王女の面影を宿していた。
ダア国王は、ナウ王妃とともに涙に暮れた。
どういうわけか、結婚相手がスナッチ・イングル子爵令嬢ではなく、ロマーナ・ベルト子爵令嬢になっていた。
が、国王夫妻にとっては、孫の結婚相手が誰であるかは、どうでも良かった。
王女が嫁いだ先が如何なる貴族家であれ、もうその王女は王族扱いではなくなる。
だが、王女は間違いなく自分たちの娘であり、その息子は間違いなく私たちの孫である。
ファインドはシェルター男爵家の嫡男として育てられていたが、じつは彼自身も知らない、国王夫妻の孫である、という経緯があったのだ。
もちろん、そうした事情が貴族社会で知れ渡るようになったのは、少し後のことになるが、この披露宴においても、察しの良い貴族は暗黙のうちに了解していた。
男爵家での披露宴で、国王夫妻が、新郎側の席に着座する。
それだけで、国王夫妻が新郎ファインドと何らかの血縁関係にあることを内外に知らしめることとなるからだ。
貴族夫人たちは、さっそく扇子を広げ、囁き合った。
ああ、だからファインド男爵令息は優秀で、顔も良く、とても目立っていたのだ、と。
それなのに、スナッチ・イングル子爵令嬢は、男爵家では爵位が低いと思って、ファインド個人については素敵だとは思っていながらも、やっぱり伯爵家のアレク・ランドール様の方が素敵だわ! と思って、普段から鼻持ちならないと思っていた優等生のロマーナから婚約者のアレクを奪い、ファインド男爵令息との婚約破棄をして、代わりにこれまたロマーナに押し付けてしまったのだった。
一方、アレク・ランドール伯爵令息は、血の気が退き、言葉を出せず、ただ碧色の瞳で瞬きすることしか出来ない状態になっていた。
格下の男爵家、それも寄子貴族家の者だと思って、ファインドを今まで、散々こき使ってきた。
ファインドが資源研究所勤めであることを良いことに、これから狩りに行く、模擬戦を行うなどの場合に、「彼の地に資源が眠っているかもしれない」と言っては、騎士団として正式に現地の先行視察を要求し、彼を追い使った。
事実、灰色の髪をした彼は、嫌な顔ひとつせずに現地調査に出向き、騎行するのに便利な通路を調べ出してくれて、その結果を上官騎士に紹介するだけで、覚えがめでたくなっていって、アレク伯爵令息は気を良くしていた。
ところが、ファインドに国王夫妻と直接繋がる因縁がファインドにあろうとは、思いもしなかった。
今ではすっかり青褪めた顔となって、アレクは身を縮こまらせるばかりであった。
かくして、こぢんまりとした男爵邸で開かれた結婚披露宴は、国王夫妻の参加によって、一層賑やかになった。
新郎新婦である、彼と私ーーファインドとロマーナは、中央の席上にあって晴れやかに笑う。
その一方で、それまで私の左隣にいた、アレク伯爵令息とスナッチ子爵令嬢の二人は、笑顔もなく、金色とピンク色の頭を下げて俯くばかりとなっていた。
◇◇◇
私、ロマーナとファインドの結婚式と披露宴が終わってから、一週間後ーー。
トゥレイト王家からシェルター男爵邸に直々に使者が訪れ、私の夫ファインド・シェルター男爵令息に、別家を立てて、男爵家から独立するよう要請された。
夫のファインドが、シェルター男爵家から出て、当主不在であった名門レズモンド伯爵家の当主として新たに立つこととなったのだ。
王家の要請を受けてから三日後、レズモンド伯爵家の家督継承の儀が王宮で行われた。
夫ファインドは王族とはなれないが、正式に国王夫妻の孫だと認める祝賀会であった。
当然、ファインドの妻である私、ロマーナも招待され、晴れてレズモンド伯爵夫人となった。
その日の午後に案内されたレズモンド伯爵邸はあまりに巨大で、見る者を圧倒するほどであった。
それまで住んでいたシェルター男爵邸の五倍、私の実家ベルト子爵邸ばかりか、元婚約者であったアレクの実家ランドール伯爵邸よりも遥かに広大であった。
私専用の侍女も一気に四人となり、至れり尽くせりの世話を受け、居心地が悪いほどだった。
それでも、週に一度は夫婦揃って王宮に呼ばれて国王夫妻と面談した。
ナウ王妃様が、私の手を握り、黒い瞳に涙を湛えながら言う。
「気兼ねなく、二人で王宮にいらしてね。
いつでも歓迎するわ。
法律はどうあろうと、私たちはあなたたちのお祖父さん、お祖母さんなんですから」
国王ダア・トゥレイト陛下も、灰色の顎髭を節くれだった指で撫で付けながら言う。
「娘に辛く当たった分、其方らを孫夫婦として、存分に甘やかしてやる」
結果、私、ロマーナと夫ファインドは、王宮に顔パスの身分となった。
夫ファインド・レズモンド伯爵は、現在では、宰相閣下の秘書として勤務する。
そして私、ロマーナ・レズモンド伯爵夫人は、トロイ王太子殿下のお世話をする侍女に抜擢された。
我がトゥレイト王国は厳然とした階級社会であったから、王家による厚遇は事実上の身分上昇といえた。
私たち夫婦は、近く伯爵から陞爵し、王族の親戚として公爵に列するという噂もあるほどになった。
ちなみに、私も中心的人物として参加した、レズモンド伯爵家の家督を継承する儀式が、王宮で盛大に行われた、その陰で、ひっそりと挙げられた結婚式があった。
元婚約者アレク・ランドールと、親友スナッチ・イングルの結婚式だ。
偶然か、故意か判然としないが、とにかく私たちの伯爵号授与式と日程がぶつかってしまった。
おかげでアレクとスナッチの結婚式の参列者は驚くほど乏しく、閑古鳥が鳴く、白けた結婚式、そして披露宴となってしまっていた。
どの貴族家も、ファインドとロマーナの夫妻がレズモンド伯爵家の家督を相続する儀式への参加を希望し、アレクとスナッチの結婚式に参列する貴族家は少なく、参列したとしても、代理人しか参加していなかった。
結局、スナッチの父レグルト・イングル子爵は、ワイン片手に、真っ赤な髪を震わせながら、腹を立てていた。
「かつて儂は、国王陛下から内密に、
『シェルター男爵家の息子と、ぜひ婚約してもらいたい』
という話をいただいた。
そのとき、何か裏があるとは思っていた。
が、まさかあの男爵家の小倅が、レディネス王女殿下の忘れ形見だったとは。
ったく、惜しいことをした。
勝手に結婚相手を変えおって。
もったいないことを!」
スナッチ嬢は、ピンクの髪を掻きむしりながら、甲高い声を張り上げる。
「お父様だって、
『おまえを男爵夫人にするのは偲びない』
とおっしゃっていたじゃありませんか!」
だが、父レグルト・イングル子爵は、赤い瞳に光を宿して怒鳴り返す。
「うるさい!
こんなんじゃ、鳶に油揚げをさらわれたようなもんだ」
妻のイングル子爵夫人が、ワイングラスを取り上げるまで、スナッチの父親も愚痴は続いた。
一方、アレク・ランドール伯爵令息も、父親のボイス・ランドール伯爵から、碧色の瞳に怒りの炎を宿しながら、派手に叱責されていた。
「まったく、イングル子爵家の、浅ましい女に乗せられおって。
我が家の寄子であったベルト子爵家が、今では家族ごと、王家のお近づきとなっておる。
しかも、おまえの元婚約者であるロマーナが嫁いだ相手は国王夫妻の孫、その孫が継ぐこととなったレズモンド家は、伯爵家の中でも名門。
我がランドール伯爵家をも凌ぐ名家だ。
我がランドール伯爵家の寄親でもある、派閥の頂点であるプライド公爵家の当主マーク様も、ご立腹だったぞ。
『どうしてベルト子爵家の娘ロマーナを手放したのだ?
ベルト子爵家は、優良な鉱山を所有して、実入りも良い。
成り上がりのイングル子爵家とは、同じ爵位とは思えないぐらい、歴史も格式も違う。
そんなことも、知らなかったのか』と。
ベルト子爵家は今や我がプライド公爵家の派閥から離脱して、シェルター男爵家同様、互いの子供が夫婦となって相続したレズモンド伯爵家の寄子貴族家となっている。
急造の新設貴族派閥だが、王家の覚えもめでたいゆえに、様々な派閥から有能な人材が引き抜かれてきておる。
このような新興勢力が生まれたのも、ひとえに貴様、アレクが、互いの婚約者を交換しようなどといった、くだらぬ試みを仕出かしたからだ。
このまま、王家からの不興を買って、結果として我がランドール伯爵家が、プライド公爵派閥の主流派から外されたら、どうしてくれる?
苦労するのは、結局は、跡を継ぐおまえなんだぞ!
ーーいや、もうおまえには、伯爵家の将来は託さぬ。
弟のポートを嫡子としよう」
「黄金の貴公子」とも呼ばれたアレク伯爵令息は、力なく膝から崩れ落ち、項垂れた。
「そ、そんな。父上、お考え直しを!」
喉を震わせて声を絞り出すが、その音量は乏しく、虚しく響く。
碧色の瞳は涙で曇り、自慢の金髪も輝きを失っていた。
そして十日後ーー。
アレクはランドール伯爵家の家督を弟ポートに奪われ、妻スナッチの実家であるイングル子爵家に婿入りする格好に改められた。
その結果、イングル子爵家では、父と娘、そして夫と妻の間で、喧嘩の絶えない一家となったという。
(了)